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    Awai_kii

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    Awai_kii

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    洋三ファンタジーパロです。推敲段階。
    書けた分随時追加していきます。
    中世和風ぽい雰囲気ですが、架空の国が舞台。バスケも出てこないし、設定たっぷり作り変えています。※勾/玉/三/部/作のオマージュあり。
    大丈夫でしたら…

    #洋三
    theOcean

    光の先の少年 【第一話】

     水戸洋平の一番幼い記憶は、夜の森だった。家と家族を戦で失い、戦禍から逃れるうちにたった一人になってしまった彼は、木々の間をよろよろと進んでいた。星も月も夜の生き物たちも、ひっそりと姿を隠していた。宵闇は幼い子供を恐ろしいものから隠してはくれたが、もう限界だった。空腹と疲れと心細さで動けなくなった彼は、ついに膝をついた。
     その時、ぼんやりと見えた光が何なのか、確かめる前に意識を失った。

     四歳だったその日のことについて洋平が覚えているのはそれだけだった。それまで住んでいた場所も親の顔も名前も覚えていない。
    気を失っていた小さな子供は通りかかった村人に助けられ、里に連れ帰られた。長年に渡る近辺での戦によって増え続ける孤児たち。その日から洋平も彼らと共に生活することになった。
     山里の小さな村。王国軍を受け入れたこの村は、光の神を祀る燈台を建てていた。洋平が助けられて数年のうちに、戦の火の手も遠のき、穏やかな地域となった。
     そこで成長した彼は、桜木や大楠、野間、高宮という悪友と共に、汗水垂らして働き、遊び、時に大人の目を盗んで小さな悪さをした。大きな事件など起こりようのない、平和でくだらない日々。何処かへ行きたい、何かを成したいなど思わなかった。こんな日々がずっと続くと思っていた。
     ただ一つ心にかかるのは、自分の中にひっそりとだが確かにある疎外感。共に暮す何人もの孤児たちの中で、出自が全く分からないのは洋平だけだった。子供の頃はそれをからかわれたりよそ者扱いされたりすることもあった。その度に拳で黙らせてきた。十四になった今ではそんなことで洋平に突っかかってくる命知らずはいない。洋平も仲間たちとバカ騒ぎしていると、自分の親はどこの誰かなんて考えることはなかった。時折訪れる空虚な不安や"何処かへ帰らなければ"という気持ちは見て見ぬふりをした。
     どんなに強い寂しさに襲われても、自分を受け入れてくれたこの場所の生活を大切にしようと思っていた。


     大陸の東に位置する島国、燈の国は長く続く戦乱の中にあった。
     "光の神"を唯一にして絶対の神と崇める国王。彼は自らを光の神の血筋であるとして、その支配を国中に拡げつつあった。
     対して、古からの土地神や動物神を崇め続ける人々が国内のそこかしこに残っていた。彼らは光の神の名の下支配を強める王に抗い、幾度征伐されても屈しなかった。彼ら"闇の者たち"と王国軍との戦いは、終わりが見えぬまま激しさを増していた。
     

     波乱は王朝内にもあった。異母の三人の王子たちには、それぞれ後ろ盾と言う名の派閥があり、水面下で繰り広げられる闘争は、年々激しさを増していた。
     三井寿は、現国王の二番目の息子だった。眉目秀麗にして人心を掌握する屈託のなさ。更に彼は、この世界で数少ない能力者であり、その能力は明るく輝く炎の力だった。紛うことなき"光の神"の血筋を証明する存在。そう言って彼の王位を推す者は増える一方だった。しかし他の王子らにもそれぞれ後ろ盾があり、我らの王子こそ時期国王にと息巻く者たちには、三井は疎ましい存在だった。宮中は安全な場所ではなく、数限りない陰謀と策略の飛び交う処。綱渡りのような日々を過ごす中で幼い頃には魅力的に思えていた王位への気持ちは失せていった。三井は王宮での生活に辟易していた。

     水面下での足の引っ張り合い。その雲行きが怪しくなったのは三井が十七になってすぐのことだった。
     それまで彼の護衛として側近くに仕えていた鉄男が突然任を解かれ、国外追放された。他の王子の命を狙ったという謀反の疑いだった。しかし、それが他派閥による罠であるのは明白だった。証拠とはとうてい言えぬ嘘ばかりの嫌疑に三井らは憤ったが、敵は巧みな策略により、三井の信のおける屈強な側近を排除することに成功したのだ。鉄男と共に護衛をしていた者たちは尽く任を解かれ、現在、三井が本当に信頼できる側近は宮城リョータと堀田徳男を含めほんの数名になってしまった。
     三井は荒れた。王子に生まれたことを恨んだ。自棄に陥る彼に臣下が勧めたのは、都から出て街の様子を見ることだった。折しも季節は夏の始め。光の神を祀る大きな祭の日が近づいていた。


     夏至。日没の後、洋平は友人らと共に祭に繰り出していた。
     天からの光がよく当たる大きく開けた土地。平地の多いこの街は光の神の加護多い恵まれた場所とされていた。しかし、身を隠すものが少ないことに密かに心許なさと不安を覚える洋平がいた。
     赤、青、黄、橙。色とりどりの炎が大きな松明に灯されている。闇夜は光に彩られ祭の広場は真昼のような明るさだった。
     その明るさの中、友人らは思い思いに祭を楽しんでいる。楽団の奏でる音色が人々の熱を加速させた。洋平は一人輪を離れ、静かな場所を求めて広場に背を向けた。松明の炎が弾け火の粉が様々な色の小花のように舞い踊っている。妖しく強烈な美しさは魅入ってしまうほどの引力があるが、洋平には眩しすぎた。体の隅々、心の奥底まで暴き出されてしまいそうな強い光は苦手だった。少し離れた古い祠に足を伸ばした。光の届かない忘れられた場所。ここなら静かに一服できると思った。だかそこには先客がいた。
     洋平は夜目が利く。見慣れない人物が七人ほどいるのを確認した。何やら物々しい雰囲気だ。
     気配を殺して祠の陰から様子を窺う。真ん中にいる肩までのさらさらの髪の背の高い人物。不思議なことに彼は微かに光をまとっているように見えた。


     宮城リョータは細く長く息を吐いた。めいっぱいの平気なふりももう限界かもしれない。相手は五人。対してこちらは二人きり。隣に立つこの国の王子三井の表情は長い髪に隠れて見えない。この人を守らないといけないが、あまりにも分が悪い。
     せめてもう一人の側近、堀田がいれば…と思う。どうして肝心なときにいないんだよあの人は、と苛つくが、三井本人が彼を撒いたのだから堀田を責めるのは気の毒だ。堀田だけでなく、三井の護衛は尽く撒かれて、付いて来れたのは宮城一人だった。
    「鉄男」
     三井が小さく小さく呟いたのを宮城は聞き逃さなかった。そう、鉄男らがいればまた状況は違っただろう。
     この日。お忍びで都から離れた村の祭を見に来ていた三井は、側近や護衛による見張りに飽いて、彼らの隙をついて祭の広場から抜け出した。宮城だけがその俊足と勘の良さによって、三井に追いつくことができたのだ。
     が、人中を離れた二人を待っていたのは、三井を狙う男たちだった。
    「誰の差し金だ?狙いは?」
     言いながらも、宮城には見当がついていた。腹違いの王子を巡る争いは年々激しくなる一方だった。宮中でさえ、三井が命を狙われたのは一度や二度ではない。無防備に都を離れているこの時に、何も起こらないはずはなかった。
     布で顔を隠した男たちは何も言わない。真ん中の男が闇を割くように手を動かした。灼熱が矢のような速さで迫る。宮城は三井を後ろに突き飛ばすと、腕を胸の前で交差させて盾を作った。金色に輝き電流を放つそれは、敵の放った黒い炎を危ういところで弾き飛ばした。
     男たちは間合いを詰める。今度は三人が手を真一文字に動かした。
     三人も能力者がいんのかよ?宮城はぐっと歯を噛みしめる。背中合わせの三井が動いた気配がした。男らと宮城と三井から同時に光が放たれた。
     それからは誰が何をしているか分からないほどの攻防だった。四方から閃光が飛び交い、男らの黒い炎と宮城の金色の稲光と三井の放った真っ赤な炎の爆発音が響く。
     形勢はどうあっても不利。宮城は防ぎ攻撃し避けながら、この場からいかに三井を逃がすか考えていた。しかし、たとえ能力者三人の注意を宮城に引き付けれたとしても、更に二人の戦闘の手練が詰めているこの状況では、絶望的だった。
     ふっと集中力が途切れた瞬間、黒い炎が肩口をかすめ、宮城は体制を崩した。ヤバいと目を見開いたのは、宮城に気を取られ守りが甘くなった三井に襲いかかる闇より黒い炎が見えたからだ。
    「っ、三井さんっ」
     小さくても、せめてこの人を守るだけの盾を!と気を集めるが間に合わない。
     絶望に声を上げそうになったとき、突然サァーっと周囲の温度が下がった。青く光る一筋の閃光が、漆黒の炎を穿ち、三井に触れる寸前炎は溶けるように消滅した。
     場は静まり、全員の目が青い力の使い手の元へ集まる。祠の陰に立っていたのは、一見どこにでもいそうな少年だった。


     考えるより先に力を放っていた洋平は、直後にバカをしたと悟った。見たこともない者たちの戦闘の場に無関係の自分が飛び込み、注目の的となってしまった。今までこの力を使って戦ったことなどなかったのに。何故二人組を助けたのかは自分でもわからない。でも、ここまで来たらもうヤケだった。
     五人の男らは、当然洋平にも攻撃をしかけてきた。
    「誰だお前っ?どうして…」
     髪の長い男が、目を見張って話しかけてきたが、すぐに誰も会話なんてできる状況ではなくなった。
     初めての命のやり取り。ひりひりする戦闘の場で、洋平は初めて思い切り己の持つ力を使った。
     形勢は緩やかに洋平と二人組の優勢となり、どれくらい時間が経ったのかわからない後には、その場には平素の静けさが戻っていた。
     男たちの姿はない。
    「くそっ、逃げられた」
     背の低い方(と言っても洋平と同じくらいの背丈だ)の男が歯噛みした。
     手応えがあったから幾つかの手傷を負わせたはずだが、こちらもそれなりにはぼろぼろだった。
     髪の長い男の体に大きな傷のないことを確認した背の低い男は洋平を振り返った。
    「助かったよ、ありがとね」
     言いながらも、しげしげと観察するような視線に、洋平は少し居心地の悪さを感じた。
    「お前は何者だ?」
     髪の長い男は無遠慮に距離を縮めて、洋平に問う。不遜な態度だなあと苦笑いした。近くで改めて見るととても綺麗な男だった。
    「…ただの村の小僧だよ。あんたらは?」
     二人は顔を見合わせた。
    「ここでは身元は明かせない。礼は後で必ずする。それから、これはお前の身の安全のため、今夜のことは全て、決して誰にも言うな」
    「おい、宮城」
    「あんたは黙っててください」
    「でもよ、」
    「だいたい、あんたが皆を撒いてこんなとこに来るから、こうなったんでしょうが。マジでもう少し考えてよ」
     宮城は怒っていた。
    「護衛の奴ら、しつけえんだもん」
    「護衛も堀田さんもいなかったせいで、本気で殺されかけたんだよ」
    「死ななかったじゃねえか」
     ありがたみなどなく、むしろつまらなそうに言う男に、宮城が色めき立って詰め寄る。しかし、彼は平然と洋平に目を向けた。
    「名前は?」
    「…水戸。水戸洋平」
    「水戸。夜半過ぎお前の家を訪ねる」
     確定事項として言う男。
     ただならぬ男達。能力を使った戦い。不審な二人組。これは平和な日々を脅かすもの。
     頭にはいくつもの警告が浮かんだが、闇の中でこちらを見つめる瞳は吸い込まれそうで、気付けば洋平は頷いていた。



    【第二話】

     祭の広場から離れた小さな通り。民家が立ち並ぶその中に洋平の住む家があった。孤児ら十余人が共同生活するのは、台所と便所と雑魚寝する居室(男女一部屋ずつ)のみの質素な造りで、裏にぽつんと小さな離れの小屋があった。
     その離れで、洋平は三人の男と向かい合っていた。
     裏口から招き入れ、人目がないのを確認して離れに通したので、客人が来たことを知る者はいない。更に今日は年に一度の祭の夜。この家の者も近所に住む者も、朝まで帰ってこない者が多かった。
     すっかり夜も更けた通りは蛙さえ鳴かず、風の音がやけに大きく聞こえる。広場の喧騒が嘘のようだった。

     麻の敷物を敷いただけの固い土間にどっかり座った男は、およそこの場所に似つかわしくなかった。きれいな髪に整った顔立ち。小袖と括り袴という庶民の出で立ちをしているが、溢れ出ている妙に澄んだ空気はなんなのか、と洋平は落ち着かない。
     洋平が立ったまま彼を見ていると、男の隣に座った宮城に"座れ"と目配せされた。
    「水戸洋平とやら、先刻は助太刀誠に恩に着る。お前がいなければ危なかったと聞いた。」
     堀田と名乗った男が、噛みしめるように口火を切った。
    「そんな、恩を感じてもらうほどのことじゃないっすよ」
    「褒美はきっちり与える。望みがあれば何でも言ってくれ。…その上で、お前の力を見込んで頼みがある」
     堀田が話す隣で、髪の長い男が懐から短刀を出す。薄明かりの中でも黒ぐろした鞘が重々しく輝くそれは洋平の膝先に無造作に置かれた。シンプルで美しい模様をしばし見つめた洋平は、柄の中央にある紋をみとめ息を呑んだ。枠外にも広がりそうな八方に伸びる金の光。ーー王家の紋に間違いなかった。
    「この方は、三井寿様」
     王族。しかも第二王子。
    「……げっ」
    「おい、何だその態度は!」
    「いや、だって、確実にめんどくさいでしょ」
     言った直後にやっちまったと思ったが、目の前の人間が王子ですと言われたからと言って、瞬時に態度を改めれるような器用な人間ではないのだ。
     再び怒鳴ろうとする堀田を「バレるから!」と諌めていると、押し殺した笑い声が聞こえた。
     三井寿と宮城が、くっくっと笑っている。
    「やっぱいいね、こいつ」
    「ほらな、俺の言った通りだろ」
    「今回はね。でも普段の三井さんの人を見る目は信用できない」
    「おい、てめえ宮城…」
    「おいおい、みっちゃんも宮城も…最初ぐらいは王家の威厳をさあ」
    「どうせ引き込むんだもん、最初だけ繕う意味ないでしょ」
    「そうだそうだ。ってわけで水戸、お前、俺の護衛になってくれ」
    「…は!?」
     想定外の言葉に大きな声が出て、「煩いバカ」と口を塞いできたのが三井で、更に混乱する。いやいや、王子様、庶民と距離が近すぎじゃありませんか?
    「いや、あの、お断りします。ごめんなさい」
    「なんで?」
    「俺は一介の村の小僧ですよ。誰かを守れる器じゃねえし、王子様の護衛なんて務まるわけねえんすよ」
    「あんな戦いしてて、誰も守れない只人だと?」
    「そうです。喧嘩しかしたことない。あの力の使い方もよく分からない。さっきうまくいったのはまぐれで、あんたらが強運だっただけ」
    「お前、まさか王子直々の頼みを断るつもりじゃねえだろうな」
     堀田がすごむ。鬼のような形相だが、洋平は一瞥して息を吐いた。
    「そう言ってるんすよ。俺は今の生活を変えるつもりはない」
     ずっと黙っていた宮城が首を傾げた。
    「水戸は望みとかねえの?」
    「望み…うーん。そうだな。またここに戦火が来たり、一緒に育った奴らが貧困に喘いだりするのは嫌だ。村の仲間が平和に暮らせることが望みかな」
    「水戸が宮中で働いたその報酬はこの村に送ることができる。祭で見たところ、この村はまだ貧しいだろう。子供たちも読み書きできないようだった。お前の稼いだ金で村が潤えば、子供が働かなくても良くなり、読み書きを学べる。それは将来貧困に苦しむ者を減らすことに繋がるんだ」
     洋平は目を見開く。弟妹のような年下の子供たちを思い浮かべ、心がぐらりと傾いたのが分かった。
    「まさか、そんな村ごと救うほどの金を稼げるってことはないだろ?」
    「それはお前の働き次第だ。一国の王子、いずれ国王になるかもしれない者の側近なんだから」
     洋平は黙り込んだ。その時
    「さっきからうるせえぞ、出てきやがれ」
     大きく舌打ちした堀田が板戸を開けた。転がり入って来たのは馴染の四人。
    「まいったまいった」「バレてたか〜」と頭をかく桜木たちに、洋平は苦笑した。いるのは随分前から気付いていた。彼らが揃って、密やかにしていられるわけがない。
    「誰だ、お前らは?」
     訊ねたのは三井だった。
    「桜木花道!」「野間忠一郎!」と堂々と名乗り始めた悪友らを洋平は複雑な気分で見る。こいつらと離れて宮仕えをする?漠然と思い描いていた未来とはかけ離れた道筋に戸惑う。突然、友人等と隔たりができたようだった。
    「洋平〜、こんな面白え話教えてくれねえなんてずりいじゃねえかよ」
     言いながらドヤドヤ歩いてきて洋平の周りに座る仲間たち。散々つつかれ、沈みそうだった気分は吹き飛んだ。
    「いや、だから何なんだよお前たち」
    「まあ、家族みたいなもんすよ。こいつらに隠し事はムリでした」
     呆れた顔の宮城に洋平は肩を竦めて答えた。

    「何をいったい迷ってるんだ、洋平は」
     開口一番、自信満々に言ったのは桜木だった。
    「ミヤコでオージのゴエイ!そんなの"やる"一択だろーが」
     花道が言うと外国語みたいに聴こえるなあと思いながら、洋平は彼を見る。
    「花道ならそうだろうな」
     毎日、「俺は世界を股にかけるでかい男になる!」と豪語している彼が王宮に呼ばれたのならば。
    「おう!だから先に洋平が行って待ってろよ。俺もすぐそっち行くからな!」
     桜木の手が洋平の背を叩く。
    「痛えよ、馬鹿力」
     言いながら背をさすっていると、悪友たちが口々に声をかけてきた。
    「洋平は力を持て余し過ぎだと思ってたぜ」
    「こんなちっちぇー村じゃ危なっかしくて使えねえあの水ドバァ〜って力、王子様のために使ってこいよ」
    「都の美味い食いもん送ってくれ」
     こんなときでも高宮の脳内は食い物で埋め尽くされている。洋平は天を仰いだ。
    「あーもう、分かったから、いっぺんに言うな」
    「本当だな!?」
     弾んだ声は三井のもので、そちらを見ると明るい笑顔が目に入った。キラキラした瞳が眩しい。
     心を決めれたわけじゃない。迷いも不安もとある。でもこの顔を見てしまったら、もう。
    「まあ、はい、一応」
     場の空気がふっと緩んだのがわかった。

     それからは、悪友が祭でくすねてきた酒を開け、あっという間に無礼講もいいとこのどんちゃん騒ぎになった。初めこそ騒ぐなと厳しい顔で咎めていた宮城や堀田も、すぐに桜木たちのペースに巻き込まれ打ち解けていく。三井に至っては、本当に王子なのか疑うほど壁のない様子で一緒に騒いでいた。あまりに馴染んでいるので桜木たちは「みっちー」と呼び始めている。
     その様子を洋平は不思議な気分で見ていた。宮中の人間なんて一生関わらない雲の上の人たちだと思っていた。実際に会ってみた彼らは、自分たちと何も変わらない同年代の男に見えた。
    「水戸、引き受けてくれて助かる。信頼できる護衛が必要だった」
     隣にやってきた三井が、洋平のぐい呑みに酒を注ぎながら言う。驚いた勢いで一気に飲み干してから、彼を見た。酔いで少し頬を赤くした三井は、小さな小屋の宴会を眺めていた。その目は朧な光を映して琥珀に揺らぐ。嬉しそうで何かを懐かしむようだった。
     この国の王子は今、何を思っているのだろう。そしてこの人と共に行く自分は、これからどうなるのだろう。
     ここでない場所。小さな村を離れて華やかな宮中へ。他人事のように現実味を帯びない。どんな時も一緒にいた家族のような親友たちと離れるという寒々しさだけが、実感として静かに脳を満たしていた。


     それから、数日の後には正式な使者が来た。村長立ち合いのもと改めて護衛の任を引き受け、バタバタ準備をして(と言っても必要なものは全て王宮で用意してくれるので持って行くものなどほとんどなかった)村を発った。
     洋平が都の地を踏んだのは、夏空輝く暑い日だった。
     いつも隣にいた赤頭がいない。騒がしい三人のくだらないお喋りがない。
     見渡す限りの整然とした街並み。商店が立ち並ぶ大通りは原色に満ちている。とても広い。色も音も匂いも、頬をかすめる風さえも、育った村とは何もかも違った。
     夕刻が迫っているのに太陽が眩しい。日が落ちると、高くそびえ立つ燈台に火が灯る。そうしてこの都は太陽のない夜もいつでも強い光の神に守られるらしい。
     だけど、一日中逃れられない光によって、自分の全てがあぶり出されそうだ。洋平本人も知らない自分が。
     心に過る一抹の不安。それを洋平は顎をぐっと引いて振り払った。ここに来ると決断したのは自分だ。

     これまた想像以上の大きさと派手さの王宮に入り、始めて来た者は絶対に迷うという複雑な回廊を歩き回り、いい加減くたびれたとこに、やっと三井の住む殿舎に辿り着いた。
    「おー、来たな」
     部屋の扉を開けた時の緊張感は、寝そべったまま顔だけ上げて笑った三井を見た瞬間吹き飛んだ。
    「おい、せめて座れ」
     宮城が彼の頭をはたき、堀田が「みっちゃん…」と肩を落とすのを見ると、なんだかバカらしくなってきた。柔らかく上質な常磐色(茶色がかった濃い緑)の長衣を纏う三井は、目が自然と吸い寄せられるほど綺麗なのに、砕けた態度が警戒心を解かせる。ちぐはぐだと思った。
    「どーも」
     笑いをこらえてそれだけ言うと、
    「おっ、きまってんじゃん」
     三井は目を輝かせた。何のことか分からずにいると、「水戸は黒が似合うな〜」やら「うむ、まあ、及第点だな」と宮城や堀田までこちらをしげしげと見ながら言ってくる。格好のことか、と気付いた。村を出る前に服は着替えさせられ、今まで触れたこともなかった滑らかな肌触りの黒い衣を身につけた。足首まで隠れる裾の長さも袂の膨らみも、未だ違和感が拭えない。宮に着いたらすぐにでも着替えたかったのだが、部屋にいる三人は部屋着だろうに、今の洋平と大差ない服装だった。以前のような動きやすい格好はここではできないのかもしれない。
    「これからよろしくな!まずは一杯やろーぜ!」
     三井の明るい声に、洋平は引っ張られるように彼を見た。座り直した三井は人懐こい笑顔を見せる。そして自ら酒とぐい呑みを持ってきた。
    「これ水戸の、な」
     渡された器を見て、洋平は目を見開いた。今まで見たことのない陶器だった。つるりと滑らかで、外側も内側も水底を思わせる深く暗い青。底はまあるく優しい水色で、空から水底まで届いた柔らかい光に照らされているようだった。
    「うわ、綺麗」
     思わず呟くと
    「お前っぽいと思ったんだ」
     満足げな三井がいた。はっとして周りを見ると、彼らは同じ作りのぐい呑みを持っていたが、色はそれぞれ違っていた。
    「俺のって、これはずっと俺が使うってことっすか」
    「あ?文句あんのか?」
     突然怒り出す堀田を無視して三井を見る。
    「自分用の器って初めてだからびびった」
     三井は目を瞬かせたあと、ふんわり笑った。
    「ここはお前用のもんがたくさんあるぜ。これからはここがお前の場所だからな」
    「水戸、元服済んでんだよな」と、今更なことを確認する宮城に頷きながら、洋平の脳は三井の言葉を繰り返していた。
     
     四人の飲み会は夜まで続いた。今、三井は眠っているし堀田も意識を手放しかけている。宮城はやたら酒が強く、未だちびちび飲んでいた。
    「王子って感じしねーなあ」
     三井を見やりながら呟いた洋平に、宮城は笑う。
    「この人規格外だから。他の王族の前では礼儀わきまえろよ」
    「三井さん、何でこんな無防備で壁がないの、危ないでしょ」
    「ほんとそれだよな。沢山の人間が三井さんに心酔する。光みたいな人だよ。でも明るい光は暗い影を生む。敵も多い」
     水戸は険しい顔になる。
    「側近がこんだけって本当?」
    「少し前まではもっといたさ。手練れ連中だった。彼らが任を解かれた今、本当に信頼できる人間は少ない。他の奴らを三井さんに必要以上に近づけたくない」
    「あれ、けっこう危険な場所に来ちまった?」
     げっと引いた顔をすると、宮城は笑った。
    「その髪いいじゃん」
     ふいに頭を見られ、首を傾げる。気合も相まって、今日はいつも以上にしっかり髪を固めて来た。
    「小屋で会った時見たけど、水戸は前髪下ろすと幼くなるからな、ここでは舐められたら終わりだ。気張っていくぞ」
     目に強い光を宿す宮城を見て、洋平は苦笑いする。あーあ。小さな村で仲間と馬鹿騒ぎしながら、なんとなく日々を過ごして年取っていくつもりだったのに。
     手元のぐい呑みを撫でてみる。優しい手触りは手のひらに収まりそうで収まらない。自分のもの。
     傍らを見ると、三井は規則的な寝息を立てていた。硬く閉じられた瞼から伸びる睫毛は長く、頬に影を落とす。幼子のようにあどけないのに、一抹の憂いが見えるのは気のせいか。
     光は苦手だ。でも引き寄せられずにはいられない。自分はきっと、この光に惹かれた大勢の中の一人にすぎないけど、今は求められてここにいる。これから洋平は、この場所で生きていく。


    【第三話】

     夜でも明るい都の深奥、そこは光り輝く"明りの宮"と呼ばれる。水戸洋平がその美しい宮の本当の姿を知るまで長くはかからなかった。
     高価な布で拵えた美しい着物を着た人々。所作も優雅な彼らは当然ながら村の人々とは全く違い、一様に冷たく感じた。更に一歩三井の殿舎を出て他派閥の者と出会うと、物言わずとも感じられる敵意は歴然で、村にいた頃の洋平ならば売られた喧嘩を素直に買っていただろう。しかしここは宮中。洋平は第二王子の護衛であり、問題を起こすわけにはいかない。礼を欠かず口を閉ざし、冷たい視線や聞えよがしな悪口は徹底的に無視した。心を無にすると決めていれば何を言われても平気だ。それでも気にかかることもあった。
     そんな宮には場違いなほど気さくで明るい三井の側に仕えるのは洋平にとって気が楽だったし、側近の宮城や堀田ともすぐ馴染んだ。

    「助けたのが三井さんで良かった」
     三井が堀田と戦いの稽古をするのを見ながら呟いた洋平に、隣りにいた宮城が振り返った。
    「他の王族に仕えたくないよな。四六時中一緒とかカンベンだわ」
    「ここではあっちが普通なんでしょ」
    「まあね、三井さんは普通じゃねぇな」
     宮城はくっくっと笑ってから、真剣な顔で洋平を見る。
    「でもマジな話、最初に水戸を見つけたのが俺らで良かった」
     どういうことかと目で尋ねると、宮城は声を落とす。
    「お前だって知ってるだろ。強い能力者は狙われやすい。ただの小悪党だけじゃなく、王族連中も裏で血眼になって探して、自陣に入れようとしている」
     "能力者は力を欲する者たちに悪用されることがある。だから力を隠せ"
     それは力が顕現した幼い頃に村の人間に言われたことだった。洋平はその言葉通りほとんど力を使わず生きてきた。実際には、使ってみようとしたことはあったのだがコントロールできなかったので諦めたのだ。ちょっと水を出すつもりが家中を水浸しにして大目玉をくらったこともあった。
    「じゃあ、ここには能力者がたくさんいるんすか?」
    「ああ。表にいるだけでも地方よりずっと多い。でも裏の者は何人いるのか予想がつかねえ。あの祭の日襲って来た奴らもどこかの派閥の影だ」
    「暗躍する能力者か…」
    「水戸がそうならなくて良かったよ」
    「能力って言えば、ちょっと気になったんだけど。水の能力って嫌われてんの?」
     宮城の片眉がピクッと跳ねた。彼が口を開いた時
    「宮城、交代だ」
     三井との実践練習から堀田が帰ってきた。入れ違いに宮城が三井の方へ向かう。
    「三井さーん、ヘバッてねえよなあ」
    「うるせぇ。それが王子への態度か」
    「こんな時だけ王子面されてもね」
     既に肩で息をしている三井をからかう宮城を見送った堀田は、洋平を振り返った。
    「水の能力が嫌われているかって話か?」
    「あぁ、うん。俺見て、やたら水の力がどうたら言う連中が多くてさ」
    「簡潔に答えると、そうだ」
    「え〜…なんで」
    「ここでは炎や雷など光を伴う能力が歓ばれ、闇を連想させる能力は疎まれる。水は下へ下へ暗闇の方へ流れ落ちるもの。そして炎の気高き光を消すもの。だから忌み嫌われる」
    「え〜」
     洋平はげんなりした。宮中の人が冷たいのは、都人だからというだけでなく、洋平が水の能力者だからという理由もあったのだ。薄々感じていたことがはっきりしたものの、もやもやした気持ちは拭えない。
     水底の暗さを思う。水は光から逃れるように暗闇の方へ向かうもの。
    「でもみっちゃんは嫌がってないだろ」
     堀田の言葉に、ぜいぜい言いながら戦う三井を見る。
    「変な人だよね」
    「みっちゃんは特別だ。俺がお前のこと"素性も分からねえ田舎村の男で、しかも水の使い手なんてろくな奴じゃねえ"って言っても"絶対に信用できる奴だ"って譲らなかった」
    「ふうん…そうなんだ」
     堀田の番長、俺のことそんな風に言ったのかよふざけんなよ、という気持ちはすぐに消え去り、三井が言ったという言葉が胸に沁みた。やっぱりあの人簡単に他人を信用しすぎだ、危なっかしい。ほっとけない。
     黙って見ていると決着がつき、宮城が軽い足取りで戻って来る。
    「次、水戸〜」
    「まだやるのかよ、しかも水戸」
     あからさまに青い顔の三井は可哀想なのに笑えてしまう。
    「三井さん、お手柔らかに」
    「マジで嫌だ。お前ノーコンだからマジ危ないんだって」
    「実戦でノーコン野郎に襲われるかも知んないでしょー。文句言うなー」
     宮城がいなし、堀田が「みっちゃーん!頑張れ〜」と叫んでいる。
     少し前まで手練れの護衛にきっちり守られていた三井は、潜在能力は大きいものの実践経験が浅くスタミナ不足だ。彼に自分を守る力をつけさせることが、急務だった。
    「殿下〜、いいっすか」
    「ここでは三井でいいっつったろ。さっさとやるぞ」
     倒れそうな顔なのに、きっちり文句を言う三井を見て、洋平は頬が緩んだ。

     稽古が必要なのは三井だけではなかった。洋平自身も、能力者の師について訓練を重ねる日々だ。三井が言った通り、洋平は力のコントロールが悪い。あの祭の日、しっかり戦えたのは夢だったのかと思うほど、すこぶる悪い。 
     大きな力を持つ者ほど、幼い時から稽古してコントロールを身につけるべきだとされる。そうしないと溢れる力は本人や周りに甚大な被害をもたらす場合があるのだ。
     洋平の育った村には、彼に能力の使い方を教えられる人間がいなかった。だが幸いだったのは、洋平は力を使おうとすると暴走しがちだったが、"力を使わない"つまり出力をゼロにすることには長けていた。能力者の師に、「これほど強い力があるのに訓練無しで力を抑えれていたなんて信じられない」と言われたほどである。だから、比較的平穏に力を隠しながら小さな村で生活できた。
     でもここでは力を使えないと意味がない。三井の護衛である洋平こそ、力のコントロールを身に着け、不測の事態に備えねばならなかった。


     夏が過ぎ、空が高くなってきた。夜になるとどこからかマツムシの声が聴こえてくるのは、育った村とのわずかな共通点だった。
     故郷を懐かしむ間もなく忙しなく毎日は過ぎる。そんな時に事件は起こった。
     三井の食事に毒が仕込まれたのだ。三井が手を付ける前に発覚したため彼は無事だった。聞けば、こういったことは初めてではないらしい。そのせいか、三井本人も宮城たちも毒物混入自体にはさほど驚いてはいなかった。
     だが、毒見役が重篤な症状に見舞われ、宮仕えもできなくなってしまった。そして、程なくして毒を入れた者は特定されたが、何の供述もせずに牢獄で自害してしまった。その者は実行犯に過ぎず、後ろにはもっと大きな黒幕が存在するに違いなかった。
     夜は長く暗くなっていき、黒幕の尻尾をつかめない焦燥が殿舎に満ちていた。そんなある日のこと。
     三井の寝室のすぐ脇で洋平は仮眠をとっていた。事件以来、夜も自室に戻っていない。不審なことがあればすぐに対応できるよう、三井の側で過ごした。
    「水戸」
     寝室からの小さな声に、洋平は起き上がった。何事かと部屋に入る。豪華な模様の描かれた大きな布団の上に身を起こした三井は、「流石だな、本当にすぐ来るんだな〜」
     と、呑気に笑っている。
    「何かあった?」
     洋平はまだ警戒を怠らない。
    「なんも」
    「…は?」
     訝しんで眼の前の男を見ると、暗闇の中で三井はただ微笑んだ。
    「布団もないとこで身体休まんねえだろ、ここで仮眠しろよ」
    「はあっ!?」
     思わず大きな声を出してしまい、洋平は慌てて口を引き結んだ。
    「あんた…何言ってんだよ。まさか、こんなことしょっちゅうやってんじゃないだろうな…」
     あらぬ方へ想像が膨らみ、青くなって呟く。
     三井に決まった相手はいない、と宮城から聞いていた。王子でしかもこの容姿なので、望めばいくらでも相手はいる。しかし、三井自身が簡単に特定の者を妻としたくないらしかった。「あの人自身、産まれで苦労してるからなあ」と宮城が呟いていたのを覚えている。しかし、遊びの相手となれば別かもしれない。
     胸がざわついて仕方ない洋平を見ながら、三井はなんのことか分からない様子で首を傾げた。
    「どんなことだよ。俺の護衛ならここに居るのが一番好都合だと思っただけだぜ」
    「…あ、そ。そうね、そりゃ確かにね」
     肩の力が抜け、洋平は深く息を吐いた。そういうことなら、と扉の方を向いて腰を下ろす。必然、三井に背を向ける形になった。
     護衛や側近を、今までもこうして寝室に入れたことがあるのだろうか。単に護衛のためという理由であっても、自分以外の者がこの部屋で三井と夜を過ごすことを考えると、なぜか面白くない。
    「横になれよ」
     静かな声とともに袖を軽く引かれて、振り返った。洋平は夜目が効く。暗さに慣れた目には三井の顔がよく見えた。三井の表情は柔らかく、どこか儚い。彼につられるように、その場に横になった。意識は外敵を警戒して研ぎ澄ましておく。
    「夜も昼もこんなピリピリだったら、お前らの方が保たねえぞ」
     三井はため息とともに言い、洋平の肩を軽く叩く。
    「命狙われてる人が何言ってんすか」
    「俺が狙われてんのに、毒見役が命取られそうになった」
    「…うん」
    「こんなこともうたくさんだって、何年も思い続けて、でもどうすることもできないんだ」
    「前にもあったんだね」
    「俺のせいで周りが傷を負ったり陥れられたり、そんなことばっかりだ」
    「三井さんのせいじゃねえだろ」
    「俺のせいだよ、周りを守れもしない力のない王子だから」
     洋平は振り返り、三井の顔をじっと見た。そんな風に思ってたんだ。
    「俺は…仕える王子が三井さんで良かったと思ってるよ。あんたじゃなきゃ、あいつらと離れてまでこんな場違いなとこ来なかったよ」
    「そっか。故郷は大事だよな」
    「どこの馬の骨とも分からない俺を、拾って育ててくれたからね。それに、花道たちと会えた場所だ」
    「水戸は親の顔覚えてねえんだって?」
    「顔どころか、村に来る前のことは何も覚えてねえよ。…親や周りがどんな人間だったかも」
    「へ〜。どんな親から産まれたらお前みたいな奴になんのか、興味あるな〜」
    「どういう意味だよ」
    「悪い意味じゃねえよ。すげえ奴だっつってんだよ」
     何の含みもない三井の言葉は嬉しいはずなのに、心の底から喜べない自分がいた。だって俺は、自分のことが分からない。
    「…三井さん、もしさ、俺の親がめちゃくちゃヤバい奴だったらどうすんの?野蛮な犯罪者や王族に敵対する奴だったら?」
     言い終えると同時に洋平ははっと我に返った。普段ならけっして言わないことを口走っていた。事件による暗澹とした空気は三井と会話するうちに薄れ、秋の夜長の穏やかさが部屋を包んでいた。その優しい空気は普段無意識に隠している心の柔いとこまで暴き出しそうだった。話題を変えようと考えていると
    「どうもしねえけど」
    「は?」
     俯いていた洋平は三井の顔を見返す。その瞳は揺るがない。
    「親が犯罪者でも敵対勢力でも、水戸は水戸だろ。俺、人を見る目に自信あるんだぜ」
     呆気にとられた後、洋平は小さく吹き出した。
    「ほんっと規格外だなあんた。あれ、でも、宮城さんに"人を見る目信用できない"って言われてませんでした?」
    「うっせえな!あいつは細けえんだよ」
     細かいの関係あるのかよと更にひとしきり笑って、やっと笑いの波が去った頃。
    「覚えてもいない産まれなんかより、育ち方のが重要だろ」
     さらっと言われた言葉が心に広がる。炎の力の持ち主は、人の心を暖める術も持ち合わせているんだろうか。
    「俺を育ててくれたのは、村の孤児を集めて面倒見てくれてたおっちゃんとおばちゃんだよ。去年の冬、二人とも病で死んじまったけど」
     三井は目を見開いた。
    「そうだったのか」
    「良い人たちだったよ。俺ら悪さばっかりしてたから、よく怒られた。この力の危険さを教えてくれたのもおっちゃんだった。使おうとすると、絶対にやめろって…結局あの日使っちまったけどね」
    「今年、初盆だったんだな」
    「うん?あ、そうだね、あいつらが賑やかにやっただろ」
     洋平は息を吐いた。
    「あ〜、いっぱい喋っちまった。三井さんの話も聞かせてよ」
    「俺?俺は、ここに来る前は城下町の母方の実家で暮らしていた」
    「へえ」
    「俺の母は、武家の出なんだ。亡くなった祖父は勇猛な武将だった。戦から祖父が帰って来ると、よく、武人仲間の集まりに遊びに行った。いわゆる同じ釜の飯を食うってのをして、過ごしてたんだ」
    「マジで?王子様が?」
    「母は武家の出だと言っただろ。貴族でない母は、どんなに寵愛を受けていても后にはなれなかった。俺はもともとは王位継承者の候補なんかじゃなかったんだ」
    「知らなかった」
     村にいたときは王族という存在は遠すぎて、都の話に興味もなかった。
    「もう10年以上も前の話だ。炎の力。それが現れてから、突然、"時期国王の器だ、光の神に祝福された者だ"とか言われて、宮に連れてこられた」
    「うわ…」
     そんなの洋平だったら、最悪だとしか思わない。
    「三井さんは、昔の生活に戻りたい?」
    「そうだなあ、時々思うぜ。あのままただの武家の男として生きていたらって。でも、今更だな。もう、あの頃とは何もかも変わりすぎた」
     三井は長く息を吐いて目を閉じた。長い睫毛も滑らかな頬も、二つも年上の大きな男なのに、寂しがり屋のただの幼子のように見えた。自然と手が伸び、洋平はその頭にそっと触れる。身体を近づけ、彼の頭を抱えるようにそっと抱きしめた。
     この国の王子。沢山の人に好かれ、囲まれ、期待されている人。明るい炎の力を持ち、太陽のような笑顔を持つ人。
     あまりに立場も育ちも違って、彼の心を想像することさえしてこなかった。でも、その中に抱えている孤独を、一時だとしても埋めたいと思った。
     三井が身じろぎをした。腕を突っ張って、洋平の胸下から顔を出す。三井の顔のほうが下に見えるのは滅多にない。珍しい眺めだなあなんて思っていると、
    「びっっくりした、お前、どうしたんだよ」
     目を泳がせ明らかに狼狽えている三井に、洋平も自分が何をしているか気付いて急いで腕を離す。起き上がって三井に背を向けて座った。
    「ご、ごめん!」
     まさか自分が三井を抱きしめるなんて思わなかった。音を出さないようにゆっくり呼吸を整える。今日の自分はどうかしている。連日気を張りすぎて疲れているのだろう。
     沈黙の後、三井はまた袖をそっと引っ張った。今は顔を見られたくない洋平は、渋々振り向く。そして上目遣いに見てくる三井と目が合った。目眩がした。今日の自分はやっぱりおかしい。体調が悪いのかもしれない。
     三井が言いにくそうに口を開く。
    「水戸、ああゆうの、もうやめろよ」
    「!!分かってる!悪かった、もう絶対やらねえよ、安心しな!」
    「違う。違って。俺以外の奴にすんなよってことだよ、約束だかんな!」
     まるで喧嘩のような言い合いのあと、三井はバサッと布団を被って体ごと洋平とは反対方向を向いてしまった。残された洋平は、火照った顔をどうすることもできず、結局一睡もできず朝を迎えたのだった。


     警戒のかいあってか、特に大きな事件はなく、季節は移ろい冬が来て年が改まった。
     つつがなく新年の儀を終えた宮中は、しばらくは大きな行事もない。地方へ行こうと三井が言い始めたのは、梅の蕾が綻び始めた頃だった。
    「こんなに長いこと宮の中にいたら、息苦しくてしゃーねーや。出かけようぜ、景気づけに!」
    「あんたは軽いんですよ、景気づけに出かけるって王子の言葉とは思えねえ」
    「おめえだって、こないだ外の空気が吸いてーっつってただろ」
    「うわ、聴こえてたの?地獄耳?」
     じゃれ合う三井と宮城の会話に堀田が首を傾げた。
    「みっちゃん、行きたいとこでもあるの?」
     三井は笑みを浮かべ、洋平を見た。
    「あるぜ。水戸の故郷」
    「…は?」
     洋平は目を丸くした。
    「今回はお忍びじゃなく派手に行くか?これが都人になった水戸洋平だーつって」
    「なにアホなこと」
     洋平は動揺を気取られまいとしながら、口の端で笑みを作る。脳裏に鮮明に浮かぶ故郷の景色。
    「…でも、あの村でみっちゃん襲われたんじゃん、あれから一年もたってねえよ」
     堀田が良い顔をしないのも、道理だった。そもそも、一年足らずのうちに2回も命を狙われていながら、ふらふら地方へ行くのは如何なものか。しかし、三井は
    「だからだよ、そんな危ない場所にまた行くなんて、敵さんも思わねえだろうよ、裏をかいてやろうぜ」
    「それにしたって、危険が大きいだろ」
    「宮中にいたって、そのうちまた何か仕掛けられるぜ。ただじっとそれを待つより、揺さぶりかけるのも手じゃねえか」
     堀田は黙って考え込んでいる。
    「三井さんが俺等の言う事ちゃんと聞けるなら、俺はいいっすよ」
     宮城が不遜な笑みを浮かべて言った。
    「おい、俺は赤ん坊か?」
    「赤ん坊よりタチわりいよ。今度一人でどっか行こうとしたら、許さねえよ。水戸がね」
     急にふられて、洋平は俺?と目を瞬く。
    「水戸の水の力は容赦ねえからなあ。三井さん後悔するぜ」
    「俺が水戸の力と相性悪いことくらい分かってんよ。それに、そんなこと言われなくても、もう単独行動なんてしねえよ!」
     ここ最近、稽古で水戸に勝った例のない三井は分が悪いと思ったのか、やけのように叫ぶ。
     尚も堀田は心配して色々言い募っていたが、最終的に三井の言い分が通った。ここの人たちは三井に甘すぎると洋平は思う。だが、自分たちがしっかりしていれば、何かあっても三井を守れるだろうとも思った。ここ数ヶ月毎日欠かすことなく鍛錬してきた。力の使い方はそれなりの手応えを感じるようになっていたし、宮城や堀田との連携も良くなったはずだ。
     その稽古の時間となり、彼らはおしゃべりを止め歩き出した。洋平は三人の背を見ながら遠い村を思った。少し先には、三井の形の良い頭が見える。紐で一つにまとめている彼の黒髪が、首の後ろで揺れている。髪が伸びたんだなあとぼんやり見ていると、その三井が立ち止まった。洋平が追いつくまで待ち、少し屈んで顔を覗き込んでくる。
    「な、せっかくの里帰り、気楽に行こうぜ!」
     ばんと背中を叩かれた。この人は本当に、と洋平が軽く肩を竦めると、三井は光をたたえた瞳を細める。
    「大丈夫だ。だって、お前らが一緒にいるだろ」
     慈しむような表情に戸惑ううちに、左手に温かさを感じた。きゅっと握られた指は握り返す間もなく離れていき、もう三井は前を歩いていた。2月の風が指の間を通り抜けても指先の熱は消えない。
     彼の肌の温度を感じたのは、あの秋の夜以来だった。


    【第四話】

     夕日は早々と高い山の向こうに姿を隠し、空の色はぐんぐん深みを増す。じきに夜が訪れるこの地は、枯れ木と枯れ草が目立ち、まるで墨で描いたような侘しい小道が続くのみ。
     都に比べ、あまりに寒々しい景色の中、洋平の足取りは軽かった。
     
     三井は地方視察(とは名ばかりの物見遊山)を実現し、この日、宣言通りに洋平の育った村に来ていた。護衛として同行したので、旧知に会う時間などないと諦めていた洋平に声をかけたのは宮城だった。
    「あいつらに会いに行ってこいよ」
    「え?」
     目を丸くした洋平に、宮城は視線を三井に向けたまま答える。
    「日の出前には戻れよ。夜明けと共に出る」
    「でも、今日は任務で来たから」
    「バカだなあ、お前。そんなこと言ってっと、10年会えねえぞ」
     宮城に心底呆れたように言われて、水戸はむっと黙った。
    「でも、三井さん…」
    「大丈夫だって。お前一人いなくたって、三井さんを見失ったりしねえよ」
     今回はお忍びで来たわけではないので、それなりに警護もしっかりしている。それでも、踏み出すのを躊躇っていると、
    「あの人もそのつもりでここ選んだことぐらい、お前も分かってるだろ」と宮城は笑んだ。
    「…頼んます」
    「おう。お前も気をつけな。一人で行かせて大丈夫か?」
    「なんすかそれ。あの人じゃあるまいし」
     ひとしきり一緒に笑ってから、宮城は洋平の肩を叩いた。
    「でも実際、周りが狙われたこともあるからな、警戒は怠るなよ。帰るの遅れたら置いてくから」
     そんな気の微塵もない軽口を叩く。
    「花道たちによろしくな!」
     軽く手を上げ、そのまま一人、夕暮れの野道を歩いてきた。この道の先の小さな集落が、洋平の育った故郷だった。


     風の温度がほんの少し変わったかもしれない。
     それは、そのくらい小さな違和感だった。気付いた時には、一瞬前まで人気のなかった野に、四、五人の気配。彼らは洋平をぐるっと囲み、間合いを詰めていた。昼と夜の境のこの時、顔はよく見えないが、友好的とはとても言えない空気が漂っている。
     ただの追い剥ぎにしては手練れ過ぎる。こんなに近づくまで気配を悟れなかった。だとすると、やはり狙いは三井なのだろうか。
     にわかに緊張が走るが、至って涼しい顔で周囲を見回す。
    「俺急いでんだけど。何の用?」
    「わしらも急いでおる」
     突然胸元でしわがれた声がして、反射的に後ろに飛びのいた。
     声を聞くまで気配が全くなかった。嘘だろ。と構える。思った以上に危険な相手だ。
     灯りを掲げ見回すと、五人の男達の真ん中に、小さな老婆がぽつんと立っていた。
    「そなたがわしらに従うならば、そう時間はかかるまい」
    「話が全然見えねえよ。要件は何?」
    「ずっと探していた。そなたはこちら側の者。同胞よ、わしらと共に来なさい」
     洋平は瞬きさえできなかった。爪先から頭の天辺まで、瞬時に駆け抜けた震えは、初めての感覚だった。
    「…え」
    「十一年も前じゃ。王国軍との戦の最中、村は焼かれ多くの犠牲が出た。そなたはその生き残りじゃ。もう見つからんと諦めかけていたが、力の顕現によって探し当てることができた」
    「まさか」
    「一度は間に合わなかった。迎えに行った時、そなたは既に王宮へ連れて行かれておった。あの場所には我の力は及ばぬ。しかし、ここにまたそなたが戻ってきた。やっと手に入れることができる」
     洋平は膝から崩れ落ちそうになるのを、耐えていた。つまり、俺は、俺の生まれは。
    「俺は、闇の生まれだったってこと?」
    「その通りだよ、水の恵を受けし子」
     大きく呼吸をして足に力を込める。
    「でも、それが本当でもずっと光の元で育ってきた。急にそちらへ行けなんて」
    「そなたの親もたくさんの同胞も、その光の王国軍に殺されたのじゃ。奴らはこれからもたくさん殺す。村を焼き自然神を封じ、輝く光以外はどうなってもよいのじゃ。それがそなたのいる王宮の者たちじゃよ」
    「…そんな人ばかりじゃない」
     洋平の言葉は、老婆には聞こえなかったようだった。
    「もう多くを失い過ぎた。だがまだ我らに希望はある。それがそなたじゃ」
    「冗談だろ」
     言いながら、洋平はこの話が冗談でも作り話でもないことは分かっていた。
     一人だけ分からない生まれ、手に余る水の能力、光の中で異分子な自分。彼女の話は、これまでの疑問の答としてぴたりとはまった。
    「荒いことはしとうない。こちらへ来なさい」
     老婆の身体から湧き出た威圧感に、洋平は思わず身を引いた。現実は容赦なく。でも、ここで従ってはいけない、今の自分の居場所へ帰りたい、という思いが脳内を満たした。
     気を集中して力を溜める。何の能力か分からないが、老婆は相当の力を持っている。しかも五人の男達もいる。大きな水の玉を放って彼らの進路を阻み隙をついて逃げよう。その時、
    「洋平!」
     聞き覚えのある声に、集中はあっけなく切れた。そして、あっという間にその声の主は男達に囲まれた。
    「なんだ、こいつら。洋平、変な奴らと知り合ったんだなあ」
     現れたのは記憶通り真っ赤な髪の親友。場にそぐわない呑気な声を出した桜木に、洋平はこんな時なのに失笑した。
    「知り合いじゃねーよ、絡まれて困ってんの」
    「ふ~ん。じゃ、やる?」
     彼から殺気が迸り、周囲の男達の纏う空気が一段と重くなる。男等が動く直前に桜木は地を蹴りその勢いのまま一人を地面に沈ませた。返す力でもう一人を蹴り上げる。驚きとともに殺気を濃くした集団の中一人涼しい顔をした老婆。洋平が違和感を覚えた瞬間。誰も触れてさえないのに、ふいに花道が膝をついた。立ち上がれない。立ち上がれない?とっさに彼の前に飛びだし水の盾を作った洋平は、男たちから飛び出した黒い弦状の攻撃を弾いた。男らが間合いを詰める。その後ろで何やら呟いている老婆。彼女は花道に何をした?彼女の能力が分からない。気味が悪い。
    「やめよう」
     肉弾戦なら分があるかもしれない。でも、相手は能力者。洋平はともかく桜木が傷つくのは目に見えていた。そして、それは洋平にとって最も嫌なことだった。
    「もういい。あんたらの望みは俺がそっちに行くことなんだろ。分かったから、こいつには手を出さないでくれ」
    「おい、洋平!?」
    「花道、悪いな、里帰りはもう少し先になるわ。あいつらに謝っといてくれ」
    「バカになったのか?何かわからんが、一人で行かせるか!」
    「お前こそバカ王だろ。あのな、花道が行くようなとこじゃねえの」
    「じゃあ、なんで洋平が行くんだよ、行きたくもねえのにおかしいだろ」
     その時老婆が息を吐いた。
    「時間がないと言うたじゃろうが」
     彼女がいつの間にか手にした縄はひとりでに浮き上がり瞬く間に洋平と桜木の腕を縛った。縄が触れた場所はチリチリと痛む。
    「時間切れじゃ」
    「おい待てよ、こいつは関係ない」
    「首を突っ込んできた時点で、そのままにはしておけん。諦めるのじゃ、そなたに選択権はない」
     洋平ははっとして老婆を見た。彼女の目は冷え冷えとしている。もとより気づくべきだった。この女の前で洋平の意思などなんの意味もないのだ。ただ、王国軍と戦う道具として、洋平の力を欲しているだけだったのだ。
    「ごめん、花道」
     夜に向かう山の方へ追い立てられながら洋平は、唇を噛んだ。
    「なんで洋平が謝るんだ」
     だってこんなのまるで罪人扱いだ。
     縄からだろうか、嗅いだことのない薬草のような匂いがしていて、頭がぼんやりしてきた。
    「花道は絶対に、元気な体で帰す」
    「何言ってんだ、洋平も一緒だろ。チュウたちが酒買って待ってたのに、俺ら飲みっぱぐれたな〜」
     桜木の軽口にも、元気は出なかった。疲れた頭で、帰りたいとただそれだけ思った。暗い山は寒い。春の始まりとは名ばかりで、夜の冷え込みが厳しい。
     宮城さん、とても日の出には戻れねえんだけど。三井さんは俺のこと、待ってくれるかな。
     帰りたい。あの人のところへ帰りたい。


     木々の梢は星のかすかな光さえも隠す。彼らは山の中を縦横に進み、夜の闇も意に介さぬようだった。寒く危険な冬山の夜を動物たちと共に生き抜く術を持つ、光を厭う闇の者。光の恵のもとで育ってきた自分が、彼らと同族なんて信じずにいられたら良かったのに。
     洋平は、黙ったままただ促されるままに進んだ。いつもは喧しい桜木も、ほとんど喋らなかった。少しの食事と仮眠を取り、また進む。それを繰り返して、幾度目かの朝、とても人の通れる道とは思えない狭い獣道をあべこべに進み、突如現れたのが小さな集落だった。
     桜木が息を呑んだ。
    「村だ」
     洋平の育った村よりもずっと簡素な造りの小屋が並ぶその村は、店も大きな建物もなく、仮の住まいなのだと思った。それでも確かに人々の生活はあり、どこからか飯を炊く匂いがするし、猟に出る人たちが見える。人々の服は見慣れない幾何学模様があしらわれていた。これまでともに生きてきた人たちとは異なる人たち。
     

    「では、族長に会わせよう」
     老婆は疲れも見せず、小屋の間を進む。最低限の休息しか取らず山道を歩き続けてきたのだ。体力おばけの花道でさえ疲労で動きが少し鈍くなっているのに、この婆さん本当に人間か?洋平は信じられない思いで彼女を見つめた。
     他の小屋に比べて大きく頑丈な作りの家。その前で、老婆は同行してきた男達に、二人の腕の縄を解かせた。
     久方ぶりの身の自由に、どっと安堵の気持ちが溢れる。桜木を見やると、腕をぐるぐる回して元気そうだ。霞がかっていた頭の中がはっきりしてきた。
     老婆は両手を合わせ、何やら祈りめいたことをつぶやいてから、戸を明け敷居を跨いだ。洋平と桜木も続き、後ろから男達も入ってくる。
     その小屋は、真ん中に囲炉裏があるだけの広間だった。炉の周りには既に数人が座っていて、上座には大きな男がどっかり腰を下ろしていた。
    「大巫女様、本当にその男が?」
     彼は眼光鋭く洋平を見る。厚い胸板と衣越しでも分かる逞しい筋肉に手練れの戦士だと一目で理解した。
    「いかにも。水の使い手じゃ。我らの最後の希望じゃ」
    「本当に見つかるとは…しかし、こいつは光に惑わされ、光の宮に仕えていた。水戸洋平といったな、忠誠の在り処はどこだ。」
     彼は洋平を見据える。
    「何だ、偉そうだなお前!」
     洋平の横から桜木が、叫んだ。周囲は色めき立ったが、上座の男は一瞬の間の後、はっはっと大きな声で笑った。
    「そうゆうお前は何だ?俺は水戸洋平に聞いているんだ、赤頭に用はない」
    「なんだと!」
     今にも飛び出しそうな桜木を数人の男が押さえ付ける。洋平は天を仰いだ。目の前の男ときたら、霊長類最強の面構えじゃないか、花道の怖いもの知らずは留まることを知らない。
    「まあまあ」と割って入ったのは、上座の男の隣に座る柔和な顔つきの男だった。丸い眼鏡が知的な穏やかさを感じさせた。
    「こちらの情報を何も知らないんだから、仕方ないさ。水戸、そして隣の若者。彼は我らが氏族の長赤木だ。俺は木暮。赤木の補佐をしている」
     やっと会話ができそうな相手が現れたことに、洋平は小さく息を吐く。
    「俺の名前は桜木花道だっ」
    「ははっ元気だな」
     笑顔を見せる木暮と対象的に赤木は眉間のシワを濃くした。
    「水戸、お前は闇の一族に与する気はあるのか?お前の心は?」
     再度赤木に聞かれ、洋平は眉根を寄せて彼の目を見据えた。
    「無理やり連れて来ておいて、今更それを聞くのか?」
     声に出すと、あまりにも馬鹿らしく思えた。何より一番自分が馬鹿みたいだった。
    「あんたらの思い通りになる気はねえよ」
     右だけ口角を上げて言い放つと、周囲の男達はざわめく。赤木の視線が鋭くなった。
    「待て待て。水戸、話し合おう。赤木、我々のことを知ればきっと…」
    「もう良い。血迷った若者が話し合えるわけもない」
     木暮の言葉を遮ったのは、大巫女と呼ばれたあの老婆だった。
    「この若者はわしが預かろう。時間が経てば、水の使い手も本来の役割を受け入れるじゃろうて」
    「大巫女様。族長は俺のはずだが」
    「赤木よ、長とは言えそなたはまだまだ若い。全てをこなすのは無理じゃ。今このときも問題は山積み。そなたはこれからの戦いの指揮を。この男らのことは巫女に任せなさい」
     静かな声なのに有無を言わせぬ迫力。洋平は背筋が冷えるのを感じた。木暮はもちろん赤木よりも、この大巫女が最も厄介な相手なのは明白だった。得体のしれない気配は、どんな猛者よりも恐怖を感じた。

     二人は暗い土牢に連れてこられた。頑丈な木の格子を扉に立ててある。
    「うわ、ここか?」
     桜木がぎょっと声を上げ、洋平は大巫女を睨む。
    「入りなさい」
     彼女は瞼1つ動かさずに言った。牢の中は、また独特の匂いがして軽く目眩がした。
    「ここは安全じゃ。そなたらにとっても我々にとっても。落ち着いて考えるのじゃ。本来の役割を。そなたの属するものを」
     無言のままの洋平に、大巫女は息を吐く。
    「この牢は呪を施しておる。力は使えぬ。もとより逃げようなどと思わぬことじゃ。牢から出ようとすると呪か発動し只人の命を奪う」
     ちらりと桜木を見た大巫女に、桜木は「只人だとお!」と言い返す。しかし洋平はぞっとした。この老婆は桜木の命を奪うことにためらいなど全くないのだ。
    「もう一度頼む。俺は逃げたりしない。絶対だ。だからこいつだけは帰してやってくれ。花道には関係ないだろ…」
     大巫女は何も言わない。冷たい一瞥を残し去った。
     

    「洋平、関係ないって何回言うんだ」
     二人だけになった牢の中、桜木が不服そうに言った。
    「ん?」
    「俺が洋平と関係ねえわけあるか」
     頬を膨らませて怒っている。洋平は思わず吹き出した。
    「怒るとこそこかよ。それより、もっと何かあんだろ、こんなことになってさ」
    「分からんことは考えん」
     洋平は声を出して笑った。
    「そうだな、関係なくねえよな。お前がいて助かったよ花道」
    「そうだろうが」
    「…なあ、俺、闇の生まれなんだって」
    「ふん」
    「花道やあいつらとも違って、俺だけさ」
    「ふん」
    「おい聞いてっか?」
    「闇とか光とかくだらん」
    「お前な」
     洋平は息をついた。あぐらの上で両手を握る。
    「俺の同胞が、花道や大楠たちの親を殺したんだぜ。くだらんで済ますなよ」
    「洋平はどうなんだ?」
     じろりと見られて、洋平は顔を上げた。
    「洋平の親だって、戦で死んだ。だから洋平は俺らを恨むのか?」
    「…恨むわけねえだろ」
    「ほら、同じじゃねえか。何が洋平だけ違うんだよ、つまんねえこと言うな」
     本気で拗ねた桜木の顔に、洋平は耐えられず吹き出した。「何がおかしい!」と顔を真っ赤にした桜木に背を向けてひとしきり笑った。目が熱くなったのは笑いすぎたせいにした。
     やっぱり花道は最強だ。きっと何があっても仲間でいれる。信じる信じないなんて考えるのもバカらしい。当たり前に居る存在。
     今ほど彼の存在のありがたみを感じたことはなかった。同時に、その単純明快さが羨ましい。
     自分はまだ、自分自身を受け止められない。産まれを思うと心は重く沈んでいく。そして、こんな自分があの人に受け入れてもらえると思えない。
    「疲れたな、ちょっと寝る」
     洋平は、両手を頭の下に組み薄い敷物に寝転んだ。仰向けになって見えるのは、焦げ茶の土の天井。分厚い土で塗り固められた牢は、扉付近しか光が届かない。光を思うと明るい笑顔が浮かぶ。
     もとより関わることのないはずだった光の中心にいる人。闇の産まれでなくても、自分が隣にいられる存在ではない。
     特別な感情を持つなんて許されるはずがなかった。ずっと分かっていた。他人と程よい距離をとることは得意だったし、何も問題ないはずだった。
     なのに。
     洋平は目を閉じた。もうきっと三井の笑顔を見れない。心臓がぎゅうっと痛んだ。


    【第五話】

    「彩子さん」
     木の器をいくつか載せた盆を持った少女が、洗い物をしている少し年上の少女に話しかけた。
    「晴子ちゃん。…あぁ、今日もなのね」
     彩子は振り返り、盆を見て顔を曇らせた。
    「ええ。洋平くん、ずっと食べていない。これでは本当に倒れてしまうわ」
     晴子は唇をぎゅっと噛んだ。
     土牢にいる二人に毎度の食事を持っていくのは、族長赤木の妹の晴子だった。一人で行くのを赤木が心配したので、若者の中でも特に手練れの流川が共に通っている。幾度も会ううちに晴子は二人と打ち解けていた。流川も桜木と憎まれ口を叩きあう仲になっている。
     彼らが牢に入って幾日も過ぎた。その間ずっと水戸洋平は飲み物以外口にしようとしなかった。桜木の方は最初は食べれるものは全部よこせという勢いで食べていた。だが、最近は彼も洋平の様子を気遣って元気がない。どんどん弱っていく洋平の姿に、晴子は胸を痛めていた。
    「今のような扱いで、あの男がこちらにつくはずがあるか」
     いつの間にか近くにやって来た赤木が唸った。木暮も深刻な顔をしている。
    「でも俺たちが大巫女様に意見しても鼻で笑われるのがオチだしなあ…」
    「真っ向勝負なしで味方に引き入れようと言うのが好かん」
    「赤木、落ち着けよ。そうゆうとこが、長老たちの癇に障ってしまうんだ」
    「大巫女様は偉大で恐ろしい方よ。役に立たなくなったら誰であれ切り捨てるでしょうね。何か手を打たないと手遅れになるわよ」
     彩子は深いため息をついた。
     水戸は確かに闇の者たちの救世主となり得る力を持っているのだろう。だが、彼がその力を使わない、もしくは衰弱して使えないとなると、その時大巫女たち長老が水戸と桜木をどのように扱うか。
     一人黙っている流川がふと空を見上げた。どこかで甲高く鳥が鳴いた。


    「なあ洋平、いい加減食えよ。倒れっちまうぞ」
     固い牢の壁にもたれ、桜木は焦りをはらんだ声で言った。
    「俺の力が奴らの希望なら、死なせはしねえだろあのばあさん。ああ〜、一瞬でも出してくんねえかな」
    「あのばあさんは妖怪の類だぞ。妖怪の考えることは分からん。ずっと開けてくれなかったらどうすんだよ」
    「水は飲んでっからなー。しばらくはいけるさ」
     洋平は目を閉じる。喋るのもしんどい。格子扉に手をかけ、外を覗いた。小さな空。はるか上空を舞う黒い影。空を飛べるっていいな。俺も飛んでいけたらいいのに。
     この牢には得体のしれない呪がかけられている。それは水戸を閉じ込めるだけでなく、精神まで侵食していた。眠れば業火に追われる悪夢を見る。そして姿のない声を聞いた。
    「闇に生まれた水の使い手よ」
    「その力で仲間を救いなさい」
     四六時中脳内に響く声は、老婆の声のようだったものが、覚えてもいない両親の声となり、自分の声になりつつあった。このまま捕らわれていたら、自分は狂ってしまう。逃げたい逃げたい逃げたい。でも、呪の跳ね返りで桜木を傷つけるわけにはいかない。
     食事を取らないことは、水戸にできる唯一の抵抗であり、老婆と取引をするための我が身を使った策でもあった。しかし、彼女は二人を牢に入れた日以来一度も現れない。
     洋平は扉にもたれて、また空を見上げた。
     夕陽は雲を明るく輝かせ、金色に移っていく橙は、圧倒的な光だった。
     強すぎる光は苦手だった。でも、どうしても惹かれる。あの光の中に飛び込みたい。


    「流川くんが言うなら、きっと間違いないと思うの。桜木くん、どうかしら?」
    「キツネに借りを作るのはしゃくだが、洋平のためだ、やってやる」
    「一か八かなのよ、上手く行かない可能性もあるの…」
    「大丈夫ですよ晴子さん!天才桜木、絶対に成功させます!!」
     夕飯を運んできた晴子と流川が、何やら桜木と話している。彼らから離れ、布団代わりの敷物にぼんやりと横になっていた洋平は、何の話をしているか分からなかった。今の彼は意識が明瞭な時の方が少なく、桜木との会話も成り立たないことがあった。脳内の声は日増しに大きく頻回になり、夢と現の境目が分からなくなる。彼の身体も精神も限界に近かった。


    「洋平、洋平!」
     桜木に頬をぺちぺち叩かれ、洋平はうっすら目を開ける。薄暗いながらも早朝の空気が漂う。
    「ん〜」
    「起きろ洋平!」
    「なんだよ…」
     渋々桜木を視界に納めると、見たことがないほど真剣な瞳とぶつかった。
    「洋平、今からこの扉開けてやるから、急いで逃げろ」
    「はあ?」
    「走れなかったらキツネのヤローにおぶってもらえ」
     桜木は牢の外を顎で示した。扉のすぐそばに流川が立っていた。
    「はなみち?何言って」
    「いいか、絶対にみっちーのとこに帰るんだぞ」
     桜木は洋平を立たせると、ぐっと一度肩を抱いた。
    そのまま扉の方に行く彼を、洋平は呆然と見送る。頭は今も靄がかかっていて、彼の言った意味もよく分からなかった。
     ドーン!
     音が聞こえ牢内が振動したのと同時に、周りに紫がかった靄が現れた。靄は体にまとわりついて、見えない真綿で締めるように身の自由を封じてくる。息もし辛く、洋平は必死で目を開けて扉のところにいる桜木を見た。
     桜木は今全身の力で扉にぶつかり壊そうとしていた。彼が扉に突進するたびに、靄が濃くなっていく。
    「花道!やめろ!」
     洋平は叫ぶが喉が締め付けられ、大きな声が出ない。桜木が振り返った。
    「もう少しだ、洋平!」
    「ダメだって!やめてくれ!」
     既に傷だらけの桜木の周りを覆う濃い紫。触れると苦しく痛い呪。力を持つ洋平でさえ動くこともままならない。それが今にも彼を吸い込んでしまいそうで、洋平は這いながら扉に近づく。
    「大丈夫だ!天才だからな!」
     洋平を見た桜木は豪快に笑った。そして助走をつけ、ぐっと身を丸めると、太い木の扉に思い切りぶつかっていった。
     バリバリバリッッッ
     凄まじい音と目も眩む閃光が辺りを満たした。呪が一気に解き放たれ、無防備な桜木に向かう。激しい揺れの中、洋平は動くこともできず、声にならない悲鳴を上げるしかできなかった。

     光と揺れが収まりやっと動けるようになった流川が洋平を探したが、彼の姿はなかった。
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