恋人関係におけるキスの必要性について 類の整った顔が迫ってくる。あと少しで唇が重なるというところで、司は思わず叫んだ。
「待て待て待て!こういうことは必要なのか!?」
「は?」
類から聞いたことの無い低い声が聞こえた。
***
「神代類はいるか!」
昼休みのチャイムと同時に、司は2-Bの教室の扉を勢いよく開いた。教室中から注目を浴びていることなどおかまいなしに、きょろきょろと目当ての人物を探すが、類はどこにも見つからなかった。
(あいつ、やはり授業をさぼっているな)
そう確信しながら次に探す場所を考える。屋上か、中庭か……。
「失礼した!」
去って行った後の教室で、連日繰り返される司と類のかくれんぼに、変人ワンツーついに破局か、などと噂されていることを司は知らない。
司が類に学校限定で避けられ始めてから五日目の出来事だった。
こうなったきっかけは、司が類とのキスに待ったをかけたことだ。
いつも通りに昼休みを屋上で過ごしている内に、付き合いたてのカップルがそういう雰囲気になった、のだと思う。何もかもが初めての司にはわからなかったが。迫ってくる類の唇に、思わず出た言葉が冒頭のそれだった。その後、類は数分考えこみ、用事ができたから、とそそくさと屋上を去って行った。真っ赤になった司を残して。
その日の放課後、練習終わりの更衣室で、司は昼休みのことを謝った。類も、僕の方こそ驚かせてしまってごめんね、と言って、その話は終わったはずだったのだが。
その時から、司は類に学校で避けられ続けている。放課後の練習では普通にふるまっているが、二人きりで話すのは巧妙に避けられていた。
司は焦っていた。このままではショーの練習に影響が出かねない。最近はえむも寧々も時々何か言いたげな視線を寄こしている。なにより、類とまともに話せない状況に司は参っていた。
昼休み、中庭でベンチに座りながら司はひとり考える。結局屋上にも中庭にも類はいなかった。ここまで避けられるということは、実は類はあの時のことをまだ怒っているんだろう。謝るだけではなく、根本的な解決方法を考えなければ。
(……要するに、オレができるようなればいいんだろう。その、キスを)
そうしてあの時のことを思い出す。迫ってくる類の顔、熱を帯びた瞳、司くん、と自分の名を呼ぶかすれた声。そこまで思い出したところで、司は頭を抱えた。
(ム、ムリだ……! あれは耐えられん!)
しかし、類といつまでもこのままなのは嫌だ。予鈴が鳴るまで、司は頭を抱えまま考えた。自分ひとりでどうにもならないんだったら――。
***
「だからってなんでオレなんすか……」
翌日の昼休み、彰人と司は屋上に並んで座っていた。突然司が教室に乗り込んで来たかと思えば、
「彰人! キスのやり方を教えてほしい!」
と、教室中に響く大声で言ったのだ。教室がしん、と静まり返る。なんとか正気に戻った彰人は、教室中の視線を浴びながら、誰もいなさそうなところ、――今は変人ワンツーの根城になっている屋上に司を引っ張ってきたのだった。そして、事情を聞いて今に至る。
「お前しか頼れるやつがいないんだ。こんなことを冬弥に相談するわけにはいかんからな」
「まあ、冬弥が巻き込まれるよりはマシですけど」
だからってあれは無いだろう、教室戻れねぇ……、と彰人は痛む頭を押さえる。
「そもそも、他人に教わるもんじゃないでしょ。神代センパイに聞いてくださいよ」
「その類に避けられてるからお前に聞いてるんだろう。それに、オレは類の期待には全力で応えてやりたいんだ。あいつがキスをしたいと思うなら、オレもできるようにならねば!」
そういうもんじゃねぇと思うけどな、と内心思いつつ、梃子でも動かなそうな司に諦めた彰人は、とりあえず思いついたことを伝える。
「神代センパイの顔が見てられないんすよね。だったら、――でいいんじゃないすか」
「? そんなのでいいのか?」
「神代センパイはあんたならなんでもいいでしょ。それじゃ、オレはこれで」
そう言って立ち上がると、首を傾げていた司が笑顔で言った。
「ああ、ありがとう、彰人! この礼は必ずするぞ!」
「……そういえば、避けられてるって言ってましたよね。さっきのどうやってやるつもりなんですか」
「それはこれから考えるつもりだ」
あっけらかんと答える司に、彰人はため息をひとつ吐いてスマホを取り出す。不思議そうにする司にかまわず、そのまま類に電話をかける。結婚式場での一件の際に交換したものだが、こんなところで役に立つとは思わなかった。
「……あ、神代センパイ。今司センパイにキスのやり方を教えてほしいって言われてるんですけど。ほかのやつにやりだす前に何とかしたほうがいいっすよ」
「彰人!?」
横で慌てる司を無視して、今は屋上にいます、と言って電話を切る。
「これでとんでくるでしょ。それじゃ、あとはがんばってください」
「ま、待て、彰人、心の準備が!」
そうわめく司に少しだけ溜飲を下げ、そのまま屋上を後にした。
***
数分後。司が逃げようかと迷っているうちに、屋上の扉が勢いよく開かれた。
「司くん!?」
走ってきたのだろう、勢いそのままに、類は司の肩に掴みかかった。
「さっきの東雲くんの電話どういうこと!?」
「お、落ち着け類! ちょっと彰人に相談しただけだから!」
がくんがくんと肩を揺らす類をなんとかなだめる。じろじろと司を眺めた後、類の中で何事かを納得したのだろう。はぁ~、と特大のため息を吐いて、類は司から手を離した。
「相手が東雲くんだったから良かったものの。男は狼なんだから、危ないことを言ってはダメだよ」
「お、おう? すまん」
類が何を言っているかは理解できなかったが、心配をかけてしまったようだったので謝る。内心、久しぶりに類と普通に話せていることに、司はテンションが上がっていた。
(これはチャンスじゃないか? ためらっている場合ではない。行け、天馬司!)
そして、先ほど彰人に教えてもらった方法を実践する。
「類!」
声をかけ、類の顔がこちらを向いたことを確認してから、目をつぶって、唇を少し突き出す。
(それで……、それでここからどうすればいいんだ!?)
パニックになりながら、そのまま類の反応を待つ。数秒だったかもしれないし、数分だったかもしれない。しばらくしてから、恐る恐る片目を開けた司が見たものは、地面に頭を打ち付ける類だった。
「類!?」
慌てて止めさせようとするが、類は顔を上げない。
「離してくれ、司くん。僕は今内なる狼と戦ってるんだ!」
「さっきからお前が何を言っているのか全くわからん! お前はオレとキスしたいんじゃないのか!?」
そう叫ぶと、ぴたり、と類の動きが止まった。
「……類?」
声をかけると、ゆっくりと司の方を向き、
「司くは? 司くんは僕とキスしたい?」
と真剣な表情で聞いてきた。
その問いに、司は言葉を詰まらせてしまう。
「お、オレは……。自分でもよくわからん……」
珍しく歯切れ悪く答える司に、類は少しだけ寂しそうに笑って続けた。
「やっぱり、僕のためにがんばってくれてたんだ。……避けてたのはすまない。君と二人きりになったら、また同じことをしてしまいそうだったから」
その表情に、司は何も言えなくなってしまう。類は続ける。
「あと、調べ物をしてたんだ」
「調べ物?」
「司くん言ってただろう、キスは必要なのか、って。だから、必要性を君に伝えるために、キスの起源とか、古今東西のキスにまつわる物語とか、色々と調べてたんだ。なかなか興味深かったよ。ショーにも生かせるかもしれない。キスはおとぎ話にもつきものだからね」
結局ショーの話になるのがなんとも類らしい、と思いつつ、司は尋ねた。
「それで、必要性とやらは見つかったのか?」
「う~ん。それがダメだった」
「ダメ?」
「いくら調べても、考えても、結局は君とキスしたいって僕の気持ちだけだったよ」
類は困ったように笑って続ける。
「だから、君もそう思ってくれるようになるまで、待ってるよ」
「……お前はそれでいいのか? いつになるかわからんぞ」
恐る恐る司が聞くと、
「うん、いつまでも待つよ。なるべく早い方が嬉しいけどね」
おどけてそう答える。そんな類に、じんわりと暖かい気持ちで胸がいっぱいになった。
(我慢なんて苦手なくせに。お前のそういうところがオレは――)
そして、その気持ちのままに類の頬に唇を寄せた。
「……司くん?」
類が目を丸くして自分の左頬を押さえている。はっと我に返り、顔を真っ赤にして言い訳をする。
「い、いや、今のは、体が勝手に――」
続くはずだった言葉は、重なった唇に飲み込まれた。
***
余談ではあるが。
変人ワンツーの破局の噂と司の爆弾発言のせいで、変人ワンツーと彰人の三角関係か!? ……などと不名誉な噂になりかけた彰人だったが、前以上に初々しいカップルのような雰囲気を出すようになった変人ワンツーの様子から、痴話喧嘩に巻き込まれた被害者と認識され、難を逃れた。
当の変人ワンツーからは、お礼とお詫びを兼ねて、学食とパンケーキとのろけ話を贈られたらしい。