黄金の橄欖石を取り戻せ【事件の始まり】
「事件だーーー!!!」
「フォーーーー!!!」
「朝から何してんだ…」
探偵テリーの助手であるセシルがまだ開店前だというのに何時にも増して大きな声で工房のドアを勢いよく開け放ち、その勢いに驚いたパルモさんの叫びが工房中に響き渡り、堪らず寝間着のまま部屋を出る。
「あ!!リュカさん、大変だ大事件が!!」
「こんな時間から騒ぎ立てる程の事か…?」
「おはようゴザイマス!ナイスなモーニングコールデシタネ!!」
あまりの眠気に部屋を出てすぐの手すりに凭れかかりながら、二度寝を邪魔した探偵見習いを睨む。
セシルのことだ、どうせ大したことでは無いのだろうという予測は、眠気と共にたち消える。何故なら、
「大変なんだ!!アリスさんが何処にも居ないんだ!!!」
「は…居ないって、アリスがか!?」
アリスが、この町から消えたのだ。
セシルからリグバース署に来るよう言われ、大急ぎで普段着に着替えると、リグバース署に駆け込み署長室の扉を開ける(着替えずにそのまま向かおうとしたが、二人に全力で止められた)。
「署長!リュカさんを連れてきました!」
「リヴィア署長!!アリスが消えたって本当か!?」
「リュカか。とりあえずおちつけ」
これが落ち着いてられるか。そう言おうとしたが、全力疾走による呼吸の乱れでろくに言葉にならない。
「やっと起きてきたと思ったら騒々しいなお前は」
「げほっ…お前こそ何で此処に居やがんだよ」
「ケンカしてる場合じゃないよ兄さん達」
「セシルのいうとおりだ。まずはいまのジョウキョウをカクニンしなければならない」
署長の言葉にはっとなって、呼吸を整える。睡眠と食事と銭湯以外は仕事場から動かないような男が、平日の午前に此処へ来るほどには大ごとなのだ。
署長曰く、一昨日の午後からアリスの行方が分からないらしい。一時期Seedを休んだ時でさえも毎日欠かさずアリスが手入れをしていた畑が、昨日今日とそのまま放置されている様だった。
「さいごにアリスをみたのはいつになる?」
署長にそう問われ思い返す。確かに昨日はアリスの姿を見ていない。
「最後に見たのは…」
「一昨日の午前に店で会ったきりだな」
「なっ」
言い終わる前にマーティンが割り込みをかけやがった。いや、それよりも気になるのが
「アリスがお前のところに来たのか…!?」
「それがどうした」
こいつとアリスが一昨日会っていた事だ。いや店と言っていたしそれ自体は特に気にする事でも無いのだが、如何せんここ1週間ほどアリスが妙に俺と会うのを避けていたのでつい突っ掛かってしまった。うんざりしたような顔をするこいつに腹が立ったが、今はアリスの行方の方が心配だ。
「ふむ…アリスにおかしなようすはなかったか?」
「…特に変わった様子は無かったな」
マーティンが一瞬だけ俺の方に目線を向けた気がする。あいつ、何か隠し事でもしてるのか?
署長はそうか、とだけ返して今度はセシルにアリスの目撃情報を問う。
「そういえば一昨日、昼前くらいにアリスさんが大きなモンスターに乗って走ってたのを見たよ!」
「モンスターか…どんなモンスターだったかおもいだせるか?」
「ええと、青くて尻尾が沢山あって、鈴がついてる…」
「多分キュウだろうな。アリスがいつも外に連れ出してるやつ」
アリスがファームドラゴンにモンスター小屋を建築したあと、彼女が真っ先に仲間にしたモンスター。かえらずの森の奥を縄張りにしていたそいつは見た目通りに強く、彼女が街の外に出る時には必ずと言って良いほど連れていた。
「モンスターといっしょにリグバースのそとにでたかもしれない、か。あとでほかの住民にもはなしをきいてみるか」
「俺の話は、」
「そのようすだとしばらくアリスとあってないのだろう?なにかあったらおしえてやるから、しばらくおとなしくしていろ」
___
署長からは大人しくしていろと言われたが、アリスが突然消えて平気で居られるはずもない。工房に戻って遅めの朝食を胃の中に押し込んだものの、アリスの事が気になってしまい、仕事もろくに手がつけられない状態だ。
「ちょっと外行ってくる」
「気を付けて下サイネ」
昼下がり、軽食用のおにぎりを包んで外へ飛び出す。散歩ではなく、街の外へ。アリスの行方を探すためだ。
(キュウを連れて行ったのなら、大型のモンスターを沈静化しに行ったのか…?)
町中でキュウに乗って走っていったというセシルの証言が気になる。アリスは町中でモンスターを連れている事はあるが、モンスターに乗って移動する事は滅多に無いのだ。アリスと共に探索したSeed天空城の様に移動距離が長く、時間が差し迫る様な状況だったのだろうか…
(いや待て。それなら何でワープを使わなかった?)
リグバース周辺地域であれば、アリスならわざわざモンスターに乗らずとも目ぼしい場所にワープした方が手っ取り早い。そもそもモンスターに乗った状態ではワープは使えない。それでもモンスターに乗って外へ出たということは、
(ワープが使えない様な状況だったってことか…?)
ますますアリスの身に何か起こったのではないかと不安になり、アリスが走っていったというリグバースの北部から町の外へと出る。
ファームドラゴンを使わずにリグバースから離れたのであれば、ガディウス平原奥地の門を抜けた可能性が高い。鍛冶屋の横の道を抜け、リュカは平原の奥へと駆けて行った。
___
奥地の関所に入って真っ先に飛び込んできたのは、青い影と降り注ぐ炎の玉だった。
「熱っつ!」
咄嗟に避けて直撃こそ免れたものの、炎から発せられた熱がリュカの頬を掠める。
この攻撃にリュカは覚えがあった。まさかと思い炎の向こうを見やれば、そこにあるのはぶわりと広がる9本の尾。本来であればささやきの森にしか居ないはずの、鈴を携えた神秘的な狐のモンスターだった。
「グルル…」
「お前…キュウか、ってうおお!?」
状況的にこの九尾がアリスと共に居るはずのキュウであると判ったが、周囲にアリスの姿はなく、キュウはリュカを敵とみなして襲い掛かってくる。
リュカはどうにかキュウを落ち着かせる方法を考える。暴れたモンスターは実力行使で落ち着かせるのが一番良いのだが、如何せん相手はペット大会で優勝したこともあるアリス自慢のモンスター。日頃の睡魔に加えて今朝からろくに食べていない状態のリュカ1人では分が悪すぎる。
ひとまずこの場を離れようと思ったリュカだったが、暴れるキュウの猛攻を防ぐのが精一杯で中々その場を離れることができない。
「ぐあ…っ!」
火の玉を躱す事に意識を向け過ぎたリュカは、キュウの突進をまともに喰らってしまう。身体が宙を舞い、咄嗟に受け身を取ったものの落下の衝撃を殺しきることは出来なかった。
尚も迫ってくるキュウを視界に捉えたリュカは、診療所送りを覚悟した。
「…?」
先ほどまでリュカに敵意を向けていたはずのキュウが、突然動きを止めた。
とどめを刺されるかと思ったが、どうやらそうではないらしい。キュウはリュカの懐辺りに鼻を近付けたあと、リュカのベルトを咥えて引っ張った。キュウの目当ては、どうやらベルトに付いたリュカのポーチに入っているらしい。
(何か持ってたか…?)
ポーチをベルトから外し、中身を取り出すと、キュウはその中からおにぎりの入った包みを咥え、開けろとばかりにリュカへと押し付ける。
「あー…仕方ねえな、半分やるよ」
俺も食べるんだからな、と包みに入っていたおにぎりの一個をキュウにあげれば、あっという間に平らげて鼻を鳴らした。様子を見るにモノ足りないが許す、といったところだろうか。もう一個のおにぎりを頬張りながら、リュカは改めてキュウの様子を観察した。
遠目からでは分からなかったが、キュウの身体にはつい最近何かと戦ったような形跡が見られる。この場所を縄張りにしているニードルビーストと争ったものだろうか。
ここにキュウが居るという事は、アリスも此処に来ていたはずだ。なのに肝心のアリスはいま此処には居ない。手掛かりは見付けられたが、不安は増すばかりだ。
「一旦町に戻った方が良いか…?」
キュウに重い一撃を喰らった状態では歩くのがやっとだった。そんなリュカに、キュウは背中を向けて鼻を鳴らす。会話が出来る訳でも無いが、それでも此方を待っているようなモンスターの仕草から、何となく意味は読み取れる。
「…乗れってか?」
キュウはわふ、と1つ吠える。合っているらしい。このモンスターにはどうにも振り回されている様な気がするが、先の通り暴れられたらひとたまりもないので素直に従っておく。それに、送ってくれるのなら好都合だ。
「それじゃ、頼むぜ」と格好付けてキュウに搭乗したリュカだったが、キュウの飛ばしっぷりに再び振り回される事になるのであった。
___
「…ん」
「やっと起きたか。全く、無茶をするなと常日頃から言っているだろう」
気がつけば、白い天井に薬品の匂い。声のした方に目線を向ければ、シモーヌが呆れた顔で此方を見ていた。つまり、自分はいま診療所のベッドに横たわっている。
「署にお前がモンスターに乗ってやって来たと思ったら、そのまま気絶したそうじゃないか」
そうだったかもしれない。確かあのあとリグバース署に全速力で向かって、リヴィア署長にアリスのことを報告しようとしたのだ。
「お前が乗ってきたモンスター、アリスがよく連れていたものだろう?」
問診ついでに何があった、と尋ねてきたシモーヌにガディウス平原での出来事を説明する。
「…なるほど。おそらくキュウは1日以上前からその場所に居たんだろう」
一通り話を聞いたシモーヌはキュウについて長い間あの場所に留まっていたのだろう、と話す。
「どういうことだ?」
「お前が気を失っている間にキュウの様子も診たが、見た目以上に衰弱していた。お前を襲ったのも空腹などで気が立っていたからだとすれば納得がいく」
そう言ってシモーヌが窓の外を示したので見てみると、キュウの尻尾で遊んでいるジュリアンにひな、それを程々に止めているルーシーの姿があった。先ほどまでの暴れっぷりは何処へやら、キュウは自分の尾に触る子供達をさほど気にせず、くつろいでいる様子だった。青い尻尾が夕日に照らされ、炎を纏ったときのように光って見える。
…夕日?
「おっと、もう18時前か。そろそろジュリアン達を呼び戻さないとな。…リュカもそろそろ工房に戻った方が良いだろう、パルモさんが心配していたぞ」
「あ、やっべ…。お世話になりました」
慌ててベッドから起き上がり、会計を済ませて扉へ向かう。シモーヌから念のために入院していくか?と言われたが、リュカはこれを丁重に断り、診療所を後にする。これ以上居れば説教を聞かされるか、新薬の被験体にされるか。どちらも避けたい。
診療所の庭では先ほど見た通り、ジュリアン達とキュウが居た。3人はこちらに気付くとすぐさま駆けよってくる。
「あ、リュカだ!」
「リュカだ~。からだはもうだいじょうぶ?」
「ふっ、もうバッチリだ。闇が俺を祝福しているぜ…」
「本当かなー?此処に来たとき凄くげっそりしてたくせにー」
格好付けようとした所をルーシーに茶化され、言葉を詰まらせる。
「ねながら『もうカンベンしてくれー』とかいってた!」
「うぐ…そ、それよりそいつはどうするんだ」
気絶している間にそんなうわごとを言っていたのかと思うと恥ずかしくなり、咄嗟に話題を反らす。
「この子は怪我が治ったら署長のところに連れてくつもり。元々アリスが飼ってたモンスターなんでしょ?」
アリスも早く帰ってこないかなー、と続けたルーシー。町の住民は皆、アリスが帰ってくるのを待っているのだ。
___
「姉ちゃん、これ。キュウのくびにはさまってた」
そういってジュリアンが差し出したのは、細長い紙の帯。ルーシーはそれを受け取り、帯に付いた紐を解く。
「どれどれ…?」
紐をほどくと、何枚かの字の書かれた紙が現れる。そこに書かれた文字を読んだルーシーの顔が、みるみる内に青ざめていく。
「姉ちゃん?どうしたの、ぐあいわるい?」
「これ…お母さんと署長に見せなきゃ…!」
ルーシーはジュリアンの質問に答えずに、母親の元へと駆け出す。
「あ!待ってよ姉ちゃん!」
ジュリアンも後を追う。よく分からないが、姉が怖い物を見た時のような顔をしていたのだ、きっと何か大変なことがあったのではないか。
___
手紙
拝啓 リグバースの皆へ
この手紙を誰かが読んでいる頃には、私はリグバースに居ないと思います。事情があって町を離れなくちゃいけない用事が出来たので、しばらくリグバースを離れます。用事が終わったらすぐに戻るので、心配しないで待っててください。アリスより
___
【以下、所々場面が飛びます】
ルーシーからシモーヌを経由してリヴィアに回ってきた手紙には「すぐ戻る」と書いてあった。
シモーヌから事のあらましを聴いたリヴィアは、シモーヌが診療所に戻ったあとスカーレットと話をする。
「アリスさんが私たちに黙って町を出て、手紙だけ残していくなんてあり得るのでしょうか?やはり事件に巻き込まれたのでは…」
不可解な点が多いと、スカーレットは言う。
「そのカノウセイはたかい。…が、このもじはアリスのものだ、てがみをかくくらいのユウヨがあるなら、ボウリョクざたではなさそうだ」
「…そうですね、アリスさんの実力なら盗賊に襲われたとしても対処可能な筈です。では、アリスさんの用事とは一体…」
うーんと頭を捻るスカーレットと対照的に、リヴィアには思い当たる事柄があるようだった。
「ようじがあるのはアリスではなく、このてがみをかかせたジンブツかもしれないな」
「相手が?どういう事なんでしょう」
「ガンドアージュの一件だ。レディアから聞いたが、アリスが天空城にむかった際ヤツの部下たちがアリスをおそったそうだ」
レディアに返り討ちにされたそうだがな、と付け加える。
「ガンドアージュは秘密裏にことを進めていたから、表むきはヤツは任務中の事故で行方不明とされているが、Seedはいま大コンランだそうだ」
彼が「しようとした」事がどんな事であれ、彼の「してきた」事が偉大であることには変わらない。だからこそスカーレットも尊敬していたし、Seedという組織をまとめ上げる事も出来たのだろう。ガンドアージュ亡き今、Seedがどういう状態になっているのかは想像に難くない。
「本部では次の総監を誰にするかで揉めていると聞きました」
「うむ。そして、空いた総監の席を巡って不穏な動きがあるらしい」
王国でも有数の資産を持つ男が、多額の資産でもって自分の息のかかった上役を次の総監に仕立てあげようとしているともっぱらの噂だ。その男の周りには黒い噂が絶えないが、Seedに多額の援助をしているため手を出せないでいた。
「決定的な証拠が無い以上、下手に捕まえる事も出来ん。黒い噂は絶えないが、あくまで噂でしかないからな。…と、話がそれてしまったな」
咳払いを一つして、リヴィアは話を
「古代竜に関する研究はガンドアージュが独自にやっていたらしいが、天空城を大勢の部下に守らせていたからな。どこかでアースマイトの情報が漏れていないとも限らん。…犯人は、アリスがアースマイトだと知って連れて行った可能性もある。引き続き明日以降もアリスの捜索を行ってくれるか」
「勿論です」
スカーレットは敬礼し、署長室を後にした。
「んー…」
一人になったリヴィアは、書類に目を通しながらアリスの事と本部の事について考えていた。この二つが結びつかなければ良いのだが。
___
数日間の診療所生活を終え、パルモさんに号泣されながら工房に戻ってから数日が経過したが、アリスの行方は未だに分からないままだった。
昼食を終え、広場に通りがかったとき、何人かが話し込んでいるのが見えた。それだけであればいつもの光景として流すのだが、それが珍しい組み合わせだったため、気づけば足がそちらに向かっていた。
むらくもとフーカ、ハインツのおっさんにマーティン。主に話をしているのはむらくものようだ。
「…何の話をしてるんだ?」
「お!リュカも来たか、昨日変わった客がやって来たんだが、ちょっと話聞いてけや」
なんでもその客の話によると、ある街へ行ったらお偉いさんがでっかい屋敷で展覧会をやってたらしい。誘われたので見に行ったところ展覧会としては良かったが、見物料として法外な金額を取られた、というものだった。
ついでに土産も大量に買わされたお陰で、旅館に来る頃には手持ちが無くなっちまったそうだ、とむらくもは暢気に話している。手持ちがなく途方に暮れた客を旅館に上げる辺り、むらくものサービス精神が現れている。
「ひゃ~、見ただけでそんな金額だなんて、おじさん驚きのあまり腰がビックリ!」
おっさんのリアクションについては敢えて触れない事にする。
「思いきりカモにされてるじゃねえか…その客はSeedに相談したのか?」
「それが、『展覧会に関しては違法性を調査中です』で取り合って貰えなかったんだと」
その有力者は前々から黒い噂がリグバースまで流れてくるほどの人物ではあったが、改めて話を聞くとやはり黒にしか見えない。
(つまり、Seedが手出し出来ない様にしているって事か…悪どい真似しやがって)
封印されし血が騒ぎそうになるのを抑え、平静を取り繕うリュカ。
「モノが良いからとはいえ、限度があるだろう。展示物は確か…」
「貴族が着けてたアクセサリーとか、昔王族が使っていたとかいう食器とか、絵画とか言ってたな!」
「ガウ!キラキラ!ガウガウ!(わあ!キラキラ!見てみたい!)」
「フーカならそう言うだろうと思って、客から駄賃代わりに貰った土産を持ってきたぜ」
そう言ってむらくもが取り出したのは、凝ったデザインの宝石箱に入った幾つかのアクセサリーと、何枚かの写真。
アクセサリーに関しては細工を嗜んでいる自分から見れば技巧の高さを感じさせるもので、材質の悪さすら素人目であれば誤魔化せてしまうほどに良く出来ている。実際、フーカとむらくもはその価値を疑っていないようだった。
「う~ん、彫金とかは良く出来てるんだけどね~」
どうかな~?とおっさんは困ったような笑みをこちらに向けてくる。忘れがちだが、おっさんの(特に宝石に対する)鑑定眼は確かな物だ。無邪気に喜んでいる二人を前に粗悪品ですなどとは言えず、宝石の質に気付いてそうな俺へ話を振ってきたのだろう。
「細工した奴の腕は凄いが、材質で大分損しちまってるのがな…」
鍛冶やってる奴ならそこら辺詳しく見れるんじゃないか?とマーティンに話を振るが、マーティンからの反応がない。
「おい、人の話をちゃんと…マーティン?」
苛立ち混じりにマーティンの方を向いたリュカだが、信じられないといった表情で1枚の写真を見続ける彼に、強烈な違和感を感じた。
「…ん、ああ…すまない。この写真、暫く借りても良いだろうか」
「おう、構わないぜ。気に入ったんなら持ってけ」
何度目かの呼び掛けにやっと我に返ったその男は、余程その写真が気になるらしい。
むらくもが快諾するなり足早にその場を離れたマーティンが気になって、リュカはすれ違う人間を気にも留めず、後を追う。
「いや~、それにしてもこの写真は見事だね~。おじさんも店先に飾っちゃおうかな~?」
「よお、3人で何の話をしてるんだ?」
「テリー!ガウ、キラキラ、ガウガウ!(テリー!見て、キラキラが沢山!)」
「お、テリーさんも来たか。実は…」
こうして、ある街の展覧会についての話は、あっという間にリグバース中へと知れ渡る事になった。
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ザリザリとした研磨音に、微かに響くノミの音。
輝石とそれに向かい会う人影が、机上に置かれた頼りない光にぼんやりと照らされている。金髪で翡翠色の瞳を持つその人物は、その輝きを緩やかに曇らせながら無心で作業を行っていた。
「遅くまで随分熱心に作業しているじゃないか。」
後ろから様子を見に来た男が、アリスへ声を掛ける。
「明日の事を考えたら、眠れなくなってしまって…」
「そこまで緊張しなくても良い。近々総監になる予定とはいえ、彼もSeedの一員なのだから」
「なに、婚姻と言っても形式的な物だ、深く考えなくても良い」という男の言葉に、アリスは顔を引きつらせる。
ガンドアージュの知り合いであるという男に、リグバースの人々の安全などと引き換えに此処に連れてこられ、事情聴取や細工品の加工、果ては勝手に見合い云々の話を進められてしまったのだ。
作業場兼寝室として自分に割り当てられた部屋で、今のアリスはひたすら細工仕事をこなしていた。
「作業は順調かね?」
Seedの異変を調査しているという男の元で働く事になって、何日が経過したのだろう。
「あの、何時になったら私は町へ戻れるのでしょうか?」
「それなんだが、君の疑いが晴れるまでにはまだまだ時間が掛かりそうでね。それに、展示会用の物品の到着がまだまだ遅れそうなんだ。例の品物はまだ返せそうにない」
「そんな…!」
自分が戻れたとしても、「あれ」が無ければ意味が無いのだ。
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夜中。部屋のベッドに横になるも中々眠れないアリスは、部屋の窓ごしに外の様子を伺っていた。屋根裏というだけあって視界を遮る建物は殆どなく、ガラス越しに見上げる冬の空には星が寒々と輝いている。
屋根裏部屋の窓は固く閉ざされており、アリスの力では壊せそうにない。扉の外には見張りが立っており、少しでも怪しい動きをすれば部屋に連れ戻されてしまう。
このまま明日を迎えて結婚してしまえば、自分は一生後悔する事になる。
私には、心に決めた人が居るというのに。もう一生「彼」に会えなくなるような気がした。
_トクベツであるということは、色々とタイヘンなんだ_
いつだったか、リヴィア署長が言っていた言葉を思い出す。あの時はイマイチ理解が出来なかったが、今になって嫌と言うほどに思い知らされる。
男が何故自分がアースマイトである事を知っていたのか。そもそも男が本当にガンドアージュの知り合いなのか。明日やって来るという見合いの相手は誰なのか。様々な疑問が頭の中を巡るが、どれもこれもアリスの心を宥めてはくれなかった。
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