僕だけのどうにも目線が合う。ふとした瞬間、視線を感じるのだ。懐疑的な視線に晒されるのは誰だって落ち着かないだろう。嫌われてるのかな? とは冗談交じりにマスターへと零した。その言葉の裏には、こちらは嫌ってはいないのにと子供じみた感情が混ざっている。私の生涯の障壁、怨敵、対になる男。しかし、私には彼の記憶がない。知りたい、と思うのは当然の感情だ。いつか大いなる壁となるのならば、対策は講じねばなるまい。
あちらから視線を寄越すなら、こちらから近付いても問題ないはずだ。始めたのそちら側なのだから。
ガヤガヤと喧しい食堂で端の方で、ぽつんと寂しく座る目当ての男がいる。
「やあやあ、これはこれは稀代の名探偵殿。我が名はジェームズ・モリアーティ。貴方と出会う前のモリアーティ教授さ」
できるだけ愛想良く振る舞い、にこやかに笑む。ちらりと一瞥すると、彼は再び紅茶へと視線を戻してしまう。なるほど、なるほど。彼への関心はどうやら買えなかったようだ。
「此方へに座っても?」
返事は期待していない。彼が何かを発する前に座り込む。何か言いたげに視線を寄越したが、やはり何もその小さな口からは紡がれなかった。何とも大人しい男だ。
「少し貴方と話してみたくてネ。僕が貴方のことを知りたがるのは当然のことだろう?」
カップをソーサーに置き、灰がかったグリーンの瞳がどこかぼんやりと遠くを見つめるように私を捕らえた。
「キミが好青年らしく振る舞いたいなら何も言わない。ただ、彼の真似事は辞めた方がいい。キミは彼には至ってないし、キミはキミだ。齟齬やボロが出るのは時間の問題だし、真似事で彼へと至れる訳でもない」
ふっと零した息と共に、笑みが形作られる。私へと向けられたあの笑みが脳裏に過ぎる。ああ、あれは本当に美しかった。
「……それはアドバイスか何かかい?」
「そう聞こえるならそう捉えてくれて構わないよ。ただ模倣を繰り返すだけなら、面白味がない」
同じ謎を提供されても、つまらないとポツリと零される言葉。老齢の私も年若い私も彼にとっては謎を提供する機構に過ぎないらしい。それは腹立たしい。下位互換だと思われるのは癪だ。不愉快極まりない。
「貴重な意見をありがとう、シャーロック・ホームズ。今後の方針が決まったよ。私は私のやり方で悪のカリスマを目指す」
老齢の私とは違った、私だけの悪を目指す。そう宣言すると、楽しげに目元を弛め、そうかい、それは楽しみだねとまた微笑んでみせた。
ようやく理解が及ぶ。あの視線は私を値踏みしていたのだ。最高の謎を提供してくれるか否か、それだけの視線だった。
生前彼は老齢の私がいなくなったロンドンは退屈だと評したらしい。ならば、私もそこへ至る。私がいないと退屈極まりないと思わせてやろう。