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    ohmita

    おひさまぱっぱか快晴レース↓

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    ohmita

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    ひゃくこいに出す予定の尾鯉 大体3パートになる予定で最初の1パートできたので進捗さらし✋全部書き終えたらチョイチョイ手直しするからとれたての味が読めるのは今だけ!オトク!
    ㍾最終話後おがた生存ifあとまあ細かいところはワイがこれまで書いたとこ読んでもろて

    ひゃくこい用(書きかけ) 勇作の声がしたような気がして振り返る。
     声といえど正確な響きはとうに忘れた。朧げに残っている呼び方や言い方の癖から勇作のように聞こえただけだ。
     あの日はっきりと顔を見たことは覚えているのに、あれ以来鮮明に思い出せない。眼差しや唇の動きの断片がぼんやりと結ばれ、かろうじて勇作の形を作る。
     もう十年も経たぬうちに擦り切れて消えるのだろう。それでも共に過ごした年月の倍以上かかるのだから、思い出はまるで呪いだ。

     幻聴は兆しだったのか、その日の夕から頭痛がし始め、半刻経たぬ間に右目の内から抉るような酷い痛みに変わった。直に治るだろうと高を括っていたのが仇になり、どうにもならなくなってから飲んだ鎮痛剤は効き目が遅い。動くにも動けないが横になって眠れるものでもない。ただ布団の端を握り締めて耐え、時折薄目を開けては今日は来るなと部屋の空白を睨んだ。だが、願えば願うほど、天は嘲笑って嫌がらせをする。
     玄関の開く音に、尾形は一層顔を顰めた。床板の鳴る音は頭蓋を直接軋ませるようだ。
    「……尾形?どうした、大丈夫か?」
     鯉登の焦ったような声にも目を開けぬまま「なんでもねえよ」と絞るように返す。「何でもない筈あるか」と布団の傍らに座る気配があって、痛む右目に掌が触れた。夏の宵だというのにひやりと冷たく、その心地良さに痛みが微かに和らぐ。
     薄目を開ける。ランプは点いていないが、長い陽の名残りが鯉登の顔をほのかに見せた。視界は痛みの所為で更にぼやけ、そこに居るのは鯉登の筈なのに、息苦しい幻覚がちらつく。
    「少し熱いな、何処か痛むか?」
    「……頭。鎮痛剤は、飲んだ。」
    「いつ頃飲んだ?効いているのか?」
    「うるせえな、喋らせるな。」
     首を振って冷たい手を振り払う。「出て行けよ」吐き捨て目を閉じた。痛みに気を失うでもいいから幻を断ち切りたかった。朝がくればどうにかなると根拠なく考えていた。
     軋む音が、離れて、戻ってくる。マッチを擦る音の後、閉じた瞼に明るさが差した。
    「水は飲めるか?」
     目を開ければ昼のような明るさが鯉登の顔をはっきりと映す。
    「鎮痛剤、そこに出したままだったから持ってきた。飲んでしばらく経つならもう一度飲んだらどうだ。」
     柔らかな声と共に、掌が再び触れた。痛みの元が分かっているかのように右目を優しく撫でる。
     確かに在る顔をじっと見つめると鯉登は微かに微笑み、それから心配そうに眉根を寄せた。声も、顔も、手も、間違いなく鯉登のものだ。それに安堵する自分自身に顔を顰め、尾形は左手をついて上体を起こそうとする。右目にあった掌は支えに背へ移る。
    「……水、」
    「うん。ほら、ゆっくりでいい。」
     小さな声に応えて差し出された硝子のコップを受け取り、一口飲めば自分が乾いていたことを知って半分を一息に飲んだ。は、と息を吐くと、掌は優しく背を摩る。
    「他に欲しいものはあるか。何も食べてないだろう、食べられそうなものはあるか。」
     掌が、また、右目へ触れる。穏やかな冷たさが痛みに染み込む。
    「……酷い顔色だな。本当に痛むのは頭だけか?」
     眠るまでそのまま、撫でていてくれ――と、舌から零れかけた言葉に、尾形は息を止めた。
     今、縋ろうとした。怖い、痛い、側に居て、ぐずって甘える子供みたいに。馬鹿げた思いが此処に在ることはどうしようもなかったが、弱っているとは言え、鯉登に晒しかけた。
     在っても。言っても。何にも、ならない。
     理解しているのに紡ぎかけた己の無自覚に、頭痛はより酷くなる。コップを置いた手で鯉登の手を払い除け、唇の片側を引き攣らせた。
    「……そこまで心配する義理無いだろ。寧ろこのまま死んだ方が都合がいいんじゃねぇのか。厄介者の処分が出来て。」
    「――私がいつそんなことを言った。」
     声には怒りに似た何かが満ちて、双眸は真っ直ぐに睨む。その鋭さを揶揄うように、は、と浅く笑って返した。
    「俺だって助けて囲えなんて言った覚えはねぇよ。」
     尾形は鯉登の胸倉を掴む。
    「俺を生かしたのはテメェが見殺しの罪悪感を負いたくねぇだけだろうが。ガキ臭え偽善に他人を巻き込みやがって、いずれ死ぬ虫に二、三日餌をやって、満足したか?」
     顔を寄せて睨み返せば険しかった両の瞳は打たれた子供のように見開かれる。尾形は手を離し、そのまま鯉登の胸を突き飛ばすように押した。
    「さっさと出ていけよ。声が――響いて、うるせぇ。」
     体を捻り背を向け再び横になる。頭痛は止まない。ややあって、瞼の向こうで灯りが消えた。
    「……眠るまでは居させてもらう。」
     鯉登の目は澄んでいるから、きっといつだって正解が見えている。例えばこのまま頭が割れても、間違いも醜さも端から映らず、溢れた脳から正しい言葉を拾ってくれるのだろう。尾形は奥歯をきつく噛む。

     ならもういっそ言ってしまおうか。

     ――馬鹿馬鹿しい。
     ようやく鎮痛剤が効いてきて、尾形は静かに眠りに落ちた。
     


     ふと目を覚ました時、右目の奥に重さは残っているが頭痛はどうにか治っていた。手を擡げて顔の右半分を押さえ、息を吐く。
     部屋の中はまだ暗い。時計を確かめようと顔を動かした時、暗がりの中にぼんやりと人影が見えた。壁へ寄りかかって座り、箪笥へ凭れている。寝ているのか起きているのか、確かめようと身を起こしたら、向こうも気がついたらしい。
    「……ん……起きたか。頭、まだ痛むか。」
    「……なんで居るんだよ。」
     すると鯉登は「寝る前よりも良さそうだな」と微かに笑った。
    「ランプ――は、眩しいな。少し開けるぞ。」
     鯉登は縁側の障子を一尺ほど引いた。この日は良く晴れていたのか星空は明るく、瑠璃色の天に数え切れぬほど星が瞬いていた。この地は海の底で、数多の人々の生命たる呼吸の粒が、遥か遠い水面へ還っていくかの如き景色であった。
     その無数の清浄な輝きの下で鯉登は微笑み、尾形の額に触れた。
    「ああ、良かった。もう痛くないか。」
     偽善が、斯程に美しい筈も無いのは理解していたけれど、ならば愛かと思うと心はそれを認めるのを拒絶する。額の手を受け入れながら、尾形は苦い顔をした。
    「――どうして、俺なんかにそこまでする。」
     すると鯉登は微苦笑をして「『なんか』とはあんまりな言い様だな」と窘めた。
    「あんな辛そうな顔している人間を一人で置いていけないだろう――それこそ、見殺しにするようなものだ。」
     手を下ろし、それと同時に玉のような瞳も俯く。
    「私がしたいから残った。だから『俺なんか』なんて卑屈になるな。」
     八つ当たりに謗った口では、分かったとも黙れとも言えず、尾形はただ黙する。鯉登はまたほのかに笑い、そして小さく息を吐いた。
    「今の隊にも、少なくないんだ。生き残ったがそれでどうすると投げやりになる者が。」
     憂いは青い影になって鯉登を背から覆う。
    「作戦も失敗し、鶴見中尉殿も見つからない。あの人だから付いてきた、命は助かったがそれでどうなる、何も得られなかったのだからもう死にたいと言う者も居る。軍に背いて鶴見中尉殿の命に従ったのだからどのみち死ぬだろうと自暴自棄になる者も居る。言わぬ者もきっと皆同じように思っている。だから希望を与えなければ。ただ生き残らせただけなら、お前が言った通り、私の『部下を見殺しした』という罪悪感にならない為の生にしかならない。鶴見中尉殿が居なくても、我々は負けたとしても、生き残ったことが誇りになる道を、私が示さねば。」
     俯く顔を照らすのに星は遠過ぎた。「……それをしなければ、駄目なんだ。」決意の言葉は畳へ落ちる。沈黙の後、鯉登は顔を上げ大人びて笑った。
    「と、言っても私は鶴見中尉殿のように言葉の力もない。今出来るのは一刻も早くこの事態を好転させることだな。」
     下手くそな愛想笑いの奥に――尾形は、ひとつの違和感を覚えた。
     北海道は国防の重要拠点ながら、当地の人口それだけで軍を維持するのは難しい。結果、第七師団は東北を始めとする全国からの寄せ集め部隊になった。
     それが日露戦争で多くの戦死者を出し、先日の五稜郭戦でも相当数の死者が出た筈だ。中央が先日の戦を反乱と見做したとしても、折角掻き集めた兵をやたらに殺すようなことはしない。粛清して新たに徴兵するほど人的余裕は無い。下士官以下は大した罪には問われず手打ちになるだろう。
     賊軍として処罰を受けるのは煽動した一握りの者たちだ。
     筆頭は鶴見中尉だが行方知れずだ。淀川中佐は部下に軍を操られた責任を取り自刃の体で死ぬ可能性が高い。
     ――鯉登は。
     鶴見中尉に熱を上げていたと、聯隊の全員が証言するだろう。鶴見中尉の直下に居た将校は、鯉登ただ一人だ。
     青森要港部の艦艇が沈み司令官をも失ったことを海軍がどうするか、第七師団が屯田兵の団として設立時から長く薩摩閥であったことで薩摩出身の鯉登に手を貸す者が居るか――好転する可能性は、零ではない、けれど。
     このままいけば、鯉登は逆賊として処刑される。
     生き残ったが故に最も死に近づいたのは、鯉登だ。
     気が付いた刹那、尾形は自分の肺か心臓が獣の手で握り潰されたかのように感じた。赤黒い苦い血が滔々と溢れて身の内から溺れるようだ。瀕死の自分を助け匿い、嘆く者、荒れる者に希望を与えねばと言う鯉登が、銃殺刑の手前にいる。
     まさか鯉登自身がそれを想定していない筈がない。
     なら、いつからだ?
     いつから、賊軍の首魁として処刑される明日を見て生きていた?
     肋の檻に血が満ちる。それはただの幻視で、だから吐いて楽にもなれない。
    「死にたい奴らより、死ぬかもしれないのは、お前じゃねえか。」
    「それでしか解決出来ないのなら、覚悟は出来ている。」
     物分かりの良い返事に苦い血がかっと沸いて喉が焼けそうだった。しかし鯉登はあっけらかんと「それしかなければ、な。」と続け、俯く顔を正した。
    「それ以外の方法を必ず作る。私が死んでもたったひとりが居なくなるだけだが、この命をかければ多くの人が守れる。部下を、部下の家族を、その友を、もっと多くの人を助ける為に、私は死ねない。ここで死ぬ訳にはいかない。少尉で終わればほんの一握りしか救えない。これを乗り越え、私は上へいく。」
    「――師団長へ?」
     譫語のように言葉が漏れた。鯉登は僅かな戸惑いを尾形に向け、間を開けずそれを消して「行けるのならば。」と答えた。
     父が過った。
     鯉登のように目を貫く光輝は、あの男にあったのだろうか。
     見えたのは腹を裂いたあの時だけだ。師団長と一介の兵が語らう場などない……『息子』でもなければ。
     勇作に繰り返し父のことを尋ねた時、期待したのは母を覚えているかという欠片だった。寝言でもいい、父がトメと名を呼ぶことはなかったか。小さな仏像を隠し弔うことはなかったか。かつて過ごした浅草の家を訪うことはなかったか。求めていたのは花沢幸次郎という男が尾形トメを愛していた証拠だけで、第七師団師団長花沢幸次郎中将の姿は知らない。勇作は話していたかもしれない。でも、覚えていない。
     勇作は。
     不殺だの童貞だのくだらぬ信仰を頼りに旗手として先陣を切る様は、なんて愚かなのだろうと思った。戦場の只中であんな旗を振り回せば良い的だ。でも、敵には撃たれなかった。
     死体に取り縋り泣く者が居た。勇作の死を信じて堪るかと絶叫する者が居た。良い気分だった。どんなに清い者であろうと弾は当たるし撃たれれば死ぬ、死んでしまえばひとつの血袋だと――死ねば、一人の兵が失せただけだ。
     だが勇作が生きていれば多くの兵の希望になったのではないか。命をかけ愚かな偶像で在ることが、皆を生かしたのではなかったか。
     誰かの為に在ることを厭わず、その為に死ぬことを恐れぬ者こそ、上に立つ。くだらない、と散々に嘲って貶めたものが、如何に尊い覚悟であったか。
     無価値だと証明したかったあの座の正しい意味をやっと知った。
     それに相応しい姿が、眼前に在った。
     鯉登はずっとそうだったのだろう。十六の子供の姿を思い出す。あの時自分は両目があって最も近くで見ていたのに何も見えていなかった。ずっと、見たいものしか見えていなかった。
    「部下の為、国の為……か。お前、ガキの頃から変わらねえな。」
     自分と正しい人間がどれ程かけ離れたを思い知り、淡い絶望を込めて呟く。すると何故か、鯉登の頬にまた影が差した。
    「尾形は、あの時鹿児島に居たのか?」
    「鹿児島?――ああ、鶴見中尉の『仕込み』か?」
    「に、なるのかな。私が十四の時だ。八年近く前。」
    「じゃあ俺は入隊したかしないかだ。ついて行ってたとしても月島ぐらいじゃねぇか。」
     そうか、と短い相槌の後、鯉登は苦笑いを浮かべた。
    「その時にな、鶴見中尉殿に初太刀を素手で止められたんだ。」
    「……自顕流の初太刀を?」
    「そうだ。まあ剣はその辺にいた爺の杖だったが、それがへし折れるまで片手一本で止められた。」
     「あの人も大概化け物だな」呆れて言えば、「あんなことされたのは初めてだ」と苦笑のまま緩く頭を振った。
    「――その時、太刀筋を誉めてくれた。真っ直ぐで綺麗なのに、と。その後西郷さんのお墓へ行きたいと仰ったからご案内した。同じ墓地に、私の兄の墓があって――」
     鯉登は言葉を区切り、「私の兄の話は聞いているか」と小さく尋ねる。何故あの子供なのか、の理由として、鶴見中尉から聞かされていた。尾形が頷けば、鯉登は懐かしさと悲しさを込めた目を細めた。
    「兄は優しい人だった。私が揶揄って悪戯をしても決して怒らなかった。学業も優秀だった。友人も沢山居た。皆から好かれていた。両親にとっても自慢の息子だった。――その兄が戦死して、私は船に乗れなくなった。父はそんな私を叱らなかった。私が何をしても怒りも笑いもしなかった。よく出来た兄を失って残ったのは意気地のない私だ。教育し直したところで兄との差は開く一方だったろう、父の失望も仕方がない。」
     ひとつ瞬きをして、鯉登は静かに零した。
    「兄の代わりに私が死ねば良かったのにとずっと思っていた。」
     最初、よく分からなかった。代わりに、私が、死ねば。尾形は沈黙の間に胸の内で繰り返し、鯉登と自分の決定的な遠さを思い知る。
     優秀な兄弟が死んだなら、皆も父も自分だけを見て愛してくれると期待していた。だから殺した。
     代わりに、私が。鯉登が殺した訳でもないのに、それにさえ責を負うのか。
    「兄は私より強いから、私が死んでもこんなに情けない様は見せなかった筈だ。私が死んでも兄が居るのだから、父も母もこんなに悲しまなくて済んだ筈だ。立派な兄が生きていた方が皆幸せだったのに。私が代わりに死ねば良かったのに。ずっとずっとそう思っていた。鶴見中尉殿は初対面でそんな弱音を吐いた私に、兄の代わりになる必要はないと言ってくださった。」
     鯉登は両手の指を浅く組み、撫でるように緩くこすり合わせる。
    「五稜郭で、鶴見中尉殿と、月島と、三人きりで陸軍訓練所へ入った。あの状況で、あの場へ連れて行って、あの時のことも、誘拐も、全てが噓だと分かった上で私が付いていくか……あの人は、試した。」
     ゆっくりと瞼を伏せる。呆けたような微笑みが、唇に灯っていた。
    「試して欲しく、なかった。駒ではなく私を見てくれたら、地獄へでも、一緒に行ったのに。」
    「――あれだけのことをされたのに付いていくつもりだったのか。」
    「全部嘘でも、あの時私は救われた。忘れられない。」
    「お前を思った言葉じゃない、何をしたら喜ぶか散々下調べをして仕組んだ噓だぞ。」
    「でもそれまで誰も言ってくれなかった。」
     皆が幸せならば。皆の幸せの為に。
     その尊い覚悟は果ての無い自罰だから、偽りであれど、救いは心に残り続けるのか。それは、呪いと何が違う。
    「今の状況に釣り合うだけの救いかよ。」
     鯉登は答えず、苦々しく歪んだ尾形の顔を見つめ、少し笑った。答えないのが答えで、尾形は頭痛よりも酷く顔を顰める。
    「……起き抜けに話し込んでしまったな。すまない。水か?取ってくる。」
    「要らん、別に……ただ起きただけだ。」
    「そうか。まあ具合も良くなったようで何よりだ。私はこれで帰るから寝直してくれ。」
     障子を閉めながら言う鯉登に尾形は眉を顰めた。
    「帰るって、こんな夜中にか?今何時だ?」
    「丑三つ……四つにかかる頃かな。家へ戻って飯を食って着替えて、そうこうする内に日の出だ。まだ涼しい内に兵舎へ行けば汗もかかなくて良い。」
     そう言った後に鯉登は「今更、寝直せないしな。」と呟く。部屋はもう星明りも無くてその表情は見えない。
    「今日は家政婦の来る日だったろう、食べ易いものを作って貰うと良い。また夜に様子を見に来る。」
     手探ることもなく、鯉登は尾形の手を優しくひと撫でした。
    「おやすみ。」
     影は腰を上げて部屋を出ていく。きぃ、ぎぃ、と鳴る床が、今は骨の軋みではなく小さな動物の鳴くように響いた。玄関が閉まる。尾形は真っ暗な部屋の壁をじっと睨んだ。
     軍以外を巻き込み過ぎた。機関車が沈み、艦の撃ち合いも多くの一般人が目撃している。その上立地も悪い。函館は本州に一番近い。遥か道東の網走監獄の時とは違う。中央が来るのは、時間の問題だろう。
     鶴見中尉に全てを負わせ薩摩閥の鯉登も処分できるとなれば、奥田中将は何ら痛むところもない。見つかっても、見つからなくても、どちらでも利になったのだ。仮に尾形が顛末の報告に面会を願ったところで、お前のような兵は知らないと初めから関係の無かったものと扱われるのが関の山だ。
     撃ってしまおうか。
     全てを詳らかにした手紙を陸海問わず手当たり次第に送り付ければ何処かには引っかかるだろう。花沢幸次郎の息子であることが僅かでも役に立つかもしれない。奥田中将が殺され、更には有坂中将が第七師団に頻繁に出入りしていたことが明らかになれば、中央は函館の件どころではなくなるのではないか。
     どうせ生かされたのだからそれぐらいやって死ぬのも悪くない。
     
     それで鯉登が救われたと思うなら、己の死は新たな呪いになるのだろうか。

     やがて目を伏せ、尾形は横になる。眠れる筈がない。
     求めた者らを争わせ、手に入れた者には途方もない幸福を、敗れた者には相応の罰を与えるのだから、金塊は、確かに神だった。
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    ohmita

    PROGRESSひゃくこいに出す予定の尾鯉 大体3パートになる予定で最初の1パートできたので進捗さらし✋全部書き終えたらチョイチョイ手直しするからとれたての味が読めるのは今だけ!オトク!
    ㍾最終話後おがた生存ifあとまあ細かいところはワイがこれまで書いたとこ読んでもろて
    ひゃくこい用(書きかけ) 勇作の声がしたような気がして振り返る。
     声といえど正確な響きはとうに忘れた。朧げに残っている呼び方や言い方の癖から勇作のように聞こえただけだ。
     あの日はっきりと顔を見たことは覚えているのに、あれ以来鮮明に思い出せない。眼差しや唇の動きの断片がぼんやりと結ばれ、かろうじて勇作の形を作る。
     もう十年も経たぬうちに擦り切れて消えるのだろう。それでも共に過ごした年月の倍以上かかるのだから、思い出はまるで呪いだ。

     幻聴は兆しだったのか、その日の夕から頭痛がし始め、半刻経たぬ間に右目の内から抉るような酷い痛みに変わった。直に治るだろうと高を括っていたのが仇になり、どうにもならなくなってから飲んだ鎮痛剤は効き目が遅い。動くにも動けないが横になって眠れるものでもない。ただ布団の端を握り締めて耐え、時折薄目を開けては今日は来るなと部屋の空白を睨んだ。だが、願えば願うほど、天は嘲笑って嫌がらせをする。
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    1405Barca

    REHABILI現パロ尾鯉のギャグです。赦して。
    別に無趣味というわけではない。
    私大入学を機に都内に越してはや一年、灰の降らぬ生活にも慣れた今日この頃。ゼミに定期的に顔を出し、アルバイトも適度にこなし、サークルに入らない代わりにと近場の道場に度々足を運ぶ日常は同世代から見ても怠惰ではない。しかしながら大学生活二度目の春を迎えた鯉登音乃進にとって、それは惰性と断じる他ない日々だった。
    そもゼミ活動が本格化するのは3年次からであって、今は文献の読み方・引用のやり方など基礎的な学習であるし、アルバイトは音乃進と同じく進学と共に上京し、今では大手の営業職に就く兄から紹介された家庭教師をそれなりの頻度でこなすだけ。幼年から続けてきた示現流も、人目の多い都会の道場で猿叫することは叶わず。つまるところ、どれも時を忘れて熱中できるほどのものではないのだ。あと一年待てばゼミも本格化し憧れの鶴見教授と個人面談もあるのだが、彼のよかにせ教授は現在ロシアで調査発掘に勤しむ多忙な日々を送っていると聞く。院生でも声を掛けにくいと聞く熱中状態の鶴見教授に、ほやほやの一年目ゼミ生がアクションを起こせるはずもなく、画面びっちり敬愛と近況で埋め尽くしたメールを削除して、肌寒い春の夜風に撫でられながら音乃進は自室のパソコンの前で小さくキェェと鳴いた。
    4006

    ohmita

    PROGRESSまだ書き終わってネ~~~けど丁度いいとこまで書けたので尾鯉の日だから出します。
    谷崎潤一郎『人魚の嘆き』パロのなんちゃって中華風尾鯉。尾形が貴公子でおとのちんが人魚です。鶴見中尉とヴァシリちゃんもちょこっと出てくる。全部かけたらピクシブにあげます。
    人魚の嘆き「一つ箱が多いようだが。」
    紳士の穏やかな問いに、金の玉座へ身を凭せかけた若者は物憂げに答えました。
    「一つ増えても二つ増えても、あって困るものではないでしょう。どうぞ持って行ってください。――――まったく、恐ろしい程に上手くいった。」
    若者はいくらか酔った様子でありましたが、両の目だけはまるで獣のように爛々として紳士を見据えておりました。ところが紳士は、若者の眼差しを受けて畏れるどころか、子でもあやすように微笑みます。
    「私はきっかけを与えただけに過ぎないよ。君が思っている以上に、君の御父上は恨まれていたし弟君よりも君こそが当主に相応しいと思う者が多かった。それだけのことだ。」
    白々しい言葉を嘲り若者は唇を歪めて笑いました。若者の父は、そのまた父から受け継いだ武功を更に重ね、時の皇帝の覚えもめでたく、最早他人は羨むのを諦めるほどの巨万の富を拵えました。また若者の弟は父に倣い武を磨き学にも秀で、正妻の息子として大変立派な人でありました。
    23122