まりあのかわいすぎる夢「あれ? まりあ達宛てにお手紙がきています」
まりあが郵便受けを覗くと、そこには一枚の手紙が入っていた。送り主は、ダン・エンペラー・スミス。かつてリングマリィをミュージカルのステージへと導いた、ブロードウェイのナンバーワンプロデューサーだ。
「スミスプロデューサー? いきなりどうしたんだろう……」
「気になりますね!」
「うん、とりあえず読んでみよっか」
まりあとすずは早速リビングのソファに並んで座り、手紙を開封した。すずの持つ手紙を、まりあがそっと覗き込む。
「ミュージカルの出演オファー……?」
「本当だ。そう書いてあるね」
まりあとすずはお互いに目を合わせて、首を傾げた。いきなりすぎて、概要が把握できない。すずは再度手紙に目を落とすと、続きを読み上げた。
「えっと、『新しい公演をプロデュースするから、リングマリィに主演を引き受けてほしい』……って書いてある……!」
「まりあとすずちゃんが主演ですか!?」
「うん! プロデューサーは、ブロードウェイミュージカルの歴史に残るような公演を作りたいって……」
すずは驚きに目を見開いた。目には溢れんばかりの感激が宿り、キラキラと輝いている。まりあはその様子を隣で眺めて微笑みながら、「ということは、」と呟いた。
「このミュージカルはロングラン公演になる可能性が高いということですね」
「たぶん……」
ブロードウェイは、観客が動員できる限り同じ公演を何度もやり続けるシステムで上演されている。しかし、大半の興行は一年も続かない。現在に至るまで四十年ほど上演されている有名なミュージカルもあるにはあるけれど、実のところ十年以上続く演目は二十もないのだ。それだけ、シビアな世界だった。
でも、まりあとすずは確信していた。普段は気さくな人柄で、リングマリィのアメリカでのおじさんの様な存在だけれど、スミス氏はプロデュースの天才なのだ。その人が覚悟をもって挑むミュージカル。成功すれば、本当に歴史に残るものが生まれる可能性は十分にあった。
「少なくとも三年から五年はこっちに戻ってくるのは難しいかもしれないね。上手くいけば、それ以上」
「そうですね……」
まりあは手紙をすずから受け取り、もう一度全て読み上げた。丁寧に書かれた一文一文に、リングマリィへの期待が滲んでいる。
「プロデューサーさんは、今回の公演をリングマリィの代表作にしたいと言ってくれていますね」
「光栄なことだよね、すごく」
「思い返せば、出会ったときからリングマリィに特別かわいい期待をしてくれていました」
リングマリィは中学生のとき、すずの得意なダンスをスミス氏に惚れ込まれ、活躍の場を日本のキラ宿からアメリカのニューヨークに位置するブロードウェイへと移した。
右も左も分からないなか、初めてブロードウェイのステージに立って。英語を勉強しながら、歌もダンスも毎日必死に練習した。ラビリィをマスコットとして迎え入れたことで一時は日本に滞在したけれど、それでも十代の半分以上の時間をアメリカで過ごしてきた。
実は、リングマリィが初主演したブロードウェイミュージカル『Rabbit fantasy』はかなりの成功を収めたのだ。初ミュージカルとしては異例のロングランを達成し、現在は世界各国でリメイクされるほどに人気もある。だから数年前、あの演目をやりきった達成感と共に、リングマリィはブロードウェイを離れてキラ宿に帰ってきたのだ。ミュージカル人生に一区切りをつけたつもりだった。
しかし、再びこのオファーを受けるということは、またブロードウェイで生きるということだった。すずがまりあに真剣なトーンで問いかける。
「まりあ、どうする? 多分このオファーを受けたら日本になかなか帰ってこられなくなる」
現在のプリ☆チャンは、ランド内ならば世界各国をバーチャル空間を使って行き来できるようになっている。そして、今後も引き続きプリ☆チャンを取り巻くシステムはどんどん拡大していくだろう。しかし、いくらバーチャル空間で移動できるといっても、生活圏を移すとなると話は別だ。それ相応の覚悟が必要となる。
ラビリィのときは特別だったのだ。
『プリ☆チャンランドでイルミナージュクイーンになりなさい。それまで帰ってこなくてオーケー』
あのときスミス氏がそう背中を押してくれたのは、中学生だったリングマリィに彼が見せてくれた大人としての優しさだった。普通は、いきなり予定を変えるなんて許されない。
そしてリングマリィも、昔よりずっと人気になった。スケジュールはずっと先まで埋まっている。ブロードウェイへと行くならば、きちんと決断しなければならなかった。
当然、生活圏を移すとなれば、せっかくリングマリィの帰る場所となったこの家とも離れなければならない。そう考えると、まりあにはどうしても寂しい気持ちが込み上げた。……けれど。
「どうする?」
すずがもう一度、優しく訊ねる。まりあはくすっと笑って、すずの手にそっと自分の手を重ねた。
「そんなこと訊いて、すずちゃんはもう決めてるんでしょう?」
その強い意志の宿る目を見たらわかる。「かっこいい自分」を目指して努力するすずにとって、このオファーはまたとない大チャンスなのだ。逃すはずがなかった。それにまりあだって、すずのさらにかっこよく磨きがかかったダンスと歌を世界中に見てもらいたかった。もちろん、その隣でかわいく進化したまりあの姿も。
すずは重ねられた手をそっと眺めると、まりあと同じようにフッと口元を緩めて微笑んだ。
「それはまりあもじゃない?」
「はい!」
言葉を交わさなくても、互いがどういう答えを出すかはわかりきっていた。長年一緒にいれば、身にまとう空気でなんとなく察知できてしまうものだ。
家族や友だちがたくさんいるキラ宿から離れるのが寂しい気持ちも、この家を惜しむ気持ちも確かにある。しかし、新しくプロデュースされるミュージカルは、どんな題材なのだろう。まりあは、すずは、ラビリィは、どんな役なのだろう。そういった未来を想像すると、何よりも楽しみな気持ちが先行した。
「行こうか、ブロードウェイ」
すずが静かに、けれど力強く、そう呟いた。まりあもしっかりと頷く。
「はい! 華やかでかわいいブロードウェイのステージに、また立ちましょう!」
リングマリィは――まりあとすずは、プリ☆チャンアイドルだ。プリ☆チャンアイドルとは、何にでも挑戦できるのが魅力なのだ。歌も、ダンスも、演技も。一日前まで普通に過ごしていた女の子が、ひとたび配信すれば誰かのスターになれる可能性がある。誰かの心をわくわくさせるような、特別かわいい存在に、特別かっこいい存在になれる。
まりあとすずは、世界中のみんなにとってそんなキラキラした存在になりたかった。
ラビリィとも話した後、予定通りプロデューサーへの返事を送り終えて。まりあとすずは早速これからの予定について話し合うことになった。日本でのスケジュール調整と、アメリカでの新しい仕事。これからその準備に追われる日々になるのは目に見えていたからだ。
すずの話を聞きながら、まりあはふとリビングを見渡した。この部屋には、リングマリィの数年分の思い出がギュッと詰まっている。まだ比較的新しいソファは、まりあとすずとラビリィでじっくり選んで決めたお気に入りだ。まりあの持ち込んだクッションも、ラビリィがよく眺めている見晴らしの良い窓辺も、全てに思い入れがあった。どれだけこの日常を、向こうに持っていけるだろうか。
「歴史に残るミュージカル……」
プロデューサーのその覚悟には応えたい。けれど今は、「歴史に残る」とはどれほどすごいことなのか、まりあにはよくわからなかった。
もし本当に、何年も、何十年も続くロングラン公演が実現すれば、まりあ達はこれから人生の長い時間をステージに立ち続けることになる。もちろんリングマリィチャンネルの配信や、ライブだって継続してやっていきたいし、いつかはリングマリィで宇宙から配信だってしたい。夢ならば、膨大にあるのだ。
しかし、その夢の一つ一つを叶えるとき、まりあ達はどんな大人になっているのだろうか。とびきりかわいい自分になれているのだろうか。今は「いつか」の未来。でもいずれ「いつか」じゃなくなる未来だ。
そのとき、まりあの夢は――。
「……まりあ?」
「ハッ! な、なんでしょう?」
すずに呼びかけられて、思考の海の深くから慌てて浮かび上がる。
「大丈夫? 疲れた?」
「いえ! ごめんなさい。まりあ、ちょっぴりボーっとしちゃってました」
すずは焦るまりあをじっと眺めると、フッと肩の力を抜いて、穏やかな笑みを浮かべた。
「いいよ、すずもちょっと疲れたし、話し合いは今度にしよう。でもさっき、向こうでの住まいについて要望を出すようにメッセージが来てたから、それだけ考えておいてくれる? すずは防音設備とか、レッスン室が備え付けてあればいいなって」
「たっ、たしかに! まりあも三人でかわいく大声で歌えるおうちがいいです!」
「あはは! うん、その調子でよろしく」
そう言って、すずはテキパキと片付けを始めた。まりあはしばらくの間、そんなすずをぼうっと静かに眺めていた。
それから数日後、リングマリィのブロードウェイ行きは正式に告知された。
「わあ、すごい! たくさん応援コメントがついてる」
「はい! かわいい気持ちがいっぱいで超かわいいです!」
発表した配信のコメント欄には、現地に観に行きます! だったり、バーチャルで会いに行きます! だったり、たった数時間の内に数えきれないほど多くのコメントが寄せられた。それだけの人達がリングマリィの新たなチャレンジを後押ししてくれているのだと思うと、つい胸が熱くなる。
「頑張ろうね、まりあ」
「はいっ、かわいく頑張りましょう!」
それから旅立ちまでの数ヶ月間は、とても忙しかった。バタバタと引っ越しの準備をしながら、普段と変わらずプリ☆チャン配信をして。しばらく会えないだろう友だちやファン一人一人とも、配信やイベントで言葉を交わした。
そうして、あと一週間で日本を離れるという日。まりあが今日もへとへとになりながら、それでも充実感を抱いて部屋に戻ると、ちょうどプリたまGOに誰かから通信がきているところだった。
「誰でしょうか……? えっと……まあ! 虹ノ咲さん!?」
珍しい相手からの連絡に、思わず驚きの声を上げる。急いで通信機能をオンにすると、画面には友人の虹ノ咲だいあの姿が映った。
「あの、こんにちは。あ、そっちはもうこんばんは……かな?」
キラ宿とミラノの時差は七時間あり、こちらでは夜だがミラノではまだ昼間だ。だいあはどうやらどこかのビルにいるらしく、背景となっている一面ガラス張りのオフィスの窓からは真っ青な空が覗いていた。
「虹ノ咲さーんっ、こんばんは! お久しぶりかわいいです!」
本当に久しぶりだね、と照れたようにはにかんだだいあに、まりあもつられて笑顔になる。
「その、リングマリィはまたブロードウェイのステージに立つんでしょう? 私もミラノに滞在してるから、海外組で一緒だなって。だから気になって連絡したの。ほら、ミラクルキラッツやメルティックスターは今また宇宙に行ってるから」
「みなさん宇宙規模でかわいく大活躍中ですもんね。でも虹ノ咲さんも世界中で大人気のデザイナーさんじゃないですか! まりあ、大きなリボンがとってもかわいい新作ワンピース買いましたよ」
「え!? あ、ありがと……」
「虹ノ咲さん、お耳がさくらんぼさんみたいに真っ赤になっててかわいい〜!」
「あはは……恥ずかしいな」
だいあは側に置いていたペットボトルの水を一口飲むと、ふぅと息を吐き出して、再び画面上のまりあと目を合わせた。
「あのね、私、たまに夢を見てるみたいだなって思うの。まりあちゃん達と出会った頃の私は、友だちを作るのが怖くて……みんなと友だちになりたくてジュエルオーディションを開催して……」
「ふふっ、そうでしたね。懐かしいです。楽しかったですよね、ジュエルオーディション!」
「……! うん、とっても楽しかった……」
だいあの左目の縁が、一瞬わずかにキラリと光る。
「それで、みんなが友だちになってくれて、今では世界中にたくさんの友だちがいて、大好きなデザインをお仕事にして……。なんだか、今日までの日々が夢みたいにあっという間だった気がするの」
「あっという間……」
「うん。一日一日が楽しくて、幸せで……って、まりあちゃん?」
「………」
いきなり動かなくなったまりあに、だいあは画面が固まってしまったのかと思ったが、そうではなかった。まりあは、ぼうっと思考の海にダイブしてしまっていたのだ。
「ま、まりあちゃん?」
「……そうです。きっと、あっという間すぎるんです」
しばらくして、まりあが小さく呟いた。
「かわいい大人になるのも、かわいいおばあちゃんになるのも、まりあはとっても楽しみです。でも最近、かわいいがいっぱい詰まった夢をちゃんと全部叶えられるのかなって、まりあは考えちゃったんです」
だいあは首を傾げて、問いかけた。
「まりあちゃんは、何か悩んでるのかな」
「そう、なのかもしれません」
「そっか……」
私はアドバイスしかできないけど、と前置きをしながらも、だいあは落ち着いたトーンで優しく話し出した。
「……私はいつもね、不安になったとき、みらいちゃんの言葉を思い出すの。やってみなくちゃわからない、わからなかったらやってみよう! って。どうしたらいいかわからないときも、私はあの言葉にいつも背中を押されてる。何するべきかわからないときも、何かしようとする勇気をもらえるの」
それにね、とだいあが隣を見た。ふよふよと画面の中へと飛んできたのは、マスコット姿のバーチャルだいあだ。だいあはもう一人の小さなだいあを見てうれしそうに微笑むと、再びまりあの方を向いた。
「私にはこの子がいるから。ずっと私のそばにいてくれる大切なだいあが。つらいときも寂しいときも、この子がいつも隣にいるから私は歩き出せる」
「隣にいてくれる、存在……」
まりあはそのとき、最近心にかかっていた分厚い雲が晴れていく気がした。光に手を伸ばすように、口から言葉がこぼれ出る。
「虹ノ咲さん……まりあには、このかわいい人生をかけて実現したいとびきりかわいい一つの大きな夢があるんです」
「夢……? それって?」
「かわいいで世界を平和にすることです」
だいあは目を見張って、それから優しい笑みを浮かべた。
「とってもまりあちゃんらしい、かわいい夢だね」
――ね、すずちゃん。だいあは続けてそう言うと、まりあの右上へと視線を向けた。
「へ? すずちゃん?」
まりあが後ろを振り返ると、椅子の後ろにはいつの間にかすずが立っていた。
「虹ノ咲先輩、お久しぶりです」
「す、すずちゃん! いつからいたんですか!? まりあ、全然気がつきませんでした……!」
「うーんと、結構前? 一応ノックしたんだけど、なんだか聞こえなかったみたいだから。最近まりあ、ボーっとしてること多かったし」
「すずちゃん……」
そのとき、画面から「あっ、いけない……!」とだいあの声が聞こえてきた。
「私このあと新作デザインの打ち合わせがあるからそろそろ行かなくちゃ」
「ええっ、まだ虹ノ咲さんとおはなししたかったです……」
「うん、私も。そうだ、最後にリングマリィにお願いがあるの。良かったら、今度ミルキーレインボーのコーデを着てミラノのコレクションにでてほしくて」
「いいんですか? そんなかわいいお願い、是非お受けしたいです!」
「うん、すずも出てみたい! スケジュール確認できたら、また先輩に連絡しますね」
「ありがとう、楽しみにしてるね」
またね、と言って、だいあは通信を切った。
一転して静かになった部屋で、最初に話を切り出したのはすずだった。
「で、まりあの考えていることをそろそろ教えてくれる?」
「……はい」
まりあはこれまで、自分でも何にもやもやしているのかわかっていなかった。だから、すずにも何も言ったらいいのかわからなくて黙っていたけれど、だいあと話した今ならなんとなく言葉にできそうだった。
「すずちゃん。かわいいって、とってもかわいいことなんです」
「うん」
すずは、真剣に聞いてくれていた。すずはまりあにきちんと向き合おうとしてくれている。そう感じられるだけで、まりあは胸があたたかくなって、安心した。
「世界中……ううん、宇宙中のみんなはみんな平等にかわいくて、すべてが超かわいいんです! なのに、それでもかわいくないことが起こってしまいます。世界には、自分がかわいいことに気づいてない人たちがまだまだたくさんいるんです。一人一人、特別なかわいいがあるのに」
だから、まりあはかわいい向上委員会を立ち上げました――まりあはそう言って俯いた。それでも、かわいいで平和にできたこともあれば、まだまだかわいいが届いていない場所もある。
ミュージカルの出演オファーが来たことで未来について考えることなり、気がついた。時が過ぎるのは、あっという間だと。
中学生のときリングマリィを結成して、すずと共にキラ宿からブロードウェイへと飛んで、再びキラ宿に戻って……。かわいくてかけがえのない一日一日を毎日積み重ねていたら、十年が過ぎるのはあっという間だった。
もちろん、分かっているのだ。これから先、まだまだまりあ達には何十年と時間はあることは。けれどその間に、世界の、宇宙の、どれだけの人々に、自分は特別で大切な「かわいい」存在であると気づいてもらえるだろう? まりあはどれだけの人々に「かわいい」を伝えられるだろう? そう思ったら、なんだか少し不安になってしまっていたのだ。
「まりあはきっと、ちょっぴり悩んでいたんです。数年後、数十年後、まりあはまりあの目指すかわいい世界に少しでも近づけているかなって。まりあは、もっとかわいいまりあになれているのかなって」
「まりあ……」
「でもね、よく考えたらまりあ、ちゃんとかわいく進化してたんですよ」
先程のだいあとの会話で、まりあは思い出した。かわいい向上委員会はずっと変わらない。けれど、確かに変わったこともあると。
「昔、まりあはかわいくない争いが起きるとかわいい向上委員会を解散することを選ぼうとしていました。でも、それではまりあの目指すかわいい世界は実現できなかったんだなって、いつの日か気がついたんです」
まりあは立ち上がって、すずの両手をそっと握った。
「かわいいって、きっとあきらめないことです。あきらめないかわいいです。そして……やってだめでも、あきらめずにまたやってみることは、きっと最高にかわいいです! すずちゃんが、ラビリィが……プリ☆チャンアイドルのみんなが、まりあにそう教えてくれました」
やってみなくちゃわからない。わからなかったらやってみよう! そうして幾度の困難を乗り越えてきた日々が、経験が、いつの間にかまりあを少しだけ変えていた。
「すずちゃんにお願いしたいことがあります」
「なに?」
すずが優しくまりあの手を握り返した。珍しく緊張していたせいか、わずかに硬くなっていたまりあの指先が、ゆるく弛緩する。
「まりあはかわいいを世界に広めて、世界を……宇宙をかわいく平和にしたいです! でも、実現にはきっとすっごくすーっごく時間がかかります。かわいすぎるむずかしいミッションです。かわいいことをかわいく実現するのは、とってもかわいくて……大変なことなんです」
まりあはすずをまっすぐに見つめた。
「それでも……すずちゃんはまりあの夢を叶える旅にお付き合いしてくれますか?」
まりあの言葉に、すずは眩しいものを見たかのようにそっと目を細めた。そして、少し考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「……ねえ、まりあ。出会ったばかりの頃のこと、覚えてる?」
「え……?」
「まりあの存在は、最初はすずにとってわけがわからなかった。すずはかわいいって言われるのが苦手だったし……。それでも、まりあのことを知って、まりあのことを好きになるたび、かわいいってかっこいいんだって思ったよ」
まりあは、すずの世界を変えたんだ――すずはそう言って、やわらかく微笑んだ。
「それに、『かわいい』を跳ね除けて合わないって思い込んでた昔より、『かわいい』も『かっこいい』もどっちもいいなって思える今の方がかっこいい。そう思わない?」
すずが軽いウインクと共にまりあに尋ねると、まりあは花咲くような笑顔で頷いた。
「はい! すずちゃんは最初からずーーっとかわいいですよ。かわいいかっこいいかわいいです!」
「ええ……? そこは今の方がかっこいいじゃない? まあ、まりあならそう言うか」
眉を下げて苦笑したすずを、まりあは愛しそうに見つめながらそっと抱きしめた。
「ふふ、ごめんなさい。だって、本当に最初から、すずちゃんはずーっとまりあの特別かわいいですから。すずちゃんがまりあのかわいいを受け入れてくれたそのときから、まりあはずっと幸せかわいいですよ」
まりあの肩の上で、すずが「そっか」と囁いた。そのまますずは、まりあの耳元でそっと言葉を紡いだ。
「すずはさ、これからもっともっとかっこいい黒川すずなりたいんだ。……まりあのかわいいを世界に広げる手伝いをすることは、すずが自分らしいかっこいいを見つけていくことにも繋がっていく」
すずはまりあの腕を解いてそっと離れると、しっかりまりあと目と目を合わせた。
「まりあ、すずはずっとまりあの隣にいるよ。まりあがすずの夢に付き合ってくれてるように、すずだってまりあの夢に付き合いたいから」
それは、先程の質問の答えだった。「まりあの夢を叶える旅にお付き合いしてくれますか?」。たぶん、その答えは昔から決まっていたのだ。まりあとすずが、リングマリィになった日からずっと。バラバラな個性を持つ二人が一つのグループを結成したように、全く方向性が違うように思えた二人の夢も、いつしかぴったりと重なっていた。
まりあのかわいいと、すずのかっこいい。
このちぐはぐな二つの個性は、いつしか表があれば裏があるように、押し波があれば引き波があるように、どちらが欠けても成り立たないほどにぴったりと寄り添う関係になっていた。それは、これまで歩んできた二人の人生の結晶に違いなかった。
「歴史に残る」。「世界を平和にする」。そんな途方もない夢を実現するには、やはり途方もない時間や努力が必要になるだろう。……それでも、今は。かけがえのない大切な存在が、これから先も隣にいてくれると分かっているから。
これから先、どんな壁にぶつかったとしても、まりあはすずと二人なら、ラビリィと三人なら、なんだかいくらでも乗り越えていけるような気がした。
◇
一週間後、ブロードウェイへと旅立つ日はとうとうやってきた。
「今日はかわいいお天気ですね!」
「うん。大体の荷物は先に送っちゃったから、この部屋もすっかりすっきりしちゃったね」
「でも、すぐかわいくなるはずですよ」
「そうだね」
すずは頷いて、広々としたリビングを見渡した。
数日前、まりあとすずは話し合って決めたのだ。まりあ達が引っ越せば、この家には住人がいなくなってしまう。無人のまま何年も放っておくわけにもいかず、売りに出してしまうかも考えたけれど、一つだけ思いついたことがあった。
『この家は、今日からかわいい向上委員会のかわいい集合場所にします! もちろんかっこいい支部もありますよ』
『プリ☆チャンの配信を誰かと一緒に見たい人は、是非利用してみてね。みんなに楽しい時間を過ごしてほしいんだ』
つい先程、リングマリィはキラ宿で旅立つ前に最後の配信をした。リングマリィが帰国するまでの数年間、この一軒家を一般開放してみんなの憩いの場にする予定だと、そう発表したのだ。
しかし、そのまま家を解放するわけではない。まりあとすずは、カガヤキコーポレーションの協力を取り付けて、この家の中にバーチャル空間を作り出す契約を交わしたのだ。システムは、バーチャルプリチャン☆ランドと同じ。プリたまGOがない利用者はマスコットサイズでの入場となるため、大人数でも利用できるようになっている。
実際すでにリビングのテレビがあった場所には、真っ白いスクリーンが置かれていた。スクリーンではいつでも世界中のプリ☆チャンアイドル達の配信が見られるようになっており、特別な日にはリングマリィのミュージカルも上映される予定になっている。仲良しの友だちとだけじゃなく、初対面の相手や、正反対の相手、喧嘩中の相手とだって、一緒にプリ☆チャンアイドルのライブや配信が見られるのだ。
まりあとすずはこの家に想いを込めたのだ。かわいくてかっこいい配信を見て、みんなが幸せな気持ちになってくれたら――。
「きっと、世界はもっと仲良しかわいくなります。かわいいで平和になります!」
「そうだね。キラ宿のこの場所からも、たくさんのかわいいとかっこいいを広めよう」
そのとき、忘れ物がないか家中を探索してくれていたラビリィが、戻ってきた。
「忘れものはなかったラビ!」
「確認ありがとう、ラビリィ」
「……では、これでこのおうちともしばらくお別れですね」
まりあの視界が、ほんの少しだけ潤む。
「うん」
すずはまりあの背中を撫でながら、少しだけ鼻声になって返事をした。ラビリィはそんなご主人様達を見て、ポロポロと涙をこぼしていた。
「ふふっ、まりあ達三人とも泣き虫さんになってます。かわいく笑って出発しましょう?」
「す、すずは泣いてない! でも……うん、そうだね」
「はいラビ! にっこり笑顔ラビ!」
数十分後、空港で搭乗手続きを終わらせたまりあが二人の元へ行くと、すずがとあるメッセージの書かれた画面をまりあに見せてきた。
「みらい先輩からのメッセージ。さっき来てた」
「みらいちゃんから?」
メッセージに目を走らせたまりあは、最後まで読み切ると頰を緩ませた。
『たくさんの夢を、一緒に叶えていこうね! やってみなくちゃわからない。わからなかったらやってみよう!』
すずは画面をオフにすると、「みらい先輩らしいよね」とうれしそうに呟いた。
「なんたって、みらいちゃんはかわいい向上委員会の副委員長ですから!」
「あはは……みらい先輩、そのこと覚えてるかなあ……」
離陸時間が迫った飛行機の指定席に座り、シートベルトを締めながらまりあは告げた。
「ねえ、すずちゃん」
「ん〜?」
「まりあの人生をたくさんのかわいいでいーっぱいにするために、これからもまりあをよろしくお願いしますね!」
すずは一瞬虚を突かれたような顔をしたが、すぐに口元に笑みを浮かべた。
「もちろん! まりあこそ、すずのかっこいい人生に付き合ってね。約束」
「ふふっ、向こうに行っても、また三人のかわいいおうちを作りましょうね!」
繋いだ小指の横で、いつの日か交換しあった指輪がキラッと光った。
窓から見える景色は、勢いよく移り変わっていく。高く、高く。青空へと。二人は手を繋いで、その様子をじっと眺めていた。
………その後。リングマリィの新作ミュージカルは何十年も続く世界的大名作となり、まりあのかわいい世界平和は実現され、すずは自分らしいかっこいいを極めて伝説となる――かどうかは、いつかくる未来で答え合わせができるだろう。
「これからきっと、かわいい未来が待ってます!」
「うん。かっこいいよ、絶対に!」