同級生(クラスメイト)曰く同じクラスの田中は風変わりな男だ。
浮世離れ、という言葉を体現した妖しい風情の男である。
重心をちょっと傾けて、肩から先に突き出るようにゆらぁりと歩く姿なんて特に。不健康な猫背で、通りすがりに不協和音の鼻歌が微かに聴こえる。そんな男。
田中の襟のよれたシャツからはいつも、薄ら紫煙の香りがしていた。だが、煙草というよりも線香の煙のような、掴みどころのない男だった。
欠席がちで、出席日数ギリギリのラインをいつも何とか埋め合わせている。一体なぜそうも学校に来られぬのか不思議に思っていたが、最近になってそのワケが解明されつつある。
数ヶ月前に転校してきた、水木という男子がいる。
凛々しい眉、涼しげな目元に甘い涙袋、通った鼻梁、勝気な唇と絵に描いたような男前。そのうえ成績優秀、柔道黒帯、寛仁大度ときては、遍く人類にモテそうで、俺は奥歯をギリギリ噛み締めたものである。
さて、そんな水木であるが、いかに完璧に見える男にも欠点というか、マイナスポイントは存在する。平たく言えば、憑かれるというか、好かれやすい体質なのだろう。よく人ではないナニカを堂々引き連れてくるのだ。俺は昔時分から、そういったものが見えやすい性質(タチ)だった。
今日だって背後に男を連れている。唯の男でなく、鱗が全身をビッシリ覆っていて、瞼がなく、黄色い目がギョロギョロ四方八方を睨め付けている。
昨日とは違うヤツだ……。
昨日は赤い着物の小さな女の子が、水木のスラックスの太腿あたりを握っていた。それが、今日は魚人みたいな男に入れ替わっている。
最近そんなことが増えている。そしてそういう日に、決まって田中は欠席していた。
つまり、田中が休んだ日には、水木に昨日まで憑いていたはずの怪異・妖怪の類が綺麗サッパリ居なくなっている。今日のように、また新しいのをくっつけてくることも多いが……。
水木に憑いた魑魅魍魎が居なくなるのには、やはり田中が大きく関わっているのではなかろうかと睨んでいる。
そういう思いで注意して見ていると、水木という男は兎にも角にも目を引く男である。今日も後輩の女子から呼び出されたようで、俺は渡り廊下から体育館の方へ歩いてゆく二人を見かけた。俺は、アッと思って二人を密かに追いかけた。
水木と後輩の女子は、締まりきりになっている体育館裏の扉の前に立って、話をしているようだった。女はちょっと俯いて、いかにも恥じらう乙女の様相でこくこく小さく頷いている。水木はそんな乙女と向かい合って、あの人好きする笑顔で再び口を開いた。
正確に言えば後輩の女ではなく、その後ろ。2メートル近い長身で、黒黒しく粘っこい髪を地面に伸ばして、何事かキリキリと呟いている女。ソレに向かって声を掛けているのだ……。
少しして、水木が校舎の方へ戻ってきた。不味いと思ってその場から去ろうとするが。
ズルリ。
ぺた、ぺた、ぺた。
水木の背後を髪を引きずった女がひたりと憑いてくるのだった。
そして翌る日、田中は再び学校を休んだ。
*
こういうワケで、俺は田中が休んでいるのは、水木に憑いた奇怪なナニカをどうにかしているのだと思っている。が、水木の方も訳も分からず取り憑かれているのでは無さそうだ。目的も何にも分からないけど……。
だからといってどうこうするつもりも無かったのだが。
ある下校中に、偶然ウッカリ見てしまったのである。水木が河川敷の橋の下へ入っていくところであった。
俺は大変に慌てた。背後に親指の爪をガジガジ血が流れるほど噛みちぎっている、人型のハリボテがくっついていたからだ。真白い何にもない顔面に横一文字に巨大な口があって、歯茎が剥き出しになっている。しかも食いしめているのは自分の指ではなく、端が腐りかかった何者かの手だった。そちらこちらに齧り付いた痕があって、肉塊のようになっている。
どうしよう、どうしようとひたすらに焦ったが、兎に角暗がりに進む水木を止めなければならない、と反射的に思い立ち、走って後を追った。何故こんな人気のない橋の下なんかに、なんて考える余裕はまるでなかった。コンクリートの階段を駆け下り、瞬間的に息が上がって、ゼエゼエやっと追いつく。だが水木は、昼日中の明るさとコントラストになった影の中で、口だけのハリボテに真顔で対峙していたのだった。
「えぁ、あ……?」
間の抜けた声を上げるしかない俺を意にも介さず、水木は雑草の中に打ち捨てられた斧を拾い上げた。やたら使い慣れた様子である。それを頭上に、両手でもって思い切り振り上げる。そして微塵の躊躇いもなく、ハリボテの頭のあたりに垂直に下ろした。
黒っぽい血が水木のカッターシャツや、健康的で血色の良い肌にかかる。ハリボテはぐらりと傾いた。水木はよろめくハリボテを脚で払って、切れ味が悪いのか、もう一度、二度と振りかぶっては力を込めて真下に叩きつけている。
程なくして、口をポカリと開けたソレがピクリとも動かなくなった。実に呆気なかった。
人の子風情にどうこうされるとは思っていなかったのかも知れないし、水木の怯えも躊躇もない暴力に対応できなかったのかも知れない。
水木は右腕にかかった黒い血を適当に払って、低い声で呟いた。
「アイツを手伝ってやらなきゃ、ならねえンだ」
たら、と水木の鼻から血が流れ落ちる。
水木は僅かも気にとめず、涙袋にクッと力を入れて、柳眉を寄せて笑った。
「俺は、父親なんだから」
今度こそ、捨てられないように。
口端から零れ落ちた言葉を血の混じった痰と一緒に吐き捨てると、尻ポケットから潰れた煙草の箱を取り出して、火を点けた。
泣き言のような響きを持つ言葉では吐ききれなかったものが、全身に纏わりついているかのようだ。丁度今、水木が溜息代わりに深く吐き出した紫煙のように。
俺は地面に足を埋められたみたいに一歩も動けない。馬鹿みたいに棒立ちになって、一服する水木を眺めた。
水木がゆっくりと、此方に視線を向ける。バチッと青い瞳と視線があって。
水木少年は、血に塗れて煙草の煙に包まれながら、影の向こうに見える夏空のように、カラッとした笑みを爽快に浮かべた。
俺はもう、ただそこから走って逃げることしかできなかった。
*
翌る日、田中は予鈴とともに教室へ入ってきた。水木を視界に入れると、ふっと短く呼吸して、目を眇めて訝しそうにした。が、いつもの平熱顔を繕って、重心をちょっと傾けて肩から先に突き出る歩き方で、自分の席に着いた。
水木の背には、怪異・妖怪の類が綺麗サッパリ居なくなっている。
田中の襟のよれたシャツからはいつもの、薄い紫煙の香りがしていた。
俺は俯いて、なにでもないフリをし通した。
*
ゲタ吉くん:お義父さんのためを思って家を出たけど、『帰ってきた!霊感少年・水木くん』をされて仰天してる。祓っても祓っても拾ってくるから困っている。もう!元の場所に帰してらっしゃい!水木少年にお義父さんの記憶があることはその内思い知ることになる。Peace吸ってる。
水木少年:捨てられた!と思ってショックのまま天寿を全う。ガッツで生まれ変わった。その辺の悪意ある怪異・妖怪の類を集めては斧の錆にしている。人の子なので限度はある。Peace吸ってる。
モブくん:可哀想。Peace吸ってない。