うちの子1番「お腹すいてない」
手に持っていた杓文字が床に落ちる音がした。
◆◇◆
「一郎が少食になった」
「……まぁ、彼も二十歳を超えた訳ですし」
「この世から一郎の体積が減ったらどうすんだよ……。こないだなんてアイツ米3杯しかおかわりしなかったんだぞ…」
「俺の心配を返せ」
いっぺん少食の意味を辞書で調べて欲しい。
「なんでそこまで食わせることにこだわるんですか?」
「アイツ、昔から凄い美味そうに食うんだよな」
「あぁ……」
それにはなんとなく心当たりがある。以前ばったり会った山田兄弟と俺たち3人での焼肉を食べに行ったことがあるが、目を輝かせて肉を頬張る姿はまるで1週間ぶりのご飯です、といった様だった。コイツら30分前にクレープ食ってたけどな。しかしあの天晴な食べっぷりは見ていてなかなか気持ちがいいもので、こちらもつい張り切って肉を焼いてしまい、満腹だと喜ぶ姿を見た時は謎の達成感が凄かった。
「たまたまお腹がすいてなかっただけではないか?」
「アイツブクロ出る時に電話で腹ペコって言ってたんだぞ!?」
左馬刻は叫んだ。腹ペコ宣言を聞いて意気揚々と唐揚げを仕込み始める左馬刻が目に浮かぶようだ。
「ならば、イケブクロから左馬刻の家に着く間に食欲が満たされたからと考えるべきだろう」
「一郎くんの性格を考えると自分から買い食いした線は薄いでしょうから、食事に誘われて断れなかった、と言ったところでしょうか」
「そうだな……。どこのどいつだか知らねぇが、このヨコハマで好き勝手したらどうなるか。思い知らせてやる」
◇◆◇
そんな訳で、青い帽子を深く被り眼鏡をかけた俺様は絶賛恋人を備考中。今日は事前に先に家に行っているように言付けているし、『腹減った! 左馬刻が作ったハンバーグたべたい!』という晩飯のリクエストも貰っている。ハンバーグのタネは申し込んであるのでそこら辺の抜かりはない。
俺の家の最寄りの駅で見つけた一郎を追うこと数分。事件が起きたのは一郎が俺の家に向かうために中華街に足を踏み入れたその時だった。
「左馬刻さん家の……じゃなかった一郎君!」
「はい?」
「遠くからごくろうさま!これ出来たてだから食べて行って!」
そう言って出店の人間から恐らく肉まんだろうものを渡された。一郎は恐縮していたが、冷めないうちに、っと言われ照れながらあざす、と礼を言って肉まんを頬張った。
「ブクロのあんちゃん! これ食ってけ!」
「これ新発売なの! 試食してくれない?」
「いい食べっぷりねぇ、これもおあがりよ」
「これも飲んでいきなさいな」
「余ったからやるよ」
「パンダまんあるわよ!」
その後も、一郎は中華街の奴らからなにかを貰っては食べて、貰っては食べて、貰っては食べて……そうしてやっと俺ん家に辿り着いたアイツは俺の顔を見るなりこう言った。
「ごめん、お腹すいてない」
だろうな!!!!
◇◆◇
一郎を尾行した結果、わかったことは何故かはわからないが、一郎が中華街のヤツらにやたらと食べ物を貰うということだった。確かに老若男女から好かれる自慢の恋人ではあるが、流石に貰いすぎではないだろうか。
しかし原因は中華街にあることが分かったので、俺がブクロに行くという方法でこの問題はとりあえず解決することが出来た。俺たちの間に再び平穏が訪れた。けれどそれから暫くしたある日、俺が中華街を歩いているとそこで店をかまえているヤツが話しかけてきた。
「ねぇ、左馬刻さん」
「……なんだ」
様をつけろ、とはカタギで、しかも歳上のヤツらにはなんとなく言いづらい。
「あの子、最近来ないじゃない?」
「あの子?」
「ほら、イケブクロの! 最近見かけないから、体調でも悪いのかと思って」
よく見ると、話しかけてきたのは一郎を尾行した時にアイツに肉まんを渡していた奴だった。
「……別に、なんともねぇよ。なんであんたらがそんなこと気にすんだよ」
「だってこの街で嫌なことがあったらこの先困るじゃない?」
いつの間にか周りには中華街で店をかまえてる奴らが集まっていてうんうん頷きながらこちらの話を聞いている。一体なんなんだ。
「なんにもないならいいの。……それで、あの子いつこっちに越してくるの?」
「は??」
◆◇◆
「てことがあった」
「それは……」
中華街のヤツらの話をすると銃兎は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「なんだ銃兎、貴殿は心あたりでもあるのか?」
「正直あんまり言いたくない」
「言え」
俺が凄むと銃兎は溜息をつき、言いづらそうに口を開いた。
「怒るなよ?」
「内容によるな」
「いわゆる、うちの子、ってやつだ」
「は……?」
「あの中華街の、というよりこのディビジョンの、特に俺たちの親世世代以上のヤツらにとっては、曰く、俺たちみたいな若い奴の活躍は、子供の晴れ舞台を見ている感覚らしい」
「……???」
「あるいは、地元の街から誕生したオリンピック選手に街頭インタビューで誇らしげになる人たちみたいな」
「???」
「とにかく、そんな人達にとって、一郎君という存在は、いわば息子が連れてきた彼女みたいなものなんだよ……」
つまりはしゃいでるんだよ。そう言った銃兎の言葉が全く理解できない。
「知ってるか? あそこの面々は俺らがいないところで俺たちの事を『あの子たち』って呼んでるんだよ」
もうアラサーなのにな……そう言って銃兎は遠い目をした。
「小官も中華街に行くと、食事はちゃんと取ってるか、ちゃんと寝てるかなどよく聞かれるな」
理鶯はどこか嬉しそうに言った。
「彼等は山田一郎がいずれ左馬刻と一緒に暮らすことを想定して彼に接しているのではないか?つまり、彼等なりの街のリーダーの未来の伴侶へのもてなしなのだろう」
この街が嫌いになったりしてないかしら?そう言っていたのを思い出す。
親は幼少期に居なくなってしまったから、親に関するいい思い出は少ないし、今後も増えることは無いと思っていた。
けれど知らぬ間に、親のような親しみを持たれて接せられていた。その事にようやく気づいて顔が熱くなった。いい歳なのに、とか勝手に保護者面するなよ、と悪態をつくも気恥ずかしくてたまらない。
ヤクザと悪徳警官と元軍人をさして子供扱いだなんてある意味とんだ命知らずの連中だ。
けどまぁ、その命知らずに免じて、今度は駅まで一郎を迎えに行って、一緒に中華街を通って買い食いをしてやろう。俺に出来る数少ないオヤコウコウっやつだ。
「けど、お前苦労するぞ」
「あ?」
「ヨコハマですらこの有様なんだ。イケブクロのヤツらは……もっとヤバいぞ」
「あのチームのファンは自らをおふくろと名乗るからな」
「街中に挨拶して回らなければならないですね」
敵意剥き出しのヤツらのとこに行くなんて正直ごめんだが、顔を赤くした一郎が街のヤツらに俺を『紹介』してくれるんなら悪くねぇな、と思った。アイツにもオヤコウコウさせてやらねぇとな。
「……いいぜぇ、やってやるよ」