未完のしりとり「……舌」
「た? た、た……。あ、太鼓」
「えーっと、木の葉」
「んー……、歯」
「鋏」
もうかれこれ五分ほど、零と薫はしりとりをしていた。
というのも、二人は朝から撮影スタジオにいるのだが、機材トラブルにより大幅に待機時間が増えてしまったのだ。
最初は暇つぶしに近況報告をしたり、スマホをいじっていたりしたのだが、それにもとうとう飽きてくると、どちらからともなくしりとりを始めた。しりとりというゲームは、何の道具も必要なく、どこにいても可能で、ルールが理解しやすいため、退屈凌ぎにはもってこいである。
ただ、薫は零とのしりとりを通して、一つ理解したことがあった。
それは、そもそも「朔間零としりとりをやるにあたっては、詳細なルールを設けるべきである」という事実である。
この男が本気でしりとりをすれば、多言語――それこそ殆どの人類がその存在すら知らないような言語だって使うだろうし、なんなら「ン」で始まる言葉だっていくつも知っているだろう。そうなれば、しりとりの土台となるルールが破綻してしまう。
つまり、零にかかれば永遠に――というのは大袈裟かもしれないが――しりとりで遊べてしまうのだ。
「み……みかん」
「あ、俺勝った」
「おや、負けてしもうた」
……だがまあ、そんな薫の懸念は、しりとりにすっかり飽きてしまった零によって、たった今霧散してしまったけれど。確かに、しりとりは飽きたら終わりだ。
得てして早々に「みかん」と呟いてゲームを終わらせた相棒はというと、現在薫の横で大きな欠伸をしていた。今朝、早起きしたせいもあるだろう。
薫はそんな零を横目で見ながら、声を掛けた。
「零くん、全然本気じゃなかったね」
「本気を出すべきじゃったか?」
「いや、全然。俺も途中から飽きてたし。ていうか、自分で言っておいて何だけど、しりとりの本気って何? って感じだし」
「くく。薫くんもなかなか脳が疲れておるようじゃのう」
「だってずっと暇だし〜……」
薫がぐったりとテーブルに頭を突っ伏すと、椅子の背もたれに深くしなだれ掛かった零が、目線だけをこちらに寄越した。
「それにしても、今日の薫くんかっこよいのう。その衣装も似合っておるし。我輩がその衣装買い取ってあげようか? 零ちゃんからのプレゼント……♪」
「えーそれ、さっきも言ってたよねー? 会話にも飽きちゃった?」
「いやいや。もう一回言いたかったので言っただけじゃよ、ほんとほんと」
「そう? まあ、零くんもかっこいいと思うよ」
「おや、珍しく褒められてしもうた」
「えー? 俺、結構褒めてるでしょ。あんた何しても絵になるし。美術館とかですっごく綺麗な絵を見ても、一日二日見続けたら俺きっと飽きちゃうけど、あんたの隣にはこの先もずっといられる気がするし」
それから「あ、でも水族館なら毎日居られるかも」と言って薫が顔を上げたとき、零は誰もいない真正面の壁を真顔で見据えていた。そして、薄く唇を開いて何かを呟いた。
「――」
「……え?」
薫はぱちぱちと瞬きをすると、眉を顰めた。
「え、まって。今なんて言った?」
「……はて、しりとりの続きじゃよ」
「はあ〜? っていうかそれしりとりって言う? 二人しかいないのに、片割れである俺が聞き取れてないんだけ、ど……」
薫は思わず、言葉を詰まらせた。
それから椅子ごと零に近付いて、まじまじとその横顔を眺める。よくよく見れば、その形の良い耳はじんわりと赤く染まっているではないか。
「っふ、あはは! 零くんってさあ、意外とかわいいよね。初心でもないだろうに」
「……おぬし、ちょっと狙ったじゃろ。なーにが『ずっと隣にいられる』じゃ。我輩浮かれちゃったじゃろうが」
「ごめんごめん、零くんがすっごい退屈そうだったからさ。で、何? さっきのは俺に伝えられない愛の言葉だったり? 聞こえないと意味なくない?」
零の椅子の肘置きに身を乗り出して、薫はにやっと零を見上げた。
「………今は、言わぬ」
「ふふん、あっそ。まあ、こういうもだもだしてる時期も楽しいっていうしねー?」
「え。……それ、どういう意味……」
そのとき丁度、撮影を再開します、とスタッフが二人の元へとやってきた。立ち上がりながら、薫は言う。
「あーあ、その耳なんとかしないとね」
「……ああ、我輩を口説いた責任を取ってもらわんとな」
「えー? はは。まあいいけど?」
ぐ、と悔しそうに喉を鳴らした零を見て、薫はけらけらと笑った。
そのまま二人は、カメラの前へと向かっていく。