朝凪にほどけて消えるとけあう瞬間が好きだった。
ふたつの異なる体温が混ざり合ってじわじわと互いの温度に近づいて違いがなくなる瞬間、私の掌と茨の掌はふたつの個体であったことが嘘みたいにひとつになって境が消える。私は茨で、茨は私。ひとつの体に、ふたつの魂。そんな夢のような瞬間が、私は好きだった。
「茨」
朝焼けの海はしんと凪いでいてさざなみのひとつもない。水平線から絵の具を垂らしたように明るい色に染められていく水面を見つめる茨の横に並び立つ。呼びかけているのにちらともこちらを見てくれない茨に少しむくれてしまう。するりと放り出された手を取ったがやはり茨は無反応だった。これまでは一も二もなく私を優先してくれていたのに、本当に現金な子だ。
茨の少し冷えた手を温めながら、仕方なしに私も空を見上げる。払暁の反対側では強く眩しい光に押されて月が静かに消えようとしていた。
「……私、茨のお胎から生まれたかったな」
じんわり同じになりつつある繋がれた掌の体温に本音がこっそりと顔を出す。昨晩の出来事がゆめまぼろしのように脳裏を過ぎる。
どんなに体を重ねても、どんなに心を添わせても、祈っても、願っても、言葉を尽くしても、私たちは決してひとつになることはなく、一人と一人のままだった。熱い掌を絡めあっても、冷たい唇を重ねても、理解し合えたような気がしても、とけあうような錯覚に陥るだけでいつだって最後には分たれてしまう。
「ずうっと茨と一緒にいたいだけなのに、難しいね」
「……自分の胎から生まれても、生まれた時点で分化したあとでしょう」
「でも私たちの間には血縁という隔てられない繋がりが残るよ」
「そんなもの、簡単に切れますよ。自分も、あなたも、そうだったでしょう」
「そうだね……そうだけど、でもやっぱり私は茨の体の一部でありたかったよ」
「そうですか」
昨夜の熱なんて始めから無かったかのように涼やかでさっぱりとした茨が、ここにきてようやく私を振り返ってくれた。その目はいつも通り強くまっすぐ輝いている。有明の海と同じ美しく深いあおいろの瞳。
「自分は、閣下とは別の個体であって良かったと思いますよ」
茨がせっかく私と同じ温度になりつつあった指を動かして、お互いの指の一本一本を絡め合う。隙間から空気が入って私たちはまたしてもふたつに隔てられてしまったけれど、交互に絡めた指先は先ほどよりもっとずっと隙間なく密着していて嬉しい。じわりと熱が広がる。
「こういうこと、同一個体ではできないでしょう?」
「……そうだね」
「セックスもできませんよ」
「そうだけど……ちょっとムードがないんじゃない?」
「あっはっは!これはこれは申し訳ございません!いやに閣下が感傷的であらせられたのでここは自分が一肌脱ぐところかと思いまして」
「もっとかわいい方が私は好みなのだけど」
「可愛くない茨は好みではありませんか?」
試すように見上げる瞳が爛々と輝いている。これは答えを分かった上で聞くのを楽しみにしている意地の悪い目だ。そもそも質問がずるい。私が茨のことを嫌いだなんて、そんなふうに答えられるわけないのに。
「……好きだよ、どんな茨でも」
「ありがとうございます!」
茨が笑う後ろで太陽がすっかり地上に顔を出していた。ああ、今日が始まってしまう。つまり、昨日が死んでしまったということ。
「夜明けですね。それでは契約通り、我々はここでお別れです」
「茨」
「今までありがとうございました。閣下でなければ俺の夢は果たせなかった」
「茨、ねえ聞いて」
「聞きません。もう俺はあなたの相方でもお世話係でもプロデューサーでもない、ただの茨なのです」
するりと離れた掌が夜明けの風にふかれて寂しいのに、茨はそんな素振り全く見せずにいつものように元気よく敬礼した。
「またいつか道が交わった際は是非この七種茨にご用命ください!」