旅の後味 長い一日が終わる。
『———いいですか。明日でも良いので、必ず一度病院へ行ってください。何か身体に支障がありましたら僕までご連絡を。絶対ですからね。くれぐれも自己判断はやめて下さい』
何度も念を押して、彼はあの学園へと帰っていった。赤くなった目を隠すよう、眼鏡の位置を直して振り返らずに行ってしまった。
銀色の髪が揺れ、列車の扉が閉まる。
それが見えなくなるまで、私は彼を見送ったのだった。
「……はぁ」
流石に疲れが出たのか、自身の部屋に着くなり私は荷物を放り出してベッドに身体を投げる。今日は、服の皺を気にする必要も無い。仰向けになって天井を見上げ、一人ため息をついた。
「泣かせてしまった」
目を瞑る。控えめな銀色の瞳から、暖かな雫がはらはらと降っていた。いつもの、凛としていてどこか踏み込まれる事を拒むような、挑戦的な表情を歪ませて。
———馬鹿!ひ、一人で、あんな……人間のくせに。人間のくせに!もし、あのまま溺れてたら……!
死ぬ気は無かった。と、思う。
迫る海に飲み込まれ、呼吸も身体の自由も奪われて。苦しいともがく術も無く、どんどん沖まで流された。焦りもあった。恐ろしいとも、勿論感じた。
けれど。
この苦しみが過ぎれば———あの子に会えるかもしれないと。ほんの、一瞬だけそう考えたのも事実だ。
「ん」
ふと、すっかり乾いた腕を掲げてみる。暗い部屋に差し込む月明かりに照らされ、その肌に、うっすらと吸盤の痕がリボン状に巻き付いていた。
「———……」
あの日。終わるはずの命だった。まさか、こんなにも必死に、痕が残るほどに繋ぎ止められるなんて考えもしなかった。
意識が完全に遠のく、その前に見えた姿。日差しと水の屈折が相まって、大きく翼を広げた天使のように見えた。
ただ、美しかった。息も止まるくらいに見惚れていた。彼の、本当の姿。
「……しょっぱい」
肌に残る痕を、その舌で味わう。潮風の香りも、細波の音も。彼の笑う声と共に、この身体に残っていた。
止まるはずだった鼓動が、静かに高鳴っていく。一人、私は自分の腕に残る彼の残り香を抱きしめるのだった。