「君の見ている世界を教えて」
あたりには飲み干した安っぽいお酒の空き缶が転がっていた。タバコの吸い殻も、倒れたポリバケツから散乱した生ごみも散らばっていて、いかにもスラムの路地裏と称される様相をしている。
そのごみ溜めの真ん中で茨が転がっていた。赤い髪が汚れたコンクリートに散らばってすっかり艶を失っている。いつもきちんと清潔感のある格好をしている彼には珍しく、オーバーサイズのくたくたに着倒したスウェットはあちこち踏みつけられたのか靴跡が残っていたしところどころ血で汚れていた。そのぺらぺらの服を一枚捲れば、もしかしたらお腹にはあざがたくさんあるのかもしれない、と勘繰る程度には、茨はすっかりぼろぼろになっていた。
「……大した世界ではありませんよ。あなたが興味をそそられるような摩訶不思議なことは何もありませんし、その辺にいる人間と同じか、それ以下の、あなたの耳に入れる価値などない穢らわしいものです。そんなものを教えたなんて知れたら、殿下に殺されてしまいますよ」
茨が嘲るように鼻で笑ってふいと視線を逸らす。日和くんはとても愛情深い人だから、今の茨を見たらきっと彼をこうした人間を探し出してお仕置きしちゃうんじゃないかと私は思うのだけれど、茨は違うらしい。それ一つとっても、私たちはまだ相互理解には程遠い距離にいたのだなと実感する。
私は茨の顔の近くにしゃがみ込んで、綺麗なままのその青白い輪郭をなぞった。こんなに体中ぼろぼろなのに、奇跡的に顔だけは怪我を免れた、なんてことはないはずだ。つまり、茨が意図して避けたということ。それはきっと茨がまだアイドルであろうとした、アイドルを諦めなかった証なのだと、私は思う。
「茨がいうのならそうなのかもしれないけれど、でもそれは私が聞いて私が決めること、でしょう?」
茨の腕を引いて上体を抱き起こす。息の詰まる音がしてやっぱりどこか痛めているのだなと思った。私は上着を脱いで、すっかり薄くなった肩に羽織らせる。晩秋の夜更けにスウェット一枚では凍えてしまうに違いない。
「教えて、君が今まで見てきた世界を。君の生きている世界を。私、知りたい。茨のことをもっとたくさん、もっと深く」
ホテルに帰ったら温かいお風呂に入れて怪我の手当てをして、ふかふかの布団でぐっすり朝まで寝かせてあげよう。寝物語に彼の話を聞きながら過ごす夜は、きっと夢の中まで茨と共に在れることだろう。そうして目覚めても茨が私の腕の中にいるその幸福を噛み締めて、私は新しい一日を迎えるのだ。これからずっと、ずっと。それはなんていい日和なのだろうかと想像するだけで口元が緩んでしまう。君のいない世界は想像よりもずっと冷たく、味気なく、つまらなかった。
「戻っておいで、茨」
何も心配することはない。私たちならきっと、世界の全てが敵に回っても、負けたりなんかしないのだ。