尾形百之助を見つけたら、今度は絶対僕が殺してやる。そう思っていたら深夜のコンビニで、くたびれたスーツを着た尾形百之助に出会った。
「おいてめぇぇぇ! ここで会ったが百之助だあ!」
百之助は明治の頃から変わらない死んだ眼差しで僕を見つめ、驚いた様子もなく「それを言うなら百年目だ」と突っ込んだ。
「百年と少し経ってるがな」
百之助は割引になった弁当とコーヒー、タバコを有料のレジ袋に入れてもらっていた。目の下のクマが酷い。頬もこけてる。
「で? 用がなければ帰る、明日も始発で家を出なきゃならん」
コンビニを出て行こうとした百之助を慌てて追いかける。あの尾形百之助が社畜? 意外なんだけど。
「お前に会ったら今度は僕がお前を殺してやろうと思ってた。ずっと会いたかったよ」
そう言ったら百之助はハハ、と笑った。ずいぶん乾いた笑い声だった。
「じゃあさっさと殺してくれ。俺は一分一秒も生きてたくない」
さっきは明日の話をしたくせに。生まれ変わっても拗らせてんのか、ホントに不器用な男だ。
「俺が死んだらアパートの解約を頼む。あと会社にも連絡しておいてくれ。引き継ぎ資料は共有フォルダに置いてあると。葬式はしなくていい。親族もいない。それから……」
百之助が立ち止まる。
「お前どこまでついてくる気だ」
「いや百之助が喋るからじゃん。せっかくだから遺言聞いてあげてんの、ほら続きは?」
百之助は目の前のアパートに入っていった。ちょっとボロそうだけどごく普通のアパートだ、独身男ばっかり住んでそうな感じ。
一階の角部屋の鍵を開け、百之助が中に入る。僕もそのまま中に入ったけど百之助は何にも言わなかった。スイッチを入れるとブーンと音がして電気がつく。明るくなった室内にはせんべい布団が敷かれていて、それしかなかった。
「は? ここ人住んでる?」
「俺が住んでる。たまにしか帰って来れないがな」
百之助は床にペタンと座ると、買ってきた弁当とコーヒーを袋から出して床に置いた。タバコはスーツのポケットにしまった。
「俺を殺すならこの部屋はやめろ、大家に迷惑がかかる。荷物はあまりないが適当に処分してくれ。金はあるから自由に使っていい、口座の暗証番号は0122」
「暗証番号を誕生日にすんなバカ」
「今は違う。前の誕生日だ」
「どっちにしろ誕生日だろ」
百之助が弁当を咀嚼する音だけがする。ごくんと飲み込むと喉仏が動く。首をきゅっと両手で締めただけでコロッといっちゃいそうってくらい今の百之助は弱々しい。僕そんなの望んでない。臆病なくせに大胆で、生意気なくせに弱気で、愛されたことがないと思い込んでるくせに優しくて。そういう男だろ、尾形百之助は。
「今のお前は殺し甲斐がないよ。ますますつまんねー野郎になったな」
「そうかもな」
「いや貶されてんだから突っかかってこいよ。昔のお前ならネチネチネチネチ嫌味の10や20ポンポン口から出てきたよ」
「今の俺は昔の俺じゃない。お前の期待にも応えてやれなくて悪いな」
空になった弁当箱と箸、コーヒーの缶をまとめてビニール袋に入れて縛り、鞄の側に置いた。この部屋はゴミ箱すらない。
「風呂入る」
百之助が立ち上がって、使われた形跡のないキッチンの向かいにある扉を開ける。風呂場あったんだ。
「お前どうすんだ、泊まってもいいけど布団はないぞ」
終電もないしね。僕は立ち上がって百之助を追い、閉められようとしていた風呂場の扉を手で押さえた。
「なんだよ」
「名前呼んで、僕の」
「は?」
百之助の眉間に皺が寄る。
「ずっと『お前』しか言わないじゃん! 記憶あるんだよね、だったらわかるよね? ほら、せーの」
「…………宇佐美、時重」
うん、満足。
「僕今日泊まる、んで一緒に風呂入るし一緒に寝てやるよ」
「はあ? 気持ち悪いこと言うな、まず物理的に男二人は無理だ」
「だいじょーぶ、なんとかなるなる!」
マジで狭い風呂場でお互いにぶつかり合いながらもシャワーを浴びた。比較的きれいそうなタオルで体を拭いて、パンツだけ身につける。さっきのコンビニでパンツ買えばよかったな。
「百之助ぇ、なんか着るもん貸して」
「ない」
「え?」
「寝るときに着ない。どうせすぐ起きるし着替えるとき脱ぐの面倒だろ」
「冬どうしてんだよ……」
ないなら仕方ない。スマホを充電コードにさしてアラームをセットしている百之助を横目に見ながら、せんべい布団にごろんと寝転がった。背中が痛い。こんなんでよく寝られるな。
「おい、何勝手に寝てんだ」
どけ、と僕を睨みつける百之助に向かって両手を広げる。
「僕の胸に飛び込んでおいで」
「は?」
「いいから、ホラホラ」
強制的に百之助を引き摺り込んで、ぎゅっと腕の中に閉じ込めた。
「っ、おい宇佐美!」
「お疲れ様、百之助。よくがんばったね」
赤ん坊をあやすみたいに背中をトントン叩いてやる。
すっかり春めいたとはいえ、朝と夜はまだ冬の名残を感じる。人肌の温かさはちょうど良かったみたいで、百之助はすとんと眠りについた。
「おやすみ」
電気消すの忘れた、と思ったら一応リモコンが枕元にあった。その前に百之助のスマホに手を伸ばして、パスコードを入れる。0122、ほら開いた。
「百之助は甘ちゃんだな」
三時半にセットされたアラームをオフにしてスマホの電源を切った。やっと部屋の電気を消して、百之助を抱きしめ直す。
百之助が社会に殺される前に出会えて良かった。お前を殺すのは僕でなきゃ。
百之助は死んだように眠っていた。昼になっても起きて来ないので、百之助と出会ったコンビニで弁当を買った。部屋に戻っても百之助はまだ寝ていた。耳を口元に近付けるとかすかに息が出入りする音が聞こえる。うん、生きてる。
14時くらいまでは百之助が起きたら一緒に食べようと思って待ってたんだけど、あまりにも腹が減ったので一人で弁当を食べた。食べ終わってやることがなくなったので百之助の鞄を漁る。上質な革の名刺入れを見つけたので中を開けて、百之助の名刺を取り出した。ハナザワコーポレーション、営業第二課。ははあ、スマホで検索したら、代表取締役は花沢幸次郎だった。勇作殿もいるのだろうか。新卒採用のサイトに飛んで、社員紹介のページを見たら案の定いた。人事部の花沢勇作くんは毎日定時で帰り、土日は自分磨きに費やしているらしい。うそくさ。百之助の名刺を一枚拝借した。
ハナザワコーポレーションについて調べていたら充電が切れそうになったので、百之助のスマホを抜いて僕のをさした。西日が眩しい。僕、今日なんもしてないんだけど。
太陽がすっかりなくなった頃に、やっと百之助は目を覚ました。
「おはよ」
僕を見て、天井を見上げる。状況を把握している最中らしい。
「よく眠れた?」
百之助は状況を理解したのか、のろのろと起き上がって、スマホで時間を確認しようと画面を触った。もちろん僕が電源を切ったから反応はない。
「いまはー……10時ちょっと前かな。あ、もちろん夜の10時ね」
「……あー……よく寝た」
百之助はスマホの電源をつけようとしない。会社から連絡が来てるかも、とか思わないのだろうか、社畜のくせに。
「なんか飲む? 弁当もあるけど」
「……便所」
トイレに向かう百之助のなまっちょろい肌を目で追った。デスクワークのせいだろうか、筋肉も脂肪もない痩せた背中が切ない。
百之助が用を足してる間に弁当とペットボトルを並べてあげた。トイレで出すもん出したら腹が減ってることに気付くはずだ。そう思っていたのに、トイレから戻ってきた百之助の第一声は「お前まだいたのかよ」だった。
「いるよ、だって全然起きて来ないんだもん」
「お前そういうキャラじゃないだろ。俺が起きなかったら勝手に帰ればいい」
「それは昔の僕でしょ、今の僕は弱ってる百之助の世話を焼いてあげたいの」
「俺のこと殺してくれるんじゃなかったのかよ」
「僕は幸せ絶頂のお前を殺したいの! 死にたがってる百之助を殺したらお前を喜ばせちゃうでしょ!」
「相変わらず捻くれた性格してんな、お前」
「百之助に言われたくない!」
いいから食えよ!と弁当を指差したら百之助の腹がぐうとなった。そりゃあ腹も減るだろ、一日中寝てたんだから。
「……ありがとな、弁当」
僕に聞こえるか聞こえないか微妙なくらい小さい声で、ぽつりとお礼を言う。相変わらず素直じゃない奴、でもふたりしかいないこの静かな部屋ではどんなに繕っても意味がない。
「百之助、僕がお前のこと幸せにしてやるからね。そんでお前が人生で1番死にたくない時に殺してやるから」
米を口いっぱいに詰め込んだ百之助が猫みたいな目でパチパチとまばたきを繰り返す。
「プロポーズみてぇだな」
なるほど、百之助は死ぬまで僕と一緒なわけだし、これから2人で幸せになるんだし、まあプロポーズみたいなもんか。殺すけど。
「いいよ、プロポーズってことで」
「お断りします」
「百之助ぇ!!!!」
ハハ、と笑った百之助はボサボサの髪を撫で付けた。
「不束者ですがよろしくお願いしますってな」
「ほんとにね、感謝してよね!」