しいなの日「今日はおめェの日だってよ」
「えっ。今日はなすびの日っすよ?」
「なんだそれ」
スーパーのなすび売り場に書いてあったっす、なんてニコニコと笑いながら、ニキはなすの煮浸しを食卓に置いた。これで本日の夕食は揃い踏み。ニキが燐音の正面に座ったところで、二人していただきますをする。
「で? 僕の日ってなんすか?」
「今日は4月17日だから、417をしいなって読むんだってよ」
「へぇ。初めて知ったっす」
「ほら。ファンの蜜蜂たちも盛り上がってくれてンぜ」
「あ、僕のアカウント」
滅多に更新されることの無いニキのSNSには、1週間前の最後の投稿にファンたちから多くのコメントが寄せられていた。『椎名の日、おめでとうございます!』『今日はニキくんの料理本見て豪華なディナー作っちゃいました!』『ニキくんのぬいぐるみとお祝いしました♡』。
ニキは燐音からスマホを受け取ると画面をスワイプさせて一つ一つのメッセージに目を通す。誕生日でもないのに不思議な気分だった。
「すごいっすねぇ」
ニキの表情はそれほど変わらなかったが、感心したような、浮かれたような語気の変化。長年連れ添った燐音にはニキが心を弾ませていることが手に取るように分かった。燐音はふ、と笑みを零すと早速なすの煮浸しに箸を伸ばす。染み込んだ出汁がじゅわ、と口の中でとろける食感。酒が進みそうだ。
「僕の名字が変わるって知ったら」
ぽつりと呟いたニキの言葉に、燐音はピクリと反応して箸を止める。
「みんなビックリするかなぁ」
ニキの目線の先はスマホの画面ではなく、自身の左手に向いていた。燐音の薬指にも嵌っている、お揃いのシルバーリング。それの定位置がニキの左手の薬指となってから、そう日は経っていない。
「って言っても、まだ世間に公表はしないんでしたっけ」
「あァ、しばらくはな。発表すンなら派手にいきてェもん」
「なはは、僕たちらしいっす」
ニキは燐音の顔を見てふわりと笑うと、ありがと、と燐音にスマホを返した。そのまま箸を手に取ると、ニキは次々に料理へと手を伸ばした。そんなニキの気持ちの良い食べっぷりを、燐音は愛おしそうに目を細めて眺める。
「身内っつーか、同僚には報告していいって話だから。さっそく明日から自慢しねェと」
「自慢?」
「そ。俺っちに料理上手な可愛いお嫁さんができたって」
「えぇ。僕、可愛くなんてないっすよ?」
「ッハ。料理上手とお嫁さんは否定しねェの?」
「ん〜、まぁ事実ですし?」
ニキの浮かべた悪戯っぽい笑みに、燐音は愉快そうに口元を綻ばせる。ニキはもぐもぐと箸を進めながら、「あ」と呑気に呟いた。
「そういえば、みんなからの呼ばれ方も変わるのかなぁ」
「あ?」
「僕を名字で呼んでた人……、HiMERUくんとか。これからは『天城』って呼ばれて僕が返事してもおかしくないってことっすよね、なはは」
「……そうだなァ」
「……でもHiMERUくんが『ニキ』って呼び方変えてきちゃったらゾワゾワしちゃうかもっす!」
「えー。それはそれで見てみてェ」
「こはくちゃんは今まで通りだけど。他の人からもニキって名前で呼ばれることが増えるんすかねぇ」
「そうかもなァ」
「あっ。そういえば早速、弟さんからは『ニキさん』って呼ばれてましたよね、僕」
「あァ、言ってたなアイツ。……ってか、ニキのその『弟さん』ってのもようやく理屈が通るようになったな」
「なはは、そっすね。今までは"燐音くんの"弟さんでしたけど、これからは僕の義弟さんでもあるわけですし」
そこで区切ると、ニキは食事を食べ進めながらも、じっと燐音を見つめてきた。燐音も当然のようにニキを見つめ返す。
そのまましばしの間見つめ合うと、ごくん、とご飯を飲み込んだニキはじとっとした、物言いだけな目で口を開く。
「……燐音くん」
「ん?」
「さっきから僕のこと見すぎっすよ。食べる手が止まってるっす」
「……きゃはは、悪ィ悪ィ。"天城ニキ"に見とれちまってたわ」
「……もぉ」
天城ニキ。その響きを耳にして、ニキはむず痒いような、恥ずかしがっているような、なんとも燐音の機嫌を上向かせる表情を見せてくれた。
「僕の顔なんて何年も見てきたくせに」
「んーん。俺っちのお嫁さんのニキはまだまだ馴染みがねェからなァ。これから一生かけて、目に焼き付けてくの」
「え〜? 椎名ニキと天城ニキじゃ何か違うんすか?」
「椎名ニキは俺の恋人だったけど、天城ニキは俺のお嫁さん。あとは変わんねェよ、俺の初恋のニキのまま、俺の運命の女神のまま」
「なは。よく分かんねぇっすけど、なんとなく分かったっす」
燐音が大好きな、弾けるような笑顔を浮かべたニキ。
「ま、これからずぅっと一緒にいるわけですし。僕の顔なんて飽きるほど見れるっすよ」
「甘ェなァ、飽きなんて来ねェよ。俺っちの愛の深さ、舐めてもらっちゃ困るぜ」
くすくすと笑い合って、ようやく食事の手を再開させる。二人の食卓には幸せの時間が流れていた。
「天城の日はないんすかねぇ」
「あまぎ、は難しいだろうなァ」
「じゃあ結婚記念日を2人だけの天城の日にするっす。僕が天城に仲間入りしたのを記念して」
「きゃはは! やっぱりニキは天才だなァ」