赤も好きだけどオレンジも捨て難いかも、なーんて。「っだー!」
目の前に広がる鮮やかな赤、黄色。
いわゆる元気なビタミンカラーとは対照的に今にも倒れそうだと言わんばかりの声を上げるのはマスターシェフを自ら志願し受講した1-Aの生徒、エース・トラッポラ。
「もうくたくた… これ片して早く寮戻ろ…」
目の前の白い皿の山を見て、いつかのなんでもない日のパーティーの片付け時に先輩が楽しげに発動した自律魔法とその後ろ姿が脳に浮かんだ。太陽光によってきらりと光った毛先のオレンジが綺麗だったなと思ったが、あれを真似できるような、そんな体力はエースには残っていない。なによりあんなにすごい魔法、1年生にはまだ難しいだろう。
オレにはまだ難しいか、などと考えながらも手は止めず、流れるような手つきでひとつ残らず皿を戻した。先輩のように“映える片付け”とは微塵も言えないが、“片付いた”という結果は同じなのだし良いか、などと苦笑いをひとつ。指導役のシェフゴーストと、一緒に授業を受講しているイデアに一応声をかけ、そそくさと大食堂のキッチンを後にする。
早く自室に、あわよくば先ほど思い出したきれいに輝くオレンジ髪の恋人の部屋に帰りたい。そう思いながら歩みを進め、談話室のざわめきを横切ろうとしたその時、聞きなれた耳馴染みの良い声がした。無事に寮に戻ってきたことを改めて実感し安堵する。
「あ エースちゃんおかえりー!」
「戻ったのかい、エース」
寮長の声がしたので、安堵の気持ちは少し減ったがそれでも先ほどのように大量の野菜や皿を前にするよりはマシ。
「マスターシェフはどうだい?君のことだから手を抜いてなんて、」
「っ、してねえっす!」
次に降ってくるであろう嫌味な言葉が紡がれる前に、と慌てて制する。
随分と不名誉なレッテルが貼られているなと思ったがあながち間違いでは無いため、強く反論できない。無理なく及第点が取れればそれでいいと思っているし、正直なところ手は抜きたい。物事を程々に、器用に力を抜いてこなすこと。これの何が悪いのかとさえ思う。
…まあそんなこと口が裂けても女王様の前では言えないが。首が飛ぶのは避けたい。
「…まぁ君なりに頑張っているとはリリア先輩から聞いたよ。くれぐれもハーツラビュル寮生として相応しい振る舞いをするように!」
思ってもみなかったお褒めの言葉に少し拍子抜けしつつ、寮生らしく良い子のお返事。
「へーい、りょーちょー」
…まあ、本当に良い子なら後ろで組んだ右手からメッセージなど送ったりしないだろうが。
『あとで先輩の部屋、行くから』
右手を添えたままのスマホがかすかに震えた。
『OK、待ってるね☺
また首、はねられないでよ?』
いや、返信早すぎでしょ。このマジカメ中毒者め…
首はねられるようなヘマなんてしねえし。
「エース、返事はきちんとするように!」
「っ!、はい、寮長!!」
…あっぶねー
ぽふんっとスプリングが音を立て、エースの腰が程よく沈む。まるで自分の部屋かのように寛ぐ彼からは、部屋の主であるケイトへと不満たっぷりの声が吐き出される。
「ねー!なんでオレの事褒めてくれなかったワケ!?」
「えー?」
随分と間延びしたのんびりな返事。部屋の扉を閉めてムッとしたエースに近付く動きは 何言ってるの、と言わんばかりにゆっくり。それがさらにエースの気持ちを逆撫でした。
「けーくん見てたよね、オレが山になった野菜切り終わったとこ!」
先程より少し早口にボリュームも少しづつ上がっていく。
興奮気味のエースの横に静かに腰を下ろしたケイトは、エースの言う通り昼間にその光景を目にしていた。審査をする側であったのだから。
「あー、 ちゃんと見てたよ。
可愛いエースちゃんが頑張ってんなー、って思ってた」
はいはい、いつものやつね とまるで子どもを軽くあしらうような口調にエースの胸のムカムカは募っていく。
「じゃあなんで!?」
何も驚くべきことなんてないはずだが、さも驚いたかのようにわざとらしく、たれ目のリーフグリーンが見開かれる。
「え? エースちゃん自分でマスターシェフ取るって言ったんでしょ?じゃあ頑張るのは普通じゃない?」
左の指先をこちらに向けられイラッとする。
なにそれなにそれ!!比較的甘い先輩かつ優しい恋人であるケイトなら絶対に褒めてくれるとばかり思っていたエースの頬がぷくっと膨らみ、ふいっと目を逸らし横をむく。
「…もーいいよ、けーくんのばか」
完全に機嫌もそっぽを向いている。
「…なーんてね、オレもガレット作んのめっちゃ大変だったから分かるよ」
急に言葉に重みを乗せるかのような少し下がったトーン。それでもまだ寮長などに比べてしまえばペラペラと軽いそれではあるが、エースの気持ちを揺さぶるのには効果的である。寮長の怒号の何倍も。
少しづつ機嫌が直りつつあることを悟られまいと、ゆっくりと声がする方に向き直れば、待ってたよと言わんばかりに上機嫌なウインク。
「ね! オレから特別にご褒美あげようか? ちゅー♡」
「いらねー!」
恋人からの包容が嬉しくないわけなどないのだが、素直に伝えることが出来るほどの性格は持ち合わせてなどいない。
そんなことお互い様だし、全てお見通しであるため問題では無い。
問題だったのは、
「……ねー、けーくん、場所間違ってるけど?」
口付けられたのが自身の唇でなく、頬だったこと。
「もー、本当に素直じゃないんだからエースちゃんは!
マスターシェフ、もうちょっとだから頑張ってよね?」
「はいはい」
やる気を感じられない返事の語尾は、ケイトの舌と唇によって絡み取られる。
ダイヤマークの広がるカラフルな部屋は微かな水音とお互いの吐息で包まれていく。