True Heart「――ありがとうございました!」
ステージが終わり舞台裏へと移動すると、身体の強張りが一気に弛緩した。
初ステージで柄にもなく緊張していたのか、心音がまるで血流を通って伝播しているかのように、身体中で大きく響いている。汗も止まる気配がなく、衣装の内側も蒸れて、酷く熱い。
しかし不思議と疲れはなく、爽やかな達成感だけがとめどなく湧き上がっていた。
舞台袖からそっと観客席を覗き見る。
赤と青で彩られたペンライトの海にはたくさんの笑顔が浮かんでいて、僕はそのあまりの眩しさに思わず目を細めた。目線を少し上に動かせば、みゃむやまつりちゃん達の姿も見える。
……ああ、このステージからは、こんなにもはっきり顔が見えるのか。
観客として見ていたときには気がつかなかった。
ステージ上にいるプリマジスタ達からすれば、こちらは観客席を埋める一つのピースでしかないのではと思っていたけれど、今ならわかる。ペンライトを振る明るい笑顔も、色とりどりの声援も、何にも代え難い存在なのだと。その一つ一つ、全ての存在が、今日の僕達にステージで歌い踊る自信を与えてくれたのだ。
ここに立たなければ、いや、橙真と共にプリマジをしなければ、きっと一生知ることはなかっただろう。
――そう、橙真と共にプリマジをしなければ。僕は、夢を見てるのだろうか?
未だ実感の湧かない現実に、何度も何度も先程のステージを反芻する。暫くそうしていると、突然冷たい感触が片頬を襲った。
「わあっ!?」
「何見てるんだ?」
「と、橙真……!」
ぼんやりと思考に耽っていたせいで、奥で汗を拭っていたはずの橙真が、いつの間にか隣に立っていたことにも気付かなかった。橙真はタオルとスポーツドリンクを手にしており、どうやら頬に押しつけられたのはそのペットボトルらしい。
「はい、これ」
「あ……ありがとう」
てっきり橙真のものだと思っていたそれは、どうやら僕のために持ってきてくれたもののようで。タオルを頭に被せられた後、キンと冷えたペットボトルを手渡された。
「汗かいたまま放っておくと身体冷やすぞ。あと、水分補給も。ちゃんと水分取らないと脱水症状になる」
「……橙真、学校の先生みたいだね」
「ほら、汗」
「は〜い」
タオルで軽く汗を拭き、早速ペットボトルのキャップを外して中身を煽る。喉をドリンクが通過していく感覚が気持ち良い。熱を持った身体の中心から心地良い冷たさが染み渡って、なんだか最高の気分だった。
思いがけず一気に半分ほど飲み干してキャップを閉めると、橙真が横からそれを回収して近くの棚に置いてくれた。ありがとう、とお礼を言いながら、こういうところがスマートだな、と思う。一つ一つの仕草に、優しさと真面目さが滲み出ているのだ。
だからだろうか。橙真の近くにいると、自分という存在が大切にされているような気分になる。『蒼き狼』の力を持っているからでも、権力争いの重要な駒だからでもない。利用価値など見つけようもない僕自身を、心から大切にしてくれているんだと思える。
そう考えた途端、ドクン、と鼓動が響き始めた。心臓が耳の近くにあるみたいに、その大きな音が全身を叩いて鳴り止まない。
今現在、僕と橙真は観客席から見えないよう腕がぴったりと触れ合うように立っているため、互いの肌の表面が未だに熱いことだって感じ取れてしまっていた。こんなに近くにいては、橙真にまでこの音が聞こえてしまう。そんな気がして、僕は急き立てられるように口を開いた。何気ないトーンを装って、本心を隠して話すことは得意だ。
「えっと、ステージメイクされた橙真、いつもと全然違うね」
「ああ。タントちゃん……さん?に鏡で見せてもらったとき、本気で誰かと思った。俺、なんだよな」
「あはは! 間違いなく橙真だよ。橙真じゃなかったら僕が困る」
「だよな……。わかってるけど見慣れない」
「でもすごく似合ってるよ。格好良い」
二人で観客席の方を見ながら、言葉を交わす。正直、この状況がありがたかった。何故なら僕は今、橙真と目を合わせて話す自信がないから。
たった十分ほど前、ステージではあんなに見つめ合っていたのに。ステージが降りた今の方がよっぽど緊張していた。
……橙真とプリマジをした。してしまった。
熱くなる心とは裏腹に、水分を補給して脳がクリアになってきたからか、ここにきてようやく僕は、これが都合の良い夢ではなく実際に起きた出来事なのだと実感し始めた。この数時間の内におきた怒涛の展開を、現実を、順番にゆっくりと理解し、受け止めていく。
じわじわと浮かび上がるのは、達成感や充足感、歓喜。……しかしそれだけじゃない。向き合う必要のある今後の問題までも、同時に思い出しそうになる。そう、これがハッピーエンドではないのだ。むしろ――。
そこまで考えて、僕は振り払うように首を振った。
……今だけは。せめて今この瞬間だけは、幸せで楽しい思い出だけに浸っていたい。
そう願っていたとき、隣から「あ、」と橙真の声が聞こえた。そっと顔を上げて見れば、あそこだ、と橙真が会場の後ろ扉付近を真っ直ぐ指差している。
ああ、そこは――。
「あのさ、俺、いつもあの場所からまつりのステージを見てたんだ」
「うん……知ってるよ」
だって、見てたから。橙真が初めてこの会場に足を運んだときから、ずっと。
伝える必要はないことだから、心の中で一人そう呟く。
「……あの場所からまつりを応援してたときは、まさか自分がプリマジデビューするなんて思わなかった」
橙真は何気なくそう言って、穏やかに微笑んだ。
しかし対照的に、僕はその場で固まっていた。先程まであたたかく燃えていた心臓が、凍らされたみたいにスウッと冷えていく。それに伴い、今さっき考えることを放棄しようとした問題群が一気に噴き出し、思考の大半を塗り潰し始めた。
ああ、これは楽しい思い出だけに浸ろうとした罰なのか?
逃げるように数歩後ろに下がって、逆光で暗くなっている橙真の背中をぼんやり見つめる。
もう少しだけ、幸せを噛み締めていたかった。悔しくて顔が歪みそうになるけれど、笑みを顔に貼り付けて、なんとか誤魔化す努力をする。
そうだ。これは今だからこそ言わなくてはいけないのだ。手遅れにならないうちに。橙真のために。
「橙真、本当に良かったの?」
「え?」
「言ったでしょう? 僕がステージに立つのは、一時的にでもみゃむの身代わりになるためだって」
そもそも今回のプリマジは、その目的を果たすために行われたものだったのだ。
強大なマジを保有するみゃむが、御芽河阿智彦に狙われている。利用されようとしている。けれど、精神面がまだまだ未熟で、未だマジを使いこなせないみゃむに一人でプリマジさせるのは危険だった。あの子を幼い頃からよく知っている僕は、尚更心配で。
それに、最近のみゃむは、まつりちゃんと二人でするプリマジを心から楽しんでいた。みゃむにとって、まつりちゃんはようやくできた初めての友だちだ。その繋がりを断ち切るようなことはしたくなかった。
僕とみゃむは良く似ているのだ。コントロール不能になる程大きな魔力が脅威となって、他人との付き合いが上手くいかなかったこと。だから友だち作りが下手なこと。ずっと孤独感に苛まれていたこと。
幸いなことに、僕はあの子より歳上で器用だったから、ただあの子が遠慮なく口答えできるような存在で在ろうと思った。僕が黙って我慢している分、みゃむが心のままに口にする生意気で意地っ張りな言葉たちを受け止めてあげたかった。強大なマジの力を持つことを心の拠り所にしてきたみゃむは、同じように強いマジの力を持つ僕や、師匠である大魔法使い様には幾分素直だったから。
みゃむは手が掛かるけれど、僕にとってはかわいい妹のような存在だ。だから、あの子が少しでも辛い思いをする可能性があるなら、せめてそれを遠ざけてあげたかった。
そして僕は、一人で身代わりになることを決めた。
今回のプリマジは、賭けだったのだ。オメガ・コーポレーションと魔法界の争いに、新たな火種を作りかねない危険な賭け。
魔法界のスパイとしてオメガに潜り込まされていた僕が、魔法界に内密でオメガの味方についたふりをする。これが、どんな結果を生んでしまうのか。良くない結果を招いてしまうことだけは確かだろう。
「橙真は、僕が『一緒にプリマジをしたかった』って言ったから来てくれたんだよね? 呼び止められたときすごく驚いたけど、本当に嬉しかった」
ずっとプリマジをしてみたかった。
かつて人間界で僕を助けてくれたあの人が教えてくれた、マナマナとチュッピが支え合い、助け合うプリマジを。
しかし現在のプリマジは、魔法界とオメガ・コーポレーションの権力争いの舞台となっている。あんなに仲の良かったジェニファーとリューメも、大人達の争いに巻き込まれた挙句、引き離されてしまった。
夢見たプリマジは存在せず、そんな渦中で魔法学園から送り込まれた刺客としてオメガで活動している自分に失望する日々。
そんなときだった。新たにうまれたプリマジスタのステージを見たのは。
マジを持たないチュッピを見下していたみゃむが、幸運にも見つけたパートナー・陽比野まつりという少女のステージ。彼女の名前はすぐに覚えた。
まつりちゃんのプリマジは、フレッシュで、明るくて、何よりみゃむのことを心から信頼していることが感じ取れた。ジェニファーや弥生ひなのような、マナマナとチュッピの信頼関係があって成り立つプリマジ。僕の見たかったプリマジが、そこにはあった。
しかし、それだけじゃない。
まつりちゃんの応援に駆けつけた少年――橙真にも出会えた。声を張り上げて必死にまつりちゃんに向かって「頑張れ!」と叫ぶその姿が、僕の目にはステージでスポットライトを浴びるプリマジスタ達と同じくらい輝いて見えた。
最初は、遠くからそのひたむきな姿を見つめているだけで満足していた。けれど、いつしか奥底に閉まっていた期待は抑えきれないほどに膨れ上がり、いつの間にか僕は橙真に声をかけていた。この子と友だちになれたらどんなに素敵だろう、この子とプリマジができたらどんなに嬉しいだろう。そんな期待のままに。
橙真は、とても優しかった。
いきなり声をかけた僕に初めは警戒を見せていたけれど、何度か強引に押しかけてしまえば、僕のことを段々と自分のスペースの内側に入れてくれた。
それが嬉しくて、楽しくて、幸せで……。僕は少しばかり頼りすぎてしまったのだ。
一人で大人達の争いに立ち向かうのがどこか不安だったのだろう。気づけば僕は何の関係もないはずの橙真に、みゃむがオメガに狙われていることや、僕がその身代わりになろうとしていることまで打ち明けてしまった。
それでも、橙真を巻き込みたくなくて、さよならをしたつもりだったのに。結局僕は、橙真を巻き込んでしまった。「身代わり」のプリマジを共にしたことで、争いの渦中へと引き入れてしまった。
共にステージに上がったということは、オメガにとっても、橙真はもはやただの観客ではなくなったということだ。何の関係もなかった橙真が、オメガの理想のエンターテイメントを形作るための商売道具にされる可能性が芽生えてしまった。
……でも、今ならば。一度きりならば、まだ引き返せるかもしれない。
橙真を危険に晒す可能性と引き換えに出来るなら、『TrutH』というユニットを惜しむことなど出来ない。……出来ない、はずだ。そう思い込まなければ、この繋がりを手放せるはずがなかった。
「――橙真。君と一緒にプリマジしたいっていう僕の願いを、叶えてくれてありがとう。でも、僕とのプリマジはこれっきりで良いよ。……もう、十分すぎる」
影に埋もれた床を見つめたまま、口を動かす。思ってもいないことを喋るのだけは得意になってしまったこの口が、今はただ恨めしい。
でも、これから告げるこの気持ちにだけは嘘をつきたくなかった。
「僕はね、みゃむと同じように、橙真のことだって守りたいんだ。橙真のことがとても大切なんだよ。橙真とするプリマジは夢みたいに幸せな時間だったけど、本当にこれで良かったのか、僕にはわからない……」
橙真がプリマジスタになる夢なんて持っていなかったことは、言われなくたって知っている。
僕が最後に未練がましく、一緒にプリマジがしたいなんて言ってしまったから。責任感が強くて、どこまでも優しい橙真はその願いを叶えてくれてしまった。
今日だって、明日だって、この先何年も橙真は飴作りの修行にたくさんの時間を費やさなければならなくて。そのために毎日必死で頑張っている姿を見てきたのに。
橙真には橙真の目指すべき場所があって、こんなことに巻き込んでいいはずがなかったのに。
ステージの裏は、ぼんやりと薄暗い。橙真の足元に差し込む色とりどりの光を、じっと目で辿った。僕の元には届かない光たち。でも本来、僕達はこうあるべきだったのかもしれない。
橙真は何も言わなかった。僕もその間何も言えず、顔を下げたまま黙って無言の空間に佇んでいた。
そのまま暫く立ちすくんでいると、ふいに橙真が小さく息を吸った音が聞こえた。反射的に、ビクッと身体が強張る。
ああ、何を言われるんだろう。楽しかった時間に水を差すようなことを言った僕を、怒るだろうか。失望するだろうか。……友だちじゃなくなってしまうだろうか。
すっかり冷えてしまった指先を必死に握るが、熱は戻らない。すると、静寂のなか「ひゅーいは、」とポツリと声が落とされた。
「ひゅーいは、プリマジが好きなんだろ?」
「え……?」
恐る恐る顔を上げると、強い光を宿す瞳が真っ直ぐこちらを射抜こうとしていた。怒りの見えない真剣な表情で繰り出された質問に、ただただ戸惑う。
しかし、プリマジが好きか、なんて問いに対する答えは決まっていた。答えなんて、一つしかない。
「……うん。プリマジが好きだよ。マナマナとチュッピの絆から生まれるプリマジが。そのためなら僕は、何だってできる」
そう宣言するように口にした途端、橙真が何か眩しいものでも見るように、わずかに目を細めた。何か光るものでもあったのだろうか、と背後を振り返ろうとしたとき、橙真の薄い赤を載せたその唇が動き、白い歯を覗かせた。
「だったら、俺にもそれを手伝わせてほしい。ひゅーいが願うプリマジを、俺も一緒に実現させていきたい」
僕が目を見開くのと、橙真がそれを言い終わったのは同時だった。
「――俺も、プリマジが好きだから」
その瞬間、長い睫毛に縁取られた橙真の新緑の瞳が、ステージから漏れ出た光を吸収して、魔法みたいに煌めき始めた。
その瞳には、驚いた僕も映り込んでいる。
そこに映る僕の表情は、時間をかけて徐々に泣きそうに歪んでいった。その情けない表情も全く隠されていない。眩しい光に照らされているせいだ。……照らされているせい?
ハッと足元を見た。
先程まで影に覆われていたはずの僕が、いつの間にか光の下にいる。気づけば僕は橙真の隣に立って、左手を繋がれていた。あたたかい手のひらから、じんわりと熱が移されていく。
混乱したまま目の前にある顔を見つめると、橙真がフッと笑って再び観客席に顔を向けた。その横顔に施されたアイシャドウとリップが、キラキラと艶めく。
その光景はまるで映画のワンシーンみたいで、思わず見惚れた。こんな特等席にいるのが、僕でいいのかと思ってしまうくらいに。でも、もし。他の誰かがこのポジションにいたならば、僕はそれをきっと許せなかっただろう。
僕のパートナーが橙真以外にあり得ないように、橙真のパートナーも僕だけが良い。『TrutH』というユニット名を、ずっと二人で守っていきたい。
そんな素直な気持ちが、どうしようもない本心が、洪水のように溢れ出す。
この手を振り払わないでいいのか?
――振り払いたくない。
僕が隣にいていいのか?
――ずっと橙真の隣にいたい。
繋いだ手をギュッと強く握りしめる。それに応えるように、橙真も僕の手を握り返してくれた。このぬくもりを手放すことなんて、出来るはずがない。
初めて橙真と友だちになりたいと思ったときのように、この気持ちを止めることはもう不可能だった。
そのとき隣で、「そういえば」と橙真が小さく呟いた。
「ひゅーいと初めて会ったのも、俺がまつりの初めてのプリマジを観に来たときだったよな」
「覚えててくれたんだ……」
「ああ。いきなり話しかけられたからびっくりした。あと、友だちになろうって肩を組まれたときもいきなりすぎて驚いた」
「ご、ごめん……え? もしかして今怒られてる?」
「怒ってはない。……けど、もっと頼ってほしいとは思う。その、これからはパートナーなんだし。俺のことをもっと信じてほしい」
「パ、パートナー!?」
「いや、え? 俺達ってそうだよな?」
「う……うん! そうだよ!」
本日、橙真に驚かされるのは果たして何回目だろう。驚きのあまりはくはくと声にならない声を出すことしか出来なくなった僕を、橙真は首を傾げて見ていた。
「パートナー」。橙真の声で再生されるその言葉が、僕のことを指している。あまりの衝撃が、身体を突き抜けた。目頭なんて、溶けてしまいそうだ。目の前の景色が、水中にいるみたいにゆらゆらと揺れ始める。
僕は……いや、俺は。
昔から、友だちを作れるような環境で過ごして来なかった。周りを信じるより、まず疑わないとやってこられなかった。そういう環境に置かれてきたし、自ら足を踏み入れてきた。
周りにいたのは、この力を利用したがる大人が大半で。余計な火種を生まないために、丁寧に話すことを心がけてきた。信頼できる大人は、師匠としてたくさん俺の面倒を見てくれた大魔法使い様と、人間界で助けてくれたあの人だけ。この身に流れる膨大なマジを搾取されないために、人を疑いながら、誰とも一定の距離を保って必死に生きてきた。
だから、心から信じるのは怖い。
橙真を信じることを恐れているわけじゃない。近くにいる大切な人を守り切れるのか、自分を信頼することができない。俺は、俺自身を心から信じ切れる自信がない。……今は。
それでも、もし、この手を取ったままで良いのなら。
俺が夢見たプリマジに、理想の実現に、君が手を貸してくれるというのなら。もう、一人で背負わなくていいのなら。
橙真の近くにいると、俺が大切にされていると感じる。強大な力を持っているからじゃない。利用価値があるからじゃない。取り繕わない俺自身を、大切にしてくれてるんだと思える。
だから。この先も君のそばに居たら、段々と自分を信頼できるようになるかもしれない。
……なんでだろう。橙真を好きな俺のことは、信じられる気がするんだ。
一つ深呼吸をする。
手のひらから伝わる熱を感じながら、俺は声を振り絞るようにして、橙真に尋ねた。
「……ねえ、橙真。俺は、本当に君を巻き込んでいいの?」
それは確認のようで、懇願のようで。
自分でも驚くくらい弱々しい声が出て、ああ格好つかないな、と自嘲しながら、返事を待つ。
すると、橙真は観客席からこちらへと顔を向けた。不思議なことに、なんだか複雑そうな表情をしている。何故か分からず首を傾げると、橙真が眉を下げてこう言った。
「俺のマジ、伝わってなかったのか?」
俺はポカンとしたまま数秒橙真を見つめた後、勢いよくかぶりを振った。
「ちゃんと伝わってるよ……!」
「そっか、なら良かった」
大丈夫だから、と橙真が笑う。
「俺はひゅーいに付き合うよ、これからも」
指先から伝わる熱が、再び全身へと伝播していく。高鳴った鼓動が、トクン、トクン、と橙真の中に流れる心音とシンクロしていくのがわかった。
……ああ、橙真は強いな。
独りで生きてきた俺に、その強さはあまりにも眩しくて。しかし優しさを帯びたその光に照らされると、あたたかなぬくもりを感じて安心した。
いつまでも包まれていたいと、思わずそう願ってしまうほどに。
◇
「――そろそろ外に出るか。まつりにも何も言わずにステージに上がったから、きっと驚いてるだろうし……」
ステージ衣装から私服に着替えて、メイクも落とし終わった僕達は、プリズムストーンのエントランスへと向かっていた。
「ふふっ、みんなプリマジの先輩だし、ダメ出しされたらどうしよう?」
「そしたら……ひたすら練習するしかないな」
「あ……そう、だね」
当然のように言い切る橙真に、少しだけ焦りが生じる。そうだ、「好き」なら何事も頑張れてしまうのが橙真だ。そんなところが好きだけど、やはり心に芽吹いた不安はあって。
「……橙真、あの」
「ん? ああ、心配するな。飴作りと並行して、プリマジにも真剣に向き合うから。まつりと同じ土俵に上がったわけだし、お客さんも大勢いる。中途半端なプリマジは見せられない」
「いや、えっと、真剣にやってくれるのはありがたいし、そこらへんは全然心配してないんだけど……」
「え?」
橙真の場合はむしろ、一生懸命打ち込みすぎてしまうことの方が心配だ。無理をして倒れられでもしたら、そのときは僕も罪悪感とともにショックで寝込んでしまうだろう。
まさか、僕がそばにいるのにそんな事態を引き起こすわけにはいかない。
「あの、僕にできることなら何だってサポートするから。くれぐれも無理をしないよう気をつけてほしいんだ。僕は、君のパートナーだから。……心配させてほしい」
僕が意を決して「パートナー」と舌に載せると、橙真はわずかに目を見開いて、わかった、と嬉しそうに微笑んだ。つられて、僕の頬も緩んでいく。
このやり取りだけで、胸がいっぱいだ。
……ああ、「かけがえのない存在」ってこういうことなんだ。
納得と共に、ストンと言葉が落ちてくる。代替できない存在。誰も身代わりにはできない存在。いつからか、橙真は僕にとって、何にも代え難い、特別でかけがえのない存在になっていた。
ありがとう、と隣にいる橙真に聞こえないように、小さく呟く。
橙真は僕の願いを受け入れて、共にステージに立ってくれた。一緒にプリマジをしてくれた。
その代わり、橙真はその手に抱えるものをさらに増やしてしまって。飴職人になるという夢に、まつりちゃんへの真っ直ぐでピュアな想い。そして、プリマジスタとして僕と共に立つステージ。橙真のことだから、どれも蔑ろにするようなことはしないだろう。
「好き」の気持ちがあればどこまでも頑張れてしまう橙真が、いつかそれらの重みに押し潰されてしまわないように。橙真が僕の心の荷物を一緒に持ってくれたように、僕も橙真が大切にしているものたちを大切にしたいと思う。
この先も、橙真の隣に立つために。
――君のことが、好きだから。
エントランスに辿り着くと、ガラスの向こう側にはプリマジスタのみんなとパートナーのマナマナ達の姿が見えた。全員、僕達を待ち侘びるかのようにして立っている。
僕は、まつりちゃんと楽しげに喋るみゃむを眺めた。ああ、今日あの笑顔を守れて良かった。ホッと息を吐く。明日からも油断は出来ないけれど、一先ずは安堵の中に浸っていよう。
ふと視線を感じて横を向くと、橙真とばっちり目が合った。同じことを考えていたのだろう。うん、と確かめるように互いに頷くと、僕達はようやく『TrutH』誕生の挨拶を交わした。
「これからもよろしくな、ひゅーい」
「こちらこそよろしく、橙真」
自動ドアがゆっくりと開いて、外の新鮮な空気に包まれる。みゃむが僕を呼ぶ声が聞こえて、まつりちゃんが橙真の元へと駆け寄っていく。各々が、様々な反応で僕達を迎え入れてくれていた。
太陽は、分け隔てなくこの世界を照らしている。
夕陽で橙色に染まったこの騒がしく平和な光景が、闇に呑まれることのないように。マナマナもチュッピも関係なく笑い合うこの光景を、終わらせることのないように。
――今日から続く日々がどんな未来に辿り着いたとしても、今日という日はきっと、僕にとって永遠に特別であり続けるだろう。
願わくば、マナマナとチュッピが共に助け合い、笑い合うような未来に辿り着けるように。
そのために僕は、明日からも歩み続けよう。