屍者の帝国 屍者の国に迷い込んでしまった、思わずそう思った。
イケブクロに電車で来たのは久しぶりだった。いつもは自分か舎弟に車を出させるが、今日はヨコハマもハロウィンのお菓子を配るイベントがあったりで忙しかったのもあり、なんとなく、気まぐれで電車に乗ったのだ。
池袋の駅構内には『ブクロハロウィン開催中』という大きなポスターが所々に貼ってあった。イケブクロといえば、所謂サブカルチャーの街として栄えているが、この街の歴史を見るとそれがごく最近の話だということが分かる。例えば、侍なんかがいた時代には辻斬りが横行していたらしいし、イケブクロの象徴のひとつであるショッピングモールがある場所にはかつて拘置所があって、沢山の人が命を落とした。
そんな歴史を持つ街で死者が帰ってくるイベントをやるなんて、本当にそこらで死んだ奴らがあの世から帰ってきたらどうするんだ、と思う反面、平和になったもんだ、なんて思いながらポスターを横目に地上出口に向かった。
駅を出た時から違和感はあった。けれど今日がハロウィンという事もあり、何かのアニメやゲームの作品の衣装やハロウィンの仮装をしている人が多いせいだろうとはじめはあまり気にしなかった。しかし、その違和感はサンシャイン通りに差し掛かるとより顕著になった。
何というか、風景が微妙におかしい。例えば、育ち盛りでいつも腹を鳴らしていた悪ガキ2人によく奢ってやったファーストフード店が見たこともない眼鏡屋になっていた。一郎が弟に持って帰りたいとぼやいたアニメのぬいぐるみをMCDの4人で騒ぎながら苦労してとったゲーセンが道の左側から右側に移動していた。一郎に服を買ってやったアパレルの店はケータイショップになっていて、どうしても欲しい特典があるとあまりにも騒ぐので渋々つきあったアニメの劇場版がやっていた映画館は別の施設になっていた。
大まかなところは見知ったブクロ、けれど記憶とは微妙に違う街並みに頭が混乱する。曰く付きの街を練り歩く不可思議な格好の奴ら、違和感のある街並み、なくなってしまった思い出の場所。逢魔が時に誘われて、なんだか来ては行けない世界に迷い込んでしまった気分だった。
「待てよ!」
そう言って男が自分のすぐ横を走り抜けて行った。その男は赤いパーカーに学ランを着ていた。なんとなく男が走る先に目をやると、そこには黒いジャケットを着た銀髪の男とピンク色の頭をした小柄な男、背の高い長髪の男が立っていた。
一瞬、昔の自分たちがいるのかと思った。しかし落ち着いてよくみれば、それが所謂コスプレという奴だということが分かる。4人は楽しそうに喋りながら薄暗くなり始めた道を横にそれて歩いていく。その先にはボーリング場が
「……ない」
彼等が向かう先には小洒落た映画館の建物があった。あそこにはTDDのメンツでよく行ったボーリング場があるはずだった。俺と一郎のチームと先生と乱数のチームで何回も点数を競った。そこで売られている瓶のコーラを一郎に買ってやったり型落ちした太鼓のリズムゲームで楽しそうに遊ぶ乱数と一郎を先生と後ろから眺めたりした場所、だったはずだ。
いつのまにか4人の姿は雑踏に紛れて見えなくなっていた。かん高い笑い声をあげながら半歩行者天国の道を人や人ならざる格好をしたものが行き交う中いつの間にか一人立ち尽くしていた俺は、目的地に向かって足を速めた。なぜだか無性に一刻も早くここを立ち去りたかった。なくなってしまった場所を見つける度に思い出が亡霊のようにこの街を歩き回る。
ここは屍者の帝国だ。
『10月31日 閉店』と張り紙が入口に貼られた雑貨を取り扱った建物に迷いなく入る。今日が最後というだけあって最後の思い出にとくる奴らが多いのか、店内は中々混雑していた。しかしそれに反比例して品物は少なく、代わりに店の歴史のようなものが展示されていて、なんだか寂しい感じがした。
ここには昔、合歓と何度か訪れたこともあるし、TDDのヤツらとも来たことがあった。
その時も丁度、妖しく光るかぼちゃのランタンや魔女の衣装などが飾られている時期で乱数は魔法使い、そして一郎はフェルトを白い布に貼ったお手軽なお化けの仮装をしていた。ふたりははしゃぎながら店内を物色していたが、ふと乱数に耳打ちされた一郎が俺の方を向き、被っていた白い布を握りしめながら遠慮がちに俺に魔法の呪文を唱えた。
「トリックオアトリート」
思い出に釣られるように振り返ると、そこにはあの時の亡霊がいた。思い出の中と同じ、フェルトを布に貼った白いおばけ。
「……なんも持ってねぇよ」
亡霊に向かって言い放つ。
「……なら、イタズラだな」
そう言ってお化けは俺に何やら黒い布を被せた。それは吸血鬼なんかが着ているようなマントだった。お化けはマントのリボンを結び、形を整えると満足そうにしたあと、
「左馬刻! 待たせたな!」
そう言って亡霊、否、恋人サマは笑った。その顔を見て、俺はやっと屍者の国から戻ってくる事が出来た気がした。
そもそも俺様がブクロまでわざわざ足を運んだのは目の前の歳下の恋人が望んだからだ。……一郎がヨコハマに来るとつい貰い食いしてしまうのを防ぐという超個人的な理由もあるが。久しぶりの逢瀬な事もあり、一郎にどこか行きたい所はあるか?と尋ねるとブクロのハンズが閉店するから最後に足を運びたいと言った。そこなら自分も昔何度か足を運んだ事があったため、現地で落ち合うことになったのだ。
「お疲れさん。ここはもういいのか?」
朝から子供たちにお菓子を配る仕事をしていたらしい恋人からは甘いお菓子の香りがした。
「うん、お世話になった人には挨拶も済ましたし。それより腹ペコでさ」
「なら飯にするか」
「やった! 左馬刻、なにか食いたいもんある?」
「だったら、いや……お前に任せるわ」
咄嗟に店の名前を言おうとして先程の変わってしまった街並みを思い出し、言葉に詰まってしまった。
「そうか?だったら、昔アンタがよく連れてってくれた中華屋行こうぜ!あの餃子がデケーとこ!」
「……まだ、あるのか?」
「? あるよ?」
なんで?と言って一郎が不思議そうな顔をする。なんでもねぇよ、と頭を撫でてやる。
「その後は? どうする?」
コイツがいればもうこの街で亡霊に会うことはないだろう。
「そうだな……じゃあお前の街を案内してくれよ、帝王サマ」
そして新しくこの街で思い出を作るのだ。