明日の卵焼きもきっと甘い 月曜の朝、いつもより早起きをした司は天馬家の台所に立っていた。エプロンを着けながら、お弁当を作っている母親に声をかける。
「母さん、おはよう!」
「司、おはよう。準備万端ね」
「ああ。わがままを言ってすまない」
「いいのよ。むしろ手伝ってくれて嬉しいわ。でもどうして卵焼きだけ作ろうと思ったの?」
「ハハ……」
母親の当然の疑問は笑ってごまかした。あとは頼むわね、と言って台所を出ていく母親の背を見送りながら、ここに至るまでの経緯を思い返す。
事の起こりはつい先日。屋上で、類と恒例になってしまった野菜サンドとお弁当の交換をした昼の出来事だった。ランチを食べ終えたあと、司はふと疑問に思ったことを類に尋ねた。
「類は卵焼きが好きなのか?」
「え? どうしてそう思ったんだい」
「いつも最後にとっておくだろう。それに、やけにおいしそうに食べるからな。まあ、母さんの卵焼きはおいしいからな!」
「う~ん。自分では気づかなかったな……」
類は口元に手を当てて考え込み始める。しばらくして、何かに気づいたようにパッと顔を上げて言った。
「ああ、そうか。卵焼きが好きというより、司くんのお弁当の卵焼きが好きなんだ」
「オレの弁当の?」
「うん。僕の家の卵焼きはしょっぱめなんだ。だけど、司くんの家の卵焼きは甘いだろう?」
その言葉に司は首をかしげた。
「お前、甘いもの好きだったか?」
「そういうわけではないけど。司くんのお弁当の卵焼きは特別ってことさ」
そう言って類は少し照れくさそうにほほえんだ。その表情を見て、とあることを思いついた司は、
(よくわからんがとにかく類はウチの卵焼きが好きなんだな! だったら――)
と、自分の考えに沈む。
だから、そのあとに類がぼそっと呟いた言葉は司の耳に入らなかった。
「……君と一緒にお昼を食べてるって感じがするからね」
***
そうして今、司は台所に立っていた。類に卵焼きを作るために。
天馬司は神代類に恋をしている。だが、気持ちを告げる気は無かった。告白なんてしたらきっと類を困らせてしまう。それは嫌だったから。
それでも、日々想いは募るばかりで。どこかで発散しないとぽろっと零れ落ちそうで怖かった。そこで司が思いついたのが、今回の卵焼き作戦だ。類に手料理を食べてもらえればこの想いもある程度は満足するのではないだろうか、と考えたのだ。
そこからの司の行動は素早かった。早速休日に卵焼きを作る練習をし、家族に振る舞い、おいしいと太鼓判をもらった。そうして、準備万端で迎えたのが今日だった。
(弁当全てを作るといつもと違うことに類が気づくかもしれないからな。だが、卵焼きだけなら気づかれまい。さすがオレ!)
そんなことを考えながら卵焼きを作る。卵を割り、砂糖と塩を入れてしっかりとかき混ぜる。油を敷いたフライパンに卵を流し入れ、焼きながら巻いていく。火を止めると、そこには、ふっくらと焼かれ、形良く巻かれた卵焼きができあがっていた。まな板に移し、包丁で切り、味見をする。
(うむ、完ペキだ! ……だが、いつもより少しだけ甘いか? まあ、このくらいなら大丈夫だろう)
少し冷ましたあと、弁当箱に詰めていると、ひょっこりと咲希が台所に顔を出した。
「お兄ちゃん、おはよう! その卵焼き、お兄ちゃんが作ったの? 練習してたもんね」
「咲希、おはよう! 咲希の分も作ったから、ランチを楽しみにしていてくれ!」
「わ~い! ありがと、お兄ちゃん! ……お兄ちゃん、がんばってね!」
そう言って胸の前で両腕をグッと掲げる咲希に、思わず菜箸を落としそうになる司だった。
***
昼、神山高校屋上。雲ひとつ無いよく晴れた空に、爽やかな秋の風が吹いている。絶好のお弁当日和だった。いつものように並んで座った司に類が言う。
「司くん、このチキンサラダとそのおいしそうなお弁当を交換しないかい?」
もはや決まり文句のようになっている類の言葉に、これまた決まり文句のように司も返す。
「わかったわかった。今回だけだぞ」
「そう言って毎日交換してくれるよね、司くん。最近は僕用のお箸も用意してくれてるし」
いたずらっぽく笑う類に、少し頬を染めた司はそっぽを向いて言う。
「座長として座員に空腹で倒れられたら困るからだ! 言っておくが全部はやらんぞ」
「フフ、わかってるよ。ありがとう」
そうしていつものようにおかずを類にわける。こっそりと類の様子を伺いながら、チキンサラダを食べ始めるが、緊張で味は全くわからなかった。食べながら類に話しかけられた気もするが、不自然にならないように相槌を打つだけで精いっぱいだった。
しばらくして、他のおかずを食べ終えた類が、卵焼きに手をつけた。司は横目でその様子を見ながら、ごくり、とつばを飲み込む。類の口に卵焼きが放り込まれる。もぐもぐ、と咀嚼され、卵焼きは類の胃におさまった。
「うん、今日もおいしかったよ。ごちそうさま」
その言葉に、司は内心ガッツポーズをする。
(想像以上にうれしいものだな……、作ったものを類に食べてもらえるというのは)
感激に浸る司だったが、続く類の言葉にその感激も吹っ飛ぶことになる。
「でも、いつもより卵焼きが甘かったかな。……もしかして、僕のために甘くしてくれた?」
なんてね、と言って笑う類に、パニックになった司は思わず叫んでしまった。
「な、なんでオレが作ったってわかったんだ!?」
「え?」
司の言葉に、今度は類がパニックになる番だった。
「ちょ、ちょっと待って。今日の卵焼き司くんが作ったの!?」
「は!? だって今お前……」
「司くんが君のお母さんに甘くしてくれるように頼んでくれたのかと。それも冗談のつもりだったんだけど……」
お互い顔を見合わせて固まる。正気に戻るのは司の方が早かった。
(……しまった!!)
類の顔を見ていられず、下を向く。みるみるうちに顔に熱が集まっていく。鏡を見なくても顔が真っ赤になっているのがわかった。悲しくも無いのに涙が出そうになる。
「つ、司くん?」
黙り込む司に焦ったように類が声をかける。色々と限界に達した司は、
「よ」
「よ?」
「用事を思い出したので失礼する!」
そう言って屋上から逃げ出した。
***
逃げ出した先の空き教室で、今日の放課後どんな顔をして類に会えばいいんだと頭を抱える司は知らない。
屋上にひとり残された類が、顔を真っ赤に染め上げていることを。
一瞬だけ見えた司の顔を思い出しながら、あの顔は反則だろう、だの、これって脈ありってことだよね、だの、ぶつぶつとひとりごちていることも。