お目当てはあの人?「ご苦労さまです」
愛想の良い表情を浮かべ三郎は宅配便を見送る。すぐに閉めると迷惑だったみたいに思われるのも嫌で、階段をかけ下りる足音が聞こえなくなるまで伝票を眺めていた。もしかしたら危険物かもしれない、と想像しながら文字を指でなぞり内容をひとつずつ丁寧に確認していく。宛先は長兄である一郎、送り主は通販サイトで品目は僕らの新しいアルバムのタイトルが記載されていた。僕か二郎のブロマイド目当てだろうか。ドアを閉めた瞬間、別の考えが浮かび顔から生気が失われる。
よくよく考えたらこのサイトの特典に僕らは居ないのだ。確かナゴヤの波羅夷空却、シンジュクの神宮寺寂雷、そしてヨコハマの碧棺左馬刻───
まさかと浮かんだ思考回路をかき消すように廊下を走る。とにかくこの荷物をいち兄の部屋に置いて忘れてしまいたい。中身を確認して「伝票の書き間違いか」と安心したいところだが、人の荷物を勝手に見るほど僕の性格は腐ってない。なにせ相手は尊敬するいち兄だ。余計に出来ない。
一郎の部屋の前で在室を示すカードを見上げる。そこには在室を示す文字が並んでいた。普段の三郎なら歌い出しそうなほど上機嫌で部屋をノックするのだが、今の彼には心の底から長兄の在室を喜ぶことができなかった。
腹を括り、ドアをノックする。どんよりとした気持ちとは裏腹に軽快な音が響く。
「三郎です。いち兄、宅配便が届きましたよ」
「お〜サンキュ!今手離せねぇから中持ってきてもらっていいか?」
はーい、と努めて明るく返事をしたが三郎の心は曇天である。中身がアルバムじゃありませんように。必死に呪詛のような願いを唱えながら両手で抱えていたダンボールを片手に持ち替えドアを開けた。
「わざわざありがとうな。……っと、とりあえずこれで大丈夫だな」
ドライバーをデスクに置いた一郎は目にかかった前髪を払い除けると棒立ちの三郎に視線を向ける。収納が手狭になったから新しくカラーボックスを買ったとか言ってたっけ。
三郎は手元の荷物に意識を向けないよう必死に目の前の光景の情報を脳内で整理していた。そのせいでわざわざ待たずデスクに置いておけばいいのに、ぼんやりと一郎の前で指示を待っている状態になってしまっていた。
「おっ!新しいアルバム届いたのか!」
ダンボールに貼られた伝票を覗き込む長兄の顔が眼前に迫る。いくら血の繋がった兄弟とはいえ、この世で一番尊敬する兄のご尊顔が至近距離にあったら慌てるのだ。本当はもっとスマートに荷物を受け渡せれば良かったのだがらこの整った顔を前にして冷静な思考が出来る人間など居ないだろう。そうやって三郎は理由をこじつけなんとか自分のプライドを保っていた。
待ってましたと言わんばかりにダンボールの側面からガムテープを器用に剥がしていく。中から顔を出したのは悔しいことに中王区が発売した新しいアルバムだった。初回限定盤も通常版も出演者全員に配布されているのだが、わざわざ買うとなると特典目当てとしか考えられない。そしてその中には一郎が思いを寄せている碧棺左馬刻のブロマイドがある。
一郎本人は自覚していない尊敬とも恋とも言えない執着は、和解したその日から三郎の目には色の三原色に混じる白色のようにはっきりと見えていた。碧棺左馬刻と顔を合わせている時は罵詈雑言を互いに浴びせているというのに、姿が見えなくなれば長兄は自分たちには向けたことがない幸せそうな表情をしていたのだ。兄の幸せな表情が見れる喜びより、自分たちには引き出せなかった表情を簡単に引き出してしまう碧棺左馬刻への嫉妬は今も尚三郎の心で燻っている。
それでも碧棺左馬刻は、裏社会の人間で犯罪者だとしても長兄の隣に並ぶに相応しい人間だと認めざるを得ないのが心底悔しい。
兄の伴侶となるなら安定した収入と他の奴に目移りしない誠実さ、そして萬屋山田を経営するいち兄の手伝いを出来るくらいのコミュニケーション能力がないとダメだ。
収入に関しては宛名不明で送られてくる荷物を見れば考えるまでも無いだろう。どこから聞きつけたか分からないいち兄の欲しかったものを買ってきたり、いち兄だけでなく二郎と三郎の趣味まで把握している。ここまでくるとストーカーのようで恐怖を覚えるが、いち兄は家を尋ねてくるあのヤクザに対して口では迷惑と言うもののその頬を緩んでいるのだから仕方ない。いつか危害を加えるのであれば、この僕が社会的に抹殺してやれるのだから問題ない。
誠実さに関しては今の時点で測りようがないので割愛するが、コミュニケーション能力に関しては正直僕とどんぐりの背比べレベルで低いと見ている。昔からの付き合いがあるいち兄相手であの不器用さだ。初対面の相手に対して彼奴の思考を的確に理解してもらうのは厳しいだろう。特にあの人を怯えさせる態度は、地域密着型の萬屋には向いていないと言える。あれ、そうれだと僕の方が碧棺左馬刻より萬屋に向いてるんじゃ……
「うぉ……すげぇかっけぇ……」
その一郎の一言で一気に現実に引き戻される。特典のブロマイドを手に感嘆の声を零す一郎の手元を怖いもの見たさで覗き込めば神宮寺寂雷の姿があり思わず間抜けな声が飛び出した。
「え、ブロマイド、碧棺左馬刻目当て、じゃ」
「ん?いや、せっかく仲直り全員出来たから揃えたくてよ。この後アルバムもう二枚来るはずだぜ」
「……はぁ!?」
全て杞憂だったと知れば一気に体の力が抜け、普段なら決して指一本触れないいち兄のベッドに倒れ込む。なんだよ、全部僕の考えすぎだったのかよ……
突然大きなため息をついた末弟に慌てて一郎はどうしたんだ、と駆け寄る。三郎は目元を腕で覆ったままぼそぼそと語り出した。
「……いち兄、最近碧棺左馬刻と話したあとすごい嬉しそうで……だから、アルバム買ったのもアイツのブロマイド目当てかと思ってて……」
「えっ、ええええッ!?!!!」
一郎の防音設備の整った部屋でさえ貫通するような大声に三郎は飛び起き「なんですか!?」と反射で答える。顔を見れば耳まで真っ赤で、恥ずかしそうに両手で口元を覆う長兄の姿があった。
「え、ええと……いち兄……?」
「あ、わわわ悪い。その、そんなに俺、分かりやすいか……?」
「……はい」
油を差していないブリキのおもちゃのように三郎が答えると「そうかぁ……」と膝に顔を半分埋めた。視線だけはふよふよと宙を漂っていて、三郎は初めて見る一郎の姿に少し戸惑いを覚える。それと同時に自分が引き出せた新たな表情に優越感を覚えて口角が無意識に上がる。
「めっちゃ恥ずかしいじゃねぇか……」
「いち兄、碧棺左馬刻のことやっぱり好きなんですね」
「べ、べっ、別に好きとかそういうじゃなくて!!」
三郎、と照れながら怒る兄が可愛くて仕方ない。
やっと恋心に気がついた兄を取られる日はまだ先かな。いつか来る「碧棺左馬刻を兄として認めなくてはいけない日」を今日も覚悟しながら、勝手に碧棺左馬刻をライバルと認定し苦手な人付き合いを克服しようと努力している三郎だった。