きゅーとあぐれっしょん!「キュートアグレッションって知ってるか?」
事の起こりは司の発したその一言だった。
時刻はお昼休み。いつも通り屋上でふたり並んでランチをとったあと、司は台本の読み込み、類は装置のメンテナンスと思い思いに過ごしていた時のこと。
ふと思いついて司がぽろりとこぼしたのが冒頭のそれだった。
司の脈絡の無い言葉にぱちくりと目を瞬かせ、類は答えた。
「人間がかわいいものを見た時に感じる攻撃的な衝動のことだね。対象をつねったりきつく抱きしめたくなったりするという」
「おお、さすが類だな! その通りだ」
司のストレートな褒め言葉に、類は頬を緩めつつ疑問を返した。
「それで、キュートアグレッションがどうかしたのかい?」
「昨日咲希と見ていたテレビ番組で解説されていてな。理解しがたい感情だと思ったんだ」
かわいいもの、と言われて真っ先に思い浮かぶのは最愛の妹である咲希だ。だが、咲希に対してそのような攻撃的な衝動を抱くなど天地がひっくり返っても無いだろう。抱きしめるにしても、きつく、というのがいまいち理解できなかった。
「キュートアグレッションは脳の誤反応という説もあるから、必ずしも感情というわけでもないだろうけどね。……でも僕は理解できるかな」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、類は司をじっと見つめてくる。それに顔をしかめて問いかけた。
「どういう時に感じるものなんだ? あまり聞きたくないがな」
「それはもちろん、司くんがあんまりにもかわいい時に」
「オレは、かわいく、無い!」
頬を膨らませ、ぷんすかと怒りを露わにする司に、そういうところがかわいいんだよなぁと類が思っているなんてことは、司は知る由もない。
「……でも、そうだね。せっかくなら体験してみるかい?」
ふ、と何かを思いついたのか、類が唐突に提案してきた。目を爛々と輝かせている。嫌な予感しかしない。
「いや、遠慮して――」
「おや、未来のスターともあろう君が『理解できない感情』から逃げるのかい。何事も経験してみることは大事だよ」
まぁでも無理にとは言わないけどね、と付け加えて話を終わらそうとした類に、とっさに司は言い返した。
「む。そこまで言うならば理解してみせようではないか!」
「うんうん、さすが司くん。そうこなくちゃ」
のせられた、と気づいてもあとの祭りで。こうして司は類と共にキュートアグレッションを体験してみることになったのだった。
***
それからしばらく経ったある日の夜。司は類にセカイに呼び出された。ベンチに並んで座ると、類から紙袋を手渡される。
「はい、プレゼント」
のぞき込むと、そこには紙袋いっぱいにぬいぐるみが詰まっていた。
「なんだ、これは」
「色々考えたんだけどね。かわいいぬいぐるみ相手なら司くんもそういう感情がわくんじゃないかと思って」
身構えていた司は、類の言葉に少し拍子抜けした。意外だと思ったのが表情に出たのだろう、類が尋ねてきた。
「おや、意外って顔をしているね」
「そうだな。正直もっとふざけた提案をされると思っていた」
正直に白状すると類は両手で顔を覆った。
「よよよ……。ひどいなぁ、僕はいつでも真剣に君のことを考えているのに」
明らかに作ったトーンに、わかったわかったと適当に返事をすると、けろりとして類が続ける。
「まぁ、実のところ、この機会に司くんにぬいぐるみをプレゼントしたかったってのが本音かな」
類の言葉に司は首を傾げる。
「む、なぜだ?」
「さぁ、なんでだろうねぇ」
にこりと笑う類が内心で、司のベッドに並ぶ冬弥からのぬいぐるみに対抗したかったと思っていることを司がわかるはずも無く。
気を取り直したように類が言った。
「まぁそれは置いておいて。どうだい、体験できそうかな、キュートアグレッション」
類の態度にはてなを浮かべつつ、促された通りに素直に紙袋からぬいぐるみを取り出しては眺める。確かにかわいいが、抱きしめたくなるような衝動は感じられなかった。
「むー、難しいな。……ん、これは?」
とあるぬいぐるみを手に取り、まじまじと眺める。それは、類の姿をデフォルメしたぬいぐるみだった。司くんのもあるよ、と横から言われ、紙袋を漁るとその言葉通りに司のぬいぐるみも出てきた。
「どうやってこんな物用意したんだ……」
「フフ、企業秘密さ。かわいがってくれるとうれしいな」
類がおどけて言う。類の言葉に、ふたつのぬいぐるみが自身の部屋に仲良く並ぶ様子を想像してみる。自然と笑みがこぼれた。ふむ、悪くない、とひとつうなずく。
「ああ、大切にさせてもらおう。ありがとな、類」
ふたつのぬいぐるみをそっと抱きしめて、笑顔で礼を述べる。
すると、類はぱっとそっぽを向いて、思ったよりも破壊力が……、などとぶつぶつ呟きだす。不思議に思い、問いかける。
「どうした、類」
「……いや、なんでもないよ」
どう見てもなんでもなさそうな様子に、顔を見ようと身を乗り出してのぞき込んだが、類は片手で顔を隠してしまった。しかし、耳が赤いのは隠せておらず。
「もしかして、照れてるのか」
「……」
無言だったが、ほとんど肯定されているようなものだった。
(かわいい……)
思わず声に出しそうになる。衝動的に胸に抱えたぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
いつもひょうひょうとしている類の珍しい様子に、ぐわっと心臓をわしづかみにされ、なるほど、これが、とひとり納得する。
抱えていたぬいぐるみを丁寧に紙袋にしまい、名前を呼んだ。
「類!」
類がぴくりと肩を震わせた。相変わらず顔を隠したままだがかまわず続けた。
「キュートアグレッション、体験できたぞ!」
意気揚々と告げると、頬を赤く染めた類が目を丸くして司の顔を見つめてきた。少しの沈黙のあと、類が唇をとがらせて言った。
「それは良かった。……少し不本意だけどね」
観念したように、類がゆっくりと両腕を広げる。
司は勢いよくその胸に飛び込んだ。