"相棒"と過ごす最後のクリスマス カチャカチャ、じゃぶじゃぶ、きゅっ。食器が泡に揉まれながら綺麗になっていく音が耳をくすぐって、意識が浮上する。ちゃぶ台に火照った頬をくたりとつけて九十度傾いた世界から音のする方を見れば、流し台に立つエプロン姿のニキの後ろ姿がそこにあった。
落ちる直前の記憶を手繰り寄せる。狭いニキのアパートにCrazy:B全員で集まってクリパをしていた。なんだかんだ多忙な中、リーダー権限でみんなを(無理やり)招集したのだ。
ニキが腕によりをかけて作ったレストランような立派な料理が小さなちゃぶ台に所狭しと並んで、いつもは大人びているHiMERUもこはくも表情を柔らかくさせてどこか楽しそうで。燐音の酒も大いに進んで、可愛い後輩に絡みに行っては迷惑そうに押しのけられたところまでは意識が鮮明だった。そこから時刻がてっぺんに差し掛かったところでHiMERUもこはくも星奏館へと帰ったが、当然燐音はニキの家に泊まる気満々だったので、ベロベロな状態のままニキに後ろから絡みついたまま呆れたような視線を送る後輩二人を見送った。
そこから二人きりでつまみを食べながらまた酒を進めていたはずだが、気づいたら寝落ちていたらしい。小さなちゃぶ台に隙間なく置かれていた料理やら飲み物やらはすっかり片付いていて、HiMERUがお土産にと持ってきたポインセチアが華やかな雰囲気のままちゃぶ台に彩りを添えていた。
「終わったなァ」
ぽつりと呟くと、ニキがこちらをちらりと見て視線が絡む。きゅ、と水道が締められた音がして布巾で手を拭ったニキは冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すとグラスに注いで燐音の前に置いた。
「さすがの燐音くんも、クリパ終わりにはしんみりしちゃうんすね」
「まァな」
上体を起こすと僅かに脈打つ側頭部の血管に眉をしかめながら、差し出されたミネラルウォーターをぐいっとあおる。
「今年のクリスマスは楽しめました?」
冷蔵庫から切り分けたケーキを取り出したニキは燐音の正面に腰掛ける。いつもの定位置だ。
「パーティは楽しかった」
「パーティ、は?」
「別にクリスマスだから楽しかったってわけじゃねェし。ニキもメルメルもこはくちゃんも楽しそうで、美味い飯と酒で騒げればいつだって楽しンだよ。クリスマスに限ったことじゃねェだろ」
「あれ、いつの間にか素の燐音くんに戻ってるっす」
ニキは切り株のようなチョコレートケーキを大きくフォークで切り分けながら、燐音の変化に驚くことも無く次々とスポンジを胃に収めていく。
「屁理屈こねてないで楽しいなら楽しいでいいじゃないっすか。パーティちゅうの燐音くんは誰がどう見ても楽しいを体現してたっすよ」
「いや、うん、そうだな。ちゃんと今年は楽しかった。悪ィ、ここ数年のクリスマスには楽しい思い出がなかったから素直になれなかったのかも」
すっかり皿に乗せた分のケーキを食べ終えたニキはおかわりに立つこともなく静かに燐音の話に相槌を打つ。
「ニキん家でこうしてクリスマスをゆっくり過ごすのも久しぶりだったし」
「あー、そっすね。昨年までは燐音くん、クリスマスでも夜遅くまで細々とした仕事してましたもんね。僕もっすけど」
「疲労困憊で帰ってすぐ寝ちゃってたし。26日の朝に食ったニキの料理は美味かったけど」
「なはは、なんだかんだ毎年僕の料理食べてますよね、燐音くん」
そうだ。燐音のクリスマスの楽しい記憶はニキの美味しい料理に結びついている。目尻を下げながらふわりと微笑むニキを燐音はじっと見つめる。ニキへの愛情がまた、燐音の心を柔らかくくすぐる。
「なァ、結婚しようぜ」
「無理っす」
「も〜何度目だよォ」
拗ねたようにちゃぶ台に突っ伏してニキをじとりと睨み上げる。振った張本人であるニキは何処吹く風といったところで机上に置いてあったポインセチアの花を優しく撫でていた。その光景を見てこのあいだ中庭で"しろすけ"と話したことが思い返される。
「そういえば、結局ニキは俺っちにクリプレくれたことなかったよなァ。俺っちは菓子あげたことあったのに」
「え〜、燐音くんプレゼント欲しかったんすか?」
「……いらねェとは言ってないだろ」
「欲しいとも言ってなかったっす。んと、毎年料理作ってあげてたじゃないっすか、それがプレゼントじゃダメなんすか?」
「ん〜、ニキの料理食べてるのなんて毎日だし。俺っちの日常なの。特別な日の料理も悪くねェけどそれとこれとは別っしょ」
「え、めんどくさっ。じゃあ燐音くんは何が欲しいんすか。一応聞いといてあげるっす」
「え〜? 俺っちが欲しいもの?」
待ってましたとばかりに上体を起こして、にこりとした笑みを浮かべてニキを見つめる。なかなか言い出さない燐音にニキが焦れたような目を向けてきたのを確認して、燐音はしっかりとニキの目線を捉えたまま口を開く。
「ニキの残りの人生」
「…………」
ニキの表情は変わらない。何を言う訳でもない。何を考えているのかうまく読み取れないそれを見届けて、燐音は纏っていた空気を冗談めかしたものへと昇華させる。
「俺っちの残りの全生涯かけてニキを幸せにしてやるんだから差し出してもらわねェとな♪」
「はぁ……まともな答えを期待した僕が愚かだったっす」
呆れた様子のニキはついに立ち上がると冷蔵庫からパーティで余ったケーキを箱ごと取り出してきた。今更ニキが動揺するとは思ってなかったけど、普段通りの様子に少しだけ落胆する自分がいた。
向かいに座って箱から半ホールほどのケーキを取り出しフォークを入れる直前で、「そういえば、」とニキが口を開く。
「燐音くんはクリスマスが子供が楽しむ日って思ってるかもしれないっすけど、世間では恋人同士が楽しむ日でもあるみたいっすよ」
「知ってっよ、聖夜なんて性夜だもんなァ」
「それ、方々から怒られますよ」
今度はじとりとニキが燐音を睨む。
「まぁともかく、街ゆく恋人連れはみんな楽しそうっすよね、だから」
フォークで掬ったケーキに視線を移したニキは、淡々と言う。
「燐音くんも恋人作ったら、クリスマスが心から楽しいって思えるんじゃないすか」
さらりと平然と言うニキに、燐音の眉間のシワはぐっと深まった。
「それをお前が俺に言うの?」
「なんのことっすか」
「俺っちの渾身のプロポーズを散々振っておいて?」
「僕はあくまで一例を示しただけっす。燐音くんからプロポーズは結構されてましたけど、恋人になろうなんて言われたことないですし」
「…………」
「ふつうはプロポーズの前にすることあるんじゃないすか。例えば、告白とか」
押し黙った燐音に、ニキはちらりと視線を送る。
「ねぇ、これが僕からのプレゼントっすよ。燐音くんの望みを叶える、大ヒントっす」
いつの間にかケーキを食べる手を止めて、試すように燐音をじっと見つめるニキの青色とかち合う。その瞳が僅かに揺れているように見えたのはきっと気のせいじゃない。
自身から発せられたごくりと唾を飲み込む音がやけに大きく響いた気がした。とうに酔いは醒めて、アルコールの熱に浮かされていた思考回路はもう正常運転に戻っている。ずっと喉元までせり上がっていて、けれども一度も真剣に伝えたことの無い気持ち。
姿勢を整えて真っ直ぐにニキを見据える。逸らすことなく、焦がれるような視線がニキから返ってくる。
燐音は願うように、そっと口を開いた。
「なァ、ニキ。俺は──」