つめたくて、あまい 扇風機の前を占領して生温い風を一身に受けるおにいさんの頬は、ほんのり赤く色づいていた。白い地肌のせいで際立つ赤は、おにいさんを拾った二週間前から毎日のように見ている気がする。整った顔にたらりと垂れる汗を気にする素振りもなく、おにいさんはただただ扇風機と向かい合っていた。
北の方から来たらしいおにいさんは、太陽が照りつける、うだるような暑い昼間は元気がない。だから、いつもなら僕が便利な調理器具を使っていたら興味津々に僕の手元を覗き込んでくるのに、今はじっとしてささやかな涼を享受しているだけだった。
ギコギコとハンドルを回す音や、氷が攪拌されてぶつかり合う騒々しい音。年季が入ってるから結構喧しい音が響いているはずなのに、おにいさんは何も反応してこない。そうしてこんもりと器に盛り上がった白い山を二つ生み出した僕は、冷蔵庫から取り出したシロップをちょっと多めにかけた。
「おにいさん、生きてるっすか〜」
僕が声をかけると、おにいさんはゆっくりと振り向いた。綺麗な二重の目はちょっと眠たげだ。それでも僕が手にしたふわふわの白い山を見て、おにいさんの天色の瞳に少しだけ生気が戻る。
「その白いの、なに」
「かき氷っす! 氷をふわふわに砕いたんすよ」
ちゃぶ台の上に二人分の器を置くと、おにいさんは四つん這いでにじり寄って興味深そうに器を覗き込む。
「いちごとブルーハワイ、どっちがいい?」
「……ブルーハワイって何」
「……ん〜? そういえばなんなんだろ、ブルーハワイ」
なはは、と僕が笑うとおにいさんはじっと訝しげにシロップのかかったかき氷を見つめて、いちご、と小さく呟いた。おにいさんにいちごのかき氷を手渡して、僕は意気揚々と合掌する。
「いただきま〜す!」
しゃく、とスプーンで氷を掬って口に含むと、ふわふわの氷は舌の上ですぐに溶けていった。甘酸っぱい味が口の中に広がって、夏の火照った身体を冷ましていく。
「ん〜、やっぱりかき氷は最高っすね!」
思わず頰が緩んで、にっこりとおにいさんに笑いかける。するとじっと僕の方を見つめていたおにいさんもようやくスプーンを手に取って、おっかなびっくりといった様子でいちご味のかき氷を口に運んでいった。
控えめに開いたお口でちょっとずつ、ゆっくりと咀嚼する。おにいさんのとろんとした目が大きく見開かれていくのを、僕は微笑ましく見守る。
「……つめてェ」
「なは、そりゃかき氷っすから」
しゃく、ともう一口。冷たさが心地いいのか、おにいさんはどんどんスプーンを口元に運んでいった。
「あぁ、そんなに一気に食べたら頭キーンってしちゃうっすよ」
「……〜っ!」
僕が言った傍から、おにいさんは盛大に顔を顰めてこめかみのあたりを押さえた。
「なはは、だから言ったのに」
「……っ、なんだこれ。都会の食いモン、すげーな」
なんて言いつつしゃく、とまたひとくち。おにいさんは顔を顰めたまま、それでも器の中身を減らしていく。その様子がおかしくて、僕はまた笑った。そんな僕を、おにいさんはムッとした顔で睨むけど頬は赤いままなので全然怖くない。そして、なにかに気づいたようにハッとした表情になる。
「ニキ、舌……!」
「舌? ……あぁ、青くなってるっすか?」
べ、と舌を出す僕を見て、おにいさんは戸惑いながら頷いた。
「合成着色料のせいらしいっす。このシロップ……、ええと、この甘いやつのせいっす」
「合成……、着色料……?」
「おにいさんの舌も赤くなってるっすよ」
「マジか」
おにいさんは近くにあった手鏡を手に取るとべ、と控えめに舌を出して「うわ、すげ」と呟いた。
「なはは、すごいっしょ? 夏の風物詩かき氷! 喜んでくれると思ったんすよね」
おにいさんがあまりにも良いリアクションをしてくれるから、僕は嬉しくなる。おにいさんの知らないもの、もっと教えていきたいな。
上機嫌の僕は、手鏡で自身の舌を眺めるおにいさんの後ろに回りこんで、便乗するように自分の舌をべっと出してみた。
僕の参戦に気づいたおにいさんは僕にも見やすいようにと鏡を調整しながら、鏡越しに僕の舌を見つめる。
「…………」
しっかり染まってるなぁ、なんてしげしげ見ていたら、隣からすっごく視線を感じた。食い入るように凝視してくるおにいさん。そんなにじっくり見られると、なんだかくすぐったい気持ちになってしまう。
「……赤と」
「うん?」
おにいさんは僕の舌を見てぽつりと呟く。
「赤と青って混ぜたら、紫だよなァ」
「そうなの?」
「うん」
そう呟くおにいさんの口からはちらりと赤い舌が見えていた。
「俺の赤とニキの青、混ざったら紫になんのかな」
「……んぃ?」
おにいさんの言っている意味がわからなくて、ぽかんと口を開けたまま彼を見つめる。するとおにいさんは、僕の視線に気づいてハッとした顔をして「なんでもねェ」と呟いた。おにいさんの頬や耳は、かき氷と同じくらい赤く染まっていた。
***
二十四時間空調がきいて温度管理バッチリな星奏館の方が快適なのに、扇風機の生温い風を受けながらダラダラと過ごすアパートでの時間も捨てがたいなんて言ったら、理解してくれる人は彼しかいないかもしれない。そんな燐音くんの逞しい首元に、また一つ汗が滴り落ちていった。ぺたりとくっついた後ろ髪に、ほんのり上気した頬。昨晩も同じような姿の彼と遅くまで愛を交わし合ったことを思い出してしまい、僕の体温は少しだけ上がった。
「何考えてンの?」
彼は赤いシロップのかかった山からひと匙氷を切り崩して、口元に運んでいるところだった。その口元は弧を描いて、ニヤついた瞳で僕を見てくるものだから僕が想起していたことなんて彼には丸わかりなのだろう。
「別に、何でもないっす」
「ふゥん?」
僕がはぐらかすと、彼はそれ以上追及してこようとはしなかった。後でしつこく聞かれそうな気もするけれど。
スプーンが器の底に当たる音がした。気づけば僕のかき氷は随分と小さくなっている。となると、やっぱり試してみたくなるのは条件反射のようなもので。
「ねぇ、燐音くん。色変わってるっすか?」
僕は舌をべ、と出して彼に見せつけた。
「ン〜? どれどれェ」
向かいに座っていた彼は、よいしょと腰を上げるとわざわざ僕の隣に移動してきた。
「……なに、お向かいからでも見れるっしょ?」
「いーじゃん。舌出して誘っといてよく言うぜ」
「誘ってないっすよ、ばか」
僕の顎を持ち上げて、じぃっと観察してくる。至近距離の燐音くんの綺麗な顔。今となっちゃ珍しくない、この距離間。キスしたいなぁ、なんて考えていると、彼に顎を引き寄せられてそのまま唇を塞がれてしまった。ちゅ、ちゅ、と啄むように唇を吸われて、ペロリと舐め上げられる。
「ん、ブルーハワイもうめェ」
「もぉ、舌の色が変わったか聞いたんすけど?」
「期待してたくせに?」
「……意地悪言うお口は、塞いじゃうっす」
図星だから何も言い返せないので、今度は僕から唇を押し付けてみた。ちゅ、ちゅ、と唇を押し当てていると、彼は楽しげに鼻で笑う。
「……ブルーハワイもうまいけどよ、ニキの味のがうめェわ」
「なは、恥ずかし〜……。バテてるんすか?」
「かもなァ」
そう言ってくつくつ笑った燐音くんは、僕の後頭部を引き寄せた。再び唇が触れ合う直前で、燐音くんは「あ」と小さく呟いた。
「……今なら試せるじゃん」
「んぃ?」
「ほら、ニキきゅん。もっかい舌出して、べーって」
言われるがまま舌を出すと、僕の頬をするりと撫でながら、彼は目を細めて笑った。その口元には、ちらりと赤い舌がのぞいていた。
「紫になンのか、確かめようなァ」
そう言って上機嫌に近づいてくる燐音くんに苦笑いしながらも、僕は受け入れるように瞼を閉じて彼の首元へ腕を回した。