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    そこかしこ

    @jaflrd89474

    発作と衝動

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    POIPOI 42

    そこかしこ

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    モブフロからのフロリド続き。
    ・2話に直接的なモブフロ描写はありません。
    ・トレとジェが出ますが、カプ要素はありません。

    ▽1話※18歳未満(高校生含む)の方は、閲覧遠慮願います。
    https://poipiku.com/5409471/7794869.html

    ##フロリド

    内緒の話 02 夕陽が差し込む教室に、授業の終わりを告げる鐘が鳴り響く。トレインが今日はここまで、とルチウスを抱きかかえ退出すると同時に、静謐は喧騒に塗りつぶされていった。
    「リドルさん、本日もお疲れさまでした」
    「ん? お疲れさま」
     ノートと向き合い要点を整理していると、隣に座っていたジェイドが声をかけてきた。
    「あの、お時間いいですか?」
    「手短になら」
     いつものように分からなかった部分でも聞かれるのだろうか、と特に疑問を抱くこともなく承諾する。ところが、ジェイドはノートを差し出すわけでも、教科書を指差すわけでもなく、声を落として囁いた。
    「昨日から、フロイドが体調を崩しているんです。理由を聞いても、気分が上がらないの一点張り。でも、どう見ても嘘なんです。僕もアズールも、こんなことは初めてで、少し……困っています」
    「結構じゃないか、大人しくて清々する」
    「ふふ、リドルさんはそうかもしれませんね」
    「何故、ボクにそれを?」
    「いつも遊んでくださっているのに、急にフロイドが来なくなっては、驚かれるかと思いまして。お伝えしてみました」
     弧を描いた口元に手をやると、ジェイドは小さく肩を震わせる。何を考えているんだか。リドルは激しくなりそうな動悸を無理に抑えるように、言葉を途切れさせなかった。
    「誰が遊んでいるだって? 要らぬお節介だ。彼がどうなろうと、知ったことじゃない」
    「手厳しいです。……おや、そろそろ戻らないと。お時間ありがとうございました。リドルさん、また明日」
    「ああ、また明日」
     教科書とノートを軽く整えて抱えると、ジェイドはにこりと笑って立ち去った。気がつけば、教室にはリドルしか残っていない。
    「……はぁ」
     肘をついて、手の甲に額を擦り付ける。前髪が手套に擦れて、ザリザリと音を立てた。普段の彼ならば身だしなみが崩れるからと、そういった動作は控えるのだが、今ばかりは余裕が無かった。
     机の木目、ある一点を眺めて、リドルは昨日のフロイドとの会話を思い返していた。


    ***


    「金魚ちゃん、いいの? 縄、解けたけど」
    「……。今回は、キミの気持ちを、尊重する」
    「あは、分かってくれたぁ? じゃ、誰にも言わないでねぇ」
     リドルは、フロイドに言われるまで彼らにかけた拘束魔法が解けたことに、気がついていなかった。自分でも、自分が信じられなくなった。
     フロイドの気持ちを尊重する? 違う、ボクが優先したのは、自分の気持ちだ。あくまでも、ボクの。
     相手の顔を見上げると、なにやら機嫌良さそうに笑って、鼻歌まで混ざり始めていた。先程渡したタオルを首に掛けて、両端を持ったままリズムを取っている。
     なんなんだ、なんでキミは平気でいられるんだ。どうしてボクの方がこんなに……ああもう、フロイドと関わるといつもこうだ!
     恨めしく思いながらも、被害者である彼に対して、リドルは何も言えなくなっていた。それすらも腹立たしい。
    「あー、気持ちわりぃの。風呂入りてぇけど……」
     着直したばかりのシャツを雑に捲って、白い肌に浮かぶ生々しい赤い線を、辟易した表情のまま指でつついていた。
    「これ、寮のシャワールーム行くのやだぁ。ね、そう思わない? 金魚ちゃん」
    「うちのシャワールームを貸せと?」
    「シャワールームってゆーか。寮長室って個人用の風呂ついてんでしょ、だめ? 対価は〜……」
    「別に構わない。対価も結構。その代わり、病院に行くこと」
    「えー、行きたくねぇんだって」
    「だめだ。……そうだね。バスルームを貸し出す対価として、医師の診断書を要求する」
    「げぇ、金魚ちゃんひどい。……んー。でも、いいよぉ」
     金魚ちゃんの部屋行けるのは楽しそーだし、と付け足すとフロイドは転がったままの男二人に再び目をやった。
    「で、どーしよ、アレ。適当に海にでも捨てとく?」
    「バカをお言いでないよ。学園内に無断で侵入しただけの……不審者として、報告しよう」
    「ふは、金魚ちゃん、嘘つき」
     誰のせいだ!! と怒号を飛ばしそうになるが、ため息を漏らしながら机の上に飛び散っていた唾液やらなにやらを、魔法で処理する彼の後ろ姿を見ると、自然と口を閉じてしまっていた。
    「はい、これで元通り〜♪」
     何が元通りなもんか。これも喉の奥にしまい込む。目の前の男はどうしてこうも、呑気なのか。自分が何をされたのか、本当にわかっているのだろうか。
    「じゃ、金魚ちゃんの部屋に行こーう!」
     あ、忘れ物。と慣れた手付きで不審者の襟を掴むと、ズルズル音を立てて引きずりながら、フロイドは教室を出ていった。彼に続く前に、教室を見渡す。スポーツタオルはフロイドが首からかけていたし、ペットボトルは自分が持っている。何も形跡は無い。小さく頷くと、リドルは教室の扉を静かに閉じた。


    ***


    「やっぱひろーい!」
     不審者の引き渡しも特に疑われないまま完了し、ハーツラビュル寮の自室に辿り着く。ほとんどの寮生は、ハートの女王の法律により定められた当番や部活の為、戻っていないらしい。誰かとすれ違うこともなかった。
    「感激するのは結構だけれど、早く入浴した方がいいだろう」
    「ん、そだねぇ。借りまぁす!」
    「着替えは、」
    「テキトーに用意するからいいよぉ。……わー! バスタブあんじゃん、でっか! 金魚ちゃん三人くらい入んじゃねーの」
    「ボクはそこまで小さくないっ!!」
     はしゃぐ声に呆れながらも、タオルの場所などを教えるべきかと、追うようにしてバスルームへ向かう。フロイドは、既にシャツまで脱ぎ終わっていた。反射的に痛ましい傷跡から目がそれる。
    「フロイド。タオルはそちらの引き出し、脱いだものはこのカゴ、マジカルペン等の貴重品はそこのケースにしまって……」
    「はぁい」
    「妙に聞き分けがいいね」
    「そお? オレ、いい子だから」
    「よく言う。ああ、シャンプーなども好きに使うと良い。じゃあ、ボクは用事で部屋を出るけれど」
    「どっか行くの?」
    「トレイの部活終わりに、なんでもない日のパーティーの軽い打ち合わせをする予定なんだ。そろそろだから」
    「そっかぁ。……ねぇ」
     バサバサと脱いだ服をかごに放り込みながら、フロイドは小首を傾げた。子どものような仕草と身体に刻まれた歪な傷が不釣り合いで、リドルは目眩でも起こしそうだった。
    「なにか、気になるのかい」
    「それ、どんくらいかかる」
    「キミが上がるよりは遅くなると思うけれど。勝手に帰ればいいさ。あまり人に見られないようにね」
    「ん、そーじゃなくて、待っててもいい?」
    「……何故?」
    「なんとなく」
    「またいつものムラっ気か」
    「かもねぇ」
    「いい子にしていられるのなら、構わない。本でも読んで、大人しく待っておいで」
    「うん。いってらっしゃい、金魚ちゃん」
     口角を吊り上げてひらひらと手を振るフロイドに、再三呆れながらも、マナーだからと言い訳しながら「いってきます」と手を振り返した。


    ***


     パシャ、と水の音が浴室に響く。傷が染みたのも最初だけで、肩まで湯に浸かって数秒も経てば落ち着いていた。身体を洗って表面上はスッキリしたものの、やはりまだ腹の奥は何か蠢くような違和感が蟠っていた。喉も痛いままだが、喋るのに支障をきたすほどでもなくなってきている。
    「んー? んー……」
     問題はやはりこちらだなと、試しにへその下辺りを指で押してみる。特に何も変わらない。掌を当てて撫でてみても、やはり何も変わらない。
    「別にこっちは出されてねーから、大丈夫だと思うけど」
     陸の人間の体はデリケートなもので、中に出した場合は掻き出しておかないと腹が痛くなる、とかなんとか。言われた気がする。自分は無縁だからと、聞き流していた誰かの言葉を、記憶の片隅から拾いあげる。
     折り曲げた二本の脚を眺めて、そういやなんであんなヘマしたんだっけ? と思い直す。まあいいや済んだことだし、などと頬にはりついた黒髪をかきあげた。
    「あ、金魚ちゃんの香りした」
     笑い声が反響する。それもそうか、同じシャンプーやボディソープを使えば、ある程度近い匂いにもなる。当然のことだが、フロイドはここに至る経緯も含めて突然、シュールなものに思えてきた。
    「〜♪〜〜〜♪」
     うん、気分良いわ。これは、最近ジェイドが勉強中に部屋で流していた曲だった。自分も嫌いじゃない。機嫌がいいと、気づけば口ずさんでいる。
    「あ、やばい」
     勉強するジェイドの背中を思い出して姿勢いいよな、などとどうでもいいことを考えている最中、まずいことに気がついてしまったと口を手で覆う。ばしゃん、と水面が波打った。
     何事もなかったかのように自室へ戻ったところで、自分から普段とは異なる匂いがして、ジェイドが気づかないはずがなかった。彼のことだ、その理由をとことん追求してくるに決まっている。なにより、嘘も隠し事も生半可では通用しない相手だ。
    「あちゃー、金魚ちゃんの部屋行けるのにテンション上がりすぎて、なんも考えてなかったわ。オレも大概ばかじゃん〜」
     乾き始めていた髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。と、頭が刺激されたのか、一つの案が捻り出された。
    「そーだ、金魚ちゃんとトモダチになったことにすりゃいいじゃん」
     オレって天才? だって、トモダチの部屋にお邪魔して風呂借りるのって、陸の常識の範疇だろ。まあ、違ったとしても、そういうことにしとこ。おもしろそーだし。ジェイドもそういうごっこ遊びを始めただけって思って……くれるかなぁ。わかんねー。オクタヴィネルのシャワールームからシャンプー取っちゃえばいい、なんて一瞬思ったけどそんなのつまんないし。金魚ちゃんとトモダチごっこのが絶対おもしろいじゃん。……ごっこかぁ。
     考えを詰めていくと、なんだか視界が暗くなった気がした。上半身を滑らせ、水面が顎に当たるか否か、というところまで沈む。
    「どうせごっこなら、コイビトのが、いいけど」
     どちらにせよ、この遊びを兼ねるのならば、リドルとは口裏を合わせるところから始めなければならない。トモダチかコイビトで提案をしたとして、苦しくも通りそうなのは、どう考えても前者だった。
    「ま、金魚ちゃんがもっとおもしれーこと言い始めるかもしんないし」
     ざぱっと音を立てて立ち上がると同時に、腹の奥がギュッと緊張したような気がして、バスタブの縁を掴んで、一度様子を窺う。もう、なんともない。
    「ー、めんどくさ。これさえなかったら、もっと楽しめんのになぁ」
     あんなことなきゃ、こうもなってなかったけど。ボソボソと独り言をこぼしながら、浴槽からあがった。


    ***


    「待たせたかい、トレイ」
    「いや、俺も今来たところだ。時間も丁度だよ」
     トレイは、リドルが一番気にかけているであろうことに言及しつつも、談話室の椅子を引いて困ったように笑っていた。それに笑い返して腰を下ろすと、彼も席についた。いつもと変わらぬトレイの姿を見て、世界が現実味を帯びていく。リドルは胸をなでおろした。
    「ありがとう。じゃあ、早速だけれど……」
     一年以上続けている事前の打ち合わせだ。寮生の作業分担や予算の検討など、滞りなく進行していく。一通りの確認が終わって時計に目をやっても、まだ一時間も経っていなかった。
    「だいぶ早くに終わってしまったね」
    「少しお茶でもするか?」
     普段のリドルなら、トレイの提案に問題無いと返すところだが、口を開いた途端にフロイドの存在が過る。待っていると言っていたが、気分屋の彼がそう長く耐えられるとは思えない。なにより、幼稚で落ち着きのないあの男のことだ。部屋を散らかされてはたまらない。が、ここで誘いを断ったとして、どのような理由をつける? あまり嘘を吐きたくはなかった。特に、トレイには。……ここは、いつもどおりに振る舞うべきだ。自分を納得させて、彼に向き直る。
    「どうした?」
    「少し予定を振り返っていたんだ。問題無いよ」
    「そうか。なら、ミルクティーで良かったか?」
    「うん、お願いするよ。茶葉は、そうだね。この間ジェイドに貰ったものがあるはずだから」
    「分かった、淹れてくるよ」
     トレイの背中を見送りながら、リドルはハッとする。一つ問題があった。
     思わずフロイドにシャンプーなどは好きに使うといい、と告げたものの、それでは同室のジェイドに勘づかれてしまうのでは? 自分がこのようなミスをおかすなんて! 
     自らを叱責して頭を抱える。起こってしまったことは仕方がないし、指摘してこなかったフロイドにも責任はある。これは二人で口裏を合わせ、どうにかそれらしい理由をつけるしかない。魔法を使うのは……痕跡が残るから最終手段だ。
     自分とフロイドの関係を遡るも、それらしい理由とやらを、こじつけですら得られなかった。だって、平時ならば彼を部屋に入れることなど、絶対にありえない。言語道断。本当に今日は災難だ。
     しかし、いくら相手があのフロイドだとしても、二人の内緒にすると決めた以上それは守られなければならない。
     トレイが戻るまでの間腕を組んで考えあぐねていたが、結局落とし所を見つけられないまま、淹れられた紅茶に口をつけることとなってしまった。


    ***


    「おかえりぃ、金魚ちゃん」
    「ただいま、いい子にしていたかい」
    「してたぁ」
     自室に戻ると、フロイドは白地に小さくデフォルメされたウツボとタコが散らばったTシャツに黒のスウェットという、まるで外に出る気のない姿をしていた。
    「キミ、その格好で寮に帰るのか」
    「んいや、帰るときは寮服に着替える〜」
    「寛ぐ気満々じゃないか」
    「だって、金魚ちゃんの部屋とか来ること無いし?」
     彼がろくに髪も乾かさず、タオルも散らかしたまま勝手にベッドに寝そべる……位の覚悟はしていたのだが、律儀に椅子に座って待っていたことに驚いた。髪も乾いているようで、部屋も荒らされた様子は無い。
    「本当に、いい子にしていたんだね。少し驚いた」
    「金魚ちゃん、オレのことなんだと思ってんのぉ」
    「粗暴で幼稚な同級生だね」
    「ひっでぇ」
     特に普段と様子は変わらない。機嫌がいいのか、わざとらしく唇を尖らせる様は、どこか楽しげだった。
    「傷は、どうだい」
    「別に? 引っ掻かれただけだし、ほっときゃ治るっしょ」
    「そう」
    「なぁに、金魚ちゃん心配してくれてんの? あはっ」
    「キミね」
     頭に血がのぼるのを必死に抑え込みながら、フロイドと向き合った。いつもの悪戯に怒るのとは、わけが違う。
    「自分が、何をされたのか、分かっているのか」
    「んぇ? 犯された?」
    「どうして、そんな能天気で居られる。ボクは、今すぐ問答無用で病院に向かわせたい位なのだけれど?」
    「別に、稚魚できるわけじゃねーしよくない? 変身薬で出来た偽物みたいなもんだし。そら、オレや相手がメスだったら洒落んなんねーけど」
    「今も、洒落になんて、なっていない!!」
     カッと顔が熱くなる。身体中の血管が、ぶわっと広がってドクドクと脈打つ。心なしか髪も逆立つような勢いだった。
     こういうとき、フロイドはいつも、大層おかしそうに「赤くなった!」とケラケラ笑い声を上げていたが、今は目を丸くして硬直していた。いつも眠たげな瞼が嘘のようだった。小さく開いたままの口から声が漏れる。
    「金魚ちゃん」
    「……。まあいい。何を言ったって無駄だな。キミはボクの話を聞かないだろうし。そんなことよりも、今は次のことを考えるべきだったね。またペースを乱されるところだった」
     後半は、ほとんど独り言だ。深呼吸をすると、頭から熱が抜けていく。フロイドは、まだこちらを見上げていた。
    「それ、どうするんだい」
     長く緩やかに弧を描く黒髪を手で掬い、さらさらとこぼしていく。ふわりとシャンプーの香りがする。それは、自分と同じものだった。
    「ボクも気が回っていなかったけれど、これでは少なくともジェイドにバレるね」
    「ばれ、ちゃうねぇ」
     手を離しても目で指先を追っていた。なんだ、と咎めても反応は無い。答える気分では、ないらしい。
    「仕方ない、魔法で誤魔化そう。別の香りを上書きするよりも、ここは削除する魔法の方が……」
    「ヤダ」
     マジカルペンを手に取るより先に、手首を掴んで遮られる。やけに真剣な眼差しじゃないか。ボクが真面目な話をしたってそんな顔はしないのに。心の内で毒づいて、なぜとだけ口を動かす。
    「なんか、もったいない」
    「は……?」
    「このままがいい」
    「じゃあ、他になにか案でも?」
    「金魚ちゃんとこで風呂借りたのが、おかしくない関係になったことにすりゃいいじゃん」
     なるほど、確かに必要最低限の嘘で済むと納得する。悪巧みに関しては本当に頭が切れるな、とまだなにか言いたげな顔を見下ろす。
    「つまり、一時的に恋人になるということかい?」
     友人とする選択肢もあったが、こちらの場合は関係が解消されたとするときの後処理……要は、本来の関係に戻る理由に困る。それは悲しきかな、身をもって経験済みだ。
     だが、恋人としてしまえば「もう別れた」と言うだけで周りは納得する。三日後には、ただの同級生に戻ることができる。
     友人にしろ恋人にしろ、この男との関係として無理はあるが、フロイドの気まぐれに相手してやっていると言えば、どうとでもなるだろう。彼のムラッ気が初めて功を奏しているな。リドルは未だ目を丸くするフロイドを見下ろした。
    「んー……と、うん。そう。そだね、こいびとに、なろ」
    「歯切れが悪いな。嫌なら別の方法を提案してごらん」
    「ちがう、ちがう。やじゃない。ぜんぜん、いい」
    「なら、何か不安要素でも?」
    「ありませぇん」
    「よろしい。別に実際関係を持つわけじゃないから、普段どおり過ごせばいいさ。訊かれたときにだけ、答えればいい」
     ジェイドの性格を考えれば、わざわざ握った情報を無闇に他言することもないだろう。アズールに話す可能性はあるが、フロイドと自分の手の及ぶ範囲だ。
    「ねーねー、金魚ちゃーん」
     フロイドは、そろそろと左手を顔の辺りまで挙げた。眠たげな瞼の下から、僅かに光を帯びたニ色の瞳が、リドルをとらえていた。
    「じゃ、連絡先教えて」
    「必要ある?」
    「だってぇ、問い詰められて連絡先も知らなかったら、ちょーあやしーじゃん」
    「む、」
    「ね? 要らねーと思ったり、金魚ちゃんが消せって言ったりしたら消すからさー」
    「……いいだろう。好きにするといい」
     リドルがスマートフォンを渡すと、フロイドは自分のそれも取り出してさっさと登録を済ませて「ほい」と突き返す。
    「ひとまず、明日は病院へ行くこと。検査結果はボクにも共有すること。いいね」
    「ふぁーい」
     フロイドの生返事を咎めようと口を開くと、彼のスマートフォンから『出てください、フロイド』とジェイドの声がする。
    「あは、びっくりした? これ電話の着信音」
     へらへらと笑いながら電話を取ろうとする彼の手を慌てて止める。
    「待て。今出てどうする」
    「えー、いいじゃん。恋人と居たって、電話は出るでしょ」
    「そういう意味じゃ、」
    「もしもーし。なぁに?」
     こいつは勝手に……! リドルは危うく怒号を飛ばしそうになったが、慌てて口を押さえる。
    「うん、ん、そんときは買いに行くのめんどくさかったから〜……わかったぁ」
     業務的な連絡だったのか、すぐに電話は切られた。そんなすぐ済む用事ならば、電話でなくても良かったろうになどと不思議に思っていると、フロイドがマジカルペンを振り、部屋着から寮服へ装いを改めた。だらしなく垂れ下がったボウタイや、皺になっているシャツに文句をつけたくなるが、今日だけは見逃してやってもいいか。
    「勝手に水取ったのバレちゃったから、購買行って帰るねぇ」
     めんどくせぇ、と付け足すとフロイドはフラフラと立ち上がり、ハットの角度を整えた。少し後ろすぎやしないか。まあいい。
    「キミ、制服は」
    「もうオクタヴィネルの洗濯機突っ込んどいた〜。あ、タオル今度返すねぇ。忘れてなかったら」
     大きな掌に頬を包まれ、何事かと身構えて口を開いた瞬間、額をこつんと引っ付けられ、反射的に瞳を閉じる。次に瞼を持ち上げる頃には、フロイドは口角を吊り上げていた。見上げるのも腹立たしいほど、楽しそうに。
    「また明日、金魚ちゃん♡」
     ひらひらと手を振って、部屋を出ていった。扉が閉まるのを確認して、リドルは先程まで彼が座っていた椅子を机の前まで戻し、腰掛ける。両肘をついて、手の甲に額を乗せるとザリザリと前髪が擦れる音がする。
    「……はぁ」


    ***


     我に返ると、教室は茜色から仄暗い青に変わりつつあった。ボクとしたことが、時間を無駄にしてしまった。スマートフォンで時間を確認すると、ジェイドが立ち去ってから十分程度は経っていた。
     画面から目をそらす直前、マジカメのメッセージ通知が視界の隅に入る。なんだと視線を戻せば、そこにはフロイドの名前と花丸の絵文字が浮かんでいた。
    「は……?」
     誰に語りかけるわけでもなく、声が漏れた。意味がわからない。開いて全文を確認するが、通知と中身は全く同じだった。どうした、と返信すると、次は着信。同じく、フロイドからだった。
    「もしもし?」
    『金魚ちゃ〜ん、オレ元気〜』
    「急になんだ? さっきのメッセージは」
    『元気印〜』
     リドルは電話口のフロイドの跳ねるような、歌うような声とひゅるひゅると風の鳴る音に耳を澄ませている内に、はっとした。
    「病院に行ってきたと?」
    『そ! なんともなかったぁ』
    「そう」
     するんと緊張の糸が解れた。黙っていると、フロイドは『金魚ちゃん、金魚ちゃん』としつこく呼びかけてくる。
    「そんなに呼ばなくても聞こえているよ。なんともなくて何より。診断書は貰ったかい?」
    『貰ったけどさー、オレが持ってたら絶対ジェイドにバレるから、あげるねぇ。今ハーツラビュル向かってんの〜』
    「む……。仕方ないな。ボクはまだ学園内だ。すぐに向かうから、鏡舎で待っておいで」
    『はぁい、ふふ』
     片手で教科書やノートをまとめて、教室を出る。廊下には数人の生徒が見えるが、やはりこの時間は部活のせいか人は少ない。
    「何がおかしい?」
    『なんか、ふふ、あははっ』
    「質問にはハッキリ答えないか!」
    『ほんとに、コイビトみたぁい♡』
    「はぁ、そんなことで笑っていたのか。ただのごっこだろう。さ、急ぐから切るよ」
    『ん、はぁい♡』
     やたら甘くあどけない声を出すな。ああやってからかっているつもりか。声だけでこんな腹が立つんだ。面と向かっていたら、またペースを乱されるところだったかもしれない。端末をポケットに戻すと、リドルは靴音を響かせながら、鏡舎へと急いだ。
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