チリのトラウマある日の仕事終わり。定時退社をもぎ取り、うちは家で大掃除をしとった。
これからアオイと久々のデート。2時間後にテーブルシティで待ち合わせ、飯食ってからここに戻ってくる予定になっている。今日と明日を空ける為に昨日まで仕事を前倒ししとったから、部屋の掃除まで気が回らず室内はぐちゃぐちゃやった。そんな所に大切な彼女を呼ぶわけにはいかんと、せっせとゴミを袋にまとめる。
あらかた片付けると掃除機をかけてベッドのシーツも変えた。後はアオイのパジャマになりそうな服を探しにクローゼットを開ける。アオイは小柄やからシャツワンピと短パンで部屋着になるやろ。
掛けてある服を一つ一つ確認していると、奥に見慣れない服を見付けた。引っ張り出した瞬間嫌な記憶がよみがえる。
白いニットと若草色のロングスカート。
これはアオイと出会う前に遡る。
当時うちには恋人がいた。相手はモデルで歳上の女性。
『貴方のポケモンに対する真剣な眼差しに惹かれた。』
と告白された。特に同性に対する嫌悪感もなく、興味本位で付き合ってみる事にした。
物分かりがよぉて自分を出さず、チリちゃんを立ててくれる出来た人やった。会うたびにどんどん惹かれていって、ベッドを共にしたのもこの人が初めてやった。
毎日楽しかった。せやけどある日ショーウインドウに映る自分の姿に疑問を感じた。
手入れもしない肌には最低限のファンデーションのみ、髪型はいつも後ろで括っているだけ。服も着やすさをメインに選らんどったから、カジュアルに近いシンプルな物ばかり。
これであの人の横に立つに相応しい姿なのだろうかと。
人生で初めてお洒落をしたいと思った。慣れへん店の服買いに行って、たっかい化粧品を使い化粧を勉強した。洗顔や保湿にまで気ぃつけて、髪も下ろして緩く巻く事を覚えた。
最初は彼女に相応しくあろうしただけだった。でも、次第に変わっていく自分の姿を見るのが楽しくなってきた。彼女はモデルだ。おしゃれの事は自分より詳しい。聞きたい事も出来て話題も増えたし、2人で買い物に行く楽しみも増えた。逸る気持ちを抑えながら、自分で納得する出来になった頃に、意を決して会う約束を取り付けた。
この日は人生で最高の仕上がりになった。黒の長袖のハイネックにいつもと違う少しフェミニンな赤のロングスカート。何度も何度も鏡を見返して、おかしな所はないか入念にチェックしたりした。
待ち合わせの時は柄にもなくドキドキした。どんな反応をしてくれるか楽しみだった。
せやけどうちを見た彼女は、真顔を1ミリも変えることなく開口一番にこう言った。
『なにその格好、貴女には似合わないわ。』
険しい顔で近くのブティックに引っ張られた。着ていた服は脱がされ、メンズ物の服をあてがわれる。その後に美容院でいつもの髪型に戻し、一時間掛けて整えたメイクは落とされ、薄化粧を施されると満足げに頷かれた。
その後の事はよぉ覚えてない。
家に帰ると着せられた服は脱ぎ捨て、美容グッズや化粧品と一緒にゴミ箱に捨てた。結局彼女はうち自身を愛してくれてた訳ではなかった。横に立つ自分好みの付属品が欲しかっただけなのだと、思い知らされた。
当然その後上手く続くわけもなく自然と関係は消滅した。風の噂で男と結婚したと聞いた時には鼻で笑うてしもうたけど。
この服はその時準備しとったうちの1着。もしあの姿を気に入ってくれたなら、次に会った時にはこれを着ようとしとった。ブティックで一目惚れして即買いしたのに、いっぺんも袖を通してない。
「…捨てんの忘れとったわ。」
ハンガーから取り外しごみ袋に入れようとする。アオイには似合いそうやけど、どうせ自分には似合いはしない。
アオイなら。
「アオイなら…なんて思うやろ。」
アオイと会うときは決まって男物に近いパンツスタイルやった。何故なら着やすいし、動きやすい。歳上の恋人として、可愛らしいアオイをエスコートするのに最適な格好だったから。
…いや。
もし女性らしい姿を見られ、彼女にまで同じ事を言われると、もう女として立ち直れなくなりそうだから。心の隅でそう思う自分がいたからだ。
でもアオイはアオイや。
小さい体を震わせながら懸命に気持ちを伝えてくれた。大人になるまでうちを好きだと思い続けてくれた。
あの女とは違う筈。
「…うちは…。」
気がついた時には財布をもってデリバードポーチへ走っとった。
『チリさん!お待たせしました!どちらにいますか!?』
珍しく待ち合わせの時間ギリギリ。息を切らしながらスマホロトムを弄る彼女から少し離れた所にうちは立っていた。
アオイはいつも花柄やレースが付いたヒラヒラの、砂糖菓子のような可愛い服を着てるのに、今日はシンプルにトレーナーとズボンを履いている。キョロキョロと辺りを見回してうちを探しとる姿は可愛らしい。早く抱き締めてキスをしたい。
だけど足が動かない。今うちはあの時残した服を身に纏い、数年振りに化粧を施し髪をいじっている。嫌な記憶がまだ頭を過り、この姿を見せるのがまだ少し怖い。
『チリさん何処ですか?』
『近くにおんでー。』
『近く?何処ですか?』
アオイまだ周りを見ている。自分を見付けられてないらしい。流石にこれ以上は引き伸ばしたくない。いよいよ覚悟を決めた。
重い足を引きずるように動かす。一歩また一歩彼女に近寄った。
「…ここや。」
「チリさん!すみません、お待たせし…て。」
アオイは振り返っめこちらを見ると、目を大きく見開いて固まった。重ねたらあかんのに、あの女の顔が隣に現れる。呆れられたか、不愉快やったか、アオイは微動だにしない。やっぱりこんな物捨ててしまえば良かった。
「なはは。こんなんでかんにんな。着替えてくるさかいちょっと待ってて。」
「…え?ど、どうしてですか?」
「似合ってないんやろ、これ。」
自分が聞いたくせに答えを聞くのが怖くて、足早に去ろうとした。だけど、アオイの手がうちの手を掴んでそれを拒んだ。
「…私言ってませんよ?どうしてそんな悲しい事言うんですか?」
「何も言わんからそうなんやろなって。あぁ、世辞はいらへんよ。どうせ…。」
「出なかったんです!」
「へ?」
突然声を荒げられ周りの視線が突き刺さる。そんなのは物ともせずに、アオイは真っ直ぐな瞳でこちらを見つめた。
「チリさんが可愛い過ぎて、咄嗟に言葉が出なかったんですよ!」
「なっ!?」
「情けないです。折角こんなに着飾ってくれてるのに、気のきいた言葉1つも直ぐに言えないなんて…恋人失格です。」
「そ、そんな事あらへん…!けど、ほんまに?」
「はい!」
にっこりと笑い率直な返答をくれた。うちは声が震えそうになるのを耐えながら、期待を込めてアオイに尋ねた。
「その、ほんまに正直な感想を教えてくれへん?うち、に、似合うとるやろか?」
「はい、とっても似合ってますよ!いつもと違うお化粧も綺麗ですし、髪を下ろしてるのも新鮮で素敵です!」
嘘偽りのない真っ直ぐな言葉は、うちの荒んだ心を晴らしていった。人が見る男勝りな四天王のチリ、の姿だけやない。一人の女としてのチリ、を見てくれてると分かる。愛してる人に理解をされるというのがこんなに幸せなものだなんて、初めて知った。
「おおきに…嬉しい。」
「え?チ、チリさん泣かないでください!えっと、ハンカチ、ハンカチ!」
あたふたしながらハンカチを取り出し、涙を拭こうと伸ばした腕を引っ張ってその体を抱き締めた。
「アオイ!大好きや!」
「私も好きですけど、チリさんここ大通りです!見られてます~!」
ほんまはこのままキスしたかったけど、流石に強く拒まれて泣く泣く諦める。体を離すと改めてアオイの姿を確認した。
「今日は珍しくズボンなんやな。」
「はい。本当は可愛い洋服を用意してたんですけど、仕事がぎりぎりまで終わらなくて。タンスの物引っ張り出したらこれだったんです、すみません。」
「そんな謝らんでえぇ。どんなアオイもかわいー。」
「…あ、ありがとう、ございます。」
「でも、いつもとスタイルが逆でなんか新鮮やわ。」
「ふふっ。じゃあ、今日はいつもエスコートしてくれるお礼に、私がチリさんをエスコートします。」
アオイはうちの手を取り、指先に唇を付けた。
「こんなに綺麗なチリさんと一緒に過ごせて光栄です。行きましょうか。」
か、かっこ可愛い…!
ふわりと微笑む顔が綺麗で、柄にもなくドキッとしてもうた。
うちは差し出されたアオイの腕に、そっと手を回した。