星彩不安定な道を踏みしめながら歩いて行く。アーチャークラスのおかげで、多少の単独行動が可能なのは便利で助かっている。マスター君たちが休んでいる間に、多少の情報は集めておきたいところだ。
それにしても、雪山というのはこれほど気力を削られる物なのか。ロンドンはほとんど雪は降らない。経験上、慣れていない、ということだ。
はぁ、と吐く息は白い。氷点下の世界は体温を下げる。体温調整の備えはあるが、今は無駄な魔力消費は避けたいところである。
サクサクと音を立てながら、歩みを止めない。一度、止まれば、二度と歩き出せないような強迫観念に襲われる。
「教授」
陰気なコートを纏った男が私を呼ぶ。ああ。強迫観念の正体。私の死因。我が宿敵。
「この辺り一帯は魔物も魔力感知もない、特異点の原因らしきものはなかった。キミの言うとおり、隣の町が怪しい」
と言っても、山を越えなければならないがね、と皮肉げに笑う男の鼻はいつもより赤く染まっている。サーヴァントであろうと、この低温には影響を受けるらしい。
「ミス・藤丸とは明日、合流すればいい。先に危険がないか確信しておこう」
そうだな、と頷く己と、その言葉をうまく咀嚼できない己がいる。思考がうまく働かないのは不愉快極まりない。それは眼前の男も理解しているようだ。
「教授? 耄碌するのはいささか早いと思うが」
「うるせぇナ、安楽椅子探偵」
張り詰めていたものが幾分、楽になった気がする。息を吐いて、吸う。それだけの動作でも、幾分か冷静になってくる。
「ああ」
得心がいった声音で奴は頷いている。忌々しい事この上ない。
「水辺がなくてよかったじゃないか、教授?」
慣れた足取りで先を進む男の声はどこか弾んでいる。陰湿な男だと言うことをまざまざと見せつけられている。
「寒村、雪山、条件は十二分」
そして私とキミ、と続けた言葉は悪戯を思いついた子供のような残酷さが滲んでいる。ああ、殺してしまおうか。そうしてしまえば、この胸のざわめきも頭の中で鳴り響く瀑声も全て消えるのではないか。衝動のまま、手を伸ばす。簡単に引き倒される痩身。愉快そうに歪められた目元と口元。何もかもが憎らしい。
しんしんと降り続ける雪に、張り詰めた空気。銀世界に沈んだ黒いインバネスコート。細い首に手を掛ける。抵抗はない。ただ見上げる瞳がいやに愉快そうに映る。そんな表情をされれば、逆に気が抜ける。何もかもがこいつの掌の上だと悟る。いいように暇つぶしの玩具にされている。
「ふふふ、星が綺麗だよ、教授」
私越しに見る夜空に感想を述べている姿にどうでもよくなる。
「そうだネェ……」
奴の翠色の瞳にはキラキラと輝く星が映し出されている。いつかこの輝ける星を撃ち落とす事を夢見る。空高く浮かぶから、手が届かないのだ。ならば、落としてしまえばいい。この手の中まで。
「お前の相手するの本当に面倒くさい。マジで嫌い」
そんな悲願を思い出しながら、今はまだ叶えるときではないな、と冷静な部分がそう告げる。
立ち上がり、コートに着いた雪を振り払う。もう終わりかい?とつまらなそうな顔をする男はひとまず置いておく。
サクサクと音を立て、雪を踏みしめていく。後ろから奴が着いてくる気配を感じながら、進んでいく。息苦しさも瀑声もここには今はない。