(アラチャ) 私が彼女を支援すると決めたのには、彼女が持つ「後継者」という地位が全くの無関係である、とはいえないだろう。地獄の王の後継者にしてリリスの娘。地獄のプリンセス。側近く取り入っておいて、まあ損にはならない肩書だ。それが今のところ、全く実を伴わない肩書きばかりの権威であろうと、それによって容易に開くドアが存在することもまた事実だ。物事を成し遂げねばならないときは反発の少ない道を選ぶほうが、より容易な目的達成につながる。彼女は特別な切り札、ともすれば、裏口の鍵に繋がるやも知れませんね。ええ、それは否定できない。
とはいえ、それだけを目当てに、私はホテルの扉を叩いたわけではない。端から「地獄のプリンセス」を目当てにするならば、もっと早いうちから取り入る道もあっただろう(スポンサーだなんて回りくどい方法を取る道が最善とは限らない。)。それに、そもそも他人の権威を宛てにするのは趣味ではない。次に踏み上がるべき階段を見つけるために、肩書きやタイトルを持つ人物に目をつけることこそあれ、その点において、シャーロット・モーニングスターはほぼ無害、口だけ、肩書だけ、踏むべきステップではない。予め目をつけておくなんてことはしていなかった。道沿いの店にあるショーウィンドウに置かれたあの不格好な箱から、救済を高らかに歌い上げるその声を耳にするまでは。
尻尾を巻いてのこのことホテルに戻ってきた私をチャーリーは一頻り歓待した後、忌々しいことにまだ治り切らない傷を腹に抱える私が、再会の席から早々に退散しようとするところ、彼女はこれまで殺人を犯してはいないのだろう白く柔い手で、何ら苦も無く振り払えそうな程の些細な力で以て、私の爪先を赤く彩った黒い手を握り、「アル、あなたのお陰よ」と、明け透けな好意と感謝を述べた。
「あなたが居なければ、私たちには、天使に対抗する術も無かった。勿論、それよりも前に、私がもっと、上手くやれていればよかったんだけど……でも、あなたが居てくれて本当によかった。」
『どういたしまして!』
マイクのノイズを通して返礼を述べる。しかしチャーリーにはそれが聞こえていなかったのか、彼女は彼女自身の内側に燻る、言うなれば使命感と奉仕の感覚に燃える炎に突き動かされるように私の手を握ったまま、黒真珠もかくやという様子にその瞳を潤ませて、「私はきっとあなたの……あなたたちの気持ちに応えるわ。あなたたちと一緒に、私はきっと実現する……私の夢を。」などと感傷的に呟いていると、私を捕まえている彼女の周りに、彼女のガールフレンドやお友達が、地獄に似つかわしくなく優し気な微笑みと共に集まって、思い思いに彼女の肩を支え、腰を抱き、生暖かい人肌によるグループ・ハグの様相を呈し始める場に、私はどうにも居心地悪く片眉を引き上げながらもそこに留まったのは、彼女が「いえ、そうね、アル。あなたは死後の救済については、私と意見が異なるでしょうけれど、」と、まだ私に向けての話を続けていたからだ。話の途中で退出する程無礼なことはない。そうだろう?
「アラスター、あなたの望みがどこにあろうと、あなたは、私を助けてくれたわ! 私はそのことについて、いくらでもお礼を言いたいの。心からね。」
『チャーリー、マイ・ディア。この私、友を助けることにかわる喜びはありませんとも!』
たっぷりの笑顔と共に向けた私の返事に、彼女はかえってぎこちない微笑みを返してきたが、勿論、その通りだ。ここで私の友情を信用するような、生易しいお姫様というわけでもないだろう。私の両手をしっかり握る彼女の白い手を指でそれとなく退かし、手と同じだけ白い頬を片手で抓むと、ふにふにと柔らかくあまり地獄らしくない手応えが返ってくるし、それ以上に、彼女の腰を抱いていた彼女のガールフレンドからの鋭い視線が突き刺さって、私はつい、口角が引きあがってしまう。
『私はあなたの修道女! この献身を疑う必要はありませんよ。それは私が保証しましょう、ええ、勿論!』
罪人の救済を演説する彼女の美しい夢は、この地獄に於いて存在することが信じられない程のふわふわに甘やかな夢であり、それこそが、私に必要なものだった。
ある日唐突に地獄の世界に存在することになった私は、存在する以上の努めとして常に上昇することを目指し、勤勉にエンターテイメントを続けたが、この世界は、言ってしまえば易しく、生身で存在したあの地球よりも退屈なものだった。何せ、言ってしまえば、悪意は悪意以上のものには成り得ない。かつて与えられていたチャンスを棒に振ったろくでなしの吹き溜まり。この世は全て予定調和だ。全く以て死んでいる。地獄的な退屈。
あの日私の耳に届いた「魂の贖罪」を謳う彼女の夢は、ここに蔓延る悪意とは対極にあるコンセプトであり、それこそが私に必要なピースだと、その時にピンと来た。この娘に手を貸そう。聞けば地獄のプリンセスと言う。側近く取り入って置いて損になる相手でもないだろう。ともすれば彼女こそが、バックドアの鍵になるやもしれない?
勿論彼女がそうであるからこそ、例の番組を通して私は彼女を知ることができたし、権威ある血筋に連なる彼女であるからこそ、そのふわふわな夢を下手に踏み躙られることなく、大事に抱えていることを許されたのであろうが、しかし、もし、そうでなくとも――彼女が地獄のプリンセスという地位でなかろうと、ひとたび彼女の全く地獄らしからぬ贖罪の夢を聞いたなら、私はたちまち手を差し伸べたに違いない。何せ、エンターテイメントの骨頂たりうる、最悪のカタストロフを引き起こすのは、往々にして善意と利他、この上なく甘やかな、思いやりの心に他ならず、その心はこの地獄に於いて殊に希少だ。その得難い夢が、そこら中に転がっている一山いくらのくだらない雑魚どもの横槍で中途半端に摘み取られることのないように、是非とも手を貸してやらなければ。
『私は、あなたの夢の行き先を見たいのですよ、マイ・ディア。そのための尽力は惜しみませんとも。』
彼女の頬をふにふにと生易しく伸ばしていた指を離してから、このあたりの景色にはあまり馴染まない明るいブロンドの髪を軽く撫でると、彼女の影であるようにぴっとりとそこに立っている彼女のガールフレンドが額にビキビキと青筋を立てる愉快な音が聞こえて来た。