あしながさまさん「相談があるの」
ある日の昼下がり、合歓ちゃんから折り入って相談したいことがあるから会えないか?という連絡を受け、それを快諾した俺は彼女が指定したシブヤの小洒落たカフェに訪れていた。なぜ待ち合わせ場所がシブヤなのかというと、彼女は今乱数の事務所でスケジュール管理や先方との交渉などをする仕事をしているからだ。乱数と合歓ちゃんの間には色んなことがあったが言葉とたまに拳で語り合い、今ではなんだかんだいい関係を築いている。
俺にはちょっと量が少ないランチを平らげ、下げられた食器の代わりに運ばれてきたアイスティーにストローをさした後、合歓ちゃんは相談事を切り出した。
「大学にね、行こうと思うの」
「大学に……?」
「政治や法律について、一からちゃんと学びたいの」
そういう合歓ちゃんの顔は真剣だった。彼女はH歴時代、中王区で政治に関わっていた。恐らく行政監察局副局長としてら仕事をする内に政治に興味を持ったのだろう。洗脳された事が発端だったとしても、その過去すら糧にして真剣に将来を見据える彼女は本当に強いな、と改めて思った。
「でも、行きたい気持ちと同じくらい今更かなって思っている自分もいるの……」
たぶん、彼女の中で答えはきっともう出ている。けれど、それでも心のどこかに不安な気持ちがあるから境遇が少し似ているところがある自分に相談してくれたのだろう。合歓ちゃんには是非俺達が取り逃してしまった大学生という青春を手に入れて欲しいと心から思う。なら俺がやるべき事は自信を持って彼女の背中を押してやる事だ。
「今更なんてことないって!」
「でも、私高校の途中で学業から離れちゃったから学力も足りないし」
「勉強はいつから始めても遅くねぇよ。それに合歓ちゃんならきっとすぐ取り戻せるさ」
「今の仕事をしながらだから、時間も制限されるし」
「大学は自分でスケジュールが組めるのがいい所だろ?」
「一郎君も、大学っていいと思う?」
「もちろん!」
俺が力強くそう言うと合歓ちゃんは花が咲くように笑い
「よかった!じゃあ、一緒に頑張ろうね!」
そう言った。
「あぁ! ………………え?」
合歓ちゃん今なんて……? いや、パンケーキくださーいじゃなくて! あ、俺も同じやつください、いやいやそんな事している場合じゃない!
「…….合歓さん? なんか俺聞き間違えたみたいだからもう一回言ってくんない?」
「一緒に、頑張って、大学に通おうって言ったんだよ」
聞き間違いじゃなかった!
「俺が今更大学なんて無理だよ!」
「今更なんてことないわ」
「勉強なんて、萬屋が忙しくて高校の途中から全然してなかったし」
「勉強はいつ始めても遅いなんてことないはずよ」
「仕事が忙しくて授業なんて出れねぇよ!」
「大学は自分でスケジュールが組めるのがいい所、でしょ?」
あれ? なんかこの会話、さっきした気がする……。まさか俺が言いそうな言い訳を先回りして潰された……?
「一郎君も大学はいいものって言ってたよね……?」
合歓ちゃんは俺の手を握り瞳を潤ませて小首を傾げる。どっかの誰かさんならイチコロだろう。ついでに俺はそのどっかの誰かさんの顔が大好きなのでその妹である合歓ちゃんの顔にも弱い。マズい! このままだと、丸め込まれる!
「だ、大学は金がかかるだろ? うちにそんな
金ねぇよ……!!」
咄嗟に言ったがこれは本当の事だった。弟達が大学に行くための貯金はしてきたが、自分のための貯金なんて一銭もない! だから合歓ちゃんには悪いがここは家庭の財政事情という他人には踏み込みにくい話題で断らせて貰う!
「そっか、そうだよね……」
合歓ちゃんはそう言うと残念そうに項垂れてしまった。良心がたいへん痛んで咄嗟に自分の胸を押えた。しかし、
「一郎君は、そう言うと思った」
顔を上げた合歓ちゃんはさっきの花が咲くような笑顔からは一転して悪そうな笑みを浮かべていた。そういう表情見るとどっかのヤクザを思い出すなぁ、さすが兄妹……なんて思っていると、ドスッという音と共に俺が座っているソファーが軋んだ。なんだかとっても嫌な予感がする。ギギギ、と首を捻って横を見ると、俺の隣にはさっきまで思い浮かべていたヤクザが座っていた。
「よぉ」
「あんた、なんで……?」
今日は仕事があるから会えないって言ってたじゃねぇか。おい。コーヒーひとつ、なんて言ってる場合じゃねぇだろ答えろ! 俺の問いに!
ついでに横に座っているこの男はヤクザの若頭なんて肩書きを持っているが、実は俺の恋人という肩書きも持っていたりする。
合歓ちゃんはカバンからパワーポイントを印刷しただろう紙を取り出して俺に見せた。
「じゃーん! 一郎君に勧めるのはこれ! ブクロのふくろう基金〜ゆりかごから碧い棺まで〜」驚きの利子の低さと留年せずに卒業出来たらその時点で返済不要になるおまけ付きのどこよりも安心な基金だよ!」
そんな優しすぎる基金聞いたことない!A4コピー紙にプリントされたパワーポイントをめくる。するとめくったページの右下に見覚えがある棺から生えたドクロが赤青黄の3匹のフクロウを抱えるイラストが描かれていた。
……ヤクザじゃねぇーか! それは1番金を借りちゃ行けないところだ!そしてしれっと弟の学費まで面倒みようとするな!
「あんた本当になにしてんの……?」
「あんたじゃない。あしながサマさんだ」
「うるせーよ」
「いちろーくんの未来を広げるために?ジゼンジギョーってやつをやってやろうと思ってよ。まぁ、俺様的には専業主夫でもいいけどな」
なんて言って運ばれてきたコーヒーを飲んでいる。
「なんでアンタまでいきなり大学なんて」
「いきなりじゃねぇよ」
「え?」
突然のカミングアウトに俺は左馬刻の顔を見る。
「あの頃はどうやってお前に自発的に大学行きたいって言わせようか先生達とよく計画立ててたしな」
「なにそれ聞いてない」
「先生は大学芋ばっか差し入れてた」
「普通にハマってんのかなって思ってた……」
「乱数は大学近くのカフェに連れ回してた」
「全然気づかなかった……」
「……」
「まさか左馬刻も……?」
「……リリックの中に大学で韻が踏め「もういいから」」
顔から火がでそうだった。つまりこの人達はそれとなく大学に関連する場所やワードを俺の周りにばらまいて俺に自発的に大学に興味を持たせようとしていた訳だ。あの時の俺は全然余裕なくて気づかなかったけどあんたら本当過保護だな!あと普通にわかりずらい!
「ついでに大学に行く決め手になった奴が学費を負担できる権利を手に入れることが出来てだな」
「そこで争うな…」
顔を手で覆い嘆く俺をよそに左馬刻はキメ顔をしてこう言った。
「つまりこの勝負、俺の勝ちだ」
アンタはまだ戦ってたつもりなのか
「一応聞くけど、この驚きの低利子っていくらなの……」
「お前の場合はここ」
そう言ってヤクザは己の頬を指さした。
「1日一回、お前からここにキスしろ」
「……」
俺は無言でヤクザが指をさした箇所を思いっきりつねってやった。
「いてーな!何すんだよ」
「人前で!そういうのよくない!」
合歓ちゃんもいるんだぞ!しかしながらこの後の抵抗も虚しく結局俺は合歓ちゃんが作成した契約書にサインするまで解放されることはなかった。
そもそもはじめからあの碧棺兄妹に勝てる筈などなかったのだ。その後げっそりとして食べたパンケーキは既に冷めてしまっていてなんとも言えない味だった。
「もうどうにでもなれ……」
◆◇◆
「……なんて言ってたくせによぉ」
俺様は口から煙を吐き出した後忌々しげに煙草を地面に捨て、足で踏み潰す。吐き出した煙は空高く舞い、頭上の桜とやがて同化したように見えなくなってしまった。
「特待生ってなんだよ」
「いやー、勉強ってやってみると面白いんだな」
「学費全額免除なんて聞いてねーぞ」
目の前の男は新品のスーツを着込み、胸には
コサージュを付けていて、こいつが今日の主役のひとりであったことを示している。
さっきまで新入生代表挨拶までこなした歳下の恋人は当時はあんなに勉強は得意じゃないなんて騒いでいたくせにいざやってみるとどんどんのめり込んで行き、17歳の頃は心の余裕がなく勉強に身が入らなかっただけであった事が伺えた。その結果、あれよあれよと学力をあげたコイツは合歓と共に試験を優秀な成績で修め、なんと学費免除の特待生になっていた。余談ではあるがこの事実に1番はしゃいで喜んだのは三男であった。
「はぁ」
コイツの事だからどうせ大学でも引っ張りだこになるのは予想がつく。つまり会う頻度も相対的に減るわけで、それを埋めるための利息だった訳だがそのあてが外れてしまった。
すると、ちぅ、という音と頬に何かが触れる感覚がする。
「そんなんなくても、キスくらい毎日してやるよ」
いたずらっ子は笑っていた。