破壊による証明 ドッキリを仕掛けられた。さまざまなドッキリの中でもかなり醜悪なものだったと言えるだろう。
題して「UNDEADの朔間零が羽風薫にマジ告白!?」と名付けられたその企画は、つい先程撮影が終わった。
撮影クルーが去ったニセ番組の控え室には、現在、薫と零の二人だけが残されている。
「……すまぬ」
暫く沈黙が支配していた場で、先に口火を切ったのは零だった。
「なんの謝罪?」
「……この仕事に薫くんを巻き込んでしまったことに対して」
「別にいいよ。仕事だもんね?」
「………」
零は明らかに機嫌の悪い薫を前にして、その場に立ち尽くし、どこにも行き場のないような顔をしている。素直に可哀想だな、と思うが、薫はこの態度を改めるつもりが起きない。
現在、薫のなかには収まりのつかない憤りがあって、それが胸の内でひたすらぐるぐると暴れているのだ。零がこちらを気遣わしそうに見ていることすら苛立つほどに。
「………一つだけ訊くけど、なんでこの企画断らなかったの?」
「………」
零は答えなかった。それでもう限界だった。
なんとか堰き止めていたものがじわじわと溢れ出し、止まらなくなる。怒りか、哀しみか、それとも他の何かか。
「……ねえ、零くん。俺達って付き合ってるよね?」
「ああ」
「そうだよね? それなのに、」
そこまで言って、薫は口を噤んだ。ぐ、と喉の奥から熱いかたまりが込み上げてきて、必死にそれを押さえつけようとするが、それすらままならない。
その様子に気づいた零が、恐る恐るというように薫に近づく。
「大丈夫か、薫く、」
「俺、……ショックだったよ」
そう告げた薫が顔を上げると、目が合った零は呆然としていた。
そもそも部屋に入ってきたとき、零の表情には微かに違和感があった。そして、一瞬ちらりと後方を見てから薫に向き直った零を見て、薫はすぐ気がついた。
あの不自然な動きは「カメラが仕掛けられているから気をつけろ」という合図だと。
薫は当初、零がそんなことをした意図については「カメラ映えするリアクションをしてくれ」というオーダーかと思っていた。
薫自身、晃牙やアドニスのように素直で撮れ高のあるリアクションが自然に出来るかは微妙だし、正直こういった企画は多少演技をしている方が、お茶の間に喜ばれる振る舞いが出来る自信がある。
だから、薫は零のその「思いやり」に感謝したのだけれど――事態は想定していたよりずっと最悪で、醜悪だった。
――零が薫に「告白」する。
それこそが「ドッキリ」だったのだと薫が理解したのは、死にそうな顔をした零が薫に愛を囁き終えたあたりだった。そのときの零といえば、白い肌がより白く……なんなら青ざめていたのだから笑えない。
ただ、それでも薫は完璧な「驚き」をカメラのレンズに見せつけた。伊達にドラマで主演を張ってきてはいないのだ。
――『零くんの気持ちはうれしい。でも、ごめん。伝えてくれてありがとう』
そう返したとき、薫はほんの一瞬吐きそうになったけれど、それでもそれを顔に出すようなヘマをしなかった。
ただ、振り返って思う。
……あの「返事」は、ぐちゃぐちゃの吐瀉物を吐き出すことと一体何が違う?
いっそあのとき本当にその場に汚いものを吐いて、番組を台無しにするべきだったかもしれない、と。
「……俺はさ、」
吐き出した声が震えた。
「俺と零くんが恋人であるはずがないって思ってる人達を、そこに恋愛感情なんかあるわけないよねって思ってる人達を、『ああ、やっぱりそうだよね。そんなはずないもんね』って納得させるようなこと、したくなかった」
薫は俯いた。前髪がはらりと垂れ、その表情を覆い隠す。
「そりゃあ俺達はアイドルだから、恋愛関係を表に出すことは推奨されてないよ? だから、バレてほしいわけじゃない。むしろ、バレるのは……正直怖い」
でもね、と力なく呟く。
「この企画を提案した人も、受け入れた人も、これを見て楽しむ人たちも、………俺達の可能性なんかみんな端から信じてなくて、俺が零くんを振ったら『やっぱりね』って安堵するだろう人達がきっと大勢いて……。それが娯楽になっちゃう。俺のあの断り文句ですら、俺の『優しさ』に回収されるかもしれないと思うと………それは、すごく……すごく嫌だよ……」
薫はそこまで言うと、顔を上げて、零を見た。口端を歪ませて、不器用な笑みを形作る。
「だって実際、俺達は恋人なのに」
零はただただ黙って、薫をじっと見つめていた。
零が今何を考えているのか、薫はわからない。けれど、零だってきっとこんな事態を招きたくなかったはずだ。薫は零の善性を信じている。だって、ずっと隣で見てきたから。
「でも、一つだけ良かったことがあるよ」
「……それは、」
「零くんが告白を仕掛けた相手が俺だったこと」
「……」
「あんたが俺以外の誰かに愛を囁くのも、俺以外の誰かがこんな最悪なことに巻き込まれることも、全部ぜーんぶ嫌だし! ……それにさ、こんなんで俺らが険悪になるのも馬鹿らしいよね。俺達は振り回された側なのに」
――だからまあ、零くんばかり責めちゃってごめん。一応、これで俺の言いたいことはおしまいだから。
そう言って、薫が全てを終わりにしようとしたところ、零がそれを引き止めるように硬い声を響かせた。
「すまん……薫くん。次は我輩から説明させてくれんか?」
せっかくこの話題を切り上げようとしたのに、と薫は言いたくなったけれど、零の表情があまりに真剣なので、薫はそれを飲み込んだ。代わりに、小さく頷く。
「………うん。わかった、いいよ」
薫から許可が下りると、零はあからさまにホッとした顔を浮かべた。だがそれも一瞬で、薫が瞬きをしている間にまた元の表情に戻ってしまっていた。
「一応言っておくが、我輩の選択がおぬしを苦しめてしまったことは変えようのない事実で………この説明を聞き入れたとておぬしが我輩を許す必要はない。……ただ、我輩は本当に、心から後悔しておる」
そう言って、零は唇を軽く噛み締め――すぐさま「説明」をはじめた。
「初めに。当初、この企画にキャスティングされていたのは、我輩ではなかったんじゃ」
「……そうなの?」
薫が意外そうに顔を上げると、零はゆっくりと頷いた。
「ああ。元々はリズリンの新人アーティストがキャスティングされておったんじゃよ。年功序列が強いうちの事務所としては、珍しく丁寧に育成している子でな。なんでも彼は俳優業にも力を入れていて……なかなか頑張っておるんじゃ。しかし、だからこそ問題が起こってしまったともいえる」
「……ああ、なるほど」
ここまで聞けば、長年この事務所に所属するタレントとして、薫もその起こってしまった「問題」とやらの内実についてなんとなく読めてしまった。
「その例の彼はアイドルじゃない……ってことは、事務所の人が彼の面倒を見てるんだよね?」
「そうじゃ」
「だから、うちの事務所のちょっと古い体質に染まりきってるスタッフは、このドッキリ企画の『問題点』を見抜けなかった。……そういうことでしょ?」
「ああ」
零はぐったりと頷いた。
よくよく見れば、その顔には疲労が滲み出ていて、なんだか気の毒になってくる。
「見る者が見れば、この企画に批判が集まる可能性が多分にあることはわかるじゃろう。男が男に恋する様子を『ドッキリ』に仕立て上げる――そんな番組は、どう弁明しようが決して良い番組とはいえぬ。勿論、この番組を愉しむ者もいるじゃろうが……」
「うん。……ほんと、俺があの『告白』を受け入れてたらどうするつもりだったんだろ? これをネタに視聴率稼ぎしてたかな? 大スキャンダルだもんね、きっと」
薫がそう呟くと、零が力なく笑った。
「……そうじゃな。様々な人間がいるからこそ、社会には倫理が生まれ、法が生まれ、秩序が形成されたというのに。……それはときに酷く未熟で、恐ろしく、ときには『普通』という規範から、人々を排除するために機能している。悲しい事に、それは現代でもそうじゃ」
零は疲労の滲む声でそう呟くと、続けて「だから、せめてそれで傷つく者を減らしたかった。気付いてしまったからには」と言い切った。
「……我輩は、これまで世間から身を隠し生きる朔間一族として生き永らえながら、同時にこの才ゆえに大勢の人間に求められてきた。矛盾しているが、だからこそ少なくとも分かる痛みがある」
薫が思わず目を瞠る。
「………そんな、」
「事務所に話をつけるのは簡単じゃったよ。あの企画に彼を出したら、彼がこれから進むべく道にあまり良くない影響があるじゃろう、と言ってのう。慌てて我輩を代わりにしてくれた」
零がそう言って笑うので、薫は眉を顰めた。そんなの、零にばかり負担がかかっているではないか。
「……じゃあ、代わりにあんたが火の粉を被るつもりだったってこと? そりゃ俺は、あんたが誰かが傷つくのを分かってるのに見て見ぬふりすることが苦手なのは知ってるけど……でも、それで零くんが傷付くなら――」
「いや、」
零が左右に首を振る。
「本来は我輩も『あの企画』に出るつもりはなかったんじゃ。別企画に挿げ替えるつもりじゃった」
「え? じゃあ、なんで……」
「情けないことを言うと、間に合わんかったんじゃ。急なキャスト変更で、向こうもバタバタしていてな。我輩も、ここ最近は映画の撮影で毎週あちこちに飛び回っていたから」
「! そうだよ、零くんここ数週間めちゃくちゃ忙しかったのに……」
零がどれだけ多忙だったか、薫はよく知っている。だからこそ、それがどんなに無理なスケジュールなのかをすぐ理解できた。
……ただ、ということは、だ。あの企画は挿げ替えられていないのだ。
気づけば、薫は思い至った懸念をそのまま不安とともに口に出していた。
「……じゃあ、……ってことは、あのまま放送になっちゃうってこと……?」
「――まさか」
零は薄く笑った。
その壮絶に美しく恐ろしい笑みに、思わず身体が緊張してしまう。
「こうなってしまったからには、あの企画を潰すしかあるまい。なかなか手間がかかるじゃろうが、大事になってから対応するよりはよっぽどマシじゃ。こういう場合に備えたストックだってあるじゃろうしな」
「………」
薫はわかっている。これから零がどれだけ無理をするつもりか、どれだけ大きなものを動かそうとしているのか。
でも、他でもない朔間零だからこそ成し遂げられてしまうことも、よくわかっていた。
だからこそ、薫はこう言うことしかできなかった。
「……あんたのその優しさを尊敬してる。でもさ、そんな無理して笑って……いつか倒れたりしないでよ。大好きな人が頑張りすぎて倒れるの、俺にとってはどんな悪夢より酷いことだから。……自分のためにその優しさを使うのが苦手な零くんのために言ってあげるけど、……俺のためにも、あんまりこんな無茶しないで」
そう言って薫が口を噤む。
すると、零が真顔のままゆっくりと薫に近づいてきた。
「……? 零く、わっ」
「……薫くん」
それから急に抱きしめたかと思うと、掻き消えそうな声で小さく呟いた。
「……ごめん」
そのとき初めて気が付く。
零は薫を傷つけてしまったことを、薫が思うよりもずっとずっと後悔していた。いや、当然だろうか。そもそも零は、薫みたいに不当に傷付けられる者を生み出さないために、この企画を潰そうとしていたのだから。
零がこちらを抱きしめる手が繊細な壊れものを扱うみたいで、薫は思わず強く抱きしめ返してしまった。確かに自分は傷付いたけれど、だからと言って、弱い存在ではないと知ってほしくて。
零の隣に立てるくらい、同じ痛みを共有できるくらいには強いと知ってほしくて。
「……本当はおぬしを巻き込みたくはなかった。けれど、頼れるのは薫くんしか……」
零の肩に顔を埋めながら、薫は小さく呟く。
「うん、零くんが好きなのは俺なんだから仕方ないよね。……俺こそごめんね、酷い態度取っちゃって」
「いいや、薫くんが怒ってくれてうれしかった。とても」
「……一応言っておくけど、あんたもちゃんと怒っていいんだよ。理不尽だったり、哀しい思いをしたときは」
「……うん」
薫はぽんぽんとその背中を優しく叩いて、最後にぎゅっと抱きしめると、パッと離れて零と向き合った。
「薫く、」
「よし、帰ろ! ついでに帰りにご飯食べてこっか! こういうときはね、なんだかんだいっぱい食べてぐっすり寝るのが一番いいんだよ」
薫が明るくそう言うと、零がようやく柔らかい笑みを溢した。内心、ホッと安堵する。
すると、零が薫を伺うようにして、口を開いた。
「……その、お願い? というか、提案があるんじゃけど……」
「ん? 何?」
「薫くんが良かったら、今夜我輩と一緒に寝てほしい」
薫はぱちぱちと瞬きをすると、「なんだ、そんなこと」と笑った。
「俺達、恋人なんだからそんな緊張しなくたっていいのに」
◇
その後の経過について辿る。
結局、あのドッキリ企画はお蔵入りになった。
零が当初の計画通り、代わりに提案した企画は急ピッチな制作にも関わらず評判も上々で、またゲストに呼ばれることになったらしい。流石、という他ない見事な手腕である。
ただ、薫はあのとき感じたモヤモヤを完全に払拭できたわけではない。零が出演しているところを見るにつけ、相変わらず零と薫の恋人関係は世間には「ありえない」ものとして見られているだろう、という事実が、薫の心をちくちくと刺してくる。残念ながら、あの出来事は、薫にとって思い出に巣食う小さなしこりになってしまったのかもしれない。
しかし、同時に思うことがある。
あの企画が潰えた事実自体が、この関係が確かにこの世界に存在していることの証明になるのではないか、と。
これは誰に証明するまでもないことだけれど、それでも。