バレンタインネタ2021今日は2月14日。
僕はなんと、柄にもなくチョコレートを準備していた。
事の始まりは数か月前に変わった僕と狗巻君の関係にあった。
ある日二人で昼食べている途中、突然唇へキスをされ、「す、き」と告げられた。
驚いて目をぱちくりさせている僕に対し、こてんと首を傾げ「嫌だった?」と伺うようにこちらを見る。僕は不思議なことに嫌とも気持ち悪いとも思わなかった。一瞬だけども触れられた唇は熱く感じ、胸もドキドキした。でもそれが彼の言う「すき」なのか分からなくて、混乱するあまりその場で知恵熱を出して倒れてしまった。
そこから紆余曲折あり、僕と狗巻君は恋人という形のお付き合いを始めることとなる。
そんな彼の為と、そして普段お世話になってる真希さんとパンダ君へ日々のお礼も含め、バレンタインの日にチョコレートを準備する事にした。
最初は手作りでも、と思っていたが任務などで色々忙しくなり、あれやこれやと考えてるうちに気が付けば13日になっていた。
その日も任務が入り、気が付けば辺りは真っ暗。お菓子作りなど経験のない僕にとって、手作りという手段は選択から消えていた。
(…せめて何か買いたいんだけど。)
辺りを見回すも店はほぼ真っ暗。せいぜい開いているのは飲食店とコンビニくらいなものだった。最悪コンビニなら何かあるのではと思っていた矢先、ふと一つのお店が目に入る。
店内を覗いてみると、目に入るのは壁やショーケースに一面と並んでいる色とりどりのお菓子。辺りには数人の女の子が嬉しそうに、または悩みながら選んでいる姿が見えた。
(うっ…ちょっと入り辛い…。でもここで買わないともうダメかもしれないし……よ、よし!)
僕は意を決して中に入った。カラン、というベルの音で中にいる人が全員こちらを向いた。突き刺さる視線に一瞬帰ろうとしたが、その視線も直ぐに無くなったのでなんとか踏みとどまることができた。直ぐに店員さんと思われる女性が駆け寄り話を聞くと、どうやら閉店間際だったらしい。なんとかならないかと尋ねたところ、ご厚意で特別に買わせてもらえる事となった。
優しそうな女性店員さんに説明を聞くと、今は期間限定で色々な種類のチョコを好きなように詰める事ができるようだった。予め詰めてある物もあったが、折角ならと自分で選べるようにお願いをした。
入れ物に透明で縦に長いケースを選び、次にチョコを選んでいく。真希さんは形が可愛い物を中心に、パンダ君は…お誂え向きにパンダの形をしたチョコがあったのでそれを多めに入れた。
最後に狗巻君へ。どんな物にしようかな。
甘いもの、ほろ苦いもの、コーヒー味や苺味、彼への物は二人より悩んでしまった。
(おにぎりの形とか、は、流石に無いよね。)
一先ずビターな丸形のチョコを少しと、ちょっと恥ずかしかったけどハート型のチョコをあるだけふんだんに入れていった。
そのまま会計と同時に綺麗にラッピングしてもらう。お待たせしました。と渡されたそれの出来栄えにとても満足した。
お礼を言いながら受け取る際に、腕時計の時間が目に入る。その指針は予想よりずっと先に進んでいた。
親しい人や愛しい人の為に、物を選ぶことがこんなに楽しいとは知らなかった。明日皆の良い反応を期待して、ついつい頬が緩んだのだった。
という事で、僕の手には購入したチョコが入った紙袋がぶら下がっている。
問題はこれをどう渡すかだ。
真希さんとパンダ君にも用意はしたが、実は狗巻君だけ大きめの入れ物にしてもらっていた。それに加えてハート型のチョコである。二人は僕達が両思いだと知ってはいるが、さすがにこれを目の前で渡すのは恥ずかしい。可能であればこっそり渡せないものだろうか。
そんな事を考えていると、いつの間にか教室の前に立っていた。一先ずチョコは置いておいて、先ずは授業を真面目に受けよう。
そう思い扉を開けた。
「おはよう。…あれ、狗巻君だけ?」
「高菜、しゃけ。」
教室には好都合なことにお目当ての人物しかいなかった。今日はとても運が良い。
僕は荷物を自分の席に置くと、チョコだけを持って彼の側に近寄った。
「すじこ?」
「あの…これチョコなんだけど…。」
「高菜っ!?」
「そう、今日バレンタインだから買って来たんだ。良かったら貰って。」
「しゃけ!ツナマヨー!」
狗巻君はキラキラした目でチョコを受け取ってくれた。早速中から丸い物を一つ取って、包んでいる袋から取り出すと口に入れた。
お気に召したのかへにゃりと顔がほころび、食べ終わるとまた一つ取り出して口に入れている。
「ふふっ、喜んでもらえて良かった。」
「ツナツナ~……こんぶ!」
「え?」
「こんぶ!いくら!明太子!」
狗巻君は僕とチョコを交互に指を指した。
「あぁ、僕の分?良いよ気にしないで。僕が狗巻君にあげたかっただけだから。」
「おかか。」
狗巻君は首を横に振ると、ハート型のチョコ取り出す。くれるのだろうか、優しいな…。と思って手を伸ばそうとした。
しかし、彼はそれを僕に渡さず自身の口に咥えた。
「…え?…え、っと…?」
狗巻君はそのまま顎をくいっと上げて、チョコをちらつかせてきた。
「これを取れ」ということだろうと認識して、チョコを手で取ろうとしたら、また首を横に振られる。指で口元をとんとんと叩き、また顎をくいっと上げた。
(まさか、口で取れって事?)
「ん。」
「あ、あの~狗巻君。くれるのは嬉しいけど、それ、そんな食べ方しなきゃダメ?」
「ひゃけ。」
「くれるなら、そっちの手に持ってるチョコ欲しいな~、なんて。」
「おひゃひゃ。」
「うっ。」
こうなったらテコでも動かないことを知っているので、仕方なく彼の誘いに乗ることにした。
一応周りを確認し、彼の顔に自分の顔を近づける。要はキスの要領で彼の口からチョコを受け取ればいいのだろう。キスは初めてではないが、そういう雰囲気でもないのにこの行動は恥ずかしい。
「…狗巻君、目だけ閉じてくれない?」
「…おひゃひゃ。」
「やりにくいよ…ね、お願いだから…。」
「…。」
狗巻君は不満そうにはしていたものの、渋々目を閉じてくれた。それを確認すると、ゆっくり口を彼の口に近付け、触れないように気を使いながらチョコへ意識を向ける。突き出されているチョコをなんとか前歯で咥え、そのままゆっくり身を引こうとした、その時。
「っぐ!」
狗巻君の手が後頭部に添えられ、今まで微動だにしなかった彼の顔が間近に迫って来た。触れないように努めた唇が触れ、呆気にとられている隙にチョコごと彼の舌が口内に侵入する。
「んんっ!」
舌と舌の間に挟まるチョコが溶けていくのを感じる。お互いの唾液はいつも以上に甘くなり、口内でくちゅくちゅと混ざり合っていった。流された唾液をこくん、と飲み込んだものの、飲みきれなかったものが口の端からつっ、と流れていく。
数十秒もたたないうちにチョコは無くなっていたが、狗巻君が離れる様子がない。終わる気配がないことに焦り、一呼吸おいてまたかぶりつこうとする前に口に手を当てた。
「…ま、待って…ここ…。」
「…おかか。」
「へ?ちょっと、狗巻君!」
彼は口に当てられている僕の手首を握り、後ろにある机に押し付けた。引っ張られるのように、僕の上半身も仰向けに押し倒される。狗巻君は顔をぐっと近付けると、口から顎へ伝っている唾液を下からねっとりと舐め上げた。そして、そのまま唇へ触れるだけのキスが送られる。
ちゅ、と音を立て離れていく時に見えた彼の目は、何時もと違う色を帯びていた。まだ指折りで数える程しか見たことはないが、決して忘れられない、欲を帯びた紫色の瞳。
「うそ…こんな所で…?」
「…おかか?」
その先を予想して問いかけると、狗巻君はこてん、と首を傾ける。あの時と同じ「嫌?」と尋ねるような表情。
「嫌じゃないけど…ここ教室だよ?それに、これから皆も来るのに…。」
「…すじこ。」
「…ちょっと、だけって…絶対ちょっとじゃ終わら…。」
「おかか。」
黙って、と言わんばかりに、僕の文句は言葉として発する前に彼の口へ吸い込まれていった。
先程の激しいものとは違う、啄むような優しいキス。気持ちよさに意識がぽんやりする。ちょっとだけ、本当にちょっとだけなら良いのかも、と僕も彼の背中に手を回して、身を委ねそうになっていた。
「おっはよー、皆大好き五条先生だよー。」
「…ん?」
突然気配もなく、狗巻君とは違う顔がひょっこり現れる。恐る恐る視線を上に向けると、逆さ越しに五条先生がはっきりと見えた。
「ん~~~~~~!?!?」
次に真希さんかパンダ君が来ることしか考えてなかった為、二人の気配しか気にしてなかったから突然の事にパニックになった。
(先生が授業時間より早く来る事なんて滅多に無いのに!何でこんな時に限って!)
僕は狗巻君を離そうともがく。だが彼は気にもせずにちゅ、ちゅっ、とキスを繰り返す。さらに、開けて?と言わんばかりに、彼の舌が僕の唇を何度も何度も舐めとった。
「いやー朝からお盛んとは、若者だねー。」
「高菜しゃけ?」
「あの、狗巻君…!僕も大好きだけど…今そういう場合じゃ…!」
「別に僕は続けてくれても構わないけど、そろそろパンダと真希が来るから止めとこうか?」
そう言うと、五条先生は僕の上から狗巻君をどかそうと腕を引っ張った。だが、不思議と微動だにしない。それ所かぐいぐい身体を僕に押し付けてくる。
(どこにそんな力が…!)
「…ツナマヨ。」
「そ、そこ…触っちゃ…だ、め…。」
「棘ーそろそろいい加減にしよう、ね!」
「おががぁぁぁ!」
ゴチン!と五条先生のげんこつが狗巻君の脳天に炸裂した。よほど痛かったのだろう、頭を押さえて悶絶している。
「元気なのは良いことだけど、TPOは弁えよっか。」
「…すぅじ、こぉ…。」
「威嚇しない。ほら、二人共席について。」
「は、はい!」
「…。」
狗巻君は頭を押さえながら渋々席に座った。僕は痛そうにしてる姿が心配になって、自分の席に戻る前に彼の元へ歩み寄る。
「狗巻君、大丈夫?」
「………しゃけ。」
「大丈夫」と言っているのだろうが、あの音は相当痛そうだった。
まぁ完全に狗巻君の暴走で、自業自得と言えばそうなのだ。でも、途中から少しノリ気になり、止めなかった自分にも非はある。
「頭痛かったね。」
「…こんぶ。」
「あー…たんこぶできてる。じっとしてて。」
拳骨が当たった場所に手を当て頭を撫でながら、反転術式をかけた。そこそこ大きなこぶだったが、かけて間もなく緩やかに引っ込んでいった。
「どう?もう平気?」
「高菜。」
「いいよ、気にしないで。僕も…その、悪かったから。」
僕はお詫びの意を込めて唇へキスをした。
その場に五条先生がいることをすっかり忘れて。
「ゆーうーたーくーん?」
「す、すいません!すいません!」
さらに、狗巻君はそれを違う形で受け取ってしまったようだった。僕の腰に手を回してぎゅっと抱きつき、スルッと撫でる。
「高菜!高菜!」
「ち、ちが、誘ってない!狗巻君、今抱き付かないで!」
狗巻君からなんとか距離をとろうと奮闘していると、扉がガラッと開いた。そこにはパンダ君と真希さんが、眠そうな顔をして立っていた。
「はよーっす。朝っぱらから賑やかだなお前ら。」
「皆おはようさん。」
「高菜ー。」
「お、おはよう二人共。あ、良かったらこれを貰って。」
僕は隙をついて狗巻君を引き剥がし、二人にそれぞれ用意したチョコを持っていった。
「ん?なんだこれ、チョコか?」
「うん。今日がバレンタインってのもあるし、いつもお世話になってるお礼に…。」
「明太子!」
「えっ?」
「しゃけいくらこんぶ明太子!」
突然狗巻君は僕に指を強く突きつけ、おにぎりの具の名前を次々言い放つ。どんな意味かは分からなかったが、怒っているのだけは見て分かった。
「…憂太、棘にはやったのか?」
「え、うん、さっき渡したけど。」
「こんぶ!こんぶいくら!」
真希さんとパンダ君を交互に指さし、狗巻君は地団駄を踏んだ。
何に怒っているのかさっぱり分からなかったが、「もしかして」と真希さんがポツリと呟いた。何処となく目が呆れているように見える。
「私達にもあるのが気にくわないんじゃねぇのか?」
「しゃけ!しゃけ!!しゃけ!!!」
「えぇ!?だ、だってこれはいつものお礼のつもりで…それに狗巻君のは特別…。」
「たーーかーーなーーこんぶーーー!!!」
それから、狗巻君は完全にへそを曲げてしまった。
僕は機嫌をとろうとあれやこれやして、なんとかなった時には夕方になった。
そしてその日の夜、散々な目にあったのは言うまでもない。
翌日2月15日、僕はげっそりとした顔で、狗巻君はつやつやした顔で登校した。