棘乙風味クラッカーの音と同時に、暗かった部屋が明るくなる。目を丸くしていた本日の主役は、目の前に差し出された【棘君お誕生日おめでとう】のプレート付ケーキを見ると、丸い目を細くして微笑んだ。
「狗巻先輩!誕生日おめでとう!」
「おめでとうございます。」
「めでてぇな棘!ほら、吹き消せよ!」
ケーキの上で仄かに点っていた火を吹き消し、改めて同級生と後輩からの祝いの言葉を受ける。そんな彼の様子を、少し離れた場所から僕は見守っていた。
呪言師を産み出せる家系でありながら、呪言師を排除する家に産まれた棘。決して皆から誕生を祝われてはいなかった筈だ。呪術界隈には自分の保身しか頭にない、こり固まった老害が多いから。でも、そんな界隈内で彼が心優しく育ったのも、今こうして笑顔でいられるのも、恵まれた人間関係があっての事だろう。
(本当に、良かったね棘。)
皆がパーティーの食事を用意している最中、僕のスマホの着信音が鳴った。それに数名反応してこちらを振り向く。
「先生ーこんな時くらい着信音切っとけよー!」
「本当に気が利かねぇなお前。」
「メンゴメンゴ!許してチョンマゲ!」
「うわっ、古っ!」
苦笑を軽く受け流し、スマホの画面に視線を移す。伊地知の名前を確認して、パスコードを入力し内容を見た。
どうやら頼み事は時間的に難しかったようで、その謝罪と『本日中に何とかそちらに向かってみる。』と書かれてあった。それに頼むと返信を送り、祝いの席に着いて切り分けられたケーキを頬張る。
こちらをジトっと睨んでいる、主役の視線に気が付かないふりをして。
「はっぴーばーすでーとーげー!改めてお誕生日おめでとうー!」
「おかか。」
「えー何で機嫌悪いの?誕生日だよ?主役だよ?」
パーティーが終わり解散した後、僕は伊地知から『到着した。』と連絡を受け、部屋に戻った棘の元へ向かった。ノックを数回無視されたけど、諦めない僕に根負けして渋々といった顔で迎えてくれる。
どうして彼がこんなに機嫌が悪いのか、僕は知っていた。
それは、僕が一ヶ月前に棘の大好きな憂太を、内緒で遠征に出したからだった。だって事前に言ったら、どんな手を使ってもついてくるでしょ絶対。出立を知った後狂犬のように詰め寄られて、呪言を直接脳内に叩き込まれた時はどうしようかと思ったけど。
「…すじこ?おかか、こんぶ。」
「ごめんって!用はちゃんとあるんだよ!棘にサプライズプレゼントを持ってきたんだ!」
「……おかか。」
「まぁまぁ、そんな事言わないで!あ、きたきた!ナイスタイミング!」
廊下に視線を移すと、目的の人物が大きな風呂敷を抱えてこちらに駆け寄ってきた。その人物を扉の前に通すと、無愛想だった棘の顔が一瞬で緩む。
「海外遠征中棘の為だけに一時帰国した乙骨憂太君でーす!」
「狗巻君、ただいま。」
帰国したばかりの憂太は、息も切らさず、疲れも見せず、いつものふにゃりとした笑顔を見せた。棘は急いで駆け寄ると、その体をこれでもかというくらい強く抱きしめる。
「高菜!…高菜!」
「僕も会いたかったよ!狗巻君に会って、ちゃんとお祝いを言いたくて、五条先生に連れて帰ってきてもらったんだ!」
「…っ!ツナマヨ…!」
憂太は棘から少し距離を取ると、手に持っていた風呂敷を解いて棘に差し出す。
「改めて、お誕生日おめでとう。これ、誕生日プレゼントだよ。時間がなくて、綺麗にラッピングできてないんだ。ごめんね。」
「…すじこ!」
棘はそれをキラキラした目で確認して、その中の一つ、見たことない機械を掲げるように取り出した。横からひょっこり憂太の手元を見ると、たくさんのビー玉と高そうなステーキ肉という、珍妙な組み合わせを持っていた。
「何なのこれ?」
「あぁ、狗巻くんの持っているあの機械でビー玉を溶かして、それでお肉を焼くんですよ。狗巻君が前動画で見てて、いつかやりたいねって話したことがあって。」
「へぇー。」
「いくら!いくら!」
「うん、さっそくやろう!」
子供らしくはしゃぐ二人の可愛い後輩達。どうやら僕はもうお邪魔みたいだから、そろそろお暇することにしよう。
「じゃあ帰るね。明日の昼に迎えに来るから。それまで二人共ごゆっくり〜。」
「はい。先生、ありがとうございました!」
「しゃけ!」
扉を閉めると扉越しに楽しそうな笑い声が聞こえた。先程憂太が来た道を通り寮の外に向かう。
「憂太といえば、数日前突然電話が来た時には驚いたな。」
『お願いします!任務は絶対期間内に遂行します!だから、この日だけは日本に帰らせてください!』
我儘も文句も何一つ言わない憂太が、あんなに必死にお願いしてきたのは初めてだった。そんな姿を見たら叶えてやるのが大人の仕事だろう。
おかげで二人の喜ぶ姿が見れた。予定を押してでも憂太を連れて帰ってきて良かったと思った。大切な人が産まれた一年に一度の大切な日。少しの時間くらい一緒にいさせてもバチは当たらないよね。
さて、二人が喜んでくれたのは良かったとして、問題は明日棘が素直に憂太を返してくれるかどうかだ。まぁ二人の時間を楽しめば、案外さらっと戻ってくるかもしれない。飛行機の時間もある事だしね。
と、そんな軽い希望は通じることはなく。
「ねぇー棘ーそろそろ出ないと飛行機に間に合わないよー。憂太返してー?」
「おかか。」
「い、狗巻君…僕行かないと…。」
「おかか。」
「駄目だってもぉ…ふふっ。」
「憂太〜?」
「す、すみません、先生。」
ある程度予想してたけど、棘は憂太を離そうとしなかった。迎えに来た僕と憂太の間に入り、背中越しに憂太を庇って動こうとしない。頼みの綱の憂太も軽く咎めているが、引き止められたのが嬉しい。と顔に出ている。
「おーかーか。」
「棘、本当に遅れるから。我儘言わないで。」
「…狗巻君、流石にちょっと時間が…ね。」
憂太の困った声に棘は少し考えこむ。漸く出れるかなと思った時、何かを閃いた棘は憂太に向き直るとその唇に触れた。
「すじこ、明太子。」
今ここでキスをしたら行かせてやる。か。
「えっと、ここで?」
「しゃけ。」
「先生いるんだよ?」
「しゃけ。…こんぶー?」
見たくないなら何処か行っても良いよー?ね。
何となく魂胆が見えてきた。
「えー後輩達の甘酸っぱいちゅーを見てもいいのー?」
「せ、先生!」
「なーんて。どうせ僕が席外したら、その隙に憂太連れて逃げる気でしょ?」
「…ちっ。」
「まぁ、逃げても逃さないんだけど。あー僕の事は気にしないで、どうぞぶちゅっ!と。」
「うっ…す、すみません先生。じゃあ狗巻君、目を閉じてくれる?」
「しゃけ。」
動かなくなった棘の顔に憂太の顔が近づいていく。立っている場所からキスシーンは見えなかったけど、ちゅっという音はしっかり聞こえた。二人が恋人なのは知ってたけど、キスしてる所にいると改めてそれを実感させられる。
なんだろう、不思議と嫌じゃない。感覚的に、可愛い小動物がじゃれ合ってるのを見ているみたいだった。
「狗巻君、僕必ず帰ってくるから。約束。」
「…ツナ。」
「いってきます。」
憂太が寂しそうに眉をひそめて、こちらに向かうおうと動いた。
「おかか。」
「え?」
憂太がピタリと止まる。視線を下ろすと、その腕を棘の手が掴んでいた。と思ったら、その手を引き憂太のバランスを崩すと、あっという間に担ぎ上げその場を駆け出した。
「めん、たい、こー!」
「えぇぇぇぇえ!?狗巻君、何処に行くのぉぉぉお…!」
わー窓から逃げちゃった。憂太も強引に抜けれる筈なのに、あえてせずにされるがままにしてるな。
僕は軽く屈伸すると、ぐっと背を反らして、足首を軽く回す。首を二、三鳴らすとその場を蹴り、飛び出した二人の後を追った。
「棘ー憂太ー待ってよー。」