読み切り #9 Cigarette Break「青木、火くれる?」
喫煙所に顔を出した鈴木が、無遠慮にタバコを咥えた口元を近づけてくる。
こういう時、イケメンは罪作りだな。
青木はぼんやり思う。だが、青木も何となく鈴木とのこのキスには慣れてしまった。
青木はすっと鈴木に呼吸を合わせる。
鈴木のチェ・ブランコの先に点った火。
整った鼻筋にほんの一瞬差した赤。
ゆったりと、鈴木の最初の一吸いの香りが広がる。僅かに紅茶のような香ばしさ。
疲れのせいか少々気怠げな様子でも、イケメンはイケメン。
なんだか悔しい。
これじゃ、薪さんが苦労するわけだ。
青木も煙りを吐いて、室長に心から同情する。
薪が大学時代からの親友にして現在は自分の右腕である、副室長の鈴木に微妙な好意を持っているのは、色恋沙汰に疎い青木にもわかる。
青木はもちろん、鈴木も習慣的な喫煙者ではない。
それこそ今日のように、少しでも強制的に脳と体を休ませたい時に1~2本吸う。
自分達が挙げた証拠で、慌ただしくSITを強制捜査に送り出した。現地到着と突入開始まで、第9の捜査官達は全員、交替で強制的に休息を取っている。
今回は岡部がSITに同行しており、突入の際は後衛の配置につく。
政治も絡む事件だ。薪の命令を必ず遂行し、突入の結末を確認できる者を現場に送り込む必要があった。
岡部はSITやSPも一目置く猛者だ。それでも、岡部やSITに100%の安全を保証してやれないもどかしさ。
青木でも1本吸いたくなる。
待機中の自分達が次にスキャンするのは、射殺された容疑者や、犠牲になったSIT隊員の脳かもしれないのだ。
青木の手から灰皿にゆっくりと散る灰を、鈴木は目で追う。
火の点いたタバコを燃え尽きるまで手に持っているだけでいい。火が点いている間は他に何もできないし、何もするな。青木にそう教えたのは鈴木だ。
青木は体力も集中力もあるが、休息の取り方は色々と教えておかねばならない。薪の綺麗な顔に引っかかってくれたおかげで第9が拾った、これでも優秀な人材だ。
それこそ本人は無自覚だが、薪への憧れというより薪に恋して、青木は第9にやってきた。
「オレ…ソンケーしてましたから、ずっと。」
初対面の薪を真っ直ぐに見つめた青木は、鈴木も同席していたというのに、臆面もなく言い切った。
鈴木はそんな青木の横顔をまじまじと観察し、次に薪の横顔に呟いた。
「…たまにはお前の美貌も役に立つんだな、薪。」
薪は青木の挨拶に面食らって、真っ赤になって硬直していた。
少々乱れた前髪をかきあげる青木を見やり、鈴木は深く煙を吸う。
ちょっと妬けるな。
青木は人柄も容姿も、間違いなく薪の好みだ。
自分より背が高いのは、はっきり言って腹が立つ。
温厚で素直な性格。頭もそこそこ使える。いざとなれば肝は据わっているし、大胆で行動力もある。
青木の天然ぶりに圧倒されて、薪は日々どぎまぎしている。薪が青木にはすぐに手が出てしまうのは、その恥ずかしさの裏返しだ。
「必ずオレが後ろについて支えますから。」
真正面からそんなことを言われて、まあ、全く絆されるなというのも無理だろう。
それに。
青木はそのうち化ける。鈴木はそう思っている。もちろん、まだまだ薪や自分の隣に並び立てる男ではない。それまではせいぜい、自分が鍛えてやろうと思う鈴木は大人の男だ。
薪が手駒に使える男、薪の味方になる男は多いに越したことはない。
「…突入の開始が少し早まりそうだ。」
喫煙所に入ってきたのは薪だった。これまた少々疲れた様子で、襟元を軽く緩める。
スマートフォンで呼び出さずにわざわざ顔を出したのは、自分も一服したいからだろう。
鈴木は無言で薪に一本渡す。
あ。
逃げ損ねた青木は、その場面に居合わせるハメになった。
シガーキス。
青木に背を向け、長身を折り曲げて、鈴木は薪の顔を覗き込む。
鈴木の逞しい背中越しに見ると、2人はキスしているようにしか見えない。
青木は動けない。
さっき自分も鈴木とキスしたが、いま目の前で繰り広げられる大人のキスは、自分のそれとは全く違う。
鈴木の背中が膨らむ。そして2人から満足げな吐息のように、煙りが広がった。
濃厚に漂う大人の甘さ。
青木は自分の欲望に気づいてしまった。
キスがしたい。
…誰と?
「どうした青木?」
動けない青木に声をかけたのは薪だった。
鈴木の鉄壁のセキュリティチェックを突破して、鈴木が気を許す相手には、薪は基本的に無防備だ。自分が鈴木に甘えているところを、青木に見られても平気なのである。
薪の白い頬が、疲れた表情からほんの少し生気を取り戻している。襟元からのぞく白い喉。
大きく真っ直ぐな琥珀の瞳は、どんな難事件でも真実を見極める。
その瞳が今は青木を捉えている。
琥珀の瞳から逃れようとした青木の視線は、薪の白い首筋に釘付けになる。
鈴木のキスで目覚めたばかりの、絶世の美人。
薪は美しい。
青木はみるみる赤くなった。
にやりと青木を振り返る鈴木は余裕をかましている。確信犯だ。
「さ、先に戻ってます!」
燃え殻を灰皿にねじ込み、青木が転がり出たスライドドアがばたん、と閉まった。
「…どうしたんだあいつ?」
薪は優雅に灰を灰皿に落とす。
「ま、若いし。色々あるんだろ。」
鈴木はキュッと火をもみ消す。
「…行くのか?」
「ああ。」
ほんの一瞬拗ねた瞳の薪を置いて、鈴木は素早く青木を追う。
「青木、ちょっと待てよ。」
「何ですか!お2人でいちゃいちゃしてればいいじゃないですか!!!」
振り返った青木は、真っ赤な顔で涙目になりそうである。
きそうになったのか。
鈴木は青木に心から同情する。
まあ、薪と連むようになった10代終わりの鈴木も、何度となくきそうになったのでわかる。青木が可愛くてついついからかってしまったが、若い男のその辺を責めるのは可哀想だ。
「わかったわかった!からかって悪かった。」
鈴木が薪を置いて自分を追ってきてくれたのが、青木は実はちょっと嬉しい。
実際に第9に配属されてみると、青木は薪より、直接一から指導してくれる鈴木に強い影響を受けている。そして、あの世代から長官か総監に登り詰めるのは、薪ではなく鈴木、と噂される理由を理解しつつある。
今回も第9が主導権を握るために暗躍しつつ、関係部署を上手く使って、結果的に捜査を強力に押し進めたのは鈴木だ。
デカい男2人の長い足に、後ろから薪が追いついてきた。
「岡部から僕の私用のiPhoneに連絡がきた。」
鈴木と青木の顔色がさっと変わる。
薪の私用の連絡先を知るのは、翻って薪が仕事で絶対の信頼を置いている人間だけだ。つまり鈴木と岡部である。
「青木、お前の私用の連絡先を教えろ。」
「え?」
薪の求めに青木は驚く。
青木が薪の私用の連絡先を今まで知らされていなかったのは、悔しいが仕方のないことだった。
MRI捜査は副産物で時に思いも寄らない秘密を暴き出す。想像以上に政治が絡む世界だ。まだ駆け出しの青木がそれに巻き込まれても戦力にならない。
何となく声を潜めて、青木は自分の電話番号とメールアドレスを薪に伝える。
女性にそれを囁くよりずっとドキドキする。
すぐに薪からメールが届く。空かと思ったが文面があった。
『あまりに長すぎる休息はかえって苦痛である』
「お前は万が一の際のバックアップだ。誰もお前が僕とそこまで繋がっているとは思わないだろうからな。」
薪はニヤリとする。
「青木。いいのか?」
鈴木がさり気なく確認する。
薪と共にこの一歩を踏み出すことは、青木のキャリアを、人生を大きく左右するかもしれない。だが、そういう鈴木自身は楽しそうに笑みを浮かべている。
「はい!」
青木の気持ちの良い返事に迷いは無かった。
惹かれているのだ。薪に。鈴木に。
2人について行きたい。その先にあるものを見てみたい。2人と同じものを見てみたい。
「戻りましょう!」
踵を翻して青木は先に立つ。
広いが、まだ頼りがいがあるとまでは言えない背中。薪と鈴木は顔を見合わせて小さく笑うと、青木の後を追った。