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    海乃くま

    @kumasea777

    好きな物をかいています。

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    海乃くま

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    【フィガ晶♂】夢から覚めても
    だいぶ前についった~で書きたいよ~!と言っていたよっぱらい晶くんのお話です。ちゅっちゅしていちゃいちゃしてるだけのお話です。よろしくお願いします。

    #フィガ晶♂

    【フィガ晶♂】夢から覚めても へへ、とバーカウンターに突っ伏した彼はむにゃむにゃ唇を動かしながら夢現に気の抜けた笑い声を溢した。

    「と言う状態ですので」
    「潰れるまで飲ませておいてよく言うよ」
    「ふふ、うっかりしておりました」

     上品に笑って見せたシャイロックは全てわかっている癖に、私は何も知りませんよとでも言うように目を細めてグラスにシャンパンを注いでいる。
    「足を運んでいただいたお礼です」
    「そこまでされる義理はないけど、まぁお酒に罪はないからね」
     フルートグラスで小さな泡を立てている淡い琥珀色の液体を飲み干して、カウンターですやすやと気持ち良さげに寝息を立てている彼の肩を軽く揺すった。ん、とむずがる子供のように息を吐いてそれでも彼は目覚める素振りを見せないので、よほど深く眠りについているのだろう。
    「仕方ないなぁ」と吐いた自分の声が甘い事には気付いているが、それもこれも何もかも見透かしたような顔で笑う美貌の店主は知り尽くしている事だろうので。
    「おやすみなさいませ、フィガロ様」
    「ああ、君も」
     知らせてくれてありがとう、と彼をそっと抱き上げて視線を向ければ静かに目礼が返される。実に出来た店主だ。知ってはいるけれど。




    【夢から覚めても】



     さて、くうくうと本当に子供のような寝息を立てている彼は実にお酒に弱い。
     成人しているのでお酒も飲めますが、本当に弱いんですと言い口にすることはなかった。曰く一口で意識がなくなるとか、数口飲めば気持ち悪くなりますとか。あれやこれやと酒で失敗したエピソードを聞かされて頑なに拒否されていたので、まぁこうして酔いつぶれているのはなかなかに珍しい光景だと言えた。

     今夜はどうも一人で飲みたい気分だったので、部屋で忌々しい月を眺めながらグラスを傾けていたのだけれどちっとも酔いはやってこなかった。うまく行かない日と言うのは必ずあって、今日がまさにその日だったと思う。そんな所にシャイロックから「お迎えをお願いします」と伝言が飛んできた事に驚いたし、一体何の迎えだろうかと首をかしげたくらいだった。呼ばれた以上は何か自分に関係があるのだろう、と足を運んでみれば珍しい事に誰も居らず小さな寝息と、シャイロックがグラスを片付ける微かな音だけが部屋に満ちていた。
    「こんばんはフィガロ様」
    「やあこんばんは……賢者様?」
     そもそも酒に弱いと自覚し、口にしないようにしている晶が酔いつぶれている状況が不思議過ぎた。
    「今夜は貸し切りでしたので」
     薄く笑んだシャイロックはふらりとやってきた賢者様のためにバーを閉め、彼の話を聞いて比較的弱くて飲みやすい酒を彼のオーダー通りに出してやった。飲んだのはグラス二杯程度だと言うが、酒に弱い人間であれば十分潰れるレベル。
    「それで賢者様は何て?」
    「それは直接お聞きになられた方が良いかと」
     のらりくらりと躱されて、連れ帰るように勧められお駄賃とばかりにシャンパンを出されてしまえば断れる訳もなく。まぁ断って帰ると言う選択肢は初めからないのだが。

     賢者様の部屋に運ぶか少し悩み、自室へと足を向けた。
     夜も更けた魔法舎は静かで、任務や用事で数人出払っている所為もあり何時もの賑やかさがどこか遠くに思える程。ゆっくりと部屋まで連れて行く間も腕の中ですやすやと気持ちよさそうに眠っている。過去に酔って吐いたりした話を聞いていたので少しばかり警戒していたが、どうやらその心配はなさそうだった。いつもよりずっと深く眠っているようにも思える。
     あのシャイロックが賢者様の為に貸し切りにして他の誰も入れさせなかったのだから、恐らく内密にしておきたい話があったのだろう。素面ではとても言えないような、酒の力を借りてでも吐き出しておきたい何かが。そうして酔いつぶれて眠ってしまわないといけないくらい。彼の中に渦巻く何かがあったのだろう事は容易に想像がついた。そしてそれが、少し気に入らない。

     朝整えて置いたベッドの上に賢者様を寝かせて、少しだけ考えて衣服に手をかけた。普段着のままでは寝辛いだろうし皺になっても気にしそうだ、それならさっさと着替えさせてしまった方がマシだと考えたからだ。魔法で済ませてしまってもいいが、それはそれで聊か勿体ない様な気がする。

     何せこの子は俺の事が好きだから。
     きらきらとした目でじっと見つめて来る視線も、動揺しながらそれを押し殺して微笑む顔も好ましい。それが自分に向けられている執着と思慕だと分かってからずっと気分がいいのだ。今のところ直接的に投げかけられる言葉はないが、それでも彼と自分とは特別に何か、友人関係では括れない思いを持ち寄っている。それが共通認識だと俺は考えている。なのでこうして無防備に晒される彼の様子を見ていると、多少なりとも欲が顔を出さない訳でもないのだ。なし崩しに手を出すつもりは今のところないけれど。
    「ほら賢者様、起きて着替えないと」
     パーカーを脱がせて椅子の背に投げかける。ベストのボタンをゆっくりと外してネクタイも解いてしまう。ベッドサイドに放り投げてからワイシャツのボタンに手をかける。ん、とまた寝息のような声がして身じろぐ衣擦れの音。一つ一つラッピングを解くような心地で服に手をかけていると、なんだか酷く倒錯的な気がする。少しはだけた襟元からはアルコールで薄く上気した桃色の肌が見えた。
    「そんな無防備だと知らないうちに悪い魔法使いに食べられちゃうよ」
     まずここにいるんだけど、と言葉を飲み込んでゆさゆさと再度彼の肩を揺さぶる。

     いやいや、と眉を寄せて体を捩った賢者様はようやく緩く覚醒した。固く引き結ばれていた唇が緩んでちらりと赤い舌が覗く。頬もアルコールでふんわりと色付き、目元までほんのりと赤らんでいる。ゆるゆると眠りの淵を彷徨う瞳はぼんやりと蕩けていて、とろりと溶けたチーズみたいだなぁと頭の片隅で考える。
    「……ふぃがろ」
    「うん、おはよう気分はどう?」
    「……へへ」
     ふぃがろだぁ、と言葉なのか寝息なのか分からない声が薄く開いた唇から零れていく。へらりと崩れた笑い顔なんて見た事がない、こんな顔もするのだなと新鮮な気持ちで眺めていると彼は更に嬉しそうに笑って見せる。
    「随分とご機嫌だね賢者様」
     ひへへだか、ふへへだか、不思議な笑い声を漏らしながらゆっくりと体を起こすが、弛緩している体はぐらぐらと不安定に揺れる。仕方がない、とベッドに腰を下ろし揺れている彼に腕を添えて座らせてやればまた嬉しそうに笑って身を寄せて来る。
    「なあに、そんなにフィガロ先生に会いたかったの?」
    「はい、そうなんです」
     うれしいです、と笑いながらまだふらふらと重たい頭が揺れているのが、先日賢者様と庭で眺めた子猫の様で。眠りに抗いがくんがくんと頭を揺らしながら、それでも起きていようと頑張っている姿を「かわいい……」と笑み崩れた顔で見つめていた、あの日見た猫にそっくりだ。
     茶化すつもりでふざけた言葉を口にしたのに、真正面から肯定されると二の句が継げなくなる。黙りこくった俺に構う事なく、ぴたりと体を寄せてきた賢者様は機嫌よく鼻歌でも歌い出しそうな笑顔を浮かべて座っていて、何がそんなに嬉しいんだと聞いてやりたいような気もした。けれどそれを口に出すとこのむず痒いような、優しい空気が霧散してしまうのが分かっていたので俺は何も口に出来ないでいる。

     こちらが黙り込んでいてもちっとも気にしていないようで今度はふんふん、とリズミカルな鼻歌が聞こえ始める。馴染みのないメロディラインはおそらく彼の、元居た世界の曲なのだろうと推察した。
    「君の好きな歌?」
    「良い歌でしょう?」
     友達が好きでカラオケとかでよく歌ってくれて、そのうちに俺も大好きになりました、とにこにこ話す表情。その裏にある感情を読み取ることは出来なかった。好きなものを純粋に好きだと口にして満足して機嫌良く笑っているだけ。
    「好きな人に好きだっていう曲なんですよ」
     真っ直ぐに、飾りもなくストレートな言葉で。そう言いながら少し不安定な発声で歌詞をなぞり始める。恋をして嬉しくて、だけど不安で心細くて少しだけ苦しい。そんな単純でわかりやすい歌詞を彼の声で聞いていると妙な気持ちになってくる。
     夜も遅い、静かな部屋で彼の柔らかな声が知りもしない興味もないような曲を紡いでいくのが、なんだかとても壊れやすい大事な物のように思えて黙って聞いていた。三度繰り返されるサビの、恋を歌う歌詞が頭に焼き付いているようで。目を閉じて、ただこの部屋に満ちる音だけに意識を集中させて。そうしていられる事が不思議で得難い経験のように思えてくるのだから。
     ふつり、と声が途絶えてゆっくりと瞼を開ける。

     隣を見れば歌い終わって満足したのか、はたまたアルコールによって再び眠りに引き摺られているのか彼は静かに床を見つめていた。
    「……賢者様?」
     そろそろ眠ろうか、と声を掛けると思ったよりもしっかりと理性的な瞳がじっとこちらの目を捉える。眠りと、まだ夢見心地のようなとろりとした色を残している癖に、内面まで見抜くような瞳にぎくりとした。
     彼は隠しているものを無理やりに暴こうとはしない、それは他の魔法使いたちへの態度を見ていてもわかる。知りたいという欲求は持ちながらも、相手がそれを望まなければぐっと立ち止まる聡明さを持ち合わせているからだ。
     ところが今はどうだ。まるで心のうちを見透かすような真っ直ぐで目を逸らし難い。懇願でもされているような甘えが含まれているようにも思えた。彼はこんな顔もするのかと言う驚きもあった。

     たかが数十年しか生きていない人間が、二千年の長きを生きる魔法使いの全てを知るなんてこと不可能で、全部見せて仕舞えばただの人間である彼のキャパを超えるだろう。ほんの少しだけ、壊してしまったらどうなるだろうかと暴力的でサディスティックな思考が頭を過ったが、本当に望むことではない。きっと自分はこんなものか、と失望して興味を無くしてしまうだろう。また駄目だったと息を吐くのだろう。それは、あんまりにも惜しいなぁとぼんやりと考える。
    「……フィガロ」
     思考の海から手を引いてくれるのは彼の声だ。
     なぁに、と努めて柔らかな声で応えを返し、彼の頬をゆっくりと撫でてやる。いつもより高い体温、柔らかに火照る頬。目を細めた晶はゆっくりと笑う。
    「キスをしても良いですか」
     あなたに。

     祈るように、許しを乞うように。そっと囁かれた言葉の意味を正しく汲み取るのにほんの少し時間がかかった。
    「……終わったら記憶を消してくれても良いです」
     酔っているくせに言葉はやけに明朗だった。
    「あなたは怒るかもしれないけど、俺は哀れみでもなんでも、間違いでも事故でもなんでも良い」
     触れたい、と熱に浮かされたような声で彼は懇願した。

     哀れな人間に慈悲を、はるか昔に命乞いをした人間の言葉が急に頭の中でリフレインする。可哀想に、と愚かな事だと思いながら目を逸らした人間の姿。それとは似ても似つかない強い瞳がじっと俺を見ている。危うい光はゆらゆらと揺れる。

    「……ちゃんと意味わかって言ってる?」
    「俺と、貴方が思っている事が一緒なら」

     きっと意味は間違っていません、と。
     黙り込んで見つめている俺をどういう気持ちで眺めているのか、瞳から表情から意思を読み取ろうとしたのに、こういう時に限って何もわからない。何も読ませない、そういう顔をしている。ただ真摯に向けられている瞳の強さだけは本当で。
     お互いに目を逸らさぬまま見つめ合っていたが、先に逸らしたのは晶の方だった。
     ふっ、と逸らされた視線に酔いは微塵も感じ取れず、冷静に覚めた色を湛えている。

    「……ごめんなさい、困らせてしまいましたね」

     気分よく飲みすぎちゃいました、とへにゃり顔を歪めて笑った風に見せる癖に、泣き出す直前のような不格好な表情でぽすんとベッドに倒れ込んでしまうその姿を、どこか冷えた気持ちで見つめてしまう。誤魔化して何もなかったようなそんな素振りをするのが気に入らない。いい子ぶって物わかりの良い人間のように素直に引き下がって見せるのが。

     頭が動くより先に衝動的に体が動いた。
     寝転んだその上に覆いかぶさるのは一瞬。顔の両側に付いた腕と自分の体で彼の顔に影がかかる。無理やり作ったであろう曖昧な表情を驚愕に染めて、なのに瞳は突如目の前に差し出されたものに期待している。貪欲で傲慢で、欲望を孕んだ美しい色だ。そのくせ反射的に逃げようとして体を捩るのを足で抑え込んで「逃げるな」と短く告げれば怯えた様にびくりと肩を跳ねさせた。
     ゆっくりと顔を近付けていく。お互いしっかりと瞳は開いていて逸らす事も閉じる事も許さない、と視線に込めながら見せつける様に唇を触れ合わせた。近すぎて視界はぶれる。まだ目は閉じなかった。見えて居なくても触れた唇から微かに震えている彼を感じられたし、押し付けるだけの稚拙な口付けであっても動揺しているのが顕著にわかる。煽っておいて誤魔化すような事をするからだ、と責任まで勝手に頭の中で押し付けながら何度も唇を当てる。ぺろりと唇を舐め上げるだけで、大袈裟に体を跳ねさせるくらい耐性がないくせにと苛立ちにも似た感情が沸き上がる。どこまでやってやろう、どこまでなら酒の所為にできるだろう。いっそ彼の言う以上に何もかも暴いて、それから記憶を書き換えてもいい。暴力的で堕落的な思考が頭の中に渦巻く。
     無理やり舌をねじ込んでも晶は拒否しなかった。脱げかけの衣服でベッドの上にしどけなく横たわり、されるがままに口付けを受けている。互いの唾液が絡まり、彼のアルコールに起因しているであろう粘膜の熱さにこちらまで引きずられそうだ。吸って舐めて、時々濡れた唇に歯を立てて軽く食んでみても新鮮に反応が返ってくるばかりで、押しのける気のない晶の手は縋るように俺の衣服を掴んでいた。
    「ねえ」
     囁く自分の声も何時の間にか欲に塗れている。まだ食べたりなくて、もどかしい。長い口付けから解放されてはあはあと荒く息を吐く彼も物足りなさそうに膝をすり合わせ、先ほどよりずっと溶けた瞳でこちらを見上げ続けている。
    「本当に忘れるつもり?」
     こんな風にどろどろになって、それでも足りないと熱く瞳を潤ませておいて。薄い皮膚が赤らみ期待して待つぐらいには欲しがっているのに忘れていいと本当に願うのか。口の周りまで唾液でべたべたになった肌を指先で拭ってやる。ただ触れているだけのその仕草にもぴくりと肩を震わせ、身の内に燻る熱を持て余しているように見えた。
    「記憶から消していいなんてさ、身勝手にも程があると思わない? 君だけは全て忘れて何も無かった顔でいつも通りの清廉な賢者様を演じる」
     あ、とあえかな声が彼の口から落ちる。それと同時にまるで詰るような言葉になってしまった失態に気付いて思わず唇を噛んだ。これでは俺が拗ねているだけのようではないか。
     視線で、態度で、瞳で、言葉で。これほどじとりと絡みつくような執着と思慕を寄せているくせに。欲しい欲しいと瞳が叫んでいる癖に、全て忘れて消してくれていいとこちらに委ねようとしたこと。忘れてもいいのだと記憶になくてもいいと、そう彼が思っている事全てが気に入らなかった。実際のところ拗ねて怒ってやり返したようなものだ。ああやらかした、急に頭の芯が冷えてきてやっぱり全て消してしまおうか、と頭の中で算段を立てかけた時だった。

    「フィガロ」
     すっかり平静を取り戻した声で、けれどまだほんのりと頬を、そして脱げかけてはだけたワイシャツから見える首元までうっすらとピンクに染めた晶は一つ息を吐いてから、真摯な声で「訂正させてください」と言った。ゆっくりと体を起こす彼に合わせて俺も身を離し向かい合うように座った。
    「まずは謝らせてください、酔いに任せて酷い事を言いました、ごめんなさい」
     深々と頭を下げた。誠心誠意、心からだと分かるのは彼との付き合いがそれなりに長くなってきたからか、彼の真摯な行動の数々がそう見せているのか。正直どちらも正解のような気がした。
    「あなたを傷つけてごめんなさい」
     勇気が、なかったから。と小さく呟く。
    「真正面から向き合って、否定されたらと思うと怖くて足がすくんでしまったんです。自分が傷つきたくないから……だからと言ってあなたを傷つけて良いものでもなかった。よく考えたらわかることだったのに」
     しゅん、と伏せられた瞼で睫毛がふるりと揺れた。
     
     思い悩んでたどり着いたシャイロックのバーでぽつりぽつり、悩む胸の内を明かしていたら経験豊富な店主はほんの少しだけアルコールの入ったカクテルを用意してくれた。甘くて爽やか、ほんのり残るスパイシーな香り。ぱちぱちと微かにはぜる星の煌めきのような、不思議で美味しいカクテルは勇気をくれるような気がしたと晶は言う。
    「きらきらしてフィガロの瞳みたいに」
     うっとりと細められた晶の目の方が、深い夜の中で煌めく小さな星のようだった。
    「もし俺が甘えたら許してくれるのかな、どこまで許してどこまでなら線を引かれちゃうんだろうって」
     臆病だから本気じゃないよって建前にして試したかった。冗談や笑って済ませられるくらいの、そう言うのなら許されるかもしれないって。
     雨垂れのようにぽたりぽたり、彼の口から落ちてくる言葉はある意味で言い訳なのだろうのに、どうしてこの言葉たちは不快にならないのだろう。黙って聴いている俺をどう思っているのか、やはり星が瞬く晶の瞳からは何も読み取れない。

     ふう、と一つ息を吐いた晶は、訂正しますと再び真っ直ぐにこちらを見つめる。

    「俺とキス、して欲しいです」
     あなたのことを、とてもとても大切に思っているので。

     そっと伸びてきた手が触れる。触れた温度の高い手のひらはしっとりと汗ばんで、微かに震えていた。まだ怖いのか、とどこか遠い意識で考える。先ほど無防備に襲われあんなに流されそうになっていて、それでもまだ不安でその指先は震えるのだ。揶揄い目的で手が平気で出せるやつだと思われるのも心外だが、己の行動を振り返ればあまり偉そうな事は言えないな、と他人事のように思う。
    「フィガロ」
     揺れた声に視線を向ける。瞳は真っ直ぐにこちらを射抜き、力がこもった手が逃げないでと囁いているよう。
     躊躇い揺れる感情に引きずられるように戦慄く唇は酷く煽情的で美しかった。
    「本当は忘れてしまいたくなんてないです、全部」
     些細なことも会話も、共にした時間全てを大事にしたい。

     俺も、覚えていたいしあなたにも覚えていて欲しいです。

     心が、震えるような気がした。
     不思議なものでとても凪いだ気持ちでこの場面を俯瞰で見降ろしているような感覚になっているというのに、相反するように心臓がどくりどくり、と速度を上げていく。こんなことで、と冷静に思うのに魅入られた様に肩は強張り、じっと黒い瞳を見つめ返すしか出来ずにいる。素朴で装飾のない言葉、それ故に剥き出しのまま突き刺さってくるようで。
     焦れたように触れた手にほんの少し力が入って請われていると思った。求められて与えて、そういった事を遥か昔から繰り返してきた。庇護してみたり、壊してみたり、気まぐれに手を差し伸べてみたり。落胆して、そんなものかとどうでも良くなって。どこか欠けた穴のぽかりとあいた腹の内を仕方がないと、諦めて見ないふりをしていたのかもしれない。
     
    「……あの月を押し返したら、こんなやりとりさえも忘れてしまうかもしれないのに?」

     夜闇を切り裂いて煌々と恐ろしく冴え冴えとした光を放つ大いなる厄災。時空すら捻じ曲げて異世界の人間を賢者として呼び寄せる力。そして押し返して気が付くと賢者は消え、その記憶すらも薄れていく誰が何の為に用意したのかわからない世界の仕組みの中で、記憶も思い出も確かなものではないと言うのに。意地が悪く問いかけた言葉にも晶は緩く目を伏せ、淡く微笑んで見せる。
    「忘れてしまうかもしれません、何も残らないかもしれません。それでも今は、今思うことは素直に伝えたいと思ったから」
     そう思う気持ちに、心にもう嘘をつきたくない。

     ふ、と漏れた互いの吐息。すっかりアルコールの気配は薄くなっている。
     無性に強い酒を煽りたい気分だった。フルートグラス一杯分のアルコールなんてたかが知れているし、その前から飲んでいたが酔えない夜だ、体内に満ちるアルコールなんて些細なもので素面も同然。なのにくらくらと、強い酒気に当てられたように心臓が騒ぎ眩暈を伴う酩酊に近しい感覚。ワインでもシャンパンでもない、間違いなく目の前のたかがか数年しか生きていない、すぐに手折ってしまえる弱い生き物の、晶の言葉に俺は浮かされて酔わされている。
     とても愉快で、面映ゆくて目の奥がじわりと熱くなる感情は、一体何と名付けるのが正しいのだろう。こちらを真っ直ぐに好意と不安と、それから安らぎを持って見つめる瞳が心地良いのは事実で。

    「……いいよ」

     掠れた声に晶の手は大袈裟なくらい跳ねた。心なしか緩んだ瞳に歓喜が渦巻いているのを目にして、焦れたのはこちらの方だった。手を掴んで乱暴に引き寄せる。「わあ」と情けない声と共に簡単に腕の中に落ちてきた体は瞬間的に強張ったものの、すぐに安堵するようにほどけてとけていく。強く脈動する心音と、火照ったように熱い皮膚の温度が伝わってきて思わず息を吐いた。
     何よりも雄弁に語る瞳は、先ほどの何も読ませないような色はすっかり消してただ喜びと、戸惑いと、それから期待を灯してゆらゆらと揺れている。混じりけのない目が眩むような親愛の思いを体全部で表している幼く弱い生き物が腕の中にいた。
    「……あーあ、ついに篭絡されちゃったね、賢者様」
    「そうですね」
     ぱちりと瞬きをして、それから晶はふふと淡く微笑む。そこにあの日見た戸惑いの感情は見えない。
    「口説いてくれた魔法使いがとっても魅力的だったので」
     気付いたら転がり落ちちゃいました、と軽口に合わせて楽し気に言葉が零れ落ちていく。

     その頬にそっと掌を添える。視線が絡んで目元がうっすらと赤らんでいくのを眺める。お互い言葉を発する事はなく、近い距離でそれこそ瞬きに触れ合う睫毛の擦れる音まで聞こえそうな静けさの中、同じタイミングで瞼を落としながらゆっくり体を寄せあう。すっかり乾いて少しだけかさついた唇が触れあっても晶はもう震えなかった。撫でて確かめるように唇を押し付け合う稚拙な、それでいてどうしようもなく焦がれた口付けだった。どちらが先に焦れたのか気付けば唇を開いて、熱い舌が絡まって合間合間に息継ぎをする不格好で必死なキスをしていた。恰好がつかないなと冷静な頭の一部で考えてはいるものの、現状を笑う気持ちには少しもなれなかったし、体裁を整えるために唇を解く時間すら惜しかった。
     晶が苦し気にどうにか呼吸をしているのがあんまりにもいじらしく見えて、頬に添えた手を滑らせてこめかみや耳元をするすると撫でて愛でる。重なったままの唇がふるふると揺れて、弱弱しい力で軽く押し返された。先ほどでわかってはいたがいい具合に敏感らしい。くすぐったさに肩を竦めて身を捩ろうとしているが、本気で離れようとはしていない事実に気分が良くなる。ごめんね、と宥める言葉の代わりに丸い後頭部を掌で撫ぜて、舌を軽く吸い上げてやった。あっと言う間にとろとろに仕上がっていくのが心地良くて離れがたい。押し返していた晶の手だって、また縋るようにしがみついているのだからきっと許されている。

     舐めて噛んで吸って、晶が喉の奥を微かに震わせて目を薄く開くまで俺たちは馬鹿のように唇を触れ合わせていた。可愛がり過ぎて濡れた晶の唇はいつもより赤くぽってりと腫れているようにも思えた。
    「……痛い?」やり過ぎただろうか、と思いながら問いかけると「すこし……?」とまだ呆けた表情で気丈に答える。ぴりぴりするような気がします、と囁きながら己の指でそっと唇を撫でている仕草がぞくりとするほどの色香を醸し出していて思わず息を飲む。
    「傷はついていないようだけど、念のためシュガーを出してあげようか」
     治癒力の強化を込めてシュガーを錬成しようとした俺の手を、晶がそっと握る。
    「大丈夫ですフィガロ、ありがとうございます」
     ほんの少しだけぴりぴりするだけなので、大丈夫ですと繰り返して安心させようとしているのかまだ上気した顔でふんわりと笑って見せる。それに、と視線を伏せて俯いた頭頂部にくるりと綺麗な形のつむじが見えた。

    「寝て起きても、ほんの少し唇が痛かったら夢じゃないって安心できる気がするから」

     このままがいいです、と恥ずかしそうに笑うのが堪らなくなって勢いをつけて抱き込んでその勢いのままベッドに倒れ込んだ。フィガロ、と腕の中でくぐもった焦った声がするが今はそのままでいて欲しい。こんなにも可愛らしい生き物だっただろうか。この期に及んでまだ夢かも、と考えているのもいじらしく見えるのがなんだかずるいのだ。篭絡されちゃったね、なんて揶揄っておいて何だが実際のところ振り回されているのも、引きずり落されたのもこちらのような気がしてならない。それにどんなに恋をさせてもきっと思い通りになってなってくれないだろう、この子は。頑固で真っ直ぐできらきらしている普段の言動を思い返して、やっぱり振り回されているのはこちらだと思った。どちらが篭絡されたのか、なんて考えるのも野暮で馬鹿らしい気がする。
     
     フィガロ、と心配そうに名前を呼んで衣服をちょいちょいと引っ張られる。どうにか緩んだ顔をいつも通りのフィガロ先生に戻して、腕の檻からもぞもぞと顔を出した晶の形のいい額に軽く唇を押し付ける。ふふ、と機嫌良さげに小さく笑う晶の背を掌で撫でながら、一つこれだけは伝えておかねばならないと真面目ぶった顔で覗き込んだ。すっかり遅い時間になってきて、晶の目がとろとろと眠りに足を踏み入れかけているのを見るに届くかは不明だった。それでも一言だけは言っておかねばならない。
     晶、と呼びかければ眠そうな瞳がぱちぱちと緩く瞬きをする。

    「……今後俺がいない所でお酒飲むのは禁止だよ」

     一瞬の間を置いてふにゃりと笑み崩れた晶は「はぁい」ととろけるような声で良い子のお返事をした。





     一人用の寝台に成人男性二人でも案外寝心地は悪くない。
     ベッドを大きくしても良かったが、このままでいいと寝ぼけながら可愛い子が言うのでそのままにしておいた。安心して気持ちよさそうに眠りに旅立ってしまった晶を眺めながら遠くから近付いてくる眠りの気配に身を委ねる事にした。
     ほろよいで晶が口ずさんだ「好きな人に好きだと言う曲」全く聞いた事のない、覚えのないメロディが何故だか頭に染みついて、瞼を落としても楽し気に愛しさを込めて口にする晶の姿がなんどでも鮮明に浮き上がる。小さな寝息と彼の少し調子の外れた不安定な歌声を思い出しながら子守歌にする。アルコールはすっかり抜けてしまったのに、酔って血流が良くなった時のように体全体がぽかぽかとして暖かい。

     いい夜になったな、と思う。
     数時間前までは上手く酔えない、途方もない夜だと思っていたのに。案外自分も単純にできているものだと笑ってみるが気分はずっといい。近いうちに何もかも見透かしたように微笑む仕事が出来すぎる店主に、シャンパンと呼び出しの礼をしておかねばならない。彼は彼で賢者の事を大事にしているし守ろうとしているのだから、どうしても納得できなければ今夜の呼び出しはなかったであろう。つまり一応彼のお眼鏡に叶った、と考えて差し支えなさそうだ。とびっきりの酒でも仕入れるか、それとも珍しい北の国の珍味でも献上するべきか。それらを考えるのも悪くない気分だ。どうせなら晶もつれてちょっと旅行気分で北にいくのもいい。そういえば南の最近できたばかりのワインセラーもよさそうだし、穏やかな気候で晶も過ごしやすいだろう。いい夜を連れてきてくれた彼の勇気と健気な思いに感謝して、起こさないようにそっと黒い髪を撫でつける。

    「……起きたら最初に何を話そうか」

     まずは夢じゃないよ、と笑ってキスをしてあげようか。真っ赤になって照れるかな、恥ずかしがって拗ねてしまうかな。そう言う事を考えるだけで今だ遠い、眩い太陽が連れて来る朝が待ち遠しく感じられた。

     ああでも、それよりなにより。真っ直ぐで柔らかな彼の思慕に応える言葉を用意しておかねばならない。考えて考えて、思い悩んで選んだ言葉をきっと彼は気に入ってくれる筈だ。頬を緩めて微笑んで、フィガロと名前を呼んでくれるだろう。

     いい夜だね、と眠る君に囁いて忍び寄ってきた緩やかな眠りにそっと身を委ねた。
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    Replies from the creator

    海乃くま

    DONE晶くんオンリー「ひかる星々の名前を教えて4」展示作品です。
    冒頭に注意事項がありますので、目を通してから閲覧していただけますよう、よろしくお願いいたします。
    数日公開のち、後日pixivに掲載予定となります。
    フィガ晶♂【美しい事象】+都合よく色んな改変があります。
    +設定は自分に都合よく捻じ曲がっています。
    +不穏な空気になりますが、ハピエンです。
    +好きな物を詰め込んだものです。
    +何でも美味しく頂ける人向けです。




    俺が魔法使いだったなら、綺麗な石になった貴方を一欠片も残さず食べてあげられたのだろうか。



    【美しい事象】



    何度も夢を見る。
    巨大な月を抱く魔法と混沌の世界。壊れかけた世界の夢だ。
    白昼夢や幻覚と言われればそうかもしれない、と俺は笑うのだろう。だってあの世界の事は今はもう微かな夢としか思い出せないものだったから。確かに過ごした記憶はここにある。あるのに俺の手元にそれを証明するものは何一つ残されていない。慣れないペンを握って書き記した賢者の書も、そのために出来てしまった利き手のペンだこも綺麗さっぱり無くなっていた。身に付けていたものは愚か、記憶すらも日に日に少しずつ抜け落ちてしまう。記憶すらもお前のものでは無い、と言われているようで恐ろしくて悲しくて、悔しくて、寂しい。
    18801

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