恋愛至上主義の風潮について、実はそこまで悪くないと思っている。事務所副所長兼プロデューサーの俺にとっては、恋愛至上主義から来る疑似恋愛を楽しむ風土は格好のビジネスチャンスだった。アイドルで飯を食っている以上、市場が盛り上がりすぎて損はない。アイドルを売り込みたい俺と、アイドルからの特別な愛が欲しいファン。需要と供給が十分成り立っている。もちろん、ビジネスだと弁えられないファンには頭を痛めるが、そこまで彼女・彼らの熱狂を誘えるということは路線としては間違っていないということだ、と思っておくことにする。
とはいえ、それはあくまでビジネスに限った話。一個人としての俺は愛だ恋だという風潮にはすっかり辟易している。世の中の大多数がそういう論調にあるのは構わないが、その理屈をこちらにも押し付けてくるのだけはやめて欲しい。愛だけで腹は膨れない。愛が金になって始めてそこに価値を見出せるのだ。
「じゃあ私が茨に恋を教えてあげるね。私、絶賛レベリング中だから」
「レベリングって……ジュンですね。まったく、変な言葉を覚えないでくださいよ、閣下の品位が損なわれ……って、え、レベリング中?」
そういう話をしていたら何故か閣下が急にスキャンダルの火種になりかねない爆弾発言をした。俺は自分でもびっくりするくらい素っ頓狂な声をあげてテーブルに身を乗り出す。向かいに座る閣下は自分の発言の重さを理解していないのかどこか機嫌が良さそうだった。いやいやいやまてまてまて、俺の大切な最終兵器様をたぶらかしたアバズレはどこのどいつだ。いつ、どこで。俺の目を盗んでとんでもないことをやってくれたもんだ。まだまだ道半ば、こんなところでスキャンダルのために人気が失墜なんて許されない大罪だぞ。俺の人生どうしてくれるんだ。
「そう、茨に恋をしているから、恋愛経験のレベリング中」
「……は?」
「だから、茨に、恋をしているの、私」
身を乗り出したまま固まってしまった俺に、閣下はなんでもないことのように告げる。聞き間違いかと思ったが、二度も言われればそうではないことはわかる。が、理解が追いつかない。閣下が、俺に、恋?
「……いやいやいや、何言ってんですか」
「変なことは言っていないと思うけれど……愛には双方向のアクションが必要かもしれないけれど、恋は一方通行でも恋でしょう? だから、茨に恋をしている私は、今、恋愛経験値が伸びているということ……」
ふふん、とどこか得意げに自論を語る閣下に俺はすっかり力が抜けてするすると椅子に逆戻りする。ひとまず閣下が恋をしているのはどこの馬の骨ともわからない人間ではないらしいと分かりほっと胸を撫でおろした。示談で済めばいいがこの世のものとは思えない神の最高傑作の乱凪砂を端金で諦め切れる人間なんているわけがないのだから、最悪相手を抹殺なんていう恐ろしくリスクを伴う未来があったかもしれないのだ。その点について不安は拭えたわけだが、新たな問題が発生した。
「いやいやいや、自分に? 恋?」
「そうだよ、例えば今、茨に私の気持ちバラしちゃっていつもよりドキドキしてる。普通に見えるかもしれないけど、緊張してるし、体がすごく熱い。茨はどう思ったかなって、すごく気になってる」
「はあ」
「いつも茨のことを考えてる。茨が笑えば嬉しいし、怒っていたら話を聞いてあげたいし、泣いていたら慰めて抱きしめてあげたい」
「自分、閣下の前で泣いたことないんですけど」
「じゃあ誰の前なら泣いたことあるの」
「…………ありません」
「あるんだ……今は悔しい気持ち。顔もわからない誰かにちょっと嫉妬してる」
「閣下……」
閣下の言葉を聞くたびに頭痛がしてくるようだった。目を見ればわかる。閣下は嘘をついていたり、俺をからかって遊んでいるわけじゃない。真摯な瞳の奥に甘く蕩けそうな情欲が伴っていた。表情があまり動かない人だけれど、その瞳は雄弁だ。執着されているのだと否が応でも理解させられる。
「好きだよ、茨」
閣下が穏やかに口元を緩める。テーブルに投げ出していた手をそっと握られた。閣下の手は本人の申告通りいつもよりずっと熱かった。