生まれ変わっても すれ違っても またお前と出会って きっと力になるよ※6期 第二次妖怪大戦争ベースですが、かなり省略&細かいところは変えてます。6期単独のキャラクター(犬山まな等)は登場しません
※水木は最初、妖怪嫌いです。偏見強めで、口も悪いです(他の人間たちも、基本的に妖怪に良い感情を持っていません)
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません
主な登場人物・設定◆水木
20代後半。顔や体の傷はない。
潜入捜査官として、調査のために鬼太郎たちに近付く。
物語開始時点では、前世を思い出していない。
生まれつき妖怪が見えることと、時々見る奇妙な夢に悩む。恐怖心から妖怪嫌いに。
◆鬼太郎・目玉おやじ
6期とほぼ同じ
◇ ◇ ◇
プロローグ「約束を果たせ」
男は飛び起きた。全身にぐっしょりと汗をかいている。
「またこの夢か」
深くため息をついた。
「毎度毎度、『約束』って、なんなんだよ……」
寝間着の袖で汗を拭いながら、そう呟いた。
◇ ◇ ◇
再会「『約束』のことを、考えておるのか?」
ぼーっと空を見上げる鬼太郎に、目玉おやじは声を掛けた。
この親子には、昔世話になった人間がいる。その者の墓参りの帰りのことだった。
「はい」
「鬼太郎、あやつは……」
「僕を励ますために言ってくれたんだって、分かってます。でも、信じていたいんです。あの約束は、心の支えだから」
その時、鬼太郎の妖怪アンテナが反応した。
「父さん、妖気を感じます!」
「た、助けてくれー!」という、男性の悲鳴が聞こえる。近くの公園からのようだ。
鬼太郎が駆け付けると、スーツ姿の男性が、尻餅をついたまま、その場で地面をひたすら手で掻いている。腰を抜かしてしまったようだ。
「人間、俺が見えるのか?」
妖怪は、じりじりと距離を詰めていく。
「来るな……来るな……」
体は大きいが、人に危害を加えるような妖怪ではない。自分の姿が見える人間に興味を持っただけのようだ。
鬼太郎はため息をつくと、男性を背にかばうようにして、妖怪との間に立った。
「それくらいにしておけ!」
妖怪はおとなしく立ち去った。
「立てるか?」
鬼太郎が差し出した手を、男性が掴む。二人の目が合った。
「」
相手の顔を見て、鬼太郎は彼を引っ張り上げてやることも忘れて固まってしまった。不思議に思った目玉おやじは、息子の髪の毛をかき分けて顔を出した。
親子は、同時に声を上げた。
「水木さん!」
「水木」
一方、男性は目玉おやじの姿を見て、失神していた。
◇ ◇ ◇
水木はだんだんと意識を取り戻した。頭上では、先程の少年のものと、彼から「父さん」と呼ばれている甲高い声、二つの話し声が聞こえる。どこかに寝かされているようだ。
話の内容までは、はっきりとは聞こえないものの、しきりに水木の名を口にしている。
名乗った覚えはないが、持ち物でも見たんだろうと考え、体を起こした。
「はじめまして。『水木』と申します。助けていただき、ありがとうございます」
正座して頭を下げると、二人は顔を見合わせた。
鬼太郎と目玉おやじも、それぞれ名乗った。今居るのは妖怪が集まって暮らす「ゲゲゲの森」の、二人の家だと水木に説明した。
目玉おやじは、水木の顔を見つめた。
「お主、『見える』のじゃな」
「生まれつきなんです。そのせいで、妖怪につきまとわれたり襲われたりと、ひどい目に……」
目の前の相手に失礼だったと思い至り、「すみません」と謝ったが、向こうは大して気にしていないようだった。
「お主の中に恐怖心があるのだろう。怖いと意識すると、かえって引き寄せてしまうぞ」
「恐怖心……」
思い当たる節がありつつも、認めたくないようだった。
水木は、先程から鬼太郎の様子が気になっていた。こちらをチラチラと見ているが、見返すと視線を逸らされてしまう。
そんな様子を見て、目玉おやじはニッコリとした。
「息子のこんな様子は珍しい。水木殿、もし良ければ、しばらくここに留まってもらえんか?」
「でも、人間は仕事があるんじゃ……」
鬼太郎は期待を抑えつつ、水木の顔を見た。
水木は苦笑しながら、頭を掻いた。
「実は、職探し中の身でして……今日も面接の帰りだったんです」
そして、「この体質はなにかと不便が多いもので」と、付け加えた。現状を情けないと恥じているかのように、水木は早口で続けた。
「一人暮らしですから、何日か帰らなくたって心配する人もいません。それに、あなた方といれば、他の妖怪は近付かないでしょう」
水木は姿勢を正し、「こちらこそ、お世話になります」と、頭を下げた。
目玉おやじは、「自分の家だと思って寛いでくれ」と言った。
「お願いがあるんです」
鬼太郎は上目遣いに水木を窺った。
「敬語はやめてもらえませんか? 僕のことも『鬼太郎』と呼んでほしいんです」
「え? じゃあ、お互い敬語はなしで」
「いえ……その……そうじゃなくて」
モジモジとする鬼太郎の真意を測りかねて、水木は困惑した。
「あなたは少年のような姿をしているけれど、その雰囲気、きっと何十年も生きているんでしょう? ずっと年上のあなたが敬語なのに、若輩で、しかも助けてもらった僕がタメ口なんて、あべこべでしょう」
冗談めかして笑ったが、鬼太郎は寂しそうな顔をして、黙り込んでしまった。
空気に耐えかねた水木が、「じゃあ遠慮なく」と、正座を崩して、あぐらをかくと、二人はぱっと明るい表情になって、顔を見合わせた。特に鬼太郎はそわそわと落ち着かない。
水木は二人の様子に居心地の悪さを感じ、「煙草吸ってくる」と、外へ出た。
彼が出て行くのを見届けると、鬼太郎は居ても立っても居られず、父親に顔を近付けた。
「父さん、あの人は……? 傷はないけど、あの水木さんに瓜二つ。仕草も似ている。こんなことってあるんでしょうか?」
目玉おやじは大きく頷くと、腕を組んだ。
「彼は、あの男と同じ魂を持っておる。名字も同じ。血縁の者に生まれ変わったのかもしれんな。わしらのことは覚えてないようじゃが……」
「そうみたいですね」
鬼太郎はがっくりと肩を落とした。先程のやりとりから、明らかだったが、あらためて言葉にされると辛い。
目玉おやじは、寂しそうな顔をする息子に告げた。
「接しているうちに思い出すかもしれん。じゃがな、鬼太郎。水木殿には、あの男とは別の、この時代に生まれた、ひとりの人間としての生を全うする権利もある。無理強いをしてはいかんぞ」
「はい、父さん」
「みなにも、伝えておかなくてはな」
水木は一服すると、スーツのポケットからスマートフォンを取り出す。通話アプリを立ち上げた。
「定時報告。ターゲットに接触成功。ゲゲゲの森に滞在する」
◇ ◇ ◇
〈二ヶ月前・警視庁〉
水木はその日、用件も聞かされず、突然呼び出された。
ノックして、部屋へ入る。
「水木君か」
高層階の窓から、はるか下の通りを行き交う人々を見下ろしていた男は、こちらを向いた。その男の顔を見て、水木は驚きを隠せなかった。
「警視総監……」
「君にやってもらいたい仕事がある」
「『妖怪対策部』、ですか?」
水木は初めて耳にする部署名に戸惑った。
「聞き覚えがないのも当然だ。組織図には載せてないからな」
存在しないはずの組織か。水木はごくりと唾を飲み込んだ。
「一度退職してもらうことになるがね」
水木の反応を気にも掛けず、話を続けた。
「もともと人間と妖怪は、関わらずに暮らしていた。なのに、近頃は我々の街に姿を現し、人間に危害を加えるケースが相次いでいる。先日も大きな事故があったことは、君も知っているだろう?」
水木は拳を握り締めた。
「存じております」
「そこで、リーダー格である『ゲゲゲの鬼太郎』に近付き、奴らの素性を調査してもらいたい」
「しかし、私は……」
「君が妖怪嫌いなのは知っている。『体質』のことも。むしろ適任じゃないか」
水木は、驚きを隠せなかった。妖怪が見えることは、職場はもちろん、ごく限られた人間以外、知らないはずだ。
さすがは警察、身上調査には抜かりがない。そこまで知られている以上、自分が口にすべき返答は一つしかないのだろう。
水木は舌打ちしたくなる衝動を抑えた。ならば、いっそ……。
「是非、私にやらせてください」
自分から飛び込んでやる。
「優秀だという噂、間違いないようだな」
警視総監は満足げに頷いた。
(ようやくツキがまわってきたな)
水木は喫煙所で、一服しながら、先程の会話を思い返していた。
(ここで成果を上げられれば、いつかは警視総監の椅子だって……)
◇ ◇ ◇
水木は物心ついた頃から、奇妙な夢を見ることがあった。
夢の中で、水木は全身に包帯をぐるぐると巻いた大男に追いかけられている。男は、逃げても逃げても、追いかけてくる。
やっと逃げ切ったと思うと、場面が変わって、今度は床に臥せている。苦しくて起き上がれない。大小二つのなにかが、こちらを覗き込んでいる。
ぼんやりとしていて、はっきりとは見えないが、こちらに覆いかぶさろうとしているかのようだった。
そして、頭に響く「約束を果たせ」という声。くぐもっていて、男のものだということしか分からない。
そこで、目が覚めるのだった。
学生自体、悩んだ末に一度だけ、「当たる」と評判の霊能力者に見てもらったことがある。
例の夢や、妖怪が見えることに、人智を超えた力が影響しているのは、確かなようだ。しかし、それ以上は「力が強くて、覗き見ることさえ敵わない。自分の手には負えない」とのことだった。
ただ、彼女は「あの夢はなにかのメッセージではないか。もし『約束』を果たすことができれば、解決するかもしれない」とアドバイスしてくれた。
しかし、水木には心当たりがなく、「人の役に立つ仕事といえば」、と警察官の道を選んだ。
妖怪が見える能力は、警察、特に刑事という仕事には有用だった。
妖怪のいる場合はもちろん、いない場合でも、人より感覚が研ぎ澄まされているため、危険な場所や人物を察知することができたし、場の空気を読むのも得意だった。成績は上々、上司からの覚えもめでたかった。もちろん、妬まれることもあったが。
きっかけこそ、なんとなくだったが、仕事にやりがいも感じていた。
そんな日々の中でも、水木の心が満たされることはなかった。普通の人間とは違う、自分にはなにかが足りていない。漠然とした思いが、行けるとこまで行ってやろうと、上昇志向にますます拍車をかけるのだった。
警視総監に呼び出された日から間もなく、水木は表向きは警察を退職し、妖怪対策部所属となった。潜入捜査にあたり、特殊な訓練を受け、ゲゲゲの鬼太郎たちの情報を頭に叩き込んだ。
そして、タイミングを見計らって、鬼太郎たちの前に姿を現したのだった。
◇ ◇ ◇
〈潜入三日目〉
定時報告を終えた水木は、通話を切った。
「お主」
低い声が背後から聞こえた。はっとして振り返ると、目玉おやじの姿があった。水木の背後の木の枝に立っている。
「いつから……?」
「日に何度か、こそこそと抜け出しては、いったいなにをしておる?」
水木はとっさにスマートフォンを隠そうとした。
「それっ!」
目玉おやじは勢いをつけると、水木の肩に飛び移って来た。すばしっこく手の中へ移動する。
「なにすんだ……!」
慌てて画面が見えないようにしつつ、遠ざけようとする。
しかし、目玉おやじは小さな身体で、ちょこまかと動き回るものだから、水木はくすぐったくて、スマートフォンを取り落としてしまった。
「あ!」
目玉おやじの方が先にたどり着いた。
「お主、これはいったいなんじゃ?」
「まちんぐ……なんじゃって?」
「マッチングアプリ」
水木はぶっきらぼうに訂正した。
「おなごの顔がたくさん並んでおる」
人間社会のものが珍しいのだろう。すぐには解放してもらえないだろうと諦めて、水木はスマートフォンを渡してやった。
(危ないところだった)
興味津々な目玉おやじを横目に、ふーっと息を吐いた。
このスマートフォンは、セキュリティが強化された、本部支給の特別なものだ。
報告は、通信傍受対策がされた専用の通話アプリで行う。また、隠されたログイン画面から入らない限り、ごく一般的なアプリアイコンが並んでいるようにしか見えないし、ワンタップで画面を切り替えることができるのだ。
家に戻る道すがら、マッチングアプリについて簡単に説明してやる。目玉おやじは水木の肩に座り、両手で持ったスマートフォンの画面を眺めている。
「ふむ。これで伴侶を探しておったのじゃな」
「知り合いに薦められて、少しやってみただけだ。何人かとはやりとりしたけど、長続きしない」
「そう照れるでない」
「いや……」
水木は頭を掻いた。
「誰かを愛するなんて、俺には似合わないさ」
妖怪が見えることを知られたくなくて、昔から人と深く関わることができなかった。昨今の情勢もあり、妖怪の話題自体、忌避されがちで、ますます慎重になっていた。
そんな自分が、誰かを心から信じたり、愛したりなんてできるわけない。
水木の寂しげな横顔を、目玉おやじはじっと見つめていた。
視線に気付いた水木は、家に着いたのをこれ幸いと話題を変えた。
「そういや、鬼太郎はどうなんだ? 恋人はいるのか?」
家に入ると、目玉おやじはちゃぶ台の上に立ち、水木は向かいに腰を下ろした。
「わしも頭を悩ませておってのぅ。浮いた話のひとつもなくてな。先程の、まっちぐー……?」
「マッチングアプリ」
「もう一度見せてくれんか? 画面が暗くなってしまった」
水木は一度スマートフォンを受け取ると、画面を操作して、目玉おやじへ渡してやる。
「ほらよ。相手は人間でもいいのか?」
「もし鬼太郎が望むなら、こだわりはない」
「へー。じゃあ、この子なんてどうだ?」
「活発な感じで良いのぅ!」
一緒にスマートフォンの画面を見て盛り上がる二人。それを横目に、こっそりと家から出て行こうとする鬼太郎。
目玉おやじは目ざとく見つけると、呼び止めた。
「おい、鬼太郎。待ちなさい」
「ほら、恥ずかしがるなって!」
水木は強引に肩に腕を回して、鬼太郎を座らせた。
「水木さんまで……」
はーっとため息をつくと、心底嫌そうな顔をした。
(あのゲゲゲの鬼太郎にも、こんな可愛らしいところがあるんだな)
微笑ましく感じた。
◇ ◇ ◇
〈潜入七日目〉
「ったく、なんだよさっきの奴ら!」
水木は憎々しげに言い捨てた。
「よくあることです。いちいち気にしてたら、しかたがありませんよ」
水木は妖怪ポストの活動に同行し、依頼者の人間や、言葉が分かる妖怪との折衝を担当するようになっていた。もちろん、危険性が低いと鬼太郎たちが判断したものに限ってだが。
時勢柄、以前よりは減ってはいるが、それでも時々は助けを求める手紙が届くのだった。差出人の中には鬼太郎たちの身を案じる者もいるが、一方で、先程の依頼者のように、失礼な態度を取る者もいた。
水木の口からは、
「人間と妖怪は、関わるべきじゃない」
という言葉が出ていた。考えていただけのつもりだったのに、つい口にしてしまっていたらしい。
鬼太郎に「僕もそう思います」と返され、水木は内心焦ったが、同時に意外にも感じた。
「そう思っているのなら、どうして人間を助けるんだ? 今日みたいなことだって一度や二度じゃないんだろう」
質問の意図は、純粋な興味と、調査の両方からだった。
「さぁ、どうしてでしょうね」
「はぐらかすなよ」
「僕が勝手にやってることです」
「理想論だって分かってる」と、鬼太郎はつぶやくと、さっさと先へ行ってしまった。
断片的な言葉だったが、彼の言わんとしていることを、水木はなんとなく理解した。
(調査を続けていれば、人間だけじゃなく、あいつらの助けにもなるんだろうか。お互いが適切な距離を保てるようになれば、トラブルも減って……)
その時、突然向かい風が吹いた。地面から舞い上がった塵が目に入りそうになり、水木は顔をしかめた。そこで我に帰った。
(俺は、なにを考えているんだ……)
水木は、ふと浮かんだ考えを否定するように、頭を振った。
◇ ◇ ◇
その晩のことだった。天狗の酒で、したたかに酔い、水木は床に、目玉おやじはちゃぶ台の上に寝っ転がってしまった。
鬼太郎はため息をつきつつも、それほど嫌そうではなかった。ちゃぶ台の上を片付け、二人をそれぞれ布団に寝かせる。
水木の寝顔を見ながら、昼間の会話を思い出していた。
――どうして人間を助けるんだ?
「どうしてなんでしょうね、水木さん」
そうつぶやいて、片付けを再開すると、
「ん? なんか言ったか」
と、背後から水木の声が聞こえてきた。鬼太郎が慌てて振り返ると、彼は規則正しい寝息を立てていた。
寝言か、と鬼太郎は安堵した。
◇ ◇ ◇
〈潜入十日目〉
「へぇ。じゃあ、砂かけのねえさんは、ガッポリってワケか!」
水木は親指と人差指で輪を作ると、大げさに驚いてみせた。
「いやいや。わしなんかまだまだじゃ」
「またまたぁ!」
みなは笑い出した。
鬼太郎と目玉おやじの家に、仲間たちは集まっていた。
みな生まれ変わる前の水木とは面識がある。親子から口止めされていたため、はじめは距離を置いていた。
ただ、水木は二人の家に滞在しているし、妖怪ポストの活動にも時々参加しているので、どうしても顔を合わせることになる。
最初のうちこそ、彼らが訪ねてくると、水木は席を外していたが、二、三言交わすうちに親しくなり、間もなく妖怪たちに交じって、世間話をするようになっていた。彼の快活な人柄は、抗いがたい魅力だった。
次々と話し掛ける妖怪たちを尻目に、鬼太郎は端の方でふて寝していた。
「みんなして、水木、水木って」
ぼそっと呟いたのを、ねこ娘は聞き逃さなかった。
「やだぁ! もしかして、水木さんに嫉妬してるの」
「いや、鬼太郎は水木がみなと親しくなって、自分がかまってもらえないのが寂しいのじゃ」
「父さん、なにを言うんですか!」
がばっと布団から起き上がると、不満の声を上げた。
水木は腰を上げると、そちらへ歩いていった。
「ったく、素直じゃないな!」
しゃがみ込むと、鬼太郎の頭をグシャグシャッと撫でた。彼は少し嫌そうな顔はしたものの、大人しくされるがままだったので、みな驚いた。
誰かが話し出し、みなが笑う。
水木も笑ってから、自分の笑い声に驚いた。自分を笑顔で囲む妖怪たちの顔を見回す。
そんな光景が、いつしか当たり前になっていることに、水木は気付いた。
妖怪も、妖怪が見える自分も好きではない。そのはずだった。
(こんなに笑うなんて、何年ぶりだろう……)
ここでは、妖怪が見えることを隠さずに居られる。見たものをそのまま話しても、異常者扱いされない。ありのままの自分でいられる。
罪悪感に水木の胸が痛んだ。
◇ ◇ ◇
〈潜入十三日目〉
いつものように、鬼太郎たちの家で仲間たちと談笑していると、そこへ何者かがひょいっと入ってきた。
その姿を見て、みな口々に「ねずみ男!」と声を上げた。
「久しぶりに顔を出してみりゃ、随分賑やかじゃねぇか」
ねこ娘は嫌そうな顔をした。
「別に来てくれなんて、頼んでないけど?」
「なんだよ、つれねぇな。今日は、見慣れない顔も……」
水木の方を向いたねずみ男は、その顔をじっと見つめたまま、近付いてきた。
「あれ? 兄さん……?」
「どこかで会ったこと、あったかな?」
お互い首を傾げたが、目玉おやじが話題を変えたので、すぐ忘れた。
「ねずみ男、話がある」
夜になって三々五々解散していく中、鬼太郎はそっと声を掛け、彼を森のはずれへ呼び出した。
「お前に頼みがある」
「へへっ」
ねずみ男は下卑た笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇
「本当に、あの水木の兄さんの生まれ変わりだっていうのか?」
鬼太郎から聞いた話を、にわかには信じられないようだった。
「無理強いはしたくないんだ。気を付けてくれよ。お前は水木さんと親しかったからな」
鬼太郎は少しすねたように言った。
「なに言ってる。お前らのほうがよっぽど……」
鬼太郎、目玉おやじ、ねずみ男は、それぞれ、かつての水木の姿を脳裏に思い浮かべた。
しんみりとした空気を追い払うかのように、ねずみ男は大げさに咳払いをした。
「ラーメン食いに行こうぜ! お前のおごりでな!」
そう言うと、さっさと歩き出した。
「なんでだよ……。父さん、少し出てきます」
鬼太郎はあきれた顔を浮かべつつも、父親を地面にそっと下ろすと、あとを追いかけた。
二人でカウンターに並んで、ラーメンをすする。
ねずみ男は首を傾げた。
「覚えてないのに、お前らの前に現れて、居候してるってのか?」
「うーん……。無意識のうちに、僕たちに会いに来たんじゃないかな?」
「そうかぁ?」
「やるよ」
鬼太郎は二枚のチャーシューのうち、一枚をねずみ男にやった。
「お、あんがとな。でもよぉ、鬼太郎。俺はいろんな人間を見てきた。あの兄さんは、そういう気遣いをされるのは気に食わねぇって性分に見えるけどな」
「いいから。頼むよ」
話を遮るように、もう一枚のチャーシューも、ねずみ男のどんぶりに入れてやる。
「まぁ、お前が黙ってろって言うなら、そうするけどさ」
「ごちそうさま」
「ごちそうさん」
二人は店をあとにした。
「なぁ、本当に自分たちに会いに来たと思ってるのか?」
「……」
「いくら魂が同じで、見た目がそっくりでも、昔の兄さんとは別の人間だ。あの人、曲者だぞ。愛想は良いけど、本当のところは、なに考えてんだか」
鬼太郎は、ねずみ男の言葉を遮った。
「分かってるよ。そんなこと」
◇ ◇ ◇
翌朝、水木はゲゲゲの森のはずれで煙草をふかしながら、ニュース動画をチェックしていた。
「朝のニュースです。昨夜、渋谷の交差点で妖怪が暴れ……」
「新宿の繁華街に突如現れた……」
「多くの人が巻き込まれ……」
「だいたい妖怪なんてものはねぇ……」
物音に気付いて視線を向けると、ねずみ男が森から出るところだった。
「出て行くのか?」
ねずみ男は、ぎょっとした顔をした。
「ちょいと、ヤボ用がありまして」
そう言って頭を掻いた。
「お前、半分は人間なんだってな。人間社会と行き来してるんだろ。ここは居づらいか? たとえば、きた……」
「うーん」
ねずみ男は被せるように、答えた。
「どっちも俺の居場所だし、どっちも違う。その時々で、好きな方を選ぶ。それだけさ」
ハハハ、と水木は笑った。
「そうだな。それが良い」
「兄さん、そろそろ行かなきゃなんねぇんだ」
「あぁ、引き留めて悪かったな」
ねずみ男の後ろ姿に、水木は声を掛けた。
「また話そうぜ!」
相手はひらひらと手を振った。
(うまくかわされちまったな……)
水木はその背中を見送りながら、昨晩この場所で起きたことを思い返していた。
◇ ◇ ◇
鬼太郎がねずみ男に声を掛けるのを目撃した水木は、そっと後をつけた。
(なにをやっているんだ?)
表情も声も、この距離ではよく分からない。
「水木さんには、黙っていてくれないか」
鬼太郎がそう言うのが、聞き取れた。
(俺の話?)
少し近付こうとして、足元の枝を踏んでしまった。パキッという音が響き渡る。
「誰だ!」
水木はとっさに木の陰に身を隠した。直前に見た鬼太郎の表情は見慣れたものではなく、得体の知れない存在に思えた。全身からサーッと血の気が引いていく。
向こうに聞こえるのではないかというほど、早鐘を打つ心臓を手で押さえながら、水木はその場を去った。
(鬼太郎は、俺になにかを隠している……?)
◇ ◇ ◇
〈潜入十五日目〉
スマートフォンが振動して、妖怪たちと談笑していた水木は、慌てて家から出た。
電話に出る。
「はい」
「報告はどうした!」
相手の叱責する口調に、水木は苛立ちを覚えた。スマートフォンを耳から少し離す。
「すみません……。少々立て込んでおりまして」
水木は、通話なのを良いことに、口調だけは神妙そうに謝罪した。
一通り報告を聞いた後、上官は告げた。
「次の指令だ。本部に戻れ」
◇ ◇ ◇
〈妖怪対策部本部〉
水木は、一度自宅に戻りたいと親子に告げ、本部へ顔を出した。
会議室で、上官は机の引き出しからなにかを取り出すと、机の上を滑らせてよこした。それは、見たことのない型の拳銃だった。
「この銃は特別製だ。妖怪を葬り去ることができる」
「え?」
「単刀直入に言う。これで鬼太郎を撃て」
水木は自分の耳を疑った。単語の意味は分かるのに、話がまるで理解できなかった。
「事前に伺った話と随分違うようですが……。ただの調査のはずでしたよね?」
言葉は選んだつもりだったが、どうしても口調はきつくなってしまった。
「本当に、ただの『調査』とでも?」
水木は舌打ちしたくなる気持ちを堪えた。
「私はこの話、降ります」
銃を突き返した。
「いつからそんなに妖怪と仲良くなった?」
背中に掛けられた声に水木は答えず、乱暴にドアを開けた。
廊下に出たところで、誰かにぶつかった。
「すみません。大丈夫……」
相手の顔を見た水木は、驚きのあまり固まってしまった。
「あなたは……総理大臣? なぜ、こんなところに?」
総理は、水木を追って部屋から出てきた上官をちらりと見た。SPに手を上げ制し、こちらに近付いて来る。
その様子に戸惑いを隠せなかった水木だが、総理の背後に立つ和服姿の者の顔を見て、さらに驚いた。
「お前、妖怪だよな。それなのに、妖怪たちを……鬼太郎を?」
相手は、にやりと笑った。
「うまくおやりなさい。そうすれば、望むものはなんでも手に入るでしょう」
「よく考えておけ。まぁ、断るという選択肢はないがな」
二人はSPを引き連れて立ち去った。
水木の膝は笑い、その場に座り込んでしまった。上官はその手に銃を無理やり握らせると、立ち去った。
「俺は、とんでもないことに首を突っ込んじまった」
〈同時刻・ゲゲゲの森〉
目玉おやじは、集まった仲間たちと話し合っていた。
「立て続けに人間の街で妖怪が暴れるなんて、妙じゃな」
「やはり、あやつが関与しておるんじゃないか?」
「ぬらりひょんか……」
◇ ◇ ◇
水木はゲゲゲの森へ戻ったものの、落ち着かなかった。森の外れで、煙草をふかす。
そっとスーツの上着越しに触れる。そこには例の拳銃を吊ってある。
(俺が信じてきたもの、憧れてきたものは、こんなものだったのか?)
通りすがりの妖怪たちが、こちらに気付いて手を振る。水木も振り返してやった。
◇ ◇ ◇
その晩、水木はうなされていた。
ゲゲゲの森で過ごすようになってから初めて、あの夢を見たのだった。しかも、これまでより、鮮明に見えた。
体が重い。喉が締められたかのように苦しい。
大小二つの顔が、こちらを覗き込んでくる。それは、鬼太郎と目玉おやじだった。表情は、よく見えない。
苦しい、苦しい……。
「約束を果たせ」
そこで、水木は目を覚ました。
はっとあたりを見回すと、二人とも眠っていた。ふーっと、ため息をつく。
水木は落ち着かず、家からそっと出た。
一服して、気分が落ち着いてくると、水木の頭には、疑念が次々と浮かんできた。それは、留まるところを知らなかった。
――あれは前世の俺なんだろうか? そうだとしたら、二人は俺の死に関わっているのか? それとも、なにかの暗示なのだろうか?
――今思えば、俺はあまりにもすんなり、この森に入れてもらえた。俺を誘い込んでなにをしようとした? もしかして、みなで俺を襲う計画でも?
――妖怪は恐ろしい。得体が知れない。信じられない
「約束を果たせ」
頭の中に、再びあの声が響く。
(俺の「約束」は、鬼太郎を倒すことなのか?)
◇ ◇ ◇
運命の分かれ道 水木は、家に戻る気には到底なれず、一晩外で煙草を吸って過ごした。戻らないのも不自然かと、明け方こっそり戻ったところを、目玉おやじに声を掛けられた。
「水木殿、話がある」
彼はちゃぶ台の上に立ち、その後ろに座っていた鬼太郎は姿勢を正した。
「なんだよ、あらたまって」
水木は反対側に腰掛けた。冗談めかして笑ったが、向かいの二人は真剣な顔をしていた。
「なにか困っていることはありませんか?」
「一服してくると、席を外しては、なにをしておる。おなごと連絡を取るためではないのじゃろう? それに昨夜のうなされようは尋常じゃなかった」
「気付いていたのか」
水木は努めて落ち着いた声を出した。
「もしかして、脅されているとか?」
「わしらは、お主を心配しておる」
「事情があるなら話してくれませんか。力になれるかもしれません」
親子は心配そうに声を掛けたが、水木は目を伏せて、黙っている。
「水木殿、なにか言ってくれんか?」
握った拳に込められた力は、しだいに大きくなり、肩まで震えていた。
ようやく口を開いた水木の声色は、それまでとは違ったものだった。
「お前らこそ……」
「え?」
「お前らこそ、なにか隠しているだろう!」
ちゃぶ台を叩いた。目玉のおやじはバランスを崩しそうになって、息子の体に捕まった。
「言ってみろよ!」
「それは……」
鬼太郎は俯いた。
「俺が気付かないとでも?」
「……」
「もういい!」
なにも答えない鬼太郎に痺れを切らし、水木は出て行った。
少しの間呆然としていた鬼太郎だったが、はっとして追いかけた。
「待ってください!」
鬼太郎は水木を追って、街までやって来た。人の隙間を縫って、追いかける。
「待って……お願い……」
手を伸ばしたが、相手はどんどん行ってしまう。
人間に追い付くのなんて容易いはずなのに、胸が苦しくて、体に力が入らない。
水木の背中はどんどんと離れていき、やがて人混みに紛れて、見えなくなってしまった。
鬼太郎は立ち尽くした。
水木が振り返ると、鬼太郎の姿はなかった。うまく撒けたはずなのに、寂しさを覚えていた。
「これで良かったんだ」
口から出た言葉は、まるで他人のもののようだった。
人間と妖怪は、一緒にはいられない。
「鬼太郎。次会う時、俺はお前を……」
◇ ◇ ◇
「父さんと二人で向かう」
総理大臣への直談判を決意した鬼太郎は、駆け付けた仲間たちにそう告げた。
「みんなはここに残ってほしい。もし助けを求める妖怪が来たら、守ってやってくれ」
「でも……」
ねこ娘は心配そうな顔をした。
「水木さん、出て行っちまったのか」
森を出たはずのねずみ男は、いつの間にか戻って来ていた。
仲間たちを安心させるように、鬼太郎は毅然と言った。
「策があるんだ。だから僕になにがあっても、驚かないでほしい」
「それに」
と、鬼太郎は付け加えた。
「僕は、水木さんを信じてる」
◇ ◇ ◇
〈妖怪対策部本部〉
鬼太郎は、総理と面会することができたものの、交渉は決裂してしまった。
ため息をつきながら、建物の出口へ向かおうとした時だった。
数人の武装した人間に出迎えられた。その中心には、よく知る人物がいた。
「よく来たな、鬼太郎」
水木は不敵な笑みを浮かべ、対妖怪銃を構えた。鬼太郎の胸のあたりに、狙いを定める。
鬼太郎は指鉄砲を構えた。水木へ向ける。
お互い向かい合ったまま、じりじりと距離を詰める。
「どうしても、そちら側に着くんですか?」
「人間と妖怪は、一緒にはいられない。お前だって分かってるんだろう?」
突然、鬼太郎は構えていた腕をおろした。そして、両手を挙げた。
「あなたを撃つなんて、僕にはできない」
「そうか。短い付き合いだったけど、世話になったぜ」
水木は引き金を引いた。銃声と共に、鬼太郎の小さな体に衝撃が伝わる。二発目、三発目と、続けて撃ち込まれる。
弾が切れると、水木はチッと舌打ちをした。乱雑に銃を投げ捨てると、立ち去った。銃はコンクリートの壁に当たって壊れ、破片が飛び散った。
鬼太郎の体は、冷たい床の上に倒れた。
「鬼太郎! 鬼太郎!」
目玉おやじは髪をかき分けて姿を現すと、動かぬ息子の体を揺する。
職員たちは、鬼太郎の体を回収するために近付いた。しかし、目玉おやじが足に噛みつくので、彼らはひとまず諦めて立ち去った。
「おめでとう」
廊下を歩いてきた水木を、上司が出迎える。
「これで君も、真の仲間になったというわけだ」
そう言って、新しいIDカードを、投げてよこす。
水木は空中で受け取った。ふんっと、鼻を鳴らす。
「拝ませてもらおうじゃないか。『真実』ってヤツを」
◇ ◇ ◇
水木が本部に戻ってから、数日後のことだった。
「さっさとやれよ」
自宅へ戻る道すがら、水木は振り返って、跡を付けていた者に声を掛けた。
相手の男は、ぎょっとした顔をした。
「そろそろだと思ってたぜ」
水木は、ふーっと息を吐いた。
「俺を消しに来たんだろ」
男は水木へ銃口を向けた。
「」
しかし、水木が両手を挙げながら、近付いてきたので、動揺した。銃口は上下左右にぶれ、狙いが定まっていない。
水木は、自分の左胸を指した。
「しっかり狙えよ」
男は引き金を引いた。
発射された弾丸は、なにかに当たって軌道が逸れ、街路樹の幹に食い込んだ。
その隙に水木は男に体当たりした。銃をはたき落とすと、地面に落ちたそれを遠くへ蹴り飛ばす。
男を近くの木の幹に押し付け、鞄から出したロープぐるぐる巻きにした。
カラン、コロン。で
下駄の音に、水木は顔を上げる。
男は、こちらへ近付いてくる相手の顔を見て、愕然とした。
「ゲゲゲの鬼太郎 こいつが撃ったはずじゃ……?」
◇ ◇ ◇
〈一週間前〉
ゲゲゲの森を飛び出し、街で鬼太郎を振り切った水木は、足早に本部へ向かっていた。
妖対本部へは定期的にデータを送っていたが、重要度の高いものは渡していなかった。口約束だ。相手の出方を窺って、事と次第によっては交渉材料にするつもりだった。
(これを渡せば、任務完了。輝かしい未来は、こいつと交換だ)
水木はズボンのポケットの上から、スマートフォンを撫でた。
繁華街の街頭ディスプレイを横目に見る。ワイドショーでは、反・妖怪派のコメンテーターが熱弁を振るっていた。
「危険な妖怪」のひとりとして、鬼太郎の映像が流れる。視聴者から提供された、さまざまな短い映像同士をつなぎ合わせたもののようだ。
水木は思わず足を止めていた。その映像には、妖怪ポストの依頼に同行した際に、自分が隠し撮りし、本部へ渡したものも含まれていた。
他の提供者の、離れたところから撮られた、辛うじて鬼太郎と判別できる映像とは異なり、明らかに親しい者が撮影したと分かる映像だ。
(本部の誰かがリークしたのか? あるいは……)
最初から、そのつもりだったのかもしれない。水木の胸がチクリと痛んだ。
(鬼太郎たちは、見ただろうか?)
頭を振って、浮かんだ考えを打ち消した。
(今更どう思われたっていい)
映像は悪意のある切り取り方をされていた。まるで鬼太郎が、人間を誘い出したり、妖怪をけしかけて攻撃させたりしているように見せていた。
コメンテーターたちは、その映像を見ながら、好き勝手に憶測で喋っている。
「妖怪とのトラブルを解決すると言って、人間の前に姿を現すそうです」
「人間は人間、妖怪は妖怪同士暮らしていくべきでしょう。みんな仲良くなんて、所詮化け物の考えること。余計事態をややこしくして……」
(違う。あいつは……)
「やたら人前に姿を現しては、友好的な素振りをして……」
「いったい、なにを企んでいるのやら」
(あいつは、人間と妖怪は関わるべきじゃないと思ってる。それでも、仲良くしたいもの同士がうまくやれたらって思って、しなくていい苦労や恨みまで買って……)
スタジオの議論は、過熱していった。
(違うんだ。あいつはそんな……。みんな誤解してる。あいつは、そんなやつじゃない!)
水木は拳を強く握り締めた。
(いつだって鬼太郎は、文句を言いながらも、人間を助けてきた。それを裏切ったのは、俺たち人間の方だろう……!)
調査を続けていれば、いつか鬼太郎が理想とする世の中の実現に役立つこともあるかもしれないと思っていた。でも、現実はどうだ。提供した情報は悪用され、世論は悪くなる一方。
(俺がしてきたことは、間違っていた)
水木は「クソッ」と、拳を自分の太ももに叩きつけた。
◇ ◇ ◇
一方、鬼太郎は俯きながら、ゲゲゲの森へ向かっていた。
地面を見つめながら、とぼとぼと歩いていた。
脳裏に浮かぶのは、水木のことばかりだった。
優しい声。笑顔。自分の頭を撫でる大きな手。
思い出すまいと頭を振っても、彼と過ごした十数日の思い出が、次々と浮かんでくる。
また会えて嬉しかった。自分のことを思い出してくれなくたって良かった。なにか別の目的があるかもとは気付いていた。
(それでも、そばにいてほしかったんだ……)
鬼太郎の目から、涙がこぼれ落ちた。
◇ ◇ ◇
水木は集まった人々をかき分け、街頭ディスプレイから離れた。
(このままじゃ、鬼太郎が危ない!)
もと来た方向へ、駆け出していた。
(「約束」なんて知るか!)
誰かを蹴落として得られるものなんて、なんの意味もない。もし破って罰が当たるというのなら、受けて立ってやろうじゃないか。
あいつらに頭を下げよう。「腹が立つかもしれないが、話を聞いてくれ」と頼んでみよう。もう一度だけ、俺にチャンスをくれ。
「鬼太郎!」
ゲゲゲの森へ向かっていた鬼太郎は、突然足を止めた。
名前を呼ばれた気がしたのだ。振り返ったが、そこには誰もいなかった。
拳でゴシゴシと涙を拭った。
もう一度だけ、話してみよう。まだなにか手立てがあるかもしれない。
「父さん、しっかり掴まっていてください」
鬼太郎は踵を返すと、走り出した。
「水木さん!」
◇ ◇ ◇
鬼太郎を振り切ったあたりまで戻って来た水木は、悲鳴と怒号を聞いた。
こちらへ向かって、逃げて来る人々。そのうちの一人に正面から強くぶつかられた。水木は動揺していたのもあり、転んで地面に倒れ込んでしまった。
「っ……!」
自分の何倍もある妖怪が近付いてくる。なにか術でもかけられているのか、目が血走っていた。「やられる」と思った刹那、水木は目をつぶった。
頬が濡れた感触がして、ゆっくりと目を開くと、見覚えのある背中があった。
「鬼太郎」
「くっ!」
鬼太郎は、水木をかばって攻撃を受け、傷だらけになっていた。
水木は濡れた感触がして、頬を指で拭った。血が付いていた。
「水木さん!」
相手の妖怪の動きを封じた鬼太郎が、水木のもとへ駆け付けた。
彼は、意識を失っていた。しきりに呼びかけるが、反応はない。
付着していた血は鬼太郎のもので、水木に外傷はないようだった。
「水木さん! しっかり!」
頬を軽く叩くが、やはり反応はない。
鬼太郎は彼を抱えて歩き回った。もたれかけられそうなビルの壁を見つけると、慎重に下ろした。
約束(なんだ、これは……?)
最初に見たのは、今やテレビドラマか映画の中でしか見ないような、古めかしい家だった。
戦争、恐ろしい村、そこで出会った奇妙な男、追いかけてくる包帯の大男、墓穴から生まれた赤ん坊、手足の生えた目玉……。
それは、ある男の生まれてから死ぬまでの記憶だった。
男は、水木に瓜二つだった。顔と体に戦争で負った傷があること以外は。
年老いた男は、床に臥せっていた。
体が重い。喉が締められたかのように苦しい。死が近付くというのは、こんな感覚なんだろうか。
鬼太郎と目玉おやじが、こちらを覗き込んでくる。
水木が夢で見ていた光景に似ている。
しかし、そこからは初めて見るものだった。
鬼太郎は泣き顔を見せまいと笑顔を作ろうとし、目玉おやじの方は堪えきれず涙をこぼしていた。
男は布団から手を出した。二人の方へ手を伸ばそうとしたが、うまくいかなかった。力の入らない腕は、パタリと布団の上に落ちた。
しかし、二人の方が手を伸ばしてくれた。
「ゲゲ郎、お前に会えて良かったよ」
「鬼太郎は、本当に良い子に育ってくれた。あんまり無理をするなよ」
鬼太郎は顔をくしゃっと歪め、その目からは一筋の涙がこぼれ落ちた。
励ますように、男は言った。
「そうだな。もし生まれ変われたら……そんなものがあるのなら。鬼太郎、またお前と出会って、きっと力になるよ」
鬼太郎はゴシゴシと拳で涙を拭って、笑った。
「約束ですよ」
「ああ、約束する」
手首を上げる動作をすると、鬼太郎は意図に気付いて、小指同士を絡ませた。
男はゆっくりと目を閉じた。
(俺はこいつらに出会って、普通なら目に見えないものが、見えるようになった。いろいろと不思議な体験もしてきた。だから、奇跡みたいなことも起こるんじゃないかって、信じるよ。もし鬼太郎が危機に瀕することがあれば、駆け付けたい。助けになりたいんだ)
「約束を果たせ」
いつもと違い、はっきりと聞こえた声。それは、水木自身のものだった。
◇ ◇ ◇
「!」
意識を取り戻すと同時に、水木は己を抱き締めながら、小さく震えた。
その頬に一筋の熱いものが流れた。それを拭う間もなく、今度は冷たい水滴が顔に当たる。急に降り出した雨に、路上の血も埃も、細かい瓦礫も洗い流されていく。
(あいつらが黙っていたのは……俺のためだったのか!)
「水木さん……?」
鬼太郎と目玉おやじが、心配そうな顔で覗き込んでいた。その姿が前世の記憶と重なった。
こんな大事なことを忘れてたなんて。水木はワイシャツの袖で、乱暴に顔を拭った。
「随分、待たせちまったようだな。鬼太郎、ゲゲ郎」
と、ニカッと笑った。
親子は、顔を見合わせた。
「!」
「もしや……」
ぎゅっと抱き着いてくる鬼太郎の背中を、水木は撫でてやった。
水木は一度、ゲゲゲの森に戻った。
自分が持っているすべての情報を共有し、親子とともに作戦を練った。そして、再び単身、本部へ向かったのだった。
◇ ◇ ◇
〈公園〉
「遅かったじゃないか! 本当に撃たれるかと思ったぞ」
水木は捕らえた男を地面に押さえつけながら、言った。言葉とは裏腹に、顔は笑っていた。
「間に合ったんだから、いいじゃないですか。怪しまれないように、しばらく身を潜めていたんです」
鬼太郎は口をとがらせて、すねたように言った。
「あいつらを油断させるための芝居とはいえ、お前を撃つのは気分が良くなかったよ」
水木は鬼太郎のもとへ行くと、頭を撫でてやった。
次の瞬間、二人の体に緊張が走る。
「水木さん!」
「来やがったか」
複数の人間の気配がする。この男が決められた時間までに戻らなければ、他の者が来ることになっていたのかもしれない。
水木と鬼太郎は背中合わせになると、周囲を見回した。
敵はじりじりと距離を詰めてくる。
二人は手当り次第に、向かってきた者から順に倒していく。
人間相手に直接妖力を使うわけにはいかず、鬼太郎は苦戦していた。リモコン下駄で武器を落としたり、ちゃんちゃんこで包んで動きを封じて地面に倒したりしている。
水木は、鬼太郎に向かってきた男を投げ飛ばした。
「大丈夫か? 鬼太郎」
「水木さん、行ってください!」
「でも……」
「いいから! 行って!」
水木はついでに三人ほどなぎ倒してから、ズボンのポケットを押さえて、全速力で公園から出た。
後ろから獣の咆哮のようなものが聞こえる。ぬらりひょんの手下たちが加勢に来たのだろう。
振り返りたくなる気持ちを抑えて、水木は走り続けた。
◇ ◇ ◇
水木はカフェに入ると、さりげなくあたりを見回し、丸メガネをかけた男に近付いた。
「あなたが山田さん?」
テーブルの下で、水木は茶封筒を差し出す。
山田は受け取ると、封筒からデータカードを取り出した。持参したPCに挿し、簡単に中身を確認する。
「確かに」
山田はカバンをごそごそと漁り、厚みのある封筒を差し出そうとしたが、水木はそれを手で制し、首を横に振った。
「これを公表したら、あなた大変な目に遭いますよ。当面の生活費くらいあって困ることはないでしょうに」
「いや、いいんだ」
水木は再び首を横に振った。
「実家の両親にはしばらく田舎の親戚のもとにいるように伝えてあります。私だけなら、どうにかなるでしょう」
「なにかあれば、また連絡ください」
そう言って、水木はさっさと店から出て行ってしまった。
呆気にとられながらその背中を見送った後、山田はPCのメールソフトを立ち上げると、大急ぎでキーボードを叩いた。
◇ ◇ ◇
数日後、画面の中のアナウンサーは緊迫した様子で話しだした。
「本日は予定を変更して、特別番組を放送いたします」
VTRが流れた。
「反・妖怪派議員 妖怪と密会! 収賄疑惑も 総理も関与か」の文字が大写しになる。
そして、二人の人物の下には、「ジャーナリスト 山田氏」「元関係者 A氏」のテロップ。
山田がA氏にインタビューする形だ。A氏の方は、モザイクで顔を隠し、声も変えている。
「……ということは、反・妖怪派であるはずの議員X氏、Y氏、それに総理も裏で、一部の妖怪と密約を交わしていたということでしょうか」
「はい。両者の利害は一致しており、手を組んだのでしょう。」
A氏は続ける。
「ぬらりひょんは、手下をけしかけ、人間と妖怪との関係を悪化させた。妖怪たちに人間への不信感を植え付けコントロールし、自分に敵対する妖怪を排除したかった。人間側は、妖怪が暴れている隙に、自分たちに都合の良い社会に変え、それによって利益を得る企業から見返りを受け取っていたんです」
番組放送中、裏では制作スタッフたちの、さまざまな声が飛び交っていた。
「チーフ、官邸から電話が……」
「どうしますか?」
「知るか! 止めるな!」
「でも……」
「いいから続けろ! 責任は俺が取る」
VTRの最後に、山田はA氏へ尋ねた。
「視聴者に伝えたいことはありますか?」
「別に人間と妖怪、仲良く暮らせとは言いません。人間だって妖怪だって、当然良い奴も悪い奴もいます。でも、お互いを尊重し合うことはできるはずでしょう」
A氏は最後に、力強く付け加えた。
「お互い憎しみ合って争えば、あいつらの思う壺だ!」
◇ ◇ ◇
人間の街で、番組の映像が流れる。
街頭ディスプレイの前で、足を止める。
家のテレビのザッピングの手を止める。
SNSに流れた動画に、スクロールの指を止める。
妖怪たちの暮らす、ゲゲゲの森のはずれで、ひとりの人間が、スマートフォンで番組を観ていた。
隣から画面を覗き込む、幽霊族の親子。
彼らのまわりには、ひとり、ふたりと、妖怪が増えていく。その影はだんだんと大きくなっていった。
「これで世の中、平和になるんでしょうか?」
鬼太郎は、つぶやいた。
「まぁ、当分は心配ないじゃろうが……。いずれまた、同じようなことは起こる」
「歴史は繰り返すし、世に争いは絶えない。だけど、同じくらい良くしていこうって奴だっているさ」
三人は顔を見合わせて、微笑んだ。
エピローグ〈三週間後・空港〉
「本当に行ってしまうんですね」
バックパッカー姿の水木の服の裾を、鬼太郎は掴んだ。父親とともに、見送りに来たのだった。
こちらを見上げる顔は、普段とは違い、まるで見た目どおりの少年のようだった。
水木は頭を撫でてやった。
「本部はなくなっちまったし、あんだけ騒ぎになったんだ。この国には居づらいよ」
番組放送後、ほかの報道機関も後追いで報じだし、世間は大混乱となった。まだ係争中ではあるが、事件の関係者たちは、それぞれ人間界・妖怪界で、厳しい処罰を受けるだろう。
妖怪対策部は解体することになり、関与が発覚した警視総監も交代した。復職の誘いもあったが、水木は断った。
「水木さんなら、ゲゲゲの森に居てくれたっていいのに」
「これ、鬼太郎。水木を困らせるようなことを言うでない」
「みんなを騙してたんだ、あそこにはいられない。良い機会だと思って、世界を見てまわるよ。妖怪っていうのは、どこにでもいるんだろ。俺が助けになれることも、あるかもしれない」
前世の記憶を取り戻して以来、例の夢は見なくなった。しかし、妖怪の姿は、いまだに見えていた。
水木は屈んで、鬼太郎に目線を合わせた。
「いつか必ず、お前らのもとへ帰ってくるよ」
「約束ですよ」
「ああ、約束する」
二人は、指切りをした。
目玉おやじは、明るい声で「水木」と、呼び掛けた。
「ゲゲゲの森の入口は、いつでも開いておるよ」
◇ ◇ ◇
〈X年後・ゲゲゲの森〉
「!」
家で世間話をしていた親子は、顔を見合わせた。人間がゲゲゲの森に入った気配を感じたからだ。
いつもなら様子を見に行くところだが、鬼太郎はそしらぬふりで、父親と会話を続ける。しかし、体はそわそわと落ち着かない。
その人物は、足早に彼らの家へ近付いてくる。
とうとう耐えきれず、鬼太郎は飛び出して行った。
「おかえりなさい」
「ただいま」