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    エル87

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    エル87

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    🕵️の🐿️とモブと結婚している依頼人💚♀のお話(修正+加筆済)

    #riahika
    #riahikari

    日常が壊れるのはいつも突然だ。
    結婚をして約三年、夫婦になってひと段落つき出した頃、光ノは夫の不審な部分を見つけた。元々光ノと夫は夫婦というには冷めている関係で同じ家に暮らしてはいるが、一般的なするであろう会話をしない。唯一あるとすれば、夫が光ノをクズや出来損ないの妻と言って罵倒をするぐらいだ。始めはグッと堪え言われた所を直そうと努力をしてきたが、三年間毎日毎日同じ言葉を浴びせ続けられると本当に自分は言葉通りの存在なのかもしれないと一種の洗脳にかかってしまう。
    光ノも例外ではなく、はじめに比べれば夫が望む家事と仕事をこなすお人形のような妻になれているのだろう。いつしか光ノの顔から表情が消えた。たまに来る兄からの連絡も始めの方はちゃんと返していたが、途中どんどん返せなくなりいつしか疎遠になってしまっていた。光ノの唯一の味方は仕事で使う式神たちのみ。紙でありながらも意思を持つ子たちは光ノのそばにいてくれた。
    話を戻すが、この不審な部分というのも式神たちが見つけてくれて、リビングのソファーの下に見覚えのないピアスの片方が落ちていた。

    これは一体誰の?
    夫の耳に穴など開いてはいないし、アクセサリーをつける人ではない。自分もピアスは開けてはいないので、この家の人間のものではないということになる。

    光ノの気持ちに気付いた式神たちはさらに家中を探し回った。出てきたのは、ソウイウコトをするホテルのカードや見覚えのない女物の下着だった。
    そもそも夫婦という関係でありながら、光ノは夫とそういう行為をした事がない。そうなると光ノではない別の誰かと夫が使っている事になる。それに気付いた瞬間、何もかも忘れたくて光ノは家から出た。走って走って息が苦しくて足がもつれそうになっても遠くを目指して走った。

    体力の限界を迎え、近くの公園のベンチに倒れ込むように座る。足はガクガクと震えていて息も上手く整えられない、体から汗が噴き出ているのにもかかわらず、手は冷たいままだった。

    これから私はどうすればいいんでしょう
    夫に捨てられてしまったらきっと生きていけない
    それに浮気だってしてないかもしれない
    たまたま部屋に女の子を呼んだのかもしれない
    下着だって雨とかで乾かしたやつがそのままになったやつかもしれない
    きっとそうだ…

    そう思っていると雨が降ってきた。急いで家を出た光ノには傘どころか携帯すらもない。雨やどりをしようにも財布がないからどこにも入れない。

    寒い
    手も肩も震えが止まらなくて思いっきり自分を抱きしめて腕を摩る。早く暖かくなれと念を送りながら

    「風邪を引いてしまいますよ。」
    上から声がするので見上げて見ると、一人の青年が傘をさして立っていた。青年は長めのコートを羽織っていて、カチューシャで前髪をあげサングラスをかけていた。

    「雨が止むまでなのでお構いな、」
    「その雨が止むのは二時間後らしいですよ。二時間、こんな中で待っているのですか?」
    光ノか青年に気にしないよう答えると、青年は凛とした声で光ノに返した。光ノは答える事が出来なかった。
    青年の前には一人の女が濡れた状態でいるのだから、おかしいことは明白だ。光ノの様子に青年は少し考え、傘を差し出す。

    「良かったら私の事務所に来ませんか、雨宿りとして。暖かい紅茶をお出ししますよ。」
    青年の提案に飛びつきたいと考えたが、返事をする前に光ノは夫との約束を思い出した。

    『家族以外の人間とは連絡を取るな、誘いを貰っても断れ。』

    そうだ、この約束を守らないと…。そうしないといけないのだから。
    光ノはそう考え、首を横に振り答えた。

    「そんな、見ず知らずの人にそこまでしていただかなくて結構です。すぐ帰りますので、ご心配おかけしてすみません。」
    光ノは立ち上がり逃げるように歩き出そうとすると、片方の腕をグイッと引っ張られた。
    久々の人の体温に思わず胸が高鳴り、何となく心が温かくなる。光ノが腕を引っ張った青年の方を見ると、青年は真っ直ぐとした目でこちらを見ていた。

    「生憎、私は探偵という職をやっておりまして、困っている人は助けるという性分なのですよ。そんな格好では風邪を引いてしまいますよ。」
    「たん、てい...」
    探偵なのだからきっと良い人なのだろう。本当にお世話になっても良いのだろうかと光ノが迷っていると、青年は安心させるような笑みを浮かべて口を開いた。

    「変なことはしないとお約束します。それに事務所はここから歩いて5分の所にあるので、雨宿りとしてお使いください。」
    青年の優しい言葉に光ノは思わず、分かりましたと答えた。
    「生憎傘を一本しか持っておらず、こちらをお使いください。」
    と青年が光ノに傘を差し出す。
    流石にそこまで見ず知らずの人にしてもらうわけにはいかないと光ノは断ると、では一緒に入って早く歩きましょうと青年と光ノの間に傘をさした。青年の有無を言わせぬ行動に光ノは少し戸惑いながらも、青年と共に公園を後にした。

    もしここで歩いているのを夫に見られてしまったらどうしよう
    夫じゃなくても近所の人に見られてしまったら、噂にされるかもしれない
    さらに強く降り注ぐ雨に責められているような気がして、歩きながら道路を見ていた。
    「ここが私の事務所です。階段で上がりますので、足元にはお気を付けください。」

    ここが目的地と言われ、光ノがパッと顔をあげる。
    赤い煉瓦を基調とした背の低めのビルは、少し古めかしく植物の蔦のようなものが所々見える。ボーッと眺めていると、青年からどうかされましたかと声をかけられ慌ててビルの中に入った。
    雫が点々としている階段は確かに滑りやすく、慎重に十数段かあがるとノブを回すタイプの一昔前の扉が現れた。
    青年がドアノブを回すと、落ち着いた雰囲気の事務所が見えた。

    柔らかそうな茶色いソファーにガラスのローテーブル、棚にはこれまでの依頼書などが挟まれたファイルが綺麗に並べられていた。
    光ノが部屋の中を入り口からじっくり眺めていると、既に中に入っていた青年がバスタオルを持って入り口まで戻ってきた。

    「こちらをお使いください。それと立ってると足が疲れてしまうので、こちらのソファーにおかけください。」
    手渡されたタオルで光ノが頭や服の水分を取ると、タオルがずしりと重くなった。
    確かにこれ以上外にいたら風邪の一つや二つ引いていたのかもしれない

    心の中で見つけてくれた探偵に感謝をし、言われた通りソファーにタオルを敷いて腰を掛けた。光ノが思ったよりもソファーは柔らかく、あまりの心地良さに少し深めに座り直した。
    光ノがソファーを堪能していると、青年が湯気が出ているカップを二個持ってガラスのローテーブルに置いた。

    「こちらも宜しければ召し上がってください。体が温まりますよ。」
    「タオルから何まですみません。」
    と光ノが謝ると、どうぞお構いなくといい青年は向かいの椅子に腰を掛けた。公園で会った時は気付かなかったが、青年は端正な顔立ちをしておりカップを持って飲んでいる姿だけでも絵になる様だった。

    綺麗な人

    光ノが青年をまじまじと見ていると、青年は光ノの方を向いて少し照れくさそうな顔をした。
    「顔に何かついてますか?美人さんに見つめられると少し気恥ずかしいですね。」
    「え、あ…、す、すみません。お茶いただきます。」
    人の顔をジロジロ見るのは失礼だったな、するんじゃなかったと光ノはグルグル考えながらコップに口をつけて甘い香りのする紅茶を口に入れた。

    「…甘くて、美味しい…。」
    思わずポロッと溢れでた言葉に、青年は安堵を浮かべたような笑顔で、お口に合って良かったですと返した。
    「それははちみつ紅茶といって、普通の紅茶に比べて甘みが強く飲みやすいものなんですよ。」
    「はちみつ紅茶…、初めて飲みました。すごく体が温まります。」
    ホッとひと息ついた光ノに、青年はもう一口紅茶を飲んでコップをテーブルに置いた。

    「時に奥様、今日ほど天気が荒れやすい日に公園にベンチに座ってらっしゃったのは何か理由でも?」
    青年の言葉に光ノの体はビシッと固まる。
    「え、な、なんで、私が結婚してるって分かったんですか...。指輪とかもしてないのに...」
    夫から指輪を貰っていないので、そもそも指には何も嵌めていない。それなのに、目の前の探偵は自分を誰かの妻と当てた。どうしてと思っていると探偵は少し柔らかく笑って答えた。

    「こんな昼間の時間にいるのはフリーターか学生か専業主婦の方もしくはオンラインで仕事をしてる人です。家にすぐ帰ろうとした所でフリーターと学生の選択肢は消えます。あとは突然家から出てきた、と言う所で専業主婦に絞れたので…。」
    少ない時間の間にこんなに光ノの事を把握していて、少し恐怖を覚えたと同時にこの探偵の頭の回転の速さや洞察力の高さに驚いた。
    「す、すごいですね…。えっと…。」
    「そうですね、申し遅れました。私はリアスと申します。」
    と青年は自身の名前を明かした。
    「リアスさん、ですね。私は光ノと申します。」
    光ノも同じように名前を明かすと、リアスは少し笑った後に真面目な顔に戻った。

    「私の予想だと、何か光ノさんに嫌な事が起きて咄嗟に家から逃げ出した様に見えまして…。もしご家庭でお困り事があればいつでも連絡をください。力になります。」
    「お困り事…。」
    「例えば、ご家族の不貞行為など」
    「ッ…!」
    リアスの淡々とした言葉に光ノは息を呑んだ。本当に彼は優秀な探偵なのだろう。もしかしたら、この自分の状況を助けてくれるのかもしれない。
    光ノがコップを持って考えていると、リアスは懐から名刺を取り出して光ノに目の前に置いた。
    「少し怪しいと思うだけでも結構です。もし気になるようでしたら、こちらにご連絡をお願いします。」
    と事務所の電話番号とメールアドレスの載った名刺を渡してきた。
    「あ、りがとう、ございます…。」
    光ノは上手くお礼を言う事ができず、もう一口紅茶を飲んだ。先ほどよりも冷めた紅茶は余計に甘ったるく喉に張り付く様な気がした。

    「今なら晴れているので帰れそうですよ、光ノさん。」
    リアスの言葉に光ノはハッとして、急いで支度をした。
    「リアスさん、色々ご迷惑をおかけしました。」
    最後に光ノが入り口で頭を下げると、リアスは少し考えた後に口を開いた。
    「光ノさん、こういう時はごめんなさいよりもありがとうの方が嬉しいのですよ。それに私がやりたくてやっただけなので、お気になさらず。」
    リアスの言葉に光ノの胸が少し温かくなった気がした。
    「あ、ありがとうございます。」
    光ノがお礼を言うと、リアスは笑いお気を付けてと光ノを見送った。

    外に出るとリアスの言った通り、偶然晴れただけで早く帰らないとまた雨に降られる天気だった。

    家に着くと式神たちは心配そうにクルクルと光ノの周りを回っていた。
    「ただいま」
    光ノが声をかけると式神たちは安心したように、キッチンの方へ向かった。

    そうだ、そろそろ夕飯の準備をしないと
    今日は食べてくれるといいな

    中々作ったご飯を食べない夫へほんの少しの願望を漏らすと、頭の中にリアスの言葉が蘇った。

    『もしご家庭でお困り事があればいつでも連絡をください。力になります。』

    「リアスさん…優しい人、でした。」
    貰った名刺を取り出すと、少し考えてゴミ箱に投げ捨てた。

    「…まだ決まったわけじゃないんですから。」
    ポツリと溢す光ノを一枚の式神が見ていた。

    ◆◇◆◇◆

    今日は野菜をたくさん使った焼きうどん。軽く醤油を焦がして香ばしさを出してみた。サラダも茶色の焼きうどんと対称的に白いポテトサラダにプチトマトとブロッコリーを散らしてみる。
    「うん、色合い的には大丈夫そうですね」
    ホッと息をついて夫の帰りを待つ。
    数十分後、ガチャっと鍵が開く音がして足音が玄関から聞こえた。ドクドクと嫌な音を立てる心臓や冷や汗を何とか抑えて、キッチンで待つ。
    夫はリビングに入り光ノの作った料理を一目見ると一蹴した。
    「相変わらず不味そうな飯だ。こんなのしか作れねえのかよ…。いらねえ」
    「……。」
    そう言って夫は自分の部屋に入って行った。
    「…今日もダメでした」
    味を変えても、彩りを良くしても食べてくれない。冷蔵庫にも冷凍庫にも入りきらない分は頑張って食べるが夫用に入れた為量が多い。どうして食べきれない分は捨てることになってしまう。毎回ごめんなさいと謝りながら生ゴミに入れるのも日常の一つになってきた。
    やはりまだ自分の努力が足りないのだろうか。
    「いつか、食べてくれるといいな…」
    そう思いながら食器洗いをしていると、手を滑らせてコップを割ってしまった。大きな音が鳴り響いたが、夫は自室から出てこない。

    「急いで片付けないと…」
    新聞紙を片手に手で破片を集めていると、破片が指に刺さり鮮血が溢れでた。

    痛い
    指の痛みと心の痛みが抑えられず、それでも嗚咽を押し殺しながら光ノは涙を流した。光ノの感情に共鳴して式神たちが近くに集まり手伝ってくれたが、心はまだ重く冷たいままだった。

    ◆◇◆◇◆

    リビングで見覚えのないピアスを見つけてから数日。一度怪しいと思ってしまった心は止められず、仕事に出掛ける夫に一枚式神をつけさせた。残りの式神たちにはもう一度家の中を今度は念入りに探させた。すると、前に見つけた様なホテルのカードも下着も見当たらず、唯一片方のピアスだけが光ノの手元に渡った。

    「...や、やっぱり、前に見たものは幻覚だったんですよ...!だからこれもきっと...!」
    とピアスを式神から貰った。銀色にパールの装飾がされた派手過ぎないデザインのピアス。触ってみると冷たかった。

    幻覚ではない

    「...じゃあ、本当に...?」
    光ノが困惑していると、数日前に出会った青年リアスの言葉を思い出した。

    『少し怪しいと思うだけでも結構です。もし気になるようでしたら、こちらにご連絡をお願いします。』
    確かにこのモヤモヤとした気持ちのまま、一緒に生活を送ることは難しい。それならちゃんとプロの人に潔白を証明してもらおう。

    そう思い光ノは連絡しようとする、が

    「あ、あの名刺...。」
    リアスの連絡先が書かれている名刺を出会った日に捨ててしまっていた。これでは連絡を取ることが出来ない。どうしようと困っていると、一枚の式神が何か持ってふよふよよやってくる。少しだけ折れ曲がっている手のひらサイズの紙を式神が光ノに渡してきた。

    「私が捨ててしまった名刺...!もしかして取っておいてくれたんですか...!?」
    驚きを隠せない光ノにクルクルと式神は回る。褒めて褒めてと言ってくる姿が可愛くて思わずクスッと笑いが溢れた。
    「全く、貴方は兄に似てますね...。ありがとうございます。」
    と光ノが式神の頭を軽く撫でると、式神はクルクルと回った後に奥へ消えていった。一度息を吸って息を吐く。ポケットからスマホを取り出し、名刺に書かれている電話番号にかけ始めた。

    「もしもし、依頼をお願いしたいのですが...。」

    ◇◆◇◆◇

    「旦那様の調査でお間違いありませんね?...はい、かしこまりました。それでは調査をするにあたり旦那様の顔写真や生年月日、名前等で知っていることをメールにてお送りください。その情報を元に調べてみます。......そうですね...、大体二週間ほどお時間をいただきます。......はい、お任せください。....はい、よろしくお願いいたします。.......はい、失礼いたします。」

    事務所の電話を切り、思いっきり息を吐く。数日前、近くの公園でずぶ濡れになっている御夫人を見つけた。様子がおかしく気になって声をかけてみると、変に自信を喪失しているというかまるで大人しくするように躾けられているような印象を受けた。雨足が強くなるからとほぼ強引に事務所に連れて行った時もあまり変わらず、謝罪の言葉を口にする彼女に心配していた。だからこそ、連絡が来た時リアスは少しホッとした。
    緊張で震えている声が耳元に流れ、思わず任せておけと口に出してしまった。らしくない自分に笑いながらも幾つか頭の中に光ノの旦那の人物像を思い浮かべた。

    「あの様子だと旦那からモラハラ受けてた感じか…?大体暴言を吐く人間は何か隠してる事があるからな…。あとは、若い女にうつつを抜かしてるとか…。」
    考えながらメールボックスを開くと、光ノから旦那の個人情報が幾つか届いていた。

    「会社勤務で三年前に結婚…。ん?これだけか…?」
    あまりにも少な過ぎる情報に少し頭を悩ませていると、後ろから見知った気配がやってきた。

    「新しい依頼…?って少なっ!!本当にこの人、旦那さんと結婚してんの?」
    彼の名前はミスタ。リアスの双子の弟で同じく探偵をしている。
    「それは俺も思ったけど、会った感じは既婚者で間違いなさそうだった。」
    「ふーん…。なあリアス〜、なんか面白そうだから手伝っていい?」
    ミスタお得意の上目遣いでリアスの方を見ると、リアスははぁ…と息を吐き頼むと答えた。
    「やったー!久々に修羅場になりそーな依頼来たー!」
    ガッツポーズをするミスタにほどほどにしろよとリアスは注意をした。

    早めに片付けるか。
    リアスの脳裏には少しだけ口角を上げてお礼を言う光ノの姿が出てきた。

    依頼を引き受けて一週間。既に光ノの旦那は自身よりも一回り若い女と少なくとも一年半前からホテルに行っている事、そして女にカバンなどの贈り物をして借金がある事が発覚した。

    「一応これが相手の女なんだけどさ、どー見てもパパ活っぽいじゃん!そう思わん??」
    ミスタから見せられた女の写真は、一見清楚のように見えるが腕時計やアクセサリーがブランドものばかりだった。
    「まあそう見えなくもないけど、あんなに綺麗な奥さんいて浮気に手出す旦那の気持ちがわからねぇな。」
    と事務所に招いて話したことをリアスは思い出した。

    白いブラウスにベージュのカーディガン、鮮やかな深緑のフレアスカートは雨によってさらに暗みの色合いに変わっていた。翳りを落としたペリドットの瞳はどこか儚さを感じ、目を離した隙に消えてしまいそうだった。

    何やら考え込んでいるリアスにミスタは少し勘ぐりながらも、時間を確かめる。時刻は16:00。お腹は多少空いている。

    「あーもう夕方じゃん…。オレもう少し調べてみるからリアスご飯買ってきてよ。」
    「…分かった、いつものでいいか?」
    「うん、よろしく〜」
    リアスが準備をすると、ミスタはこちらを見ずにパソコンで調べ物をしていた。大方、先ほどの若い女の素性を調べているのだろう。熱心すぎるだろ、と思いながら財布を持ってリアスは家を出た。

    一番近いスーパーに入り、いつものように惣菜コーナーに行き適当にカゴの中に惣菜を入れていく。
    「あっ…。」
    聞き覚えのある声に思わず振り向くと、カートに野菜やら料理のパックを沢山入れた光ノがこちらを見ていた。
    「リアスさん、こんにちは。」
    「こんにちは、光ノさん。」
    慌てて客用の笑顔と言葉遣いに直す。間違ってもいつもの姿は見せないように。
    「お惣菜を買われるんですか?」
    「ええ、依頼が立て込む時はいつもここのスーパーのお惣菜をご飯代わりにしているんです。」
    どうやらさっきの惣菜をカゴに投げ入れる姿は見えていなかったらしい。ホッと内心息を吐いていると、光ノは少し顔を暗くした。

    「…もしかして、私の依頼がそうさせていますか…?そうでしたらすごく申し訳ないです。」
    またも謝る姿にリアスは心が痛くなりながらも、出来るだけ明るく返答をする。
    「いえ、これがお仕事ですから光ノさんはお気になさらず。」
    気にしないで、と言っても光ノの顔色はまだ暗いままだった。どうしようかと考えていると、光ノの持っているカートの食材の量の多さに目が引かれた。いくら二人分とは言え多過ぎる。

    「失礼ながら、光ノさん一つお聞きしてもよろしいですか?」
    「え、は、はい…!」
    何を聞かれるのかと光ノが身構えていると、リアスは少しクスッと笑って気になった事を聞いた。

    「そこまで身構えなくても大丈夫ですよ。…光ノさんが買われる食材の量が二人分にしては多いなと思っただけですので。」
    「食材の、量…?」
    リアスに言われて光ノがカートの中を見ると、野菜やらレトルトのパックやら色んなものが沢山入っていた。確かにこの量は二人分にしては多過ぎる。流石は探偵…と思いながら光ノは買い物の理由を話し始めた。
    「その、私はあまりお料理が得意ではなく、お料理を作っても夫に食べてもらえないので練習する為に買ったんです。もっと美味しく作れたら食べてくれると思うので…」
    眉を下げながら話す光ノにリアスは心を打たれた。

    こんなに健気に努力をする妻を放っておいて、旦那は何故気付かない
    旦那への怒りがふつふつと湧き上がるのを感じていると、光ノは言葉を続けた。
    「私は、あまり出来の良くない妻なので…。」
    息を吐くように出た光ノの言葉にリアスは悟ってしまった。

    嗚呼、この人はきっと旦那さんからずっと蔑ろにされてきたんだ。だからずっと自分を卑下している。
    光ノに対して庇護欲が湧くのと同時に、早く旦那と離れさせなければ…とリアスは感じ始めた。

    一方、話し終えてからも難しい顔をしているリアスに光ノは少し焦っていた。きっと自分がつまらない話をしてしまったせいだろう、気分を害したに違いないと謝ろうとすると、先にリアスが口を開いた。
    「そんなことないですよ。」
    「…え。」
    リアスの強めの口調に思わず光ノの口から音が漏れた。
    「現にあなたは旦那様のためを思って健康的な料理を作られるようにお見受けします。」
    「…!」
    「努力を続けてる方が”出来のよく無い妻”なわけがありません。奥様は、光ノさんはもう十分頑張ってらっしゃいますよ。」
    リアスが思った事を思わず口に出すと、光ノの目からポロポロと雫が流れ落ちてきた。依頼人に対して強く言い過ぎてしまったと反省をし、光ノに対して謝ると光ノは首をぶんぶんと横に振った。
    「御免なさい…。そんなこと結婚してから一度も言われたことなくて…。嬉しくて、涙が…。」
    膜を張ったペリドットの瞳は美しさを増し、思わず拭いたくなる指を抑え、持っていたチェックのハンカチを光ノに渡した。

    「これをお使いください。」
    「すみません…。」
    リアスに一言謝ると、光ノは素直にハンカチを受け取り目の下に押し当てた。
    「今度事務所にお伺いする時に、お返しします。」
    「分かりました、お待ちしてますね。」
    光ノがチラッとリアスの顔色を見上げると、リアスは優しい顔をしてこちらを見ていた。
    何となく居た堪れなくて顔をそらすと、タイムセールを知らせる音がなった。
    「もう時間なので、そろそろ行きますね...!あの、ありがとうございました!」
    とだけ言い、急いで光ノは目的の売り場まで駆け足で行った。

    本当に優しい人だ。
    借りたハンカチを丁寧にカバンの中に仕舞い込んだ。

    ◇◆◇◆◇

    早いところ旦那の粗探しを終えないと、今の生活だときっとあの人はより壊れてしまう
    予定よりも早く色んな証拠を見つけないと

    と考えているところでハッと気付いた。

    何で俺がここまで気にかけて考え始めるんだ。
    「まさか、な...。」
    一度気付いた感情は押さえ込むことは出来なかった。

    ◆◇◆◇◆

    今日は調査結果を聞きに行く日。
    緊張するかと思いきや意外と光ノの心は落ち着いていた。夫の事を信用しているから大丈夫、と言い聞かせているだけで心のどこかでは諦めがあった。光ノの気持ちに気付いてか式神たちは光ノを励ますように頬を撫でたり手に寄り添うようにしていた。

    「フフッ、ありがとうございます。」
    健気な式神たちに笑みが溢れる。ありがとうと感謝を伝えると深呼吸をした。
    はやる気持ちを抑えて光ノは家から出てリアスの事務所へ向かう。

    事務所まで約15分。赤かった紅葉も葉を落とし、地面はカーペットのように広がっていた。
    「…不思議ですね。少し前まで夫への情はちゃんとあったのに、今はどんどん落ち葉のように無くなっている。これじゃあ妻失格ですね。」
    寝室で知らない女物のピアスを見つけてから、どんどん夫への不信感は高まっていた。
    きっともう元に戻れないだろうな。
    ふと立ち止まり、いくつかの葉が残っている木を見上げた。赤い葉っぱは強い風が吹いたらすぐにでも落ちてしまうほど。

    「この葉が全て落ちたら、夫への気持ちも無くなるでしょうね。」
    息を吐き落ち葉を踏まないように光ノは事務所へ歩いた。

    赤煉瓦で作られた事務所は前来た時と変わっておらず、少しだけ光ノを安心させた。階段を上がり扉をノックして開けると、リアスは書類を棚の中に入れていた。
    「こんにちは。」
    「こんにちは、光ノさん。」
    光ノが挨拶をするとリアスは笑顔で出迎えた。

    「あの、リアスさん...」
    「はい...」
    光ノがリアスを呼び止めると、持っていた鞄に手を入れ小分け袋をリアスに見せた。
    「忘れないうちに...。ハンカチありがとうございました。」
    ハンカチは綺麗に折り畳まれていて小分け袋に入れられてる。

    律儀な人だ。リアスはクスッと笑いハンカチを受け取った。
    「ありがとうございます。」
    受け取ったハンカチをリアスは机の引き出しの中に優しく入れた。優しい手つきに光ノは何故か気恥ずかしさを感じ、思わず顔を背けた。そんな光ノにどうぞお座りくださいと声をかける。恥ずかしさを隠すように光ノは柔らかいソファーに腰をかけた。
    「時に光ノさん、ハーブティーはお好みですか?」
    リアスから唐突な質問に光ノの頭に疑問符が浮かぶ。
    「ハーブティーですか…?あまり飲んだ事ないので、分からないです。」
    「こちらはカモミールティーなのですが、気分が落ち着きやすいのでよろしければお召し上がりください。」

    とリアスは紅茶を光ノの前に出した。興味本位で光ノはコップを持ち一口入れる。爽やかな香りのする黄金色の紅茶は、光ノの気持ちを一旦落ち着かせ冷えていた指先に温もりを与えた。
    「すごく温かくて飲みやすいです。」
    「お口に合ったようで良かったです。」
    もう一口紅茶を飲んでカップを机に置くと、リアスは書類をいくつか持って向かいの席に座った。先ほどの柔らかい空気から一変して、真面目な雰囲気をリアスは纏って光ノを見ている。思わず光ノの背もピンと伸びると、リアスはあまり緊張なさらないでくださいと苦笑していた。目を閉じてふぅと一息吐くと、リアスは目を開き口を開いた。

    「調査の結果ですが、旦那様は不貞行為をされています。」
    リアスの一言に光ノは冷たい水にかけられたように体が冷たくなるのを感じた。
    「不貞、行為...。」
    「どうやら旦那様はこの不貞行為を二年半前から行なっており、奥様と離婚された後に相手の方と再婚しようと考えていらっしゃるようです。」
    とここでリアスはポケットから録音機を取り出し再生ボタンを押した。すると甘ったるい女の声と何時もの罵倒とは違う甘い夫の声が流れてきた。

    『ねぇ〜いつになったらあたしと結婚してくれるの〜♡』
    『今の結婚が終わらないとな〜。』
    『早いとこ今の奥さんと別れてよ〜♡』
    『勿論だよ、向こうから離婚を言ってくるまでもう少しの辛抱だから♡』

    聞いたこともない夫の声。そんな姿を自分は気付かずに三年も一緒にいた。
    まだ流れている音声は耳に入ることなく、部屋に響き渡る。

    再生が終わりリアスは光ノに向き合った。
    「以上が調査の結果となります。」
    「..........そうですか。」
    「ここまで聞いて不明な点はございますか?」
    不明な点...。
    私は一体どこで間違えたんだろう。夫の為に良い妻であろうと頑張ってきたけど、それも全部無駄で。夫の為に割いた時間は一体何だったんだろう。
    私は夫にとっていらない人間なんだ。

    「…ま、……さま…!…光ノさん!」
    「は、はい…!」
    リアスからの強い呼び掛けに慌てて光ノは返事をした。
    「...平気ではないですよね。こんなショッキングな内容を一気にお伝えしてしまって。」
    「い、いえ大丈夫です。」
    そうだ。今は事務所にいるんだからちゃんとしないと。
    ちゃんとしないと...。でもどうやって...?
    色んな不安と感情で頭がグチャグチャになっていると、リアスは軽く咳払いをして光ノを真っ直ぐに見つめた。

    「ここからは私情込みで話しますが、正直光ノさんをここまで蔑ろにする旦那さんはハッキリ言って、光ノさん...貴方に害しか与えません。」
    「…ッ!」
    「もし可能であれば、早急に離れることをお勧めします。」
    リアスに強い言葉は核心をついていて、光ノの心はドクリと波打った。
    「離れたくても、離れられないんです...。」
    思わずポロッと言葉が光ノの口から溢れ出た。
    「それは家同士で決まった結婚だからですか?」
    恐らくこの探偵には全て知られている。だったらもう素直に言った方が良いのではないか。
    そう思い、光ノは一気に肩の力を抜いて話し始めた。

    「はい...。私のこの結婚は家の事情で決められたものです。親同士が決めたので私には決定権が無く、夫と別れたくても別れられません。」
    小学生になってすぐの頃、親から将来の結婚相手と紹介された少し年上の男の子。優しそうな顔をしていて親切で、この人と結婚する事に抵抗はなかった。兄からは本当に大丈夫?結婚をやめても良いんだよと何度も聞かれたがその度に大丈夫と言っていた。実際変なことはされなかったし一定の距離感を保った関係で、それが心地良いと感じていた。
    でもきっとその頃から私のことは眼中にはなかったんだと思う。

    結婚する時に嵌める指輪も無く、結婚式をあげることもなく、記入済みの婚姻届がリビングに置かれていただけで何も言われなかった。婚姻届も一人で出しに行ったので、正直本当に自分は結婚しているのか分からなかったけど、両家から結婚おめでとうの手紙が送られていたからきっと結婚をしていた。
    だからもし離婚をするには自分の家と相手の家に話す必要がある。私だけじゃどうにも出来ないからこそ別れられない。

    少し冷えてしまった紅茶を一口飲むと、リアスは話し始めた。
    「ご実家の方には旦那様と別れたい内容についてお話ししたことはありますか?」
    「いえ、まだ言えてないです。」
    「光ノさんを育ててくれたお家です。光ノさんの想いを一度話してみるだけでも少し変わると思います。」
    「でも…結婚式もあげてないし連絡も取れてないのでもう疎遠になってしまって…。」
    夫と別れることについて話すのも実家に帰るのも兄と会う事も何もかもが怖くて、光ノは何も出来ずにいた。コップを持った光ノの手は微かに震えている。その震えを探偵は見逃さなかった。

    「もし光ノさんさえ良ければ、光ノさんのご実家へ一緒に行きますよ。」
    「え...。」
    リアスの言葉に光ノは驚きながらも式神の次に安心出来るリアスが一緒に来てくれるのは渡に船の状態であった。
    「良いのですか…?」
    と光ノはか細く返すと、それに対して最後までお手伝いしますよとリアスは笑って答えた。
    その後いつ光ノの実家へ行くか予定を合わせ、離婚をするのに有利に出来るよう家での様子を撮影もしくは録音しておくようにとリアスは光ノにアドバイスを送った。

    光ノは戸惑いながらも了承をし、自宅に帰って行った。光ノが帰った後、隣の部屋の扉が開き弟のミスタが出てきた。
    「なーんか一緒に出かける約束までしてるとか意外だわ。」
    「俺もだよ。一緒に行くなんて咄嗟に出てきたから驚いた。」
    光ノとの話は全て聞かれていたようでリアスは頭をかきながら机に戻り、引き出しを開けハンカチの入った小分け袋を取り出した。自分のハンカチなのに優しい手つきで取り出す様子を見てミスタは完全に勘付いた。

    「なあリアス。もしかして、」
    「違う。」
    ミスタの言葉を遮るようにリアスは声を大きくして反対した。
    「...今の俺とあの人の関係は探偵と依頼者。客にそういう感情を抱くのはダメだ。」
    そう言いながらも珍しく寂しそうな顔をしているリアスにミスタはそばに行き、肩に手を置いた。
    「でも全部終わった後ならその関係は終わってんだからアタックするのはアリだろ。」
    「......。」
    ミスタの優しい声にリアスは何も言い返せなかった。
    「ま、頑張れよ」
    と言ってミスタは隣の部屋に戻って行った。人の色恋を楽しみやがってと悪態をつきながらハンカチを広げると一枚の紙が落ちてきた。床に落ちた紙を拾い上げるとそこに光ノからお礼の言葉が書かれていた。
    「...律儀な人。」
    そう言いながらも目元を綻ばせながら光ノの書いた文字を指で丁寧になぞっていた。

    ◇◆◇◆◇


    色付いた葉は既に地面に落ちて、木には葉は一枚も残っていなかった。もう冬本番。
    少し遅い衣替えをして、新しく買った裏地がしっかりしてるアウターを取り出した。
    依頼人とはいえ、初めて人様の実家に上がるのだから
    とリアスは少し緊張しながらアウターを羽織る。白いワイシャツにネイビーのチノパン、裾が長めのベージュのロングコート。サングラスは初対面のご家族に嫌な印象を与えてしまうので、今日は自宅の留守番を任せた。まあ上々だろう。
    少し長めの前髪はいつものカチューシャではなく、ワックスで掻き上げて固めた。
    見慣れない自分の姿に小っ恥ずかしさを感じるが、これもあの人の離婚の為だと背に腹は変えられない。
    ぬるくなった紅茶を飲み干してテーブルに置く。
    「もう時間か...。」
    赤いマフラーを一周巻いてリアスは自宅の扉を開いた。
    「...寒っ。」
    朝早くはなかったが、リアスの吐く息は白くなっていた。

    初めて会った公園のベンチに既に光ノは座っていた。白めのベージュのトレンチコートに焦茶のショートブーツを履いてスマホをギュッと握りしめていた。実家に帰るのが億劫なのか表情は前に会った時よりもさらに強張っている。早く向かわないとという気持ちから自然と足が速くなり、光ノの前にリアスは現れた。

    「こんにちは、光ノさん。」
    リアスの挨拶に光ノは顔をあげ、パッと顔を明るくさせた。
    「リアスさん、こんにちは。」
    余程緊張で眠れなかったのか目の下にはうっすらとクマが出来ていて、鼻の頭が少し赤くなっていた。
    「すみません、長い時間外で待っていただいたみたいで」
    「い、いえ。私が頼んだことなので、お気になさらず」
    行きましょうかと光ノが立ち上がると、冷たい風が二人の頬に吹きつけた。あまりの冷たさに目を思いっきり瞑った。

    「ご実家はここから遠いのですか?」
    「えっと...。そんなに遠くなくて、歩いて20分くらいです。」
    20分くらい。そしたら行く時間ぐらいはあるだろう。そう思い、リアスは光ノに提案をした。
    「少しお時間ありますか?もしあれば寄りたい所があるのですが...。」
    「寄りたい所...ですか...?」
    きょとんとした顔で光ノは尋ねると、リアスは光ノを連れて歩き出した。

    連れてきた場所はコーヒーショップ。寒そうにしてる姿に温かいものを飲ませた方がすぐに温かくなるだろうと考えてリアスは連れてきた。まだ困惑してる光ノにリアスは寒そうだったので、温かい飲み物飲みましょうと答えた。歯切りの悪い返事をしながらもリアスがメニューを見せると光ノは少し目を輝かせて見始めた。

    「んー...どうしましょう...。ちょっと甘いものにしたいので、キャラメルマキアートにします。」
    「分かりました。注文しておきますね。」
    「え、ちょっ...、ちょっと...!」
    光ノの静止する声を無視して、リアスは店員に注文をした。
    「キャラメルマキアートのMサイズとアールグレイのSサイズを一つずつお願いします。」
    「かしこまりました。」
    お会計を、と言われ提示された金額をリアスはすぐに取り出し、会計を済ませた。番号札を貰い出来上がった商品と交換をする。甘いキャラメルの匂いが漂うラテを光ノに渡した。
    「はいどうぞ。温かいうちに飲んでください。」
    「...最後お金払う際に一緒にお渡ししますね。」
    少し不服そうな顔をして光ノはキャラメルラテを受け取り、ふぅふぅと息を吹きかけ一口飲んだ。キャラメルの甘さが溶けたコーヒーミルクは寒さでかじかんだ光ノの体と手を温める。

    あったかい
    ふう〜と一息をついた。
    一方リアスは最後のお金の話で固まった。
    もしかして気にかけ過ぎただろうか
    失敗したなと思い、熱いアールグレイを口に含んだ。お店で作られた紅茶は普段飲んでるやつよりも濃くて、少し苦かった。

    二人とも飲み終わり、光ノの案内で実家まで歩き出す。温かい飲み物を飲んだおかげか寒さは無くなり、逆に暑いとまで感じ始めた。歩き始めてから少し経ち、リアスはあることを思い出し光ノに聞き始める。

    「今日お家に行く事をご家族にご連絡はされましたか…?」
    「いえ…。家には恐らく兄がいるので、留守ではないと思うのですが…。」
    歯切れの悪い言葉にリアスは光ノの方を向いた。俯きながら光ノは重々しく口を開く。
    「その…兄からの連絡を返せていなくて、会うのがちょっと気まずいと言いますか…。」
    恐らく旦那からの小言(モラハラ)をずっと受けて兄からの連絡も返せなかったのだろう。短い時間の付き合いだが、光ノ自身がマメな人間な事をリアスは十分理解していた。

    「事情を説明すればきっとお兄様も理解されますよ。説明の時、もしご自身から言えない時は私から話しますので。」
    とリアスが話すと、光ノは少し安心したような顔をしながらも
    「いえ、自分のこれからのことですから出来る限り自分から話します。その、もし途中で話せなくなったり詳しく話す時はお願いするかもしれせん。その時はお願いします。」
    と決意の籠った目をして言った。

    大体浮気をされた側はパートナーの浮気が発覚した後、離婚をすると決意が固まるとその後の行動は早い。
    きっと旦那の事はもう気持ち的に吹っ切れているのだろう。ならば本人の意思を最大限尊重する事が脇役にとって唯一出来ることだ。
    「お任せください。」
    リアスが返すと光ノは緊張が解れたような顔をしていた。

    日本式の大きな家の門に二人は立っていた。門構えからして地主のような雰囲気を感じるがそうではないらしい。
    「ここが私の実家です。ちょっと大きく見えるだけで中は大した事ないんですけど…」
    と笑う光ノだが、リアスは軽く肌が粟っていた。色んな家の浮気調査やら身辺調査を行なってきたが、こんなにデカい家は初めてみるからである。
    もしかしたらただのお嬢様じゃないのかもしれない。
    リアスがそう思っていると、光ノは深呼吸をして震える手でインターホンを押した。
    ピンポーン、と軽快な音が響く。
    「はーい」
    若い男の声がした。恐らく彼女の兄なのだろう。声が聞こえた瞬間に光ノは震え上がり、声が出せずに口をパクパクとしていた。その様子を見て、ずいっとリアスはインターホンの前に立ち答えた。

    「初めまして、××町で探偵をしておりますリアスと申します。光ノさんについてお話したいことがあり、まいりました。」
    「...ッ光ノについてですか…!?...わかりました、少々お待ちください。」
    声の主は焦りが隠せない様子で急いで切った。未だに俯いて震えている光ノにリアスは声をかける。
    「大丈夫、私がいます」
    「...はい」
    リアスの言葉に光ノは少し顔を綻ばせた。
    ガチャと音が開き扉を見ると、彼女によく似た青年がこちらを目を見開いて見ていた。リアスが光ノよりも一歩下がると、青年は光ノに向かって駆け出した。

    「ッ、光ノ!!!」
    「に、兄さん...。」
    青年は光ノを抱え込む様に強く強く抱き締めた。
    「心配したよ、本当に!!」
    強く強く抱き締めながら声を震わせる兄に光ノは思わず涙を流した。
    連絡を返せなかった事、心配をかけてしまった事、見捨てないでくれた事
    兄には感謝しかなかった
    「ごめん、なさい…。」
    久しぶりの兄妹の再会をホッとしたような表情で眺めていた。


    「先ほどはお見苦しい所をお見せしました。」
    少し顔を赤らめる光ノに案内されて、リアスは応接間に通された。和と洋が合わさった応接間は畳が敷かれダイニングテーブルとソファーが置かれていて、木の温もりを感じられる作りになっている。どうぞと言われ、リアスがソファーに腰掛けると少し間を空けて光ノが、対面に光ノの兄が座った。
    襖が開くとフヨフヨと人を模した紙がお茶を運んでくる。リアスがギョッとしていると、光ノの兄が説明しだした。

    「この子達は式神。僕たちの女中さんの代わりみたいな子たちです。」
    「式神…。」
    「僕たち、光ノも含めてですが呪術というちょっとした力が使えるんです。」
    「なるほど、ご説明ありがとうございます光ノさんのお兄様。」
    説明をしてくれた光ノの兄に礼を言うと、そういえば名前を言ってない事に気付き、自身は闇ノという名であるという事を明かした。
    「それでリアスさん。妹についてお話ししたいという事ですが、どういった事についてでしょうか。」
    何を聞かされるのか皆目見当のつかない闇ノはリアスの方を見ている。緊張した顔は兄妹そっくりで思わず笑みが溢れてしまうのを防いだ。ふと隣から視線を感じるので、リアスが少し顔を向けると光ノが話してもいいのかと確認するようにこちらを見ていた。大丈夫だからとリアスが頷くと、光ノは目を瞑って深呼吸をして目を開けた。
    「兄さん、私は今の結婚相手の方とお別れしようと思ってます。ですが、この結婚自体私と相手の家同士が決めた結婚。なので、どうか兄さんにもお手伝いをして欲しいです…!」

    よく言い切った。
    とリアスが内心拍手をしていると、光ノからの話が衝撃的で呆然としてる闇ノが口を開いた。
    「えっと…つまり離婚したいって事…?」
    闇ノの問い掛けに光ノはこくんと首を縦に振った。
    「離婚するにはそれ相応の理由が必要だけど、二人の間で何かあったの?」
    優しく真っ直ぐに聞いてくる闇ノに光ノがどう答えようか困っていると、すかさずリアスが助け舟を出した。
    「光ノさんの旦那様は二年半前から不貞行為を行なっております。」
    リアスの言葉に闇ノはピタッと止まり、リアスの方を見た。信じられないといった顔をしている。
    「そのお話し、詳しく聞かせていただけませんか?」
    闇ノのお願いにリアスは快諾して話し始めた。

    光ノの旦那についての調査結果を全て話すと、闇ノはひと息吐いて一口お茶を飲んだ。
    「なるほど…。分かりました。光ノ、父さんと母さんには僕から言っておくから、今のうちに離婚の準備を進めておいて。」
    闇ノからの予想外の言葉に光ノは驚きを隠せない顔で闇ノを見ていた。
    「…いいの?」
    「勿論。家の為であれ幸せだったら良いと思ってたけど、彼は光ノを大事にしてくれなかったみたいだし…。誰であろうと妹を大事にしない奴は僕が許せないからね。」
    怪しく笑う闇ノにシスコンか?とリアスは頭に思い浮かんだ。一般的な兄妹よりも絆は固いように見える。リアスとミスタの絆もそれに劣らず固いのだが。
    なんて考えていると、闇ノは光ノに声をかけた。
    「それと光ノ、少し彼と話したいから久々に式神たちのお手入れしてくれる?」
    「リアスさんとですか...?分かりました、久々に自分のお部屋に戻ってますね。」
    こちらを見て心配そうな顔をする光ノに大丈夫だと笑顔で返す。それを見て光ノは納得いってない顔をしながら部屋から出て行った。闇ノの方へ向き直すと、闇ノはニコニコとした顔でこちらを見ていた。

    「えっと...闇ノさん?」
    「良い子だと思いませんか、光ノ。」
    突然話し始める闇ノに頭の中が疑問符でいっぱいになった。
    何て答えるのが正解だ、これ
    リアスがなんて答えようか考えている間に闇ノは話続けた。

    「今回の結婚だって”家同士の結束”なんて理由の婚約にも文句一つ言わないで、僕たち家族の事を考えてしてくれたんです。」
    明るい声で話しながらも表情は暗い。目に翳りを落としながら闇ノは続けた。
    「今よりも僕たちの家がまだ小さい時に相手の方から”家同士の結束”と言う名目で無理矢理光ノに対して婚約を結んできました。光ノをわざわざ指名するくらいだから光ノの事を好いているのだろうと、それならもしかしたら政略結婚であっても幸せに暮らせるのだろうと当時母と父が考えに考えて僕たちに話してくれました。まだ光ノが5歳の時だったので、きっと本人は覚えてないと思います。」
    当時の事を子供ながら鮮明に覚えているのか闇ノはどこか遠くを見て話していた。

    「でも結局相手の家は光ノが欲しいわけじゃなかった。僕たちの家のお金が目当てだったんです。何かしら理由をつけて金銭の要求がされていて、少しでも光ノとの生活が上手くいくようにと援助をしてましたが、それも嘘だったと今日分かりました。」
    「金銭の要求をされていたのですか。」
    「ええ、恐らくその不貞行為の相手に渡す手土産代にされていたのでしょう。」
    そのお金は浮気相手への鞄だったりになっていたのだろう。義実家の金にまで手を出す旦那が依頼人の家族とはいえ、クズだなとリアスは感じた。
    闇ノはそれだけで話を終わらせるつもりはないようで、手を力強く握り絞り出すように続ける。

    「僕たちはただ結婚相手の言うことを信じて金銭を渡してるだけで、光ノの事はちゃんと見えてなかった。苦しんでいたことに気付けなかった...。いや気付こうともしなかったのかもしれません。」
    どんどん震え声になる闇ノに心配になって見ていると、闇ノはパッと顔をあげ顔を歪めさせて言葉を口にした。

    「リアスさん、そんな僕たち家族はまだ光ノの家族でいていいと思いますか?」

    その言葉にリアスはようやく気付いた。自分達が何年も振り回してきて今更自分達は家族だから味方でいると思っていても良いのか闇ノも闇ノの父と母も不安だったのだ。
    この家族は本当に似ている。お互いがお互いを思いやり過ぎて少し上手くいかなかっただけ。依頼で色んな家族を見てきたリアスから見て、この家族はきっと上手くいく。そう確信していた。
    いただいたお茶を一口飲み、リアスは口を開く。

    「ここに来る前少しお話したのですが、光ノさんはご家族とお会いすることに不安を感じていらっしゃいました。自分の意見でこの結婚を破棄して良いものなのか、両親や兄に対して申し訳がないと。」
    「僕たちに、対してですか?」
    不安と驚きが混ざった顔で闇ノはリアスの次の言葉を待っていた。
    「自分を気にかけて連絡をくれていたのに、返せない自分が許せないとも仰ってました。光ノさんも闇ノさんもご家族も皆お互い気遣いすぎて空回ってしまっただけです。どうか闇ノさんもご自身の想いや考えをたくさん光ノさんにお話ください。きっとこれから先家族でどうありたいか、光ノさんに対してどうしていきたいか見つかると思います。」
    ありきたりではあるものの激励を込めた言葉を送ると、闇ノは少し考えて頷き口をひらいた。

    「そうですね。せっかくの機会ですし、妹とは今日沢山話してみようと思います。ありがとうございます、リアスさん。」
    リアスが話終わると、胸の蟠りが解けてスッキリしたのか憑き物が落ちた顔で闇ノは少し笑った。ふとリアスが視線を落とすと、闇ノと光ノのお茶に茶柱が立っていた。

    自分の役目は終わったと感じ、挨拶をして玄関に行くと後ろから光ノがついてきた。
    「あの、今日は兄と少し今後について話したいので...。」
    どうやら闇ノは早速腹を割って話そうとしてるらしい。リアスはホッとしながら光ノに礼を述べた。
    「お気遣いありがとうございます。今後だけとは言わず、今まで話せなかったことも沢山話してください。きっとお兄様も喜ばれると思います。」
    リアスの言葉に光ノは顔を綻ばせながら、はいと返事をする。
    どうか上手くいきますように
    と心の中で少しだけ願った。

    「また今後のことはこちらからご連絡します。」
    「はい。本当に今日はありがとうございました。」
    「こちらこそありがとうございました。」

    扉を閉める直前、少し寂しそうな顔をしてこちらを見ていた光ノにリアスは思わず腕を伸ばしかけた。
    まだダメだ。
    ギュッと手を握り締めると扉はバタンと閉まった。
    そのまま温かい家庭から離れ、一人家を目指してリアスは歩き始める。
    家族仲が良くなるまで雇われた探偵として支えてきたが、きっともう必要ないだろう
    彼女には大事に想ってくれる家族がいるんだから
    俺の彼女へのこの気持ちはきっと邪魔になる

    だから諦めよう
    寒くて手をアウターのポケットに突っ込むと試しに着て近所を歩いた時に買ったタバコが出てきた。
    「今日くらいはいいだろ…」
    少し歩き喫煙所の中に入る。丁度時間帯のせいか誰も入っていなかった。
    箱から一本取り出しアウターの胸ポケットからライターを取り出して火をつける。火をつけた先からは白い煙が出ておりタバコ独特の匂いを撒き散らしている。反対側を咥え軽く吸い、思いっきり吐く。吸い慣れてる銘柄だが、煙が目に染みたせいか視界が滲んだ気がした。

    ◆◇◆◇◆

    リアスと実家に戻って以来、光ノは闇ノや母と父と良い関係を築き上げられていた。家族全員が光ノの離婚の事に賛成し、両親は相手の家に事実確認を闇ノはリアスからもらった証拠を元に自分達が援助したお金は何に使われているのかを式神たちにお願いをしている。光ノも離婚に向けて着実に準備を進めていた。

    数日前はリアスの紹介で離婚関連について強い弁護士の方とお話し、弁護士からも夫の行為はモラハラであると、離婚する事は可能である事を伝えられていた。また、夫が逆上して光ノに対して手を上げる可能性もあるので、速やかに実家に帰れるように身支度をした方が良いともアドバイスをもらった。

    既に自分の部屋の中は二、三個の段ボールがあり、あとは食器などをどうするかと光ノは考えていた。
    「リアスさんからの調査によると、私が呪術の依頼を受けた日は家にお呼びして一緒にご飯を食べていたらしいですし…。持って帰らなくても良いですよね…?」
    そもそも今住んでいる家や使ってる家具は全て相手持ちだ。夫の実家から光ノにどうぞ、と言われた品もあったが、残念ながら光ノは相手のご両親にも良い印象を抱けていない。悩みに悩んで置いていくことにした。
    「あとはこの荷物たちを実家に運ぶだけですね」
    フーと一息吐いて光ノはベッドに寝転がった。
    あと三日。
    目を閉じて一週間前の事を思い出した。

    一週間前、光ノとリアスと弁護士で話し合いを行った際にある論点が生まれた。

    離婚する旨はいつ伝えるべきか
    これについて始め光ノはリビングの机の上に置こうと考えていたが、置いただけでモラハラ夫が素直に頷くだろうかと疑問が生じた。確かに、あの一丁前に自尊心が高い男が離婚をすると言われたら素直に頷かないだろう。むしろ、さらに口から暴言を吐いてくるのでないだろうかと。もしそうなった場合、離婚自体出来なくなるかもしれない。
    じゃあどうするべきか
    光ノが考えていると、リアスが口を開いた。

    「光ノさんは不貞を働いた旦那様に対してお優しいですね。」
    「優しい、ですか…?」
    リアスの言葉に頭の中が疑問で埋め尽くされると、リアスは続けた。
    「他の方ですと怒りのあまり復讐をされる方もいらっしゃるので…。わざと浮気相手の方と相引きしてる最中に突撃する方や搾り取れるだけ慰謝料を請求される方など、多種多様ですね。」
    「復讐…」
    今の所光ノ自身、夫に対して社会的に陥れてやろうという気持ちは全くない。ただ早く出来れば穏便に事が済ませれば、それで良い。
    そう思っていると、ふと兄の闇ノとのやり取りを思い出した。

    『最後くらいガツンと言ってもバチは当たらないよ』
    『ガツンと、と言われても…』
    『あ、そうだ!光ノから僕の伝言を彼に言ってもらえる?』

    そういえば兄から夫に対して伝言を貰ったのだから、それを言うにも直接会って離婚届を渡した方が良いだろう。しかし、普段生活を共にしてる時に渡しても効力は低い。となると…
    「奇襲しかないですか…」
    苦渋の決断で、光ノは夫に仕掛けることにした。

    リアスの調査と光ノが拾ったピアスの二つから、光ノが二週間に一度ほど行なっている依頼の日には相手の女を家に連れ込んでいることが発覚している。それを利用し、旦那に依頼があると嘘を話し家の近くで張り込み、二人が良い感じの雰囲気になったら光ノとリアスと弁護士が突撃し、相手が怯んでいる間に闇ノからの伝言と離婚する旨を言い、そのまま離婚。
    始め闇ノも連れてくべきか悩んだが、闇ノや光ノのご両親がいると旦那の本性を出せないと考え、なしになった。代わりにリビングや夫の寝室にカメラを仕掛け、光ノの実家に旦那側のご両親と光ノの両親、そして闇ノでカメラの映像を見ることになった。
    闇ノに先の作戦の事について話すと、満面の笑みでカメラの映像が楽しみだよと返ってきた。

    あと三日で当日を迎える。
    奇襲を仕掛ける不安や緊張も勿論あるが、それ以上に光ノは別の事を考えていた。
    「…これが終わったら、リアスさんと会えなくなっちゃうんですよね」
    二人の関係は探偵と依頼人。光ノの依頼が終われば、関係は終わりを迎える。初めから決められていた事だったが、日を追う毎に仄かな寂しさが光ノの胸の中に少しずつ降り積もっていた。
    「もしリアスさんと会えてなかったら、今でも夫が浮気している事に気付かないまま過ごしてたんでしょうね…。」
    もしあの日リビングを掃除しなければ、ピアスを見つけなければ、飛び出した先があの公園のベンチじゃなければ、光ノはリアスに出会う事はなかった。ひょんな出会いだったが、不思議とリアスの隣は居心地が良く、会う度に光ノの心が温かく感じる事が増えていった。だからこそ、リアスとの関係が終わりもう会えなくなるかもしれない事が寂しさを呼んだ。

    「ダメですね、こんなんじゃ…。ちゃんと離婚出来たら考えましょう。」
    一旦リアスへの気持ちに蓋をして、光ノはベッドから起き上がった。その様子を式神たちは見ていた。


    当日夕方五時。待ち合わせ場所のリアスの事務所に行くと既にリアスと弁護士が揃っていた。
    「こんばんは、遅くなってしまいました。」
    光ノが挨拶をすると、どうぞこちらへとリアスに案内されソファーに座った。机の上には珈琲の香りがふわりと漂っている。
    「宜しければ飲み物を飲まれますか?」
    「はい、珈琲をいただけますか…?」
    「勿論です」
    リアスは返事をすると奥のキッチンへ消えていった。その様子を弁護士は不思議そうな顔で見ていた。光ノが声を掛けるも弁護士はお気になさらずと再びパソコンに向き合った。

    「珈琲です。お熱いのでお気を付けください」
    「ありがとうございます、いただきますね」
    と置かれたマグカップに口をつけた。ちょうど少し息で冷まして飲める温度になっており、思わず二口ほど光ノは飲んだ。
    「家での準備は既に終わりましたか?」
    「はい、リビングのテーブルの上に書き置きを残したので、帰ってきたら読むハズです」
    「緑の紙はご用意されてますか?」
    「ちゃんと持ってきました。これで大丈夫ですか?」
    不安になり弁護士に見せると、弁護士は指でOKマークを作りタイピングを続けた。

    「離婚が成立されたら、しばらくはご実家で過ごされるんですか?」
    「その予定です。具体的には決まってないんですけど、頃合いが来たら家を出て一人暮らしをしようかと考えてます。」
    「一人暮らし、ですか…」
    光ノの一人暮らしという言葉にリアスは眉をピクリと動かした。自立という意味で一人暮らしをするのであれば、確かに正しい。だが、親に迷惑をかけたくないという理由で家を出るのは如何なものだろうとリアスは考えていた。考え込んだリアスに光ノは慌てて付け加えた。
    「今の生活だって殆ど一人暮らしと変わらないですし、それに早く家族を安心させたいんです」
    と光ノは今の心境を話し始めた。

    今回の件によって家族は過保護になり心配をかけてしまったとより強く感じてしまった。過保護モードを抑えるためにも早く家族から自立をした方がいいのではないかと考え、一人暮らしを考え始めたという。
    「それは逆にご家族を不安にさせますよ。ご家族を安心させたいのなら元気に笑っている姿を見せたりご家族と過ごす時間、例えば食事をしたり些細な事でもお話ししたりする事を大事にするのが先ですよ。」
    とリアスは答える。
    「リアスさんなら賛成してくれそうだと思ったんですけど…」
    とリアスの言葉を聞いて反論出来ないと感じたのかいかにも不服です、という顔を光ノはしていた。思わずリアスがククッと笑う。初めて聞いたリアスの素の笑い声に光ノは驚きながらも思わず笑ってしまった。

    やっぱりこの感じ、すごい温かい
    居心地が良くて、思わず笑ってしまう感じ
    また心が温かくなるのを光ノは感じた。ゆったりとした時間にも終わりは来る。弁護士からの一声にリアスと光ノに緊張が走った。

    「では一旦カメラの映像を確認いたしましょうか」
    リアスに言われ光ノはスマホを操作し始める。
    一体何が映るのか。
    ドキドキしながら再生するをクリックした。
    すると、映像にちょうど夫と浮気相手の女性が手を繋いでソファーに座り始めた。
    そのまま距離が近くなった所でリアスがスマホの画面を手で覆い隠した。
    「ここから先は見ていて気持ち良いものではありません」
    と言いスマホを机に伏せた。そして、光ノの目を見てリアスは口を開いた。
    「光ノさん、行く準備をしましょう」
    口をギュッと締め、光ノは思いっきり首を縦に振った。

    光ノと旦那の家までは弁護士が運転する車で行く事になった。ドキドキした気持ちを抑えて乗る事10分。見慣れた家が見えてきた。家の近くの駐車場に止め、玄関の前に立つ。緊張と不安で中々家の鍵を差し込む事が出来ずにいると、ゆっくりで大丈夫ですよとリアスが声を掛けた。

    ゆっくりで大丈夫
    その言葉を頭に浮かべ、何回か深呼吸をする。先ほどよりも幾ばくか落ち着いていた。
    「行けそうですか」
    「はい、大丈夫です」
    そう答えると光ノは鍵を持ち直し鍵穴に刺した。鍵を回す手はもう震えていなかった。ゆっくりと回し鍵を抜いてそっとドアを開けると、玄関には見知った靴と見慣れない靴が一足ずつ置いてあった。そしてリビングからは行為を思わせるような男女の声が聞こえてきた。それを聞いた瞬間、光ノの中で我慢していた事が爆発し怒りが湧いてきた。ふつふつと湧いてくる怒りを抑えながら光ノはリビングの扉を開けた。
    床には脱ぎ捨てられたであろう衣類が散乱し、ソファーの前のテーブルの上には既に使われているであろう0.01mmの箱が置かれていた。突然扉が開いたことに驚いたのか、ソファーの上には裸の男女が固まりこちらを見ていた。

    「一体何をやってらっしゃるのですか?」
    光ノの言葉に二人はようやく動き出し、顔色をどんどん青くさせていった。
    「お、お前っ...!今日は依頼の日だって書いてあったんじゃ….?」
    慌てて服を拾って着始める男。
    嗚呼私がずっと慕っていた人はこんなにも浅ましい人間だったのか
    こんな人間を夫とはもう言えない

    「お、奥さんが帰ってくるなんて聞いてないわよ!」
    と浮気相手も言っていたが、光ノの耳には何も入らなかった。

    「もう一度聞きます。あなた方は何をやってらっしゃったんですか?何故衣服を脱いでソファーにいたのですか?」
    「...。」
    男も浮気相手も自分達が何をしようとしていたのか何も話せなかった。
    そんな二人の様子に光ノは溜め息を吐いて口を開いた。
    「貴女には慰謝料を、貴方には離婚と慰謝料をそれぞれ請求します」
    光ノが宣言すると、ようやく男と女が動き出した。
    「はあ?突然何を言ってんだよ。お前の一存じゃ俺たちの結婚はどうこう出来ないだろ?それにたった一度、しかも未遂で終わったんだから多めに見ろよ。」
    男の意見に女がそうだそうだと言わんばかりに首を大きく振った。どの口が言ってるんだか、と光ノが感情のままに話そうとしたが、それをリアスが止めた。

    「お話中失礼します。」
    間に割って話そうとすると、男はリアスに噛みつき始めた。
    「お前は誰だ!!何故家に勝手に入ってる?!?」
    男の言葉にリアスは冷静に対応をした。
    「初めまして。今回光ノさんから依頼を承りました探偵のリアスと申します。」
    「たん、てい?」
    探偵というリアスの言葉に女はハッとした。
    「お二人のことを調査させていただきましたので、こちらをご覧ください」
    と二つの封筒をそれぞれに渡した。二人は急いで開き中身を確認していく。
    入っていたのは調査報告書と写真。読み進めていくうちに二人の顔はさらに悪くさせていった。
    「これを見てもまだ”たった一度”、”未遂で終わった”と言えますか?」
    リアスの言葉に女は口を完全に閉じたが、男は口を開き始めた。

    「お前っ!よくも探偵を雇ったな!?!家事しか出来ねえ女が勝手なことをすんじゃねえ!!!こんな馬鹿な女を産んだ家族は碌でもねえな!!!」
    バシンッ
    突然乾いた音が部屋に響き渡った。男は何が起こったのか分からず、痛む頬に驚きを隠せない様子。男の前には手を胸の前で握り締め、男を睨みつける光ノが立っていた。
    「私の家族のことを悪く言うのは誰であれ許しません。」
    光ノの言葉に誰も何も言えなかった。静寂な部屋の中光ノは鞄から緑の紙を取り出し、男に渡した。
    「こちらに署名を。それとこれが成立したら私の家からの援助は即断ち切らせていただくと兄から伝言をいただきましたので、よろしくお願いします。」
    淡々とした光ノの様子に本気で別れようとしていること、金銭の援助が無くなること、もし成立したら多額の慰謝料を払うことになってしまうことに気付いた男は慌てて土下座をした。
    「光ノ、俺が悪かった。これからは心を入れ替えるから頼む、離婚だけは!!」
    と話すと光ノはチラッと女の方を見た。女の方も土下座をし、今後この人とは関係を持ちませんと懇願し始めた。どうしようかと光ノが困っていると、今まで黙っていた弁護士が名刺を取り出し、近日中にお二方には慰謝料に関してと離婚に関しての書面をお送らせていただきます。今後のご連絡はこちらにお願いいたしますと土下座する二人の前に置き、家を出た。それに続き未だに土下座をする二人を無視して光ノとリアスも家を出た。

    家の前で弁護士と今後について軽くやり取りをしその場でお別れをした。リアスから実家まで送りますという言葉に甘え、夜道を光ノはリアスと二人で歩くことになった。
    行く前の空気と違い、話しづらい雰囲気に光ノが何度か口を開き閉じを繰り返していると、リアスは光ノを見て口を開いた。

    「手は大丈夫ですか…?」
    リアスが指摘した手はヒートアップした男を黙らせるために叩いた方で、少し赤くなっていた。
    「はい大丈夫です、その…初めて叩いちゃいました…。」
    心配をかけないようにと光ノが話すとリアスは赤くなった手を優しく包み込んだ。初めて触れ合う手の感触に光ノの鼓動は一気に加速し始める。そんな光ノを気にせずリアスは続ける。

    「光ノさんの大事な綺麗な手です。お怪我はなさらないでください。」
    「は、はい…。」
    リアスからの軽い注意を怒られたと思った光ノは、少し眉を下げた。
    「でも…」
    「?」
    何を言われるんだろうと顔をあげると、リアスは優しく微笑んで言った。

    「光ノさん、よく頑張りましたね。最後にちゃんと言えて。」
    「…!はい!」
    リアスからの言葉に光ノも思わず笑みが溢れた。先程まであった手の痛みは何処かへ飛んでいったようだった。

    その夜、光ノは実家の自分の部屋でリアスに渡す依頼料を数えていた。3回ほど数え間違いがないことを確認すると、そのまま封筒の中に入れる。
    「大丈夫そうですね」
    椅子に座って伸びをしていると、式神がちょいちょいと光ノの肩をつつきだした。どうしたんだろうと光ノが見ると、式神たちはペンと小さいメモを渡してくる。

    何のためのペンとメモ?
    少し考えると光ノは式神たちの意図に気付き、ポポっと顔を赤く染めた。
    「...全く兄さんに似てお節介さんたちですね」
    と軽く悪態をつきながらも、メモにメッセージを残しそっと封筒の中に入れた。
    「......気付いてくれますように」
    とお祈りをして、光ノは封筒を机の上に置いた。

    ◇◆◇◆◇

    寒さは落ち着き、暖かな季節へ向かっている。浮気相手といる所に突撃してから探偵事務所に光ノは姿を見せる事はなかった。離婚に慰謝料に弁護士が加わるとどうしても時間がかかる為、料金を支払う時は諸々終わってからでいいと既にリアスから伝えていたからである。実際弁護士からも、中々男と女から連絡が来ないから裁判になるかもしれないと話を聞かされていた。浮気による慰謝料は200〜300、モラハラによる慰謝料は50〜300とある程度の相場はあるが、いかんせん年数が長い。もう少し上乗せされて一括請求を弁護士の指示の元行ったのだろう。きっと慌てて色んな所にお金の工面をしに行ってるはずだ。

    そうなると時期的にも、もうそろそろ片付き終わる頃だろう
    と思いながらメールボックスを確認していると、”今回の件のお支払いの日程に関して”とメールが届いていた。
    『お世話になっております。今回浮気調査に関して依頼をした光ノです。諸々の手続きが殆ど終わりましたので、明日の午前中にお支払いしに行きます。よろしくお願いいたします。光ノ』

    予想通り離婚の手続きは殆ど終わりを迎えたようだ。ホッとするのと同時に幾ばくかの寂寞がリアスの心の中で湧いてきた。
    明日の支払いで依頼人と探偵の関係は終わる。依頼人にこんな感情を持つのは御法度。頭でそれは分かっていても、会えるのが分かっただけで簡単に浮ついてしまう体は自分ではもうどうすることも出来ない。

    『でも全部終わった後ならその関係は終わってんだからアタックするのはアリだろ。』
    ミスタに言われた言葉を思い出すが、そう簡単に上手く出来ないから困っているのだ。ただでさえ二年半も浮気をされて、誰かとこの先を共にする事や誰かを好きと思う事が怖くなったのかもしれない。そんな人に対して、自分の都合を押し付ける事だけはどうしてもしたくないとリアスは考えていた。
    それにこの探偵という職自体、客との信頼関係を元に行っている事業だ。自分の気持ちを優先させる事はつまる所信頼関係を自らの手で破壊する事と同じ事である。ただでさえ話していて居心地が良い、もっと近い距離になりたい相手にそんなリスキーな事をしたいとリアスは思わなかった。そう思うようにしてた。

    それでも頭に思い浮かぶのはどんどん表情が明るくなっていき笑うようになった光ノの姿。
    『リアスさん』
    鈴の音のような声で自分の名前を呼ぶ彼女。

    「あぁ…ッ!クソッ!」
    ハァと溜息を吐いてリアスは頭をグシャグシャと書いて言葉を吐いた。
    「…明日支払いが終わったら最後に誘うか。ダメそうならこれで終わりだ。」
    どうしても忘れられない彼女に最後に一度だけアタックする事を決めたのだった。


    午前11時。事務所の扉が開いた。開かれた扉の前には光ノが立っている。
    「こんにちは、光ノさん」
    リアスが挨拶をすると、光ノはパッと顔を明るくさせる。
    「こんにちは、リアスさん。昨日急に連絡してしまいすみません。」
    「問題ありませんよ。光ノさんの方こそ手続き等は大丈夫でしたか…?」
    「手続きは大変でしたけど、兄や弁護士さんのお力を借りて何とか…」
    と苦笑いしながら光ノは答えた。そんな光ノの様子に特に変わりはない事が分かるとリアスもホッと肩の力が抜けた。

    「良かったです。珈琲飲まれますか?」
    「はい…!お願いします」
    前回珈琲を出した際に紅茶よりも飲むスピードが早かったので、もしかして珈琲の方が好きなのでは?と思い話しかけると、案の定そうだったらしい。少し嬉しそうな顔でソファーに腰をかけていた。予め淹れておいた珈琲をカップに移し、自分の分の紅茶を持って光ノの元へ向かった。

    「ありがとうございます。良い匂い…」
    光ノの前に珈琲を置くと、光ノはカップを持ち一度珈琲の匂いを胸いっぱい吸い込んだ。その様子を見ながらリアスは向かいのソファーに腰をかけた。
    「久々の珈琲、すごく美味しいです。ずっと飲めてなかったので…」
    と少し照れ臭そうに話す光ノにリアスは思っていた事をつい口から滑らせてしまった。

    「元旦那様とは正式に離婚が決まったのですか?」
    しまったと思った時には既に遅く、踏み込みすぎたと一人で反省していると光ノは気にしていない様子で話し始めた。
    「離婚自体はひと月半前くらいにしました。本当はそのあたりにお支払いをしようと思ってたんですけど、その…元夫から変な連絡が来て…。」
    「変な連絡?」
    「はい、見てもらった方が早いと思います」
    と言い、光ノは自身のスマホを取り出し何回か操作をした後リアスに画面を見せた。画面には光ノと元旦那とのやりとりがあった。

    『俺は最低な人間だった。光ノという妻がいながらも女に誑かされ彼女の言いなりになってしまった。けれど、あの日光ノから初めてビンタを喰らった日に君という存在が俺にとって大切な存在だってようやく気付いたんだ。もうあの女とは連絡を取ってない。僕たちにはお互い以外何もいらない。もう一度やり直そう光ノ。』
    勘違い乙。浮気した奴が何を言ってやがる。
    呆れた様子でリアスが他の文章を見ていると、光ノが口を開いた。

    「こういう連絡が届くようになったので、弁護士さんとお話しして接近禁止にしてもらう事にしたんです。それでちょっとお時間がかかってしまい…」
    と光ノが話した所で弁護士が過去に言っていた男と女の裁判の件の意味をようやく理解した。多額の慰謝料を払うのを恐れた二人が話を合わせ、男が光ノとヨリを戻そうと連絡をしてきたという訳だ。確かにこの様子だと実家に来る可能性もある。法の力で何とか抑えてはいるが、あの男の事だ。何をしでかすか分からない。
    「接近禁止を言ってから元旦那様から連絡等は来ますか?」
    「いえ、来なくなりました。弁護士さんから連絡がいって怖気付いたんだと思います。それに私と離婚した後、彼の家の方でも一悶着あったみたいで…。それもあって今私の方に割く時間はないんだと思います。」
    「なるほど…」
    とここまで話し、光ノは珈琲を飲んだ。

    「残ってる手続きはあと何があるんですか?」
    リアスの質問に光ノは少し上を見上げ考えた。
    「あとは…リアスさんへの依頼料をお支払いする事ぐらいですね…。元々住んでいた家の解約や実家への引越し、慰謝料の請求に弁護士さんへのお支払いも終わっているので…。」
    と言った所で光ノはチラッとリアスの方を見た。急な視線に内心驚いていると、光ノは珈琲をソーサーの上に置き、改めてリアスと向き合った。

    「リアスさん。リアスさんのおかげで浮気をしていたあの人と別れる事が出来て、家族とも少しずつお話し出来るようになったんです。本当に感謝しきれないです。」
    光ノからの感謝の言葉にリアスは軽く口角を上げて、口を開いた。
    「私は光ノさんのやりたい事をサポートしただけです。一番頑張ったのはあなたですよ、光ノさん。」
    リアスの言葉に光ノは少し頬を染めてカバンから封筒を取り出した。

    嗚呼これで終わりなんだな
    高鳴っていた気持ちは一気に急降下していった。
    「こちら依頼料です。どうぞ受け取ってください。」
    受け取りたくない気持ちを抑え、リアスは封筒を手にした。明らかに分厚い感触に違和感を覚え、リアスは封筒の糊付けを剥がし始めた。
    「一応金額の確認を一緒にお願いします」
    「えっ、ちょっと…!」
    と光ノが開ける手を止めようとするが、それより前にリアスが開け中身を取り出すと、明らかに最初に提示した金額よりも多いお金が入っている。
    「…こんなには受け取れません。最初に提示した金額のみ受け取ります。」
    と言い、リアスはお金を全て取り出し提示した金額を机の上に置き、残りのお金を封筒に入れようとした。

    「ん?」
    封筒の中にお金とは別の何かが入っていて、お金が入らない。透かしてみると何かカードのようなものが入っており、リアスは封筒を逆さまにした。
    「ま、待ってください…!」
    光ノがまた止めようとするも、逆さまになった封筒からは一枚のカードがヒラヒラと机の上に落ちてきた。ヒラリとリアスがカードを表に返すと、カードには光ノからのお礼の言葉とこれから先どこかご一緒したいと連絡先が記載されていた、

    リアスが驚いて光ノを見ると、光ノは先ほどよりも顔を真っ赤にして俯いている。そばに置いてあったカバンを抱き抱えていていつでも逃げ出す事が出来そうだ。

    もしかして光ノも俺と同じ…?
    そう考えた瞬間、リアスの鼓動がもう一度力強く鳴り始めた。
    もう少し仕掛けてみよう
    と思い、リアスはカードを大事に手の上に乗せた。
    「こちらのお金が入った封筒をお返しして、このカードは大切に受け取りますね。」
    リアスの言葉に光ノはさらに顔を赤くさせ、封筒を持ってカバンにしまい立ち上がった。
    「...は、はい。じゃあこれで」
    と入り口に行き扉から出ようとすると、待ってくださいとリアスは声をかけた。何を言われるんだろうと、ドキドキしながらもこちらをみる光ノにリアスはクスリと笑って口を開いた。

    「光ノさん、一度だけで良いので私とデートに行ってくれませんか?」
    「でっ、デート、ですか...!?」
    リアスの言葉に光ノが驚きながら反応すると、リアスはゆっくりと頷いた。
    なんて答えようか困っているのか顔色がコロコロと変わったり、口を開いたり閉じたりを繰り返している光ノ。
    よし、もう少し攻めよう

    「光ノさんは私とデートするのは嫌ですか?」
    「違います!嫌じゃないです!ですけど...」
    リアスが仕掛けると、光ノは手をブンブンと振り否定をした。徐々に小さくなる声にリアスが疑問に思っていると、光ノは深呼吸を2回ほどして震える口を開いた。

    「一回だけは嫌です。色んな所をリアスさんと一緒に行きたいです。」
    思わぬ光ノからのカウンターにリアスも思わず顔の温度が上がった。
    デートはしたいけど、一回限りはいや
    ということは…。
    口角が上がるのを必死に抑えていると、光ノも恥ずかしそうながらも嬉しそうな顔をしてこちらを見ている。その潤んだペリドットの美しい瞳にリアスはもう自分の気持ちを隠し通せないと悟った。二人を包む雰囲気に後押しされ、リアスは心の内に秘めていた思いを打ち明けた。

    「…好きです、光ノさんの事が。これから先貴女の隣にいる権利を俺にください」
    リアスの言葉に光ノは目を見開いた後、すぐにはにかみながら微笑んだ。
    「私も、傘を差し出してくれたあの日から私を気にかけてくれた貴方が好きです。私にも、貴方の近くにいる権利をください。」
    お互い同じ想いであることが分かると、二人の顔から笑みが溢れた。
    まだ一緒にいたい

    「この後予定はありますか?もしなければ一緒にお昼はいかがですか?」
    とリアスが誘うと光ノはパァっと顔を明るくさせ、ご一緒したいですと答える。
    そしたらとリアスは光ノに片手を差し出すと、その意図が分かった瞬間に光ノは恐る恐るリアスの手の上に自分の手をそっと乗せた。そのままギュッと握りリアスの方を見上げると、優しく笑っていた。
    「じゃあ行きましょうか。オススメのカフェがあるんです」
    「フフッ、楽しみです」
    と二人は事務所の扉から外へ出た。冬にしては温かい風が二人を包み込んでいた。








































     











    書き下ろし

    リアスと付き合ってから、どこか出かけるというわけではなく、時間が合えば一緒にご飯に行ったり散歩したりする関係になっていた。
    ある日いつものようにリアスから光ノのスマホに連絡が入ってきた。

    「今仕事が終わったのですが、もしお済みでないなら一緒にご飯食べに行きませんか?」
    リアスからのお誘いに光ノは思わず頬を緩めてすぐに返信をする。
    「まだなので、ぜひ!」
    「それではいつものところで待ち合わせしましょう」

    いつもの場所とは最初に会った公園である。付き合い始めてからこうしてご飯を食べながら世間話だったりお互いの話をする時間が光ノにとって楽しみの時間だった。早く会いたいなと思いウキウキで準備を始めていると、兄の闇ノから声をかけられる。

    「あれ何処かにお出かけ?」
    「はい、ちょっとお外にご飯食べに行こうかと」
    「いいね、いってらっしゃい」
    と闇ノは特に気にもせず光ノを送り出した。光ノが離婚してからは、家族との時間を過ごせているおかげか特に悲しむ事なく寧ろ自由な時間を過ごせる事に喜びを感じていた。

    今嬉しいって思えているのも、リアスさんのおかげなんだろうな…
    軽い足取りで家を出ると、光ノと誰かに呼ばれる。いるはずのない声に驚きながら振り向くと、そこには離婚した元夫が立っていた。
     
    「光ノ、久しぶりだな」
    少しやつれた様子で元夫は光ノに話しかけてきた。
    「あなたとは離婚を既にしていて、接近禁止を言い渡していましたが?」
    何とか気丈に振る舞って元夫に話したが、元夫は特に気にせず話を続ける。
    「接近禁止なんて俺たちには関係ない、今日は光ノを迎えにきたんだ」
    「迎え…?」
    不穏な事を言い始める元夫に光ノは思わず身震いをした。

    「家にも勘当されて、借金生活になって女とも別れてやっと気付いた。俺には光ノしかいないって。なあ今からでも遅くない。やり直そう。今度こそ二人だけの幸せを掴みに行こう」
    と笑いながら近付いてくる元夫に光ノは恐怖を感じた。元夫の目はどこを向いているのか、何を見ているのか全くわからない。
    「何を、言ってるんですか…?」
    光ノが後ろに下がると、元夫はさらに詰めてくる
    「逃げるなよ、光ノ〜俺たちは夫婦だろ?どっちかが辛い時はお互い支え合うのが夫婦だよな〜」
    正気の沙汰じゃない

    光ノが思わず元夫から距離を取ろうとさらに後ろに下がるが、背中に家の石垣が当たった。元夫は笑いながら光ノに手を伸ばそうとしてきた。
    腕で頭を守りながらギュッと目を瞑った。

    きっと殺されるんだ
    そう覚悟していると、バシッと何かを掴む音が聞こえてきた。痛みを感じない。それよりも元夫の呻き声が聞こえる。恐る恐る目を開けると、光ノに伸ばされた腕を程よく鍛えられた腕がガッシリと掴んでいた。掴んでいる人物の顔を見て、光ノは一気に安堵し涙が出そうになった。

    「リ、アスさん…」
    「汚ねぇ手で触んな」
    そのまま男を突き放して、リアスはじぶんの後ろに隠れるように光ノを隠した。自分を守ってくれる大きな背中に、光ノは思わず抱き付きたくてしかたなかった。
    「お前はあの時の…!!関係ないだろ!!」
    と元夫は叫ぶ。リアスは冷静な様子で元夫に反論をした。
    「今の光ノの彼氏は俺だ。元のお前は近付いてくんな。」

    元という言葉にコンプレックスがあるのか、元夫はさらに暴れ始める。光ノ、何で!!という言葉が近所中に響き渡っていて、光ノは申し訳ない気持ちになった。騒ぎの音を聞きつけて、自分の家の中から誰かが出てきた。

    「近所迷惑なので、やめていただけませんか?」
    闇ノだ。元夫は闇ノを見つけた瞬間縋り付いてこようとしてきた。
    「お義兄さん…!」
    「僕はもう貴方の義理の兄ではなく、赤の他人です。」
    闇ノがバッサリと突き放すと、パトカーの音が遠くから聞こえてくる。どうやら誰かが騒ぎに気づいて通報したらしい。パトカーの音に元夫は逃げようとするが、リアスによって押さえこまれた。
    パトカーは到着すると抑え込まれている元夫を捕まえ、リアス達に事情を聞く。ある程度事情を理解すると、元夫だけパトカーに連れて行かれた。

    パトカーがみえなくなると、リアスはすぐさま光ノに頭を下げた。突然な事に光ノが困惑していると、リアスは謝り始める。
    「すみません、こうなる事を予想出来ず光ノさんを外に呼び出してしまい。」
    謝るリアスに光ノは慌てた。リアスはただ光ノに一緒にご飯を食べないかと誘っただけで誘いに乗ったのは光ノ自身である。頭を上げて欲しいと光ノは言うと、リアスはゆっくりと上げ始めた。

    「そんな、リアスさんは何も悪くないです。私の方こそもう大丈夫だと思って安心しきっていたので」
    「それでも怖いを思いをさせてしまいました。」
    「それは…」
    と話していると、闇ノが思わず声をあげた。
    「もしかして、今日光ノとご飯食べに行く人はリアスさんだったんですか…?」
    闇ノの質問にリアスは肯定すると、闇ノは何かに気付いた顔をした。
    「あの、もしかしてですけど…二人って付き合ってたりするの…?」
    闇ノからの投げかけに二人は心の中で思った。
    今質問すること?

    ◇◆◇◆◇◆◇

    あの後騒ぎを聞きつけた光ノの父と母が出てきて、リアスは捕捉をされた。何か言われるのだろうとリアスが身構えていると、もしかしてあの探偵さんの?どうぞお上がりください。と断る間もなく家に上がることになった。今リアスは以前座っていたソファーに座っている。
    向かいにはニコニコと笑っている光ノの父と母、そして兄が座っていた。隣に座っている光ノは心配そうにチラチラとリアスの方を見ている。

    「貴方がリアスさんでお間違いないかな?」
    「はい、間違っておりません」
    と光ノの父からの質問にリアスが答えると、光ノの母が嬉しそうにやっぱりと声を上げた。

    「ずっとお礼が言いたくて会いたかったのよ。娘の離婚、そして私たち家族を救ってくれてありがとうございます。」
    と全員が頭を下げる姿にリアスはギョッとしながら、頭を上げるようにと言った。
    「さっきももし駆けつけてくれなかったら、光ノがケガをしていたかもしれないし、本当に感謝しているんですよ」
    と闇ノは補足を付け加えた。自分がちょっとしたヒーローのような扱いをされている事にリアスは照れ臭くて仕方なかった。すると、リアスと光ノの様子を見てか、光ノの母はクスッと笑って話し始める。

    「離婚した後、光ノが凄い生き生きし出して離婚出来たのが嬉しいのかと思ってたけど、リアスさんがそばにいたからなのね。良い人に会えて良かったわね」
    二人の関係が友人ではない事に勘付いている母親に父親もようやく気付いたみたいだった。
    「そうか…。」
    光ノの父は特に二人の交際に口を出す事なく穏やかに笑った。そんな様子にリアスはひと息ついて、話し始める。

    「挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。現在光ノさんとお付き合いさせていただいて……」
    リアスの真剣な様子に、本気で自分の事が好きで付き合っているんだと光ノは感じた。その事であたまがいっぱいになってしまい気付けば、リアスを家族の食卓に招いて遅めの昼食を取っていた。何がきっかけだったのか、ちゃんと離婚してから付き合い始めたのかなど様々な質問が投げかけられたが、リアスは全て回答をしていき、両親からの信頼を得ていっていた。

    お昼も食べ終えそろそろお暇するとリアスが話すと、せっかくだからと光ノは送っていく事になった。光ノの家から出ると、リアスも緊張をしていたのかふぅとひと息ついて軽く伸びをする。その様子に光ノは居た堪れなくなった。

    「あの、急に親に紹介する事になってごめんなさい」
    「いえ、いつかは行こうと思ってたのですが、それが前倒しになっただけなのでお気になさらず」
    光ノの言葉にリアスはいつかは挨拶に行く予定だったと話して、光ノを宥めた。話していた場所が家の前だったからか、家にあげる前に元夫と再会した事を光ノは思い出した。その時のリアスの口調が光ノは気になり、口を開いた。

    「一個お聞きしても良いですか?」
    「はい、勿論です」
    「…今の話し方は、普段からなんですか?」
    光ノからの質問にリアスは驚いたように目を見開いた。その様子に慌てて光ノは話す。
    「えっと、ここであの人と話した時の口調がすごい砕けていたので…」
    と話すと、リアスは納得した顔をしながら照れくさそうに話し始めた。
    「私は男兄弟で育ち、口があまりよろしくないのです。下手すると突撃された方と同じくらいの口の悪さなので、嫌な思いをさせたくなくこの話し方をしてます」
    「…怖くないです」
    「…」
    「リアスさんの話し方は実際に聞いて怖くなかったです。きっと私がリアスさんの事が好きだからなんだと思います」
    と光ノが感じた事をそのままリアスに伝えると、リアスは頭を軽く掻いて笑った。

    「…ズルすぎ」
    「え…」
    「こっちの話し方は苦手か?」
    「そっちの口調の方がリアスさんっぽくて良いです!」
    と正直に答えると、リアスはホッとしたような表情で光ノを見つめる。家の中では見なかった優しい目に光ノの心臓はドキッと高鳴った。

    「少しでも嫌になったら言ってくれ、戻すから」
    「じゃあその時は来ないですね」
    「俺が光ノって呼び捨てにしても?」
    「そしたら私もリアスって呼び返します」
    と光ノが強めに言い返すと、リアスはククッと笑い降参と言うように手をプラプラと見せた。

    「俺の負け。好きだ、光ノ」
    と素の口調で告白を受け、光ノは嬉しさと恥ずかしさで顔を赤ながら緩ませていた。
    「探偵のリアスも好きですけど、今のリアスも好き」
    と精一杯返すと、リアスは嬉しそうな顔をした。

    「あ、それと今度からどっか行く時は俺が家まで送り迎えするから」
    「そ、そこまでしなくても…」
    「何かあったら怖いのと、俺がこうやって光ノと歩きながら話すのが好きだから、な?」
    「…はい」
    と光ノは気恥ずかしくなって顔をプイっと逸らした。今までなかった”大事にされている”という感覚が胸をチリチリと焦がすように温かくしてくれる
    きっとこんなに大事にしてくれる人はこの先リアス以外現れないだろう
    自分からももっと好きという気持ちを渡したいと光ノは強く感じ、繋がれていない手の小指にリアスの指を絡めた。そのまま手はゆっくりと簡単に離れないように繋がれた。

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