視線の先 ※龍遙背後からの視線を感じる。この部屋には俺しかいないはずなのに。
ちなみにこれはホラーでもなんでもない。犯人はわかっている。
視線の先を追ってみると、この部屋には到底似つかわしくない、かなりデカいぬいぐるみがこちらを見ている。
数日前にやってきた来訪者が突然持ち込んだもので、自分で購入したわけではないのだが、今やこの部屋の主のようにソファーに腰を下ろしている。
ドアを開けたら目の前に見たことのないデカいぬいぐるみが立っていた。
「うわ、何だお前、そのデカいの」
するとそのぬいぐるみの後ろから七瀬がヒョッコリと顔を出した。
「デカいの、じゃありません。ビックイワトビちゃん抱き枕だ。」
「…そんなことはどうでもいいんだよ。それ、家から持ってきたのか?」
俺のマンションに到着した七瀬は、自分と同じくらいデカいイワトビちゃんとやらを小脇に抱えて入ってきた。
「家から持ってこないでどこから持ってくるんだ」
「確かに…じゃねぇよ。なんでそんなもの持ってきたんだ」
これを抱えて電車を乗り継いで来たのか、ここまで。
さぞかし周りの視線を浴びただろうが、七瀬はきっとそんなことは気にしないんだろうなと、ここまでの移動の様子を想像するだけでメンタルどうなってんだと感心してしまう。
そんな俺に向かって、ぬいぐるみを正面に抱えて何だか嬉しそうにこちらに見せてくる。
「かわいいだろ。渚に貰ったんです。」
「そういう問題じゃなくて…あぁもういいわ、とりあえず座れ」
「はい」
そのあとも、七瀬は大事そうにそのぬいぐるみをソファーの横に座らせている。風呂上りには抱きしめてうとうとしていてなんだか幼く見えた。思わず七瀬のつるんとまん丸い頭を撫でようと手を伸ばすと、こちらを見ているイワトビちゃん。
「…ウッ」
食事の時も、二人並んで話している時も、七瀬が風呂に入っている時も、七瀬の隣にいるから気が付くとイワトビちゃんと目が合ってしまう。
別に悪いことをしているわけではないのだが、なんだか視線が痛い。とはいえ、ぬいぐるみに顔を埋めている七瀬の表情がなんとも可愛いと思えてしまって、やれやれと溜息をついた。
「おい、風邪ひくぞ。」
「ん、はぃ…」
もそもそと立ち上がり、寝ぼけながら俺に手を引かれて、イワトビちゃんを抱きながらペタペタとついてくる。
「…子どもかよ」
「こども、じゃ、ない」
「そういうのだけ聞こえてんだな」
とりあえず、寝室に到着するとイワトビちゃんをベッドの横にある椅子において、布団にもぐりこんだ七瀬は寝ぼけているのか俺を抱きしめる。
そんなこと、今までしてきたことないくせに。と温かい七瀬がピトリと俺を包み込むと、しばらくして規則正しい寝息が聞こえてきた。
「まったく、今日はどうしたんだよ」
突然甘えてきたと思ったら寝やがって…人の気も知らないで。と抱きしめられて動くに動けずそのまま眠っている七瀬の頭を撫でてやると、気持ちよさそうに擦り寄ってきた。
「はぁ」
まぁたまにはこんな夜があってもいいか。なんて俺も七瀬の頭を撫でていたらいつの間にか眠ってしまっていた。
次の日、七瀬が帰った後リビングに置いていたイワトビちゃんを発見したので、連絡をすると後日取りに行くのでしばらく置いておいてください。というのでとりあえずイワトビちゃんを預かることになって、現在に至るのである。
うちに来てから4日が経ったが、相変わらずイワトビちゃんと目が合う。壁の方に顔を向けようとも思ったけどそれもそれでどうなんだと思って七瀬が置いたままにしていたのだが、やっぱり気になる。
4日目にして少し移動させようとイワトビちゃんに触れたら、なんだか触り心地が良くて思わず抱きしめると嗅ぎなれた香りがふわっと鼻孔をくすぐった。
七瀬の匂い。4日も放置していたのに香りが染みついているようで、思わずドキッとする。どれだけ抱きしめていたのだろうか、と思うけれどこの抱きしめた時の感覚は思った以上にたまらなくて、七瀬がやっていたように恐る恐るイワトビちゃんの後頭部に顔を埋めてみたら七瀬を抱きしめているような感覚に陥る。
やばい、まずい。これは。こんな光景七瀬に見られたら非常にまずい。
何してんだ俺。と一瞬にして冷静になりイワトビちゃんから顔を離した瞬間、背後に視線を感じて振り返るとそこには七瀬が立っていた。
「…コーチ」
「いや、これは…」
色々言い訳を考えていたら、七瀬が近づいて来て、俺の手からイワトビちゃんのぬいぐるみをはぎ取った。これは最悪の事態だ。冷静に対処するほかない。
まずは、謝るか…
なんてグルグルと考えていたら、七瀬はイワトビちゃんを脇に置いて突然俺を抱きしめた。
予想外の展開に頭が付いていかない。
「七瀬…?」
「…イワトビちゃんは確かに魅力的だ」
「は?」
突然何がはじまったのか?
「魅力的だから、抱きしめたくなる気持ちもわかる」
「あ、あぁ…」
正直イワトビちゃんを抱きしめたかったというより、七瀬が抱きしめていたから興味をもったようなもので…と思ったけれど七瀬の謎の思いは続く。
「わかるけど、コーチはだめだ」
そうだよな。40近い俺がぬいぐるみを抱きしめているなんて気持ち悪いことこの上ないももんな。と罪悪感に駆られ、気が付いたら「…悪い」と謝っていた。
でも、次に返ってきた返答に再び意味が分からなくなる。
「そうじゃなくて」
「…ん?」
「そうじゃないって、どういうことだ?」と思って聞き返すと、七瀬は俺の肩口に顔を埋めたままぼそぼそと呟いた。
「…だろ」
「なに?」
「だから、…俺でいいだろ」
今、なんていった?
突然のデレに聞き間違いかと思った俺は、「ん?」と咄嗟に聞き返すと俺からべりっと身体を離して隣にあったイワトビちゃんを抱きしめて部屋を出て行ってしまった。
なんだ今の。
年甲斐もなくドキドキして、それを悟られないように七瀬が消えて行った寝室のドアを開けたらイワトビちゃんを抱きしめてベッドに突っ伏していたので、覆いかぶさるように七瀬をイワトビちゃんごと後ろから抱きしめる。
「七瀬」
「…」
「七瀬」
「…ん!」
イワトビちゃんに顔を埋めている七瀬はご機嫌ナナメのようでこちらを見てくれない。
「なぁ七瀬、お前もそのぬいぐるみじゃなくて、俺がいる時は俺でいいだろ」
仕返しのつもりで言ってみたけど、オッサンが何言ってんだ。と恥ずかしくなってきて思わず七瀬から離れると、ベッドに突っ伏していた七瀬は抱きしめていたイワトビちゃんを横に置いて俺に抱き着いてきた。
「…今度から、そう、します」
その返答があまりにグッときて、そのままベッドに押し倒す。
「まぁ、期待しないで待ってるわ」
そういって、七瀬の唇を塞いで気が付く横からの視線。
目線をそちらに向けるとイワトビちゃんがこっちを見ていたので、来ていた上着をイワトビちゃんの顔に被せると、再び七瀬を抱きしめた。
「やっぱり俺はイワトビちゃんより、こっちのほうがいい。」
「…え?」
蕩けた顔の七瀬を包み込んで、本物の香りを吸い込んだ。
悪いなイワトビちゃん。
なんて思いつつ、「なんでもねぇよ」と七瀬の胸に顔を埋め、御所望通りに嫌っていうほど一晩中、七瀬を抱きしめた。