约定 前編汪植が、特別の計らいで貴妃様付の侍従となって以来、初めての夏を迎えようとしていた。
侍従の勤めと内書堂での勉学に明け暮れる生活を送っていた汪植は、このところの暑さで睡眠も浅く、体調は思わしくなかった。
しかし、今夜は陛下が貴妃様の宮殿へお渡りになる予定で、その準備の為に急いで宮殿へ戻らなくてはいけなかった。
迷路のような宮城の中を、筆記具と書物を抱えたまま、急ぎ足で歩いていた。
いつも目印にしている大きな松の木の所までやってきたその時、黒い小さな何かが、ジジジッと音を立てて飛んできて、汪植の帽子に当たった。
「ひゃぁっ」
びっくりした汪植は、回廊で座り込んでしまった。
目の前の地面を見ると、蝉が裏返しになってその脚をジタバタさせていた。
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