forget me not 「なんでいっつもカレーなんですか」
山盛りのご飯にたっぷりルーをかけながらジュンがふと思いついたように尋ねた。付け合わせに作ったサラダと飲み物を準備していた茨は手を止めて振り返る。
「……一人で食べきろうと思うと三日はかかるから、ですかね」
「オレは処理要因ってことですか」
「でも美味しいでしょう、自分のカレー」
「まあ、そう……っすかね……」
「素直に美味いって言ってくれていいんですよ」
「いてっ」
足を踏みつけられたジュンが非難の声を上げるが、そんなものどこ吹く風と茨はテーブルへ向かう。そこには福神漬けと温泉卵、それからジュンが手土産に持ってきたビールが並んでいる。今日は温玉カレーらしい。とろりと溶け出した卵がスパイスの効いたカレーをまろやかにして二度美味しいんだよなあと、考えただけでジュンの腹がきゅるりと空腹を訴えた。いそいそと席につき、茨の着席を待つ。
「あなたはいつまでも子どもみたいですね」
カレーを前にそわそわしているジュンを一瞥した茨は呆れたような好ましそうなどっちつかずな微笑みを浮かべて席に着いた。茨の前にはジュンより少し少なめのカレー皿が並ぶ。二人でいただきますを言うと、ジュンはなんだか小学生のころ食べた給食を思い出した。甘口でにんじんが星形になっていた。ラッキーな人参なんだよとクラスの女子ははしゃいでいたし、にんじんが嫌いな友人もそれだけは食べていたように思う。ジュンもオレンジのお星様が自分の器に入っているとなんとなく嬉しかった。茨の作るカレーは甘口でもないし星形のにんじんも入っていないけれど、なんとなくあの時のようなじんわりした温かいものが込み上げてくる。別にこいつはいいやつでもない、どころかとんでもない悪党なのになと少し不思議だった。
茨から夕食に誘われることはたまにあることで、その大半は外食だ。ジュンから誘うときもそうだ。懐に余裕があるが使える時間が限られている忙しい二人にとってはそれがとても効率的なのだった。もちろん一人では行きにくい店に行ってみたり、たまには奮発してものすごくお高い店に行ってみたりと遊び心もあるけれど、いちいち家を片付けて(これはジュンだけに当てはまるのかもしれない)食材を揃えて調理して後片付けをして、と考えればやはり外食が手軽で相手にも気を使わせずに済む。しかし、その非効率さを知っていながらも、凪砂と日和の命日の前日は必ず茨は自宅にジュンを呼び、カレーを振る舞った。
「さっきの」
「ふぁい?」
口に物を含んだまま返事をするジュンに行儀が悪いと注意しつつ、茨が続ける。
「なぜカレーなのかというやつです。確かに一人で食べるには作るのも食べるのも大変というのが理由の一つではあります。ですが、」
スプーンを置いた茨が麦茶で唇を湿らせて再び口を開く。
「あの日、あの人が言ったんですよ、今晩カレーが食べたいって」
「……ナギ先輩が」
「普通そんなこと言います? 今から死ぬんですよ? 夕飯食べる人間いないじゃないですか。そのせいであの後自分酷い目にあったんですよ」
「えっと、なんか怒るとこ違くないっすか?」
「それはひとまず横に置いとかないと話が進まないので」
まるで昨日のことのように怒りが蘇ってきたのか茨が腕を組んでぷんぷん怒り始めた。鍋いっぱいにたっぷりカレーを作った茨が辿った顛末はジュンにも容易に想像できたが、比較対象があまりにも深刻すぎてカレーがダメになって廃棄が大変だったことよりももっと大事なことがあるのではないかと苦笑いになる。同時に、自分達はどんな会話が最後だったかなと思い出そうとして頭の奥がつきんと痛み始めたので慌てて思考を逸らした。そこはまだ厳重に鍵をかけてそっとしておくべきところだと体が訴えていた。
「……別に、だからって未練がましく作ってるわけじゃないですよ。死んだら俺のカレー一生食べらんないでしょって、嫌味みたいなもんです」
「ふうん」
「信じてませんね」
「いってぇ」
テーブルの下で茨の足が悪意を持ってジュンの足を踏みつけた。スリッパ越しでも的確に弱いところを狙ってくるからタチが悪い。当の本人はどこ吹く風でさっきより大口を開けてカレーを口に運んでいる。間違いなく故意だ。
「なんか、思い出しちゃうんですよねえ、カレー見ると。ああ、あの時閣下がカレー食べたいって言ってたなあって。なので、当て擦り目的で作ってあなたに食べさせてるんです」
まさか墓にカレー置くわけにはいきませんしねと締めくくると、以降茨がその話題に触れることはなかった。ジュンもなにか返すべきか悩んで結局何も思いつかなかったから、広いリビングにはしばらくカトラリーのぶつかる音と二人の咀嚼音だけが響いた。閑静な住宅街なものだから、子どもの泣き声ひとつ聞こえてこない。かつて茨と凪砂が二人でカレーを食べた日もこんなに静かだったのだろうかと、ジュンは一人思索に耽った。
先に食べ終えた茨がテレビの電源を入れる。丁度天気予報をやっていて、明日は晴れだと気象予報士が伝えていた。
明日も暑くなりそうだ。カレーを供えるには、やはり適さない季節だった。