「きゃっ!」
「おっと、大丈夫ですか?」
「あ…は、はい。ありがとうございます。」
まただ、またチリさんは一人の女性を虜にした。
チリさんはモテる、それはもう女性にモテる。切れ長の目に整った顔立ち、スラッとした体型でとても紳士。女と分かっていても女が惚れる女性、それがチリさんなのだ。
そんな人の恋人に子供の自分がなれた事が不思議でならない。今、冗談だと言われても素直に納得出来る。
「…アオイ、また変な事考えとるな?」
「そ、そんな事ないですよ。」
「嘘つけ、顔に出とるわ。」
チリさんの大きな手が私の両頬をむぎゅっと掴んだ。
「ヒ、ヒリひゃん、なにしゅるんでしゅか…。」
「ぷっ、なはは!おもろい顔!」
「ひりょいれしゅ!」
「あははは!…ほんま、かわいー。」
爽やかな顔で笑ったかと思ったら、腰を抱かれ熱の籠った瞳で見つめられた。あ、これキスされる。でもここは道のど真ん中なんですけど。さすがに、さすがに今はしないよね。でも、目を閉じてるし顔がゆっくり近付いてきてるんだけど。わぁ、チリさんのお顔は綺麗だな~…って考えてる場合じゃない。
私はなんとか体を押し返そうと抵抗する。
「チリさん…ここじゃちょっと…。」
「あ、あの、チリさんですよね…?」
突然声をかけられ、一瞬の隙をついて私はとっさにチリさんから離れた。小さく、ちっと舌打ちが聞こえた気がしたけど気のせいだよね?うん。
声をかけてきた人は、腰まで伸びたプラチナブロンドがとても似合う清楚な女性だった。隣に御友人と思われる女性が一緒にいる。
「やっぱりチリさんだ。先日はありがとうございました。貴女に助けていただいて、書類の提出期限に間に合いました。上司にも怒られずに済んで、本当になんとお礼を言って良いのか。」
「…。」
書類の提出って言ってるから、恐らくリーグ関係の方かな?でも、チリさんは何も言わずに考え込んでいる。…まさか忘れてるなんて事は無いよね。
「あ、あぁ、あの時の。別にお礼を言われる事は。」
「いえ、本当に助かったんですよ!お礼を言っても言い足りないです!」
「そ、そうですか…。」
女性の圧にチリさんが押されている。あんまり仲が良くない人みたい。とっさの事なのにコガネ弁が抜けていた。
「それで、あの、今から…あら?」
女性の視線が私に移った。どうやら今の今まで私の事を気にもしてなかったみたい。チリさんの横にいたら存在感も薄くなるのは分かりますけど。
「こちらのお嬢さんは?」
「この子は、ほらアカデミーの…。」
「まぁ、アカデミーの生徒さん。チリさんの妹さんですか?」
「えっ?いや…。」
「可愛らしいお嬢さんですね。」
答える前に女性が結論をつけてしまい、チリさんはどう返そうか困っている。それはそうだ、ここで恋人とは言えない。ただのアカデミーの生徒と二人で出掛けているのを、どう説明すれば良いか迷うだろう。
私達の関係は公には言えないもの。改めて思い出してズキッと胸が痛む。でもこれは、これからずっとついて回るものだ。私も交わす術を覚えていかないと。ずっと彼女の横に並ぶ恋人として、黙ってるだけじゃ駄目だ。
「ありがとうございます!お姉ちゃん、誉めてもらいました!」
「…ちょっ、アオイ…。」
「まぁ、仲が良いのですね。」
「はい、大切なお姉ちゃんです!これから二人で買い物に行くんですよ!」
腕を絡ませて仲の良さをアピールする。予定もある事を然り気無く伝えたから、これで帰ってくれると良いんだけど。
「そうなんですね。あの、さっきの話の続きなんですか、今からこの前のお礼をさせていただけないかと。ご予定の所申し訳ないのですが、少しだけお時間頂けませんか?」
予定があるって伝えてるのに、何なんだろこの人。あまりにも不躾なお願いに戸惑っていると、隣の女性がチリさんに詰め寄る。
「この子の親、近くのレストランのオーナーなんですよ。そこで私とランチに行く予定だったんですけど、代わりに付き合ってあげてくれませんか?きっとご飯も奢ってくれますよ。」
「いえ、だから…。」
「ねぇ、妹さん。あそこのカフェでジュース買ってあげるから、少しだけお姉さんをこの子に貸してあげてくれないかな?」
これは、どうしたら良いんだろう。チリさんを貸すだなんて、そんな事したくない。でも、私が我が儘を言って万が一チリさんのご迷惑になったらと思うと、…そっちの方が辛い。
私はそっとチリさんの腕を離した。
「少しだけなら、良いです。」
「ありがとう!あ、あそこの店、クレープもあるよ!食べる?」
「…はい、ありがとうございます。」
女性に手を掴まれてチリさんのそばから引き離された。入れ代わりにプラチナブロンドの女性がチリさんの側に寄ろうとする。
また胸がズキッと痛んだ。
「聞き分けのいい妹でラッキー!感謝してよね!」
「サンキュー!あとでお礼するわ!」
そんな声が聞こえたけど聞かないふりをした。
これで良い、聞き分けのいい妹を演じろと言うのなら演じてやる。何があってもチリさんが私を好きなのは変わらない。その事実があれば大丈夫。
大丈夫だけど。
胸が痛いな。
「小賢しい。なんでうちがあんたに付き合ったらなあかんねん。」
地を這うような低い声のコガネ弁に女性の動きが止まった。振り返ると、チリさんにすり寄ろうとしていた女性は驚きで目を丸くしている。
「えっ?」
「話も聞かん、勝手に解釈する、礼と言って強引に割り込む。迷惑やって言っとんねん。それに。」
チリさんは私を掴んでいる手を引き剥がすと、優しく自分の元に寄せた。いつものチリさんの香りに安心して、少しだけ泣きそうになる。
「【可愛い】妹と片時も離れとぉないんよ。」
そう言って、頬に口付けられた。
胸の痛みがだんだん和らいでいく。
「ほな、行くわ。」
「あ、あの…じゃあまた別の日に…!」
「まだ、分からんか?」
私に言われた訳じゃないのに、恐怖で背筋がゾクッとする。
「あんたに割く時間は一秒たりともない。」
恐る恐る顔をあげると、チリさんはいつも通りにっこりと笑って私に向き直った。手を伸ばされ頭を撫でられるのかと思ったら、パシンと額に衝撃が走った。デコピンをされたようだ。
「ほんま、突拍子もないことするな。何勝手に姉ちゃんの予定を決めようとすんねん。」
「チリさん、…それは…。」
「悪い妹には、お仕置きが必要やな。」
熱の籠った瞳で見つめられた。あ、キスされる。これってデジャブかな?ここは町中で、青ざめた女性二人がまだこちらを見ているのに、私は拒む事が出来なかった。だって、今私もしたかったから。
胸の痛みが完全に消えたと同時に、私の唇にチリさんの唇が重なった。