後悔はいつも一瞬遅れでやってくる「いらっしゃいませー」
足痛い帰りたいもうお客さん来ないでほしい。
駅の中のケーキ屋でバイトを始めたのはいいけれど、自分が思っていたより忙しい。私が見てた時は全然お客さん並んでなかったはずなのに、混む時間というのが存在していて働いていればどうしてもその時間にぶち当たってしまう。
毎日できる限り人が来ないことを祈りながら、微笑って対応するのだ。あ、今こっちを見たあなた、わざわざ寄らなくていいからね、なんで寄っていくの……。
「いらっしゃいませ」
遠目で見た時、雰囲気いいなと思ったけれど、ショーケースを少し腰を屈めて眺める彼、めちゃくちゃ美形。薄く紫がかった銀髪のウルフカット、垂れ目、独特な剃り込みの入った眉。その眉は多分美形じゃないと許されない。
「すんません、オススメとかあったりします?俺こういうの疎くて」
話を聞くと、お母さんの誕生日のお祝いに家族4人分のケーキを買いたいと今思ったのだが、甘いものをあまり食べないため何がいいのかわからなかったらしい。
「4種類買っていくのはいかがでしょうか?」
「おー……選んでもらってもいいっスか」
「ぜ、全部ですか?」
店員さんさえよければと、彼はとても人好きする笑顔で笑った。
歳の離れた妹さん2人には店のオススメプリンタルトといちごタルト、誕生日のお母さまには好きだというモンブラン、そして甘いものをあまり食べないらしい彼にはガトーショコラ。ガトーショコラを選んだ理由はなんとなく似合うと思ったから。
お誕生日のメッセージカードを入れた箱を受け取った彼の手は思っていたよりゴツゴツしていて大きかった。
数日後。
「いらっしゃいませ、あ」
「この間ありがとうございました。オフクロも妹たちも喜んでくれて」
彼は再び現れた。お礼を言いに来てくれる人なんて中々いないから驚いた。今日はちょうど通りかかったからお礼を言いに寄ったのと、ついでにガトーショコラを買って行ってくれるみたいだ。
「あんま甘いの食わねえけど、これめっちゃ美味かったっス。やっぱオススメってだけありますよね。俺気に入っちゃって」
ニッと笑って彼はガトーショコラをひとつ入れた小さな箱を片手に帰っていった。歯を見せて笑って可愛いの、ズルいなぁ。
それから彼はちょくちょく現れては私と少し会話をして、ガトーショコラを買って帰っていく。
お互いに名前を知らないから私は彼のことを密かに「ガトーさん」と呼ぶことにした。
この店のガトーショコラが美味しいから、通うのもわかる。ガトーさんを待ちながらする仕事は結構楽しかった。
ある時期、私はシフトに全然入れない日が続いた。そのかわり趣味に没頭して生きていたのだが、ふとした時にガトーさんの笑顔が頭をよぎる。眉尻を下げて笑ったり、眉間にくしゃっと皺を集めて意地悪そうに笑ったり、いつも笑う彼がとても印象深い。まあガトーさんイケメンだし、常連さんだし記憶に残るよね。
なんて考えながら作業を続けていたのだが、つい自分以外にも注文するのだろうかと気になってしまった。今まで全く気にしたことはなかったのだが、彼は私の知る限り私がいる時以外来ていない気がする。いや、でももしかしたら私が知らないだけで来ているのかも。
私の仕事は注文を受けて箱に詰めて会計するだけなのに、それを他の人がガトーさんにやって彼の笑顔を向けられていると思うと、なんだか胸の辺りがモヤモヤする。たかが会計なのに、だ。
そんなことを考えてしまう自分が変な感じがして、考えないようにより趣味に没頭するようにした。
それから久しぶりのバイト。趣味は一区切りついたので、次のためにお金を貯めなくては。気合いを入れて制服に着替えて店先に立つ前に、同僚に何となく尋ねてみる。
「あの、私が休んでる間に銀髪のウルフカットのお客さまいらっしゃいましたか?」
「え……あー、いたよ。今日来るんじゃない?」
少し悪い顔をした同僚の言いたいことがわからなくて頭にはてなマークを浮かべていると、同僚は彼に聞けばいいじゃないと笑って私の背中を押して店先に立たせた。
暇な人波の中に薄紫の銀髪を探してしまうのは許して欲しい。まあ都合のいいことなんて起きないよねなんて思いながらたまに来るお客さまの相手をして過ごした午前中、そろそろ私の今日のシフトは終わり。
ため息を吐いた時、人波の向こうにガトーさんが見えた気がしたけど、すぐに飲み込まれて見え無くなってしまった。
「シフト交代に来ました〜」
「はーい」
「店員さん!」
呼ばれた声はいつのまにか聞き慣れてしまったようだ。振り返るとそこにはガトーさんがいた。
「い、らっしゃいませ」
いつものように笑う彼は少し息を切らせている。遅刻しそうなのかしら、もしも私を見て走ってきてくれたならすごく嬉しいんだけど。
「来ても全然いないから辞めたのかと思って、他の人に聞いたら休みだって言うから、毎日チラチラ見てた。なんか俺不審者みてえ」
ケラケラ笑っているけれど、私がいないからって気にしてたの?
「店員さんいないからガトーショコラ買えなくて」
「え、ほかの店員いなかったですか?」
「ちーがーくーて。俺は、店員さんとお話しして買うガトーショコラが好きなの」
一度、私がいない時に他の店員から買ったり、他の店のを試したりもしたけれど、何かが違ったのだとか。
いつも通りガトーショコラの入った箱を渡せば、彼はいつもよりキラキラの笑顔で帰っていった。
「忠犬ハチ公みたいね」
同僚が呟いた言葉の意味はいまいちよくわからなかった。
「やっぱり店員さんだ」
用事があるわけでもないけれど駅前をウロつく土曜日、決して褒められた行為ではないと知りながら歩きスマホをしていたら突然声をかけられた。振り返るとそこにはガトーさんと、体格の良い金髪のオニイサン、少し小さめな金髪の前髪を上げたオニイサンがいた。いつもシンプルな格好のガトーさんだが今日はアクセサリーとかの影響だろうか、すごく柄が悪い。
「今日お休みなんスか?」
「は、はい、休みです」
「いいっスね」
何がいいのかわからないけどとりあえずうなづいておくが、後ろの2人の視線が怖すぎる。
「何、知り合い?」
「よく行く店の店員さん」
笑った彼が少し幼い感じがしたのは、気のせいかな。私のバイト先のプリンタルトを妹さんが気に入ってくれたとか色々宣伝してくれて、オニイサンたちも興味を持ってくれたらしい。
「今度俺らも買いに行くね、オネエサン」
1番小さいオニイサンがそう言ったことでガトーさんたちとは別れたけれど、ガトーさんの不良っぽい感じが新鮮だったせいかドキドキして、もうちょっとガトーさんのことを知りたくなったせいか別れるのが残念に思ってしまった。その影響だろうか、その日は普段なら行かないジャラジャラしたアクセサリーのお店に行った。
私がしばらく休んでいた期間があったように、ガトーさんが全然来ない期間もあるらしい。最近、私は連勤を極めてるというのに、あの休みの日の邂逅以来一度もガトーさんを見かけていないのだ。
元々甘いものが得意ではないと言っていたし、不定期で来ていたし、いつ来なくなってもおかしくないと言ってしまえばそこまでなのだが、常連さんの1人が消えてしまうというのはどうしたって寂しい。
「はぁ……」
「何ため息吐いてんスか、接客業」
「ぁ、すみませ」
顔を上げた瞬間、目の前に伸ばされた手が私の額を弾いた。
「ったぁ!え?あ、ガトーさん!?」
「がとうさん?」
余計なことを口走った口を慌てて両手で塞ぐが、ガトーさんの頭には特大の疑問符が浮かんでいて既に手遅れであることがハッキリわかる。
「……えっと、聞かなかったことに?」
「できねえなぁ、気になるもん。店員さんがよければお茶しながら話してくんない?」
そろそろ上がりかつ、何か誤解を与えたままじゃ気まずいため断れずに少し待ってもらい、私たちは近場のカフェへと足を運んだ。
ガトーさんみたいに美形な人の隣を歩くには、1日のバイト終わりのくたびれた私では不釣り合いな気がして一歩後ろをついて歩く。ガトーさんはそれを知ってか知らずか、チラチラ振り返りながら通された席の椅子を引いて私に座るように促す。チャラいオニイサンがそんなことしたら、ギャップでやられる人が続出するって……。私が座るまで動く気はないらしいので、大人しく座るとガトーさんは私の向かい側に座ってメニューを開く。
「どれがいい?俺はこれでいいんだけど、ゆっくり選んで」
「じゃあ、私も同じので」
注文したものが届くまで、ガトーさんは片肘をついてジッと私を見つめる。その視線が落ち着かなくて私は忙しなく視線を周りに巡らせた。
頼んだ品が届いて、とりあえずひと口飲んでようやくガトーさんは口を開いた。
「で、がとうさんって?」
いつも優しく細められている垂れ目が、今日は真剣そのもので圧を感じさせる。
「……いつもガトーショコラを買っていかれるので、つい勝手にあだ名を」
真っ直ぐ目を見られずに俯いた私の耳に届いたのは、ガトーさんの笑い声だった。
「ははっ、マジか。ガトーショコラのガトーさん、いいセンス」
驚いて顔を上げると、ガトーさんはくしゃりと笑って私の頭を撫でた。
「改めて、ガトーさんこと三ツ谷隆です。俺はあなたのことずっと店員さんって呼んでます。そんで、変なヤツと思われるかもだけど、おすすめされたガトーショコラ食った時からあなたのことが気になってました。友達からでいいんで、お付き合いしてくれませんか」
余裕そうに笑っていた彼が頭を下げて手を差し出した時、耳が真っ赤になっていた。私は何が何かもわからないまま、差し出された手を握る。
顔を上げた瞬間の三ツ谷くんの嬉しそうな顔はよかったけれど、直後の意地悪な顔に判断を誤ったかなと後悔した。