わたしなすてきな夢 2 藤丸立香と名乗った女とスカイプでフレンドになった。
コスモスの花をアイコンにした立香は広告代理店の営業だと言う。
初手は通話とチャットでやり取りすることにした。
活発そうな声で、立香は話しかけてくる。
『すぐ仕事お願いできる漫画家さん探してて、土井先生のツイッターとポートフォリオ拝見したんです。あっ、うまいなって』
通話で妙に高い熱量をぶつけられる。
今の以蔵にとって、『うまい』は褒め言葉ではない。
精確な絵を描ける技術があっても、北斎のように世界の美しさを切り取って紙の上で鮮やかに再現させたり、ティーチのように既視感を抱かせない世界で血湧き肉躍る読後感を与えられなければ、宝の持ち腐れだ。
コミカライズは小説やゲーム媒体へのハードルを高く感じてしまっている読者とコンテンツを橋渡しする仕事で、確かに意味はある。けれど、自分のあずかり知らないところでトラブルが起きたらどうしようもない。
(素人は『うまい』の種類がわからんがじゃ)
しかし、これから仕事をもらうかもしれない以上、あまり否定的なことは言えない。
『こんなにうまい人とタイミングが合ったのって、もう運命なんだなって!』
「……で、おまさんはわしに何ぃ描かいたいがですかえ」
『あっはい! ちょっと画面共有しますね』
立香が言うと、デュアルモニタの片方の画面が切り替わる。
パワーポイントかPDFのファイルだろう。文字が並んでいる。
『今回、乳幼児向けの育児の知恵に絡めたグッズのPRをお話形式で描ける人を探していて……漫画の最新刊も読みましたよ! お姫様が替え玉で本物は男装して王宮に入って侯爵に目をつけられて……あの後どうなるんでしょう?』
「続き、出んですよ」
『え』
立香はうめいた。
「原作者の先生と編集が揉めて、打ち切りになりました。雑誌に載った分はありますけんど、もうお蔵入りです。先生が出版社から版権引き上げましたき、機会があったら他ん会社から出し直すこともあるかもしれませんのう」
『そんな……』
「ほいじゃき、わしは今暇ながです」
『そうなんですか……だったら!』
立香は鼻息を荒くした。
『ますます、この企画を通さないといけませんね!』
「ほうですか」
いまいち、立香のノリについていけない。
『漫画でも、土井先生がたまに描く……デフォルメ? って言うんですか? ちびっちゃいキャラが可愛くて。こんな感じで子どもを描いていただけたらなって』
デフォルメ技術と乳幼児を描く技術はまったく違うのだが、一応以蔵は両方描ける。言わなくてもいいことは黙っていよう。
『主人公は双子で、わんぱく盛りの男の子とちょっと内気な女の子。元気いっぱいで身体を汚す男の子には、おしりふきで手足を拭いてあげたり』
「おしりふきで尻拭かいでもえいがですか」
『あれは使い捨ての濡れ布巾ですから。土井先生みたいに、おしりふきはお尻しか拭けないと思い込む人も結構いるんですよ。ですから、商品をPRしながらちょっとした気づきを得てもらえる作品を作りたいんです。土井先生、もう少し子どもや小さいキャラのイラストはお持ちじゃないですか? 上の者に説得力を出したくて』
ふん、と小さく相槌を打つ。
『わたしの一存じゃ決められないから、何人かにお声がけはしてるんですけど、わたしは土井先生とお仕事がしたくて!』
仕事熱心なのは間違いない。畑違いの漫画のことも勉強している。
しかし、だからこそ疑問もある。
「藤丸さん、ちっくと訊いてもえいですか」
『はい、なんでも!』
「今、仕事探しゆうやつだけでも絵師はこじゃんとおりますろう。どういてわしながです」
立香は数秒考えるように息を吐き、マイクへ話しかけた。
『土井先生の絵、ただうまいだけじゃなくて優しい感じがしたんです。ポートフォリオにはシャープなイラストもあったけど、漫画は世界の優しさを全部持ち寄ってるって言うか……』
音声会話でよかった。唇の端に浮かぶ自嘲を見透かされなくて。
幼馴染みの侍女に替え玉をさせて、世の中の理不尽と立ち向かうヒロインは、はちきんで無鉄砲で、しかし善人だ。そんな少女が見る世界は、優しさに満ちているだろう。
以蔵はその原作世界を忠実に表現しただけだ。とげとげしい世界を求められたら、そのオファーを完遂する。
(カメレオンみたいな画風じゃ、らぁ言われたことがあったのう)
とはいえ、絵の素人の意見も参考になることは多い。先入観がないから、業界にどっぷり浸かった者には思いもよらないことを言う。
請けた場合の一ページあたりのギャラは、コミカライズよりも少し高い。相場も勉強したことが見て取れる。設定やコンセプトを用意してもらって、比較的すぐ着手できるのは助かる。
『じゃ、お手数ですけどイラストがあったらわたしのメアドにお送りいただければ!』
「はい」
『絶対土井先生にお仕事を持って来れるように頑張りますね!』
立香は通話を切るまで熱量が高かった。
以蔵はフォルダを開いて、オリジナルや版権のイラストの中から幼児やデフォルメキャラのイラストを探す。
部屋の整理は苦手で、中世の城郭や衣装の資料が床に積み上がっているが、ハードディスク内の管理は漫画家仲間から習って年別・ジャンル別・作品別にフォルダ分けしてある。そうでないとこういう時に困る。乱雑に置いてあるイラストを探しているうちに仕事がなくなるのは損失だ。
四枚の画像を新しいフォルダに入れ、zip化してメールで送る。
熱意があるのはいい。
特に業界外では、「ちょっと練習すれば誰にでも描ける」などと思い込んでぞんざいな対応をする者もいる。
そんな輩よりはよっぽど気持ちのいい仕事ができそうだ。
一週間後、立香から『改めて土井先生に依頼と契約をさせてください!』と連絡が来た。
◆ ◆ ◆
キャラクター設定を読みながら特徴をとらえ、絵に起こしていく。
より詳細な情報があった方が、クライアントの要望に応えた作品ができるだろう。
そう思って、立香へいろいろと質問を飛ばしてみた。
母は何の仕事をしているのか。残業はあるか。バギーは縦型か横型か。
父はどれくらい育児参加をしているのか。外食の際は、父は母にゆっくり食事をする時間を与えるタイプか。
立香はどんな質問も受け、最初のうちははきはきとクライアントからの回答を伝えてくれていたが、ある日沈んだ声で言った。
『その、申し訳ないんですが……「好きにしてください」って』
「『好きに?』」
以蔵が問い返すと、
『うっとうしいらしいんです。「そこまで考えてない」って』
立香の声にも、心なしか悔しさがある。
「考えちゃぁせんって、自社商品のPRですろう? ほれを知らせるキャラクターで。ほがぁにえい加減でえいがですか」
『わたしもそう思うんですけど、とにかく先方にそう言われちゃうとわたしもお伝えすることがなくて……』
「ほうですか……」
漫画雑誌の編集ならだいたいはしっかりしたビジョンを持っている(たまに例外もいる)が、そうではないクライアントは真面目に己の仕事を考えているわけではない。
以蔵は漫画編集を通さず案件を請けるのが初めてだったから、世の中の人間がみな真摯に創作に向き合うわけではないことを知らなかった。
「うーん……」
『描けませんか?』
「こういう案件は初めてですけんど、コミカライズの時は原作者の先生の希望や設定やヘキを訊いて盛り込むがが当然でした。訊けば訊いた以上の答えが返って来て、ほれをどう表現すればえいがかっちゅう発想が湧いてきました。考えちゃぁせん言われると……好きに描くわけにもいかんし」
『……じゃぁ、土井先生』
立香はほんの少し声を弾ませた。
『わたしたちで好きに考えればいいんじゃないですか?』
「……わしらで?」
コミカライズ担当としては、首肯しかねる言葉だ。ファンはみな原作を漫画に落とし込んだ話が読みたいのだから、以蔵のオリジナルなど誰も期待していない。それはただのノイズにしかならない。
映画監督などにはまだたまに『原作と同じものをやってどうする。俺は俺のオリジナルを見せたいんだ』というタイプもいるが、最近ではそういう映画は軒並み不評だ。
だから、よくも悪くも与えられたものだけで勝負すべきだ――と思っていたのだが。
『クライアントは考えてない。土井先生は考えないと描けない。なら、誰かが考えないといけないじゃないですか』
「……えいがですか? ほがぁに、勝手に」
『わたしが言質取ってきますよ。考えてないことは好きにして構わないって。はっきりしたイメージのないクライアントのぼんやりした要望を汲み取って形にするのは、わたしたちには日常茶飯事ですから』
「……へぇ……」
鈴を鳴らしたような声やコスモスのアイコンに引っ張られていたが、どうやらブルドーザー並の馬力も持っている。仕事熱心で、よりよい成果を挙げたいと思っているのが伝わる。
他の仕事も、こういう風にまとめ上げているのか。
『じゃぁ整理しましょう。主人公はひろむくんとまいんちゃん。ひろむくんはわんぱくだけど意外と少食。まいんちゃんの方がよく食べて、ママはなんとかひろむくんにもごはんを食べさせようと奮闘してる。パパは何をやってるでしょうか?』
「ほうですのう……受けを狙うがなら、今時らしゅうした方がえいですろう。保育園の迎えも交代で行って、風呂にもよう入らす。ちっくとしたヒントでママが気づかざったことを見つけて、育児にだれたママを助ける」
『解像度高いですね?』
「周りがろくでなししかおらんですき、ほん逆言いゆうだけです。住んじゅうがは二十三区内ですかの、ほれとも都下か、近県か」
『車持ってる資料はないですからね、電動自転車でどこにでも行く親子四人ってアクティブでいいと思います。……あっ、電動自転車の資料あります?』
「資料探すがも漫画家の仕事です。ほいたら二十三区内の……文教地区ですかの?」
『いや、好感度を高めるなら……』
もらった資料だけでは平板だった家族に、対話することで肉づけができた。この設定で、今すぐにでもプロットを組めそうだ。
『土井先生、よかったらもう描き始めちゃってください。早いうちに叩き台を作って意見交換できた方が、よりいいものができますから』
断言口調に、少したじろぐ。
「いや、さすがにざんじは……藤丸さんと設定考えるがは楽しいですけんど、これが通ると決まったわけやないですし、正社員の藤丸さんと違うてわしは歩合で描いちょります。描いた後で没になったら無駄になってまいますき……」
弱気になるのは、ただ働きさせられたこともあるからだ。
しかし立香は、きっぱりと言った。
『大丈夫です。話はわたしが通します。土井先生と考えたお話が魅力的に見えるように工夫して、何も考えてなかったクライアントのぐうの音も出ないようにしますから。土井先生は大船に乗った気持ちでいてください』
その声には、不思議な安心感がある。
己の足場に不安定さを感じている弱者は、足許を固められるとふらつきがなくなり、安心して立てるようになる。
同じように、勝つことしかイメージしていない者の力強い言葉は、何を書けばわからない漫画家のメンタルを安定させる。
この世には、生まれながらに人を導き、勝利を与え得る者がいる。
小中の同級生はスクールカーストのトップで、以蔵の絵を喧伝してくれた。
彼らは優秀だから、以蔵の高校よりもはるかに偏差値の高い学校へ入った。裕福だから、大阪や東京の学校へ行った者もいると、風の噂に聞いた。
社会に出たら、漫画家のβとは接点すらなくなる人種。
この女はαだ。