無敵家司の噂 鳴神島某所、トーマは浪人たちと対峙していた。
神里を陥れようとする存在の噂を小耳に挟んで以来探っていたが、ようやくその尻尾を掴んだのが昨日。そのままあれよあれよと男たちを追い込んで根城へと攻め入ったのである。
「神里の犬が来たぞ」
男たちは煽るように言うがトーマはどこ吹く風だ。トーマは無用なプライドはそれこそ犬にでも食わせておけと思っている。無駄なものを削ぎ落とし、残った有用なものを神里に捧げる。というのがトーマの信条だった。
「平和的に解決しないかい?」
あくまで下手に出る。これは本心だ。できれば荒事を避け、平穏無事にこの場を収めたかった。人と仲良くするのは得意だし、好きだ。しかし男たちは聞き耳を持たない。男たちは数でトーマを押し切れると読んで、事を構えるつもりのようだ。交渉が決裂したのは明白だった。
「残念だなあ」
トーマはにこにこと笑いながら槍を取り出した。いいんだね、と男たちに確認をとった。そして無駄のない動きで構える。すいと目が細まる。男たちが瞬きした隙にその顔からは笑顔が剥がれ落ちていた。槍の鋒のように冷え冷えとした視線が男たちを貫く。
「——いくよ」
その刹那、一人の男の肩に風穴が空いた。トーマが槍を振るえば血を帯びた鋒が煌めく。その目に躊躇いは微塵もなく、冷酷に冷え切っている。能天気さすら感じさせるお人好しの好青年の顔は影も形もない。トーマを舐めきっていた男たちに動揺が広がった。
トーマは二人目の男に襲いかかる。神の目が光、豪炎が現れた。男は渦巻く炎に巻かれ脚を焼かれる。その痛みに気を取られた隙に首筋に槍の柄を叩き込まれ昏倒した。
トーマは無駄なものを削ぎ落とす。それには情けも含まれている。元来トーマは情を重んじる。しかし必要となればそれすら捨てることが出来た。必要とあらばこの命すら棄てるつもりでいる。全ては神里のため、トーマを拾って生かしてくれた兄妹のため。
「ば、化け物か……」
「今日は若が帰ってくるから時間がないんだ」
怖気づいた男たちを見る緑の瞳が細まった。返り血の中で輝く瞳は恐ろしくうつくしい。時間がないと言う声も平坦で、今日の天気を語るような何気なさだ。彼の何もかもが、血と死屍累々の様相と噛み合わなかった。その異様さにたまらなくなって男たちは刀を手放し降参をした。途端、緑の瞳の魔物は刺々しい雰囲気をしまい込む。にこにこと笑ってしあわせそうに言った。
「神里を穢すことがどういうことかわかってくれてうれしいよ」
そう言って踵を返して歩き出す。男たちは安堵した。あの怪物じみて爛々と輝く緑の瞳を見るだけで何年も寿命が縮む。すっかり油断していた男たちに向かいトーマが振り返る。その顔は微笑んでいた。しかし、
「もう、妙な気を起こさないようにね」
緑の瞳が細められる。その色はすっと温度を失っていく。その日、トーマを怒らせると収拾がつかないという噂に新たな証言が加えられた。しかし、それはトーマ本人にとっては取るに足らないことであった。
「戻りました」
「若、おかえりなさい」
トーマは出汁をとりながら帰ってきた綾人を出迎える。小皿に少し出汁を取ると綾人に渡す。それをちみりと舐めて綾人は頷いた。
「相変わらずの腕だ」
「ありがとうございます」
あの後血を流したトーマは台所に立ち、腕によりをかけて夕餉の準備をしている。その様子は正しく最強の家司だった。しかし、最強の家司にも迷うことはある。
「今日の味噌汁の具が決まらないのですが、何がいいですか?」
ふむ、と勿体ぶって腕を組んでから綾人は言う。
「油揚げとわかめだ」
「わかりました」
返事をして油揚げを用意しにその場を離れようとする。しかしその前にトーマは綾人に呼び止められた。トーマの首筋を指差して綾人は笑う。
「そこ、返り血がついているよ」