お節介「ハッ、馬鹿かよ」
「ふふ、左馬刻くんに分かってもらえるとは思ってなかったけどはっきりそう言われちゃうと凹んじゃうわね」
「微塵も凹んでねぇ癖によく言うぜ」
タイトな紺のドレスを身にまとった女が口元に手を当てて笑うと、左馬刻は気分良さそうにシャンパンの入ったグラスを空にする。さすがキャバ嬢というところか。左馬刻の話を聞きながら程よく自身の話を織り交ぜて盛り上げていく手腕に銃兎はぼんやりと感心した。
無理やり連れてこられたこの場は酷く退屈だ。二人に付いている嬢は二人とも左馬刻に夢中である。自分が構われないから暇という訳でなく、銃兎自身が構うなと隣に来た女から距離を取り逃げたからなのだが。左馬刻はそんな銃兎を愉快そうに笑ってやれやれと言わんばかりに突っぱねた女を自身の隣に座らせた。こんな事なら仕事がしたかった、と左馬刻へ冷ややかな視線を送る。そんな銃兎を無視して繰り広げられる楽しげな会話に耳を傾けながら左馬刻の反応を観察していたのだ。目の前の不機嫌な人間を空気のように扱えるのはある種の才能を感じてしまう。本人にそれを伝えるとしたら嫌味になるが。
「そんな左馬刻くんにはこれを押し付けちゃおうかな」
「あ?……はぁッ!!!」
煙草の灰が手に触れそうになった頃、左馬刻のふわふわと動く頭の双葉がびくんと跳ねた。彼の大声に一瞬フロアが静寂に包まれたものの、直ぐに喧騒に包まれる。下手に機嫌を損ねられるとこの後の対応が面倒になるのは目に見えていた。何を手渡されたのか、彼の手から紙切れを取り上げるとそこには青年の姿が。黒髪に特徴的なオッドアイ……どこからどう見てもイケブクロディビジョンの山田一郎だ。どういう思考回路をしていたら此奴にコレを渡そうという思考に至るのか。淑やかに微笑む嬢とのギャップに思わず吹き出してしまい左馬刻が噛み付くように「んだよ!」と声を上げた。
「…んっ、ふふ……貴女なかなか面白いですね…ははッ、……ふっ、」
どうにか堪えようとするものの笑いが止まらずひぃひぃと喉を鳴らした。自分が笑われていると勘違いしている左馬刻はグラスを投げるようにテーブルに置いた。
いくら和解したとはいえ、元々地雷であった人間の写真を渡すなど正気の沙汰ではない。この女がTDDの頃から熱狂的な左馬刻のファン(但し、恋愛感情は無い)であることは知っていた。今までの新聞や雑誌の切り抜き、公式のグッズから左馬刻愛用の煙草、そしてネット記事も全て印刷しファイリングしていると聞いた時は恐怖まで覚えたが左馬刻に向けられた愛情であり、あくまでも平和的な信者のようだったので他人事だと割り切ったのは記憶に新しい。
「……俺様にンなもん渡すっつーのはどういう心積りだ?」
「一郎くんと組んでた頃の左馬刻様が大好きで復縁記念に是非と思ったんです」
あ、と間抜けな声を零した嬢は派手な髪を揺らしながら「勿論今のMAD TRIGGER CREWの左馬刻様も大好きですからね!」と付け足した。左馬刻よりも俺を意識した発言だろう。そんな気遣いは不要、と言いたいところだがそういう優しさが無害だと判断した理由だったので口を噤む。
「復縁って……付き合ってねーぞ」
「え!??ホテル連れ込んだって記事あったじゃない!」
思わず飲んでいたカクテルを吹き出す。未成年援交とか更に罪を重ねるつもりかこの阿呆は。自分に懐いていた一郎を適当に誑かして連れ込んだとしか考えられない。しかもワンナイトで終わらせれる奴じゃなく同チームに手を出すとは……。
「ー……あれは事故だ事故。向こうが無理やりな」
「え〜っ!左馬刻くんと一郎くん、お似合いだからてっきり付き合ってると思ってたわ」
「ハハッ、時々熱っぽい視線は感じたけど俺様からはなーんにもしてないぜ?」
“からは”とはなんだ。頭を抱えたいがニコチンを手放すのも面倒でソファに凭れ惰性で肺を煙で満たす。何があってもニコチンは美味い。
「向こうが何かしてきたって言いたいのか?」
ため息混じりに呟けば左馬刻は少し頬を紅くし、気を紛らわすように先程嬢が注いだ酒で喉を潤す。くるりとグラスをなぞる指が妙に艶かしい。
「……彼奴、間違えて俺様の酒飲んでよ。そん時色々、な。酔っ払いに手を出すほど落ちぶれちゃいねーんだわ」
「へぇ、なるほどな」
「向こうはなんにも覚えてねぇとかたちほんっと悪ぃ」
はぁ、と深めのため息をついた左馬刻はテーブルに置かれたブロマイドを近くに引き寄せた。戦地で家族の写真を眺める兵士ような瞳がシャンデリアの光を反射して揺れる。
口では散々な言い草だが結局のところ一度懐に入れた者には甘いのだ。嫌悪感を示していた頃も、その燃ゆる瞳の奥に宿る心配という名の優しさがあったのを俺は知っている。そういう態度を見ていたから、俺は左馬刻の一郎への密やかな想いに対して前向きである。上手くいけば機嫌が良くなるだろうし、コントロールがしやいすいなんて考えていない。まあ、この馬鹿男の一途さは入間銃兎お墨付きなのだ。風俗街を出入りしていても何もしてない信頼はここから来ている。
「……これ、貰っていいか」
「ふふ、プレゼントする為に持ってきたんだもの。貰って頂戴」
女は優しく微笑むとボーイを呼び会計を伝えた。左馬刻が支払いしている間に彼女の隣に座り小声で話しかける。
「もしかして、あのブロマイドはそういう目的で?」
「あら、バレちゃいましたか。左馬刻くん、ウチに一度一郎くん連れてきたことあってね。その時の目が見たことないくらい優しかったの。だから今の左馬刻くんがお姉さん心配で……」
「ふふ、キャストが客の恋を応援とは……なかなか珍しいこともあるんですね」
「そうね。でも、私にとってお客様の幸せが一番だから。何か困り事があったら聞くわ」
勿論お店でね、と付け足した嬢に名刺を一枚渡されるとボーイと話を終えた左馬刻が帰るぞと一言。随分と手馴れているようでさすがとしか言いようがない。何かあれば頼らせてもらうか。数ヶ月後、キャバクラに足繁く通う入間銃兎が目撃されたのはまた別の話。