手作りの味噌汁で諏訪さんの胃袋をつかんで惚れさせたい「手作りのあったかい味噌汁を作ってくれたら、無条件に惚れちゃうよな」
飲み会は終わりも間近、アルコールがほどよく回って、声のボリュームが上がり、頭がふわふわとしてくる頃だった。諏訪が無自覚にそんなことを言ったものだから、その場の空気がぴたりと止まる。
無条件に惚れるちゃうよな、だと!?
しかも諏訪は顔をほんのり赤くして、のろけんばかりに目を潤せているものだから、独占欲が刺激されるってもので。そうしてその気になった者たちは、諏訪にひっそりと誓う。それは自分が成し遂げてみせると。
◇ ◇ ◇ ◇
二宮
「意中の相手を落とすためには、胃袋を掴めと聞くが、そういうものなのか?」
真面目すぎて、たまにズレた発言をする自隊の隊長が、突如としてそんな質問をするので犬飼はびっくりしてしまう。
「それはそういう行動が効果的かどうか知りたいってことですか、それとも掴みたい胃袋があるんですか?」
「どちらもだ」
無表情のまま、堂々と言いのける。背筋はピンと伸び、眼光は厳しい。悩んでいるようには見えないが、多分悩んでいる。それが犬飼には分かってしまう。
「おれは料理を作ってもらったことがないから分からないですけど、自分のためにおいしいものを作ってもらったら嬉しいですよ」
「嬉しいというのは、好きになるってことか」
厳密なところまで追求してくるな。
「それだけでは好きにはなりませんが、好きになるかもしれないですね。っていうか、それまでの関係性もあるんじゃないですか。ちょっと気になっていた人なら、それが決定打になって好きになるかもしれないし」
「なるほど。つまりお前の場合、味噌汁だけでは好意を勝ち取れないってわけだな」
味噌汁? つまり二宮の意中の相手は味噌汁が好物なのか。
「第一、手料理を作ってあげるとしたら、キッチンがあるところにその相手を連れてこないといけないわけでしょ。それってなかなかハードルが高いですよ」
「それは大丈夫だ。相手の家で何度か飯を作ってもらったことがある。だからそこは問題ない」
マジか。まさかそこまで深い仲になっている相手がいたとは、全く気付かなかった。
「自宅に入れてくれる仲なら、味噌汁で相手を落とせるかもしれませんよ。味噌汁を作ってみたらどうですか? 」
そう提案するが、二宮の表情は浮かない。
「……おいしい味噌汁はどうしたら作れる?」
は? 二宮は真っすぐな瞳でこちらに尋ねてくる。っていうか、二宮が知りたかったことはこっちじゃなかろうか。なんてまどろっこしい。
「……二宮さん、料理は?」
「たまにする、味噌汁は作ったことがない」
「味噌汁って、シンプルだけど奥が深そうですよね。でもだからと言って、実力もないのに表面だけでもどうにかしようとして、ネットのおいしいレシピとか裏技を取り入れるのはよくないと思うんですよ。情報に翻弄されると、すぐにメッキが剥がれてバカを見ると思うんですね」
「それは一理あるな」
「料理に限らず、自分をよく見せようとすると、そうなりません? 背伸びしすぎると、下心が透けて見えちゃうから絶対いい結果にならないと思うんですよ。こういうときはありのままが一番ですよ」
「大いに納得するな」
「でしょ。だから二宮さんがすべきは――」
そうして犬飼は自分が知っている中で最も基本的な味噌汁の作り方を伝えた。
◇
「俺、味噌汁が作れるようになったんです。それを諏訪さんに食べてもらいたいので、この後家に行ってもいいですか?」
防衛任務のシフトが一緒になった夜、二宮がそんなことを言ってきた。二宮は真面目すぎて、たまにズレた発言をするが、なんでまた味噌汁なのか。不思議に思って周りを見てみると、笑いをかみ殺している犬飼と、こちらを睨みつけている堤がいた。
「二宮、それは――」
いつもより厳しい表情の堤が二宮に詰め寄ると、犬飼がすかさず間に割り入る。
「堤さん。二宮さん、すっごく頑張って練習したんですよ。それを邪魔するのはどうかと思いますよ」
にこやかだけど目が笑っていない。犬飼があの顔のときは、何が何でも二宮を守ろうとするときだ。
「な!」
そうして犬飼は堤の背中をどーんと押して行くので、気づくと諏訪は二宮と二人っきりになっていた。さてと、これは話を進めろってことか。
「えっと、何、練習したの?」
「ええ、諏訪さんが味噌汁がいいって言ってたんで」
味噌汁がいいって言ったことなんてあったけ。なんでか分からないが、諏訪が味噌汁を飲みたいと言ったらしいし、それを聞いて二宮は練習をしたっていうのであれば、その努力を無下にしてはいけない。
「分かった。じゃあ、この後俺んちに来る?」
「はい」
きっちりとその二音を発音した二宮のポーカーフェイスの奥が嬉しそうだったので、諏訪も釣られて嬉しくなる。まあ、味噌汁が作れるようになって、味見をしてほしいのだろう。それも遠慮なく意見を言ってくれる人に。それなら諏訪はうってつけだ。そういうことであれば、せいぜい率直な意見を言ってやるってものだ。
ぼろいアパートの一室、その小さなキッチンで背の高い男がちゃきちゃきと動いて味噌汁を作っている。ここに来る前、普段だったら行かない高級食料品店に寄って、いい昆布とかつお節、それにアルカリイオン水を買ってきた。そうしてアパートに着くと、二宮は手際よく出汁を取り始めた。
「そういやさ、俺らが訓練生から昇格したばっかの頃、ここでよく反省会をしたよな」
今は二宮がキッチンに立っているが、あの頃は家主の諏訪がここに立って簡単な飯を用意したものだ。防衛任務や個人戦後、二宮や加古を自宅に誘っては、金がないからとありもので作った飯を食いながら、あーだこーだと反省会をしたものだった。といっても喋っているのは専ら諏訪と加古で、二宮はぶすっとしながらも会話に参加してくれた。
「同じ時期に入隊して、同じポジションでしたからね。諏訪さんがああやって誘ってくれなかったら、俺は反省会をする意味は分からないままだった思います」
二宮は大根とにんじんを細切りにすると、それを出汁の中に放つ。
「お前にも意味があったんだ」
「ありましたよ」
それを聞き、自分の強引な行動が迷惑ではなかったことにホッとする。あの時、諏訪ははるかにレベルの高い戦闘センスを持つ二宮と加古から、少しでも戦闘ノウハウを教えてもらいたかったのだ。
「そりゃ、よかった。で、大根とにんじんの味噌汁なんだな。この組み合わせ、好きなのか?」
二宮は手を止めると、諏訪のことをジッと見る。そのまなざしから少し熱っぽいものを感じた。やばい、変なことを聞いて怒らせてしまっただろうか。
「家庭科の教科書にあったのが、この組み合わせだったので」
「家庭科の教科書?」
「普段味噌汁は作らないんです。なので基礎から始めようと思って、犬飼から家庭科の教科書を借りたんです。そうしたらこれが載ってて、それを何度も練習したんです。おかげでそれなり以上の味が作れるようになりました」
「高校の教科書ってこと?」
「俺の身近にある、一番基本的で、信用のできる書籍です」
ツンとした調子でそんなことを言うものだから諏訪は笑うしかない。確かに言ってることは正しいし、やってることは間違ってない。だけど何か少しずれている。
「そりゃ、そうだ。仕上がりが楽しみだ」
楽しみだと言った途端、二宮の表情はふっと和らいでいく。味噌を溶き入れると、出汁の中には透き通った大根と、鮮やかな橙色のにんじんがふよふよと浮いてきて、味噌が花を咲かせるが如く溶けていった。
「できました」
「味噌汁だけかよ」
「味噌汁だけです」
自信満々の二宮に、顔がにやついて止まらない。今は飯時でもあるから、ごはんを炊いたり、おかずを用意してもよかったのだ。でも二宮はこれと決めたら、それだけを徹底的にやる男で、今回は「味噌汁を食べてもらう」ことがゴールだったから飯を用意するわけがない。その厳密で正しすぎるところを好ましく思ってしまう。
「じゃあ、食うか」
諏訪は戸棚からお椀を二つ取り出す。湯気がほわりと立ち上り、だしのいい匂いがした。
「そんじゃ、いただきます」
座卓を挟んで向き合って座る。器ごしに伝わる熱と、和食ならではの深い出汁の香り。二宮は諏訪が食べるのをジッと見て待っている。
味が気になるんだろうな。そこで諏訪はお椀に直接口をつけて、味噌汁をズッとすする。だしの旨味に根菜の甘みが溶け出していて、味噌のまろやかな味わいと塩味が口の中に広がっていく。見本になるような王道の味噌汁の味。雑味がなくて、まっすぐな味噌汁。それがなんとも二宮らしい。
「どう……ですか?」
「美味いよ。どこに出しても恥ずかしくない、上等な味噌汁だ。出汁の味がしっかりしてて、すんげーいい。米と肉が欲しくなる」
「胃袋、掴まれました?」
満足したかどうかを聞いているのだろうか。
「まあ、そうだな。掴まれるな」
すると二宮は諏訪にがばりと抱きついてきて、背中をポンポンポンと軽く叩き、パッと離れた。
ん?
それは一瞬のことだった。諏訪は事態を把握しきれなくて固まる。これは美味しくできたことに安心して、つい抱きついちゃったってやつだよな。ほら、サッカーでゴール決めたら、喜びのあまり飛びついてしまう仲間意識みたいな……。
「よかったです。次はごはんと肉も用意しますから」
二宮は子どもみたいに顔を綻ばせてそう言う。それがやっぱりゴールを決めた選手みたいだったので、諏訪は一人で納得する。うん、つまりあれは歓喜のハグだ。だけど一つ疑問が残る。
『次』ってなんだ。
さっき言ったことを本気にして、味噌汁とごはんと肉を用意するつもりなのだろうか。
そうして二人向かい合って、もくもくと味噌汁を平らげると、二宮は帰って行った。ある意味で純粋で真面目なことが最強で厄介だと思わせて。
◇ ◇ ◇ ◇
堤
「オレ、諏訪さんのことを全て把握してますから」
「はあ?」
堤はときたまこういう発言をする。それは周りに対する牽制であり、マウンティングであり、自分の存在をアピールするため。そして諏訪はそれを変な顔をして聞き流す。なんせ諏訪は、堤に対し「自分の部隊を作りたくなったら、俺はいつでも送り出すからな」と言ってるくらいで、堤の思いが全く伝わっていないのだ。
「つつみん、人が他人のことを全て把握することはできない、ってこの本の主人公が言ってたよ」
小佐野は今読んでいる海外文学の台詞を引き合いにして反論してみる。堤の強い思いを知ってはいるが、そう思ってしまうことは危険だとも思っているから。
「そう言う人もいるかもしれませんね。でもオレは諏訪さんの好き嫌いも、予定も知っているし、高校のときに中庭で告白してフラれたことも、呼び出されて告白されてフッた子を泣かせてしまって罪悪感に苛まれてることも知ってるんですよ」
突如として諏訪の秘密をぶっこんできたので小佐野は驚いてしまう。堤は誰よりも諏訪を尊重しているのだが、そこには崇高すぎるリスペクトがあるので、こんな暴露めいたことをまずしないはずで。
「おい、高校のときの話はいいけど、さっき起きたことを言うのはやめろ」
諏訪が珍しく狼狽えているので、マジの話だったようだ。こんなナリではあるが、諏訪は年下によくモテる。なんせ面倒見がいいし、聞き上手な上に人との距離が近いので、憧れが恋に昇華した訓練生たちが次々と諏訪に告白をするのだ。そして諏訪はそれを誰にも知られないよう、ひっそりと対応していることを小佐野は知っていた。
「元気ないじゃないですよ。だから今日、飲みにいきましょう」
「え?」
「今日のはいつもと勝手が違ったって知ってますよ。オレでよければ話を聞きます。奢りますよ」
なるほど。堤があんな言動を取ったのは、諏訪が弱音を吐きやすくするためか。いつもスマートに対処する諏訪も、うまくいかなくて罪悪感に苛まれることがあるようだった。
「別に奢らなくてもいいけど、ちょうど誰かに話を聞いてほしかったんだわ。だから助かる。ありがとな」
諏訪がそう言うと、堤の細い目がチリッと熱を持ったように見えた。
「飲みすぎないようにね」
いつもなら小佐野も一緒に行きたいと言うところだが、内容が内容なだけに、堤と一対一の方が話しやすいだろう。
「わーってるって」
それはいつものやりとりだった。そうして世話のかかる酒飲みたちを送り出すと、小佐野は読書に戻った。それが全て堤の作戦だったとは気づかずに。
◇
堤に連れられて来たのは、込み入った話をするときに行くいつもの居酒屋。大声で話すようなことではないから、カウンター席に並んでビールを飲みながら、今日あった出来事を話した。
「それにしても、その子、捨て身で告白してきたんですね」
諏訪に告白してきた子は、諏訪がボーダーの人とは付き合わないと言っているのを知ってて、ボーダーを辞めてから告白をしてきたのだ。辞めればいいってことではないのだが、諏訪の意向に沿って行動を起こしたのだから、変な罪悪感に苛まれていた。
「辞めりゃいいってことじゃねーんだよ。こういうことって言葉にして説明しなきゃいけないことなのか。分かるよな、いや、分かんねーからこうなったのか。あー、だから俺はボーダーの人間とはどうにもならないって決めてんだよ」
「それなのにやたら学生にモテますよね」
「知らねーよ。ボーダーみたいな未知の組織に入って、たまたまよく接する身近な年上のおにーさんがいて、夢見ちゃったんだよ。ボーダーって歪なとこあるしよー。それに俺、未成年は範囲外だし」
「諏訪さん、エロいですもんね。無意識に色気を放って、若い子たちを惑わせてるんじゃないですか」
「エロいって、なんでそういう話になるんだよ。第一、お前は俺の何を知ってるってんだよ」
「はははっ」
堤がケタケタと笑う。そりゃあ人並みに性的なことに興味があるが、堤とそういったことをじっくりと話したことはない。これはひょっとしたら酔ったときに、性癖の話でもしてしまったのかもしれない。なんせ堤は酒が鬼のように強い。
「堤は、ボーダー内恋愛アリって言ってたよな」
「ええ。だって同じコミュニティにいれば、相手のことがよく分かるし、恋愛に発展しやすいですからね。それこそ同じ大学、同じバイト、同じ会社。違います?」
「分かるよ」
「だからオレはボーダー内での恋愛はアリです。諏訪さんも受け入れたらいいんじゃないですか」
「俺、公私混同になりそうで嫌なんだよ。それに俺は悪目立ちするから、絶対色々と言われる。だったら黙ってればいいんだろうけど、こそこそ付き合うのは性に合わねー」
諏訪はビールを一気に飲み干すと、おかわりをお願いした。
「ふーん。でもそれって、諏訪さんが本気で恋をしたことがないからじゃないですか?」
「へ?」
堤は徳利に入った日本酒をお猪口に注ぐ。透明な液体がとろとろと落ちる。
「恋に落ちたら、公私混同は嫌とか言ってる場合じゃなくなると思います」
とろり。最後の一滴が落ちた。
「堤クン、生意気だな。本気の恋を知ってるって言うのかよ」
おかわりのビールがカウンターに置かれる。トンッ。そうして堤はにやりとして、お猪口に入った日本酒を飲む。喉仏が上下にかくんと動く。口元がてらてらと濡れてて、目が離せない。
「知ってますよ。相手のことばかりが気になって、その人が充実した日々を送れるなら、オレはなんだってしたくなるんです。仕事とプライベートの境界は超えて、その人のことがオレの生活の一部になるんです」
それは今まで見たことのないような、充実しきった顔だった。いつもより大きく、そして頼もしくも見えた。堤をこんなにも満ち足りた顔にさせる恋ってすごい。今まで隣にいたのに、堤にそんな側面があったことに全然気づかなかった。そして諏訪は、そんな堤を見て全力でその恋を応援したいと思ってしまう。
「いい恋をしてんだな」
「あれ、聞かないんですか?」
「部下の恋路をあーだこーだ聞くのは野暮じゃん。お前が幸せなら、俺はそれでいい」
「……諏訪さんらしいですね」
「あっ、でも愚痴りたくなったらいつでも話は聞いてやるからな。もちろん酒つきで」
そう伝えると、堤は少しだけ残念そうになる。だって堤が愚痴を言うときは、その恋が終わるときだから。それこそ、片思いで幸せそうな堤に今そんなことを言うべきではなかったかもしれないけど、自分はいつでも味方だということは伝えておきたかった。
「はい、そのときはお願いしますね」
諏訪が知ってる堤の顔に戻っていた。それは隊服で諏訪の隣に立つ、腹心の顔だ。
「……じゃ、もっと飲むか」
「そうですね」
そうしてつい調子に乗って日本酒をたくさん飲んでしまった諏訪は、気づいたときには自宅の布団の中で目を覚ますのだった。
「諏訪さん、大丈夫ですか?」
見慣れた薄暗い部屋で、堤がこちらを覗き込んでいる。頭が痛くて体が重かったが、どうにかして上体を起こした。
「……俺、昨日潰れたの?」
「ええ。なので勝手ながら、上がらせていただきました。水、持ってきますね」
そう言って、カーテンを開けると堤はキッチンへ向かう。眩しい朝の光が部屋の中を明るく照らすと、昨夜の服のまま寝ていた自分の姿が確認できた。
「悪かったな……。俺、変なことになってた?」
「今回は吐いたり、暴れたりはしてませんよ」
「そっか」
今までも何度かこういうことがあって、諏訪が吐こうが倒れようが、堤は諏訪を介抱してくれる。諏訪の部下になったせいでこんなに迷惑をかけて申し訳ない。諏訪も堤が困ったときは助けてやりたいと思っているが、こいつは何事もソツなくこなすし、隙がなくて、いつだって世話をかけてばかりだった。
堤が用意した水をごくごくと飲み干す。体を中から一気に洗って流してくれるような冷たさと勢いで気持ちがいい。
「堤、あのさ。マジでいつもごめん」
情けないところばかりを見せている。
「そこはありがとうって言ってほしいですね。だからすまなさそうな顔をされる方が嫌です」
「すまねーな……ありがとよ」
こういうときつくづく思う。堤は諏訪隊から抜けて、部隊を持つべきなのだ。だけど諏訪がいくらそう伝えたところで「オレは諏訪隊がいいんです。ここがベストな選択なんです」と言って取り合わない。どうせ身を投じるならもっといいチームを選べばいいのにと何度も思ったが、堤が諏訪隊に価値を見出しているなら、それを尊重するべきなのだ。だから堤がここまで諏訪隊を気に入っていることは本当にラッキーで、堤がいる限りは、この環境を存分に甘んじようと思っていた。
「ところで味噌汁作ってあるんですよ。飲みますよね」
「マジで? 飲む飲む! 飲んだ翌朝の味噌汁ってめちゃくちゃ好きなんだよな。堤ありがとう。お前最高に気がきくな」
「飲み潰れた翌朝の味噌汁って、やけにおいしく感じません?」
「分かる分かる!」
全肯定すると、堤は満足げに、にっこりと笑った。それはずっと待ってたゲームの順番が回ってきた子どもみたいで、実に嬉しそう顔だった。
「ちなみに、諏訪さんちの冷蔵庫にあったもので作ったんで具はネギとわかめです」
「それ、どっちもレイジが置いていったやつだ」
木崎はときたま諏訪のキッチンのストックを整理していく。ネギは刻んで冷凍庫に突っ込んだもので、乾燥わかめは悪くならないからと言って戸棚に置いていったのだ。
「はい、どうぞ」
堤が味噌汁のお椀を座卓に置く。ほどよく湯気が立ち上り、緑色の具材が浮かんでいるのが見えた。
「いただきまーす」
ズズズと音を立ててすする。体がじんわりと温まって、温泉に入ったかのようにぽかぽかしてきた。sねい諏訪がいつも使う材料なのに、知らない味がする。
「どうですか?」
「なんか、俺が作るときと味が違う」
「え、そんなことないでしょう。家にあったものを使ったんですよ」
堤は不思議そうにして、味噌汁をちびちびと舐めるようにして確かめている。
「んー、でもさ、俺のより美味い」
そう伝えると、堤は動きを止める。驚いて、諏訪のことをジィーっと見つめてきて。
「美味い?」
「だって美味いもんは、美味いだよ。飲んだ後だからなのかもしれねーけど、染み渡るわー」
「つまり惚れ込んだってことですか?」
「は?」
変なことを聞いてくるな。だけど堤は表情はキッと引き締めて、返事を待っている。確かに味噌汁は美味かったが、味に惚れ込むかと問われたら――。
「わかめとネギじゃ惚れ込むってとこまではいかないけれど、毎日飲んでも飽きねーだろうな。とりあえずこれだけは言える、俺はお前の味噌汁好きだぜ」
毎日食卓に並ぶものだから、パンチのある味より、じわじわと沁み渡るようなシンプルな味がいい。
「そういうことじゃないんですけどね」
「何がだよ」
「絶対落ちるシチュエーションを用意したんですけどね。具材が普通すぎたんですかね。でも、毎日作ってるうちに体に染みつきますよね」
堤がごちゃごちゃと何かを言っているが、何のことかよく分からない。
「毎日作る気なのか?」
「諏訪さんが望めば」
「……俺、毎日は飲み潰れねーけど」
「でも潰れたときは、いくらでも味噌汁を作りますよ」
諏訪は堤の顔をまじまじと見つめる。存外に真剣なので、本気なことが分かる。そこまでして飲み潰れた諏訪を介抱しなきゃいけない責任感を抱いていたとは……。その甲斐甲斐しさを少しだけ不思議に思いながら、味噌汁を飲み干すと、さっきまでの頭痛が和らいでいく。
「じゃ、頼むわ。ありがとな」
「いえいえ」
そう言って堤はひっそりほくそ笑む。そしてこう決意していた。また諏訪が心理的に参ってしまうタイミングがきたら、今度はもっと大胆に仕掛てみようと。