【爆切】追いかけっこ「…ここか」
ナビの通りに新幹線から電車に乗り変えしばらく船を漕げば、小さな駅に着いた。
追いかけっこ
別に、何かあった訳じゃない。いつも通り。むしろ今日は平和なもんだった。ただ、帰り道、ふと茜に藍が滲む空を見上げれば、透ける白い月が浮かんでいて。
(まだ太陽は沈んですらいねぇのに、何を焦って追いかけてるんだか)
そんなくだらないことを考えていたら何
故か、唐突に、あのバカみたいに明るい笑顔を思い出したのだ。
——会いたいと、思った。
あいつが関西に引っ越してすぐ、聞いてもないのに勝手に送ってきた新居の場所をアプリのトーク履歴を遡って探す。ここから一番早く辿り着ける手段を調べて、衝動に駆られるまま新幹線に飛び乗った。
そうしてせっせとここまでやって来たのだ。自分でもよく分からない感情に、藍が広がりきった空を見上げる。
移動中。スマホであいつに連絡を取ろうとしたが、何度も文字を打ち込んでは消してを繰り返し、やめた。
素直に「会いたい」と言える性格なら、どんなにこの世界はどんなに生きやすかっただろう。だがこの想いを、「会いたものい」以外の言葉で何と表せばいいのか、俺は分からなかった。
「にゃー」
そんな自分に呆れ返って突っ立っていると、すぐ側で猫の鳴き声がした。足元に目をやれば、いつの間にか真っ黒な体に首元だけ白い模様の入った大きな猫が一匹、ちょこんと座っている。
(…せんせー、みてぇな猫)
「…んだよ」
周りに人がいないことを確認してから小声で問いかけると、猫はまたひと鳴きして小道に向かって歩き出した。そして少し進んだ先で、くるりとこちらを振り返る。まるで着いてこいと言っているようだと、御伽話のような考えに苦笑しながらも、まぁ着いて行ってやってもいいかと投げやりな思考で足を踏み出す。
臆病な俺はどうせ、行く宛てもない。
そうして住宅街をしばらく歩くと、一軒のコンビニに着いた。
別に、どこか特別な場所へ案内してくれる、なんて期待していた訳ではないが、あまりに陳腐な場所でハ、と乾いた笑いが出た。
人工的な明るさに目を細めながら、額に浮かんだ汗を拭う。五月といえど、気温は日を追うごとに上がり続けている。アイスでも買うか、と入り口に向かうと、猫は裏口の方に駆けて行った。餌でもあんのか?と覗けば、そこには、
「にゃ」
「あれ?今日も会えたな!」
甘えるように擦り寄る猫を、身を屈めて優しく撫でる男がいた。
溌剌とした、よく通る声。
肩にかかるほどの、赤い髪。
ギザっ歯が覗く、大きな口。
「きり、しま」
ん?と顔を上げた切島は、元から丸い真っ赤な目をさらに丸めた。
「え?!ばくごー?!」
大きな声に驚いた猫が、走り去っていく。
「あ、ごめん!え、待って、なんで?!」
なんかあった?!連絡きてたっけ?!と慌てながら聞いてくる切島を「落ち着けや」と宥める。人間、自分より慌てる者を見れば、大きな驚きの前でも冷静になれるというものだ。そして。
――俺はこんな、単純な男だっただろうか。
一目見ただけで、声を聞いただけで。自分でも気付かぬまま欠けていた何かが、満たされていく。胸に広がる暖かいそれに、たまらずふは、と息を吐き出した。
「何もねぇ。し、連絡もしてねぇ。」
「へ?」
「来たくなったから、来た。」
「…そっか!久しぶりだな!」
切島はそれ以上、何も聞かなかった。…これだから、この男の隣は息がしやすいのだ。二つに分かれるアイスを買って片割れを咥えた切島が「俺んち来いよ!ちょっと汚ねぇけど、勘弁な!」ともう一つを差し出す。「しゃあねえな」と勢いよくそれにかぶりつけば「あぶね!」と指を引っ込め、短い眉を下げて笑った。
そんな横顔を、見つめて。
この為に来たと言ったら、こいつはどんな顔を見せるのだろう、と考えた。
見上げた空には、太陽を焦って追いかけていたはずの月が、我が物顔で煌々と輝いている。
…俺だって、ここまで追いかけてきたのだ。あの衛星如きに、負けてはいけないだろう。
隣で機嫌良く揺れている手を取り、指を絡める。ひくり、と震えた冷たい指先は、すぐに二人分の熱を持った。下ろされた髪から覗く耳は、赤い。
「きょ、今日満月だぜ!なんとなく空見上げてさ、ばくごーの髪色みてぇだなって思ってたんだ!」
俺も、てめぇを思い出したわ。
「あの猫、相澤せんせーみたいじゃね?」
俺も、思ってた。
「…会いたかった!」
俺も。
「なぁ、」
「好きだ」
追いかけているのは、月か、太陽か。