手袋と栗ぺしん。
フィガロは、自分に投げつけられ、乾いた音を立てて床へ落下した手袋を冷めた目で追った。
投げたのは、幼い弟弟子。数日前に食べた栗がまた欲しいと言うので森に拾いに行ったが、北の変わりやすい天候のせいで栗の木は全て雪で埋まっていた。そして手ぶらで帰ってきて癇癪を起こし、小さな手袋をフィガロに投げつけたのだった。外は無論、吹雪である。
「栗」
「栗が何」
「栗を拾いに行く」
「いまお前も見てきただろう。今年のはもうない」
「なぜ」
「もう季節が終わってしまったというところだな」
「なぜ」
「時が経ったからだ」
「……」
あどけない顔立ちに似合わず眉を寄せた表情のオズは、もう片方の手袋を乱暴に脱ぐとフィガロにまた投げた。
ぺしん。
自分の気に入らないことがあるたびに魔法を暴走させるのは双子の躾と称した仕置きの繰り返しで止めるようになったが、幼児らしい癇癪は直っていなかった。フィガロが巻いてやったマフラーと耳当てをつけたまま、フィガロがはめてやった手袋を投げる。
オズは手袋が好きではなかった。単純に指が動かしにくいからだろう。栗を拾うには手袋がないとイガが痛いからと言い聞かせて、口を尖らせながらやっと小さな手を開いたのは数刻前だったが、その時の機嫌よりもさらに斜めになったようだ。
(俺に手袋投げつけるやつなんかこのガキ以外にいないな)
「オズ、手袋を人に投げる意味は知らないな?」
小さな眉間に皺を寄せたままふるふると首を振ったオズに、フィガロは目を眇めた。
「それは決闘を申し込む合図だ。無礼だ。次やったら殺す」
「……」
先天的にはオズの魔力の方が強いとはいえ、未だオズが智略に長けたフィガロに勝てたことはなかった。
「ごめんなさいは」
「……」
「オズ」
パタ、とフィガロが片足のつま先を上げて下す。真顔で片眉を上げた兄弟子の顔をオズは目だけで見上げた。双子に散々習った言葉を渋々と口に出す。
「……ごめんなさい」
フィガロはひとつため息をつくと、足元の手袋をまたいで歩き出した。
「ん。夕飯にする。その手袋拾って早く来なさい」
双子が所用で城を留守にしていたその日の晩餐は、フィガロが作ったポトフだった。細かい魔法の使い方をオズに見せながら空中で野菜を切り刻み、微妙な火加減で煮込み続ける。
「ほら」
「……ありがとう」
「はいどうぞ」
少し冷ましたボウルに、オズが身を乗り出す。
こういうとこは子供らしくて可愛いんだけど、と心中ぼやきながらフィガロはパンを渡してやった。
「そんなに栗気に入った?」
確かに、先週に城の麓の村人が差し入れてきた栗はどれも立派な粒揃いで、フィガロも舌鼓を打ったものだが、オズはわざわざ拾いに行きたいというほど栗が好きだっただろうかと首をひねる。
「栗を気に入ったのはお前だろう」
慎重にスプーンで具を掬いながら、オズが言う。
「は?」
「双子が焼いた栗の入ったパンを上機嫌で食べていた」
「ああ、栗のパンが食べたかったの?」
「お前があれが好きなのだろう」
ボウルに首を突っ込むようにして食べていたオズが、フィガロに顔を向ける。
「栗を拾ってきて、双子があれをまた焼けば、お前はまたああして笑うのだろう」
「……ん?つまり?」
「お前が気に入る栗を見つけるつもりだったのに」
オズがまた口を尖らせた。
「……っふふ、オズ…!お前ったら」
フィガロは額を抑えて机に突っ伏した。肩の震えでグラスが倒れそうになったのをオズが抑える。
「なんだ」
眦の涙を拭いながら、フィガロはテーブルの上の腕に顔を乗せた。部屋が暑くなったような気分になった。オズはフィガロの顔を見て、目を瞬いた。
「ふふ…っ、本当、お前ってばまだ子供だったんだよな」
「今のは何がおいしかったんだ?」
「ん〜?」
「このポトフが、お前の好物なのか」
「ん、あはは。そうかもね」
「ーーってことあったの、覚えてる?」
とある依頼で受けたパーティへ出席した日の夜。フィガロはそのままオズの部屋に押しかけて土産のシャンパンを開けながら小首をかしげた。
「……うっすらと」
「そういえば、今でもお前は手袋はあまりつけないな」
夜会用の衣装として指定された中に入っていた手袋をつけたオズの手首をフィガロは掴んだ。もう手袋を脱いだ自分の指を一方的に絡める。
「なんで?」
ほろ酔いのフィガロは、両手でオズの左手の指の数を確かめるように包んだ。フィガロよりも酒に強いオズは大して酔っていなかったが、好きにいじらせていた。
「魔法が出しにくい」
「オズって変なとこ繊細というか、気にするよなあ」
ちゃんと指が五本あることに満足したのか、フィガロはそれを自分の頬に当てた。次に、手首の内側に自らの指を沿わせると、手袋の裾から手のひらの中に人差し指と中指を差し入れる。
「フィガロ」
ぴく、と一瞬こわばった手首を掴んだまま話さないフィガロは、視線で応えた。目元に紅が差していた。
「何をしている?」
「手袋脱がせてやろうと思って」
つつ、と薄い膜の中に挿入した指でオズの手の内をくすぐる。フィガロは薬指も足してオズの指の股を探った。こそばゆさにオズが指を曲げようとすると、すかさずフィガロの空いた片手が指先を捉えて強制的に手を開かされる。
「手袋を脱がすのに、なぜお前まで指を入れる必要がある」
「んん〜?」
ぐぐ、と手のひらの空間の最奥に到達したフィガロの指が、オズの指の間の狭い隙を突いた。と、それまで指先を抑えていた指が、手袋の先をつまんで一気に引っ張る。ずる、と引き抜かれた手袋を取り去ると、汗ばんだ指が外の空気に触れた。
「はい、脱げた」
「…………」
ようやく自由になった素手で、オズはそのままフィガロの手に指を絡ませる。まだ手袋の嵌まった右手を自らの口元に持っていき、中指の先を噛んで手早く脱ぐ。咥えた手袋を掴み直し、フィガロの顔に押し付けた。目を塞いだまま半開きの唇に自分のものを重ね、寝台に倒す。
「賢明な兄弟子のおかげでまたひとつ、手袋の使い方を知った。礼を言う」