わすれもの「じゃあ、3/4に」
そういって通話が終了して、俺の頭に残ったのは“コラボ”という言葉だけ。
どうしてこうなったんだっけ?たしか、何かの相談に乗ってもらっていた気もするし、唯々雑談していただけな気もする。
デビューしてまだ半年も満たない俺は、同期以外と話すときはいつだって緊張して、興奮して、どんなことを話したか忘れてしまう。しかも相手はファルガー先輩で、デビュー前からほとんどの配信を見て、憧れてた分余計に。
ファルガー先輩に指定された場所に、特に何の障害もなく到着した。
3月とはいえまだ寒いこの地域は、建物が少ない分、頬を撫でる冷たい風もいつもより強く感じた。念のためにと着てきたダウンは正解だったな、とジッパーを一番上まで上げ、顔半分を埋め込むように首を縮こめる。
「う~~、さむいっ…!」
こんな何もないところで待ち合わせなんてファルガー先輩何考えてんだろ。買い物も出来なさそうだし、人も少ないし。
パ!
近くで鳴らされた短いクラクションの音に反射的に目を向ける。
助手席から興奮した大型犬が俺の方を向いて、吠えようと口を動かしているのを、隣の飼い主が首筋をわしゃわしゃと撫でて宥めているように見えた。
窓から振る手は赤いサイボーグの手。
「せんぱい!」
「Hi、ピオちゃん。ちゃんとたどり着けたな、えらいぞ」
そういって硬そうなサイボーグの手にわしゃわしゃと混ぜるように撫でられるのは、思っていたより悪くない。新しい人間の登場に興奮しているわんこは、俺をなかなか助手席には乗せてくれなかったけれど、俺の匂いを一通り嗅いでようやく落ち着いたのか、後部座席にのそりと移動して、ふん!と鼻を鳴らされた。
ゴー、強く吹く暖房の風が冷えた顔を温めていく。
ファルガー先輩が俺の荷物をトランクに押し込んでいる間に、漸く俺は一息つくことができた。
「寒かっただろ、待たせて済まない」
「んや!ぜんぜん、だいじょうぶ、デス……」
「はは、なんだ、今頃緊張してるのか?」
「うぅ…だって…しょーがないデショ……」
暖房でようやく温まってきた顔が一気に熱くなってくる。
憧れの人と一緒にいるんだから!しょうがないじゃん!
目の前に!あの!ファルガー・オーヴィドがいるんだよ!?
照れて赤くなった顔を隠す様に混ぜられてくしゃくしゃになった髪の毛をきゅ、と引っ張って手櫛で整えていく。
「さぁ、短いドライブに付き合ってもらうぞ」
30分くらい車を走らせて、到着したのは郊外の家。
ファルガー先輩はいつもディスコードで話しているそのままの人で、ファルガー先輩、と呼んでいたのも初めだけ。どのタイミングからかふーちゃんと呼ぶようになり、話したいことがたくさんある俺の話を、相槌を打って聞いてくれて、顔を合わせた当初の緊張感はどこかへ行ってしまった。
「ほら。ついたぞ」
広い庭の、一軒家。
リードを引っ張られてのそりと嫌そうに車から降りてきたわんこは、意図してか俺の足を踏んでふーちゃん先輩の方を見る。やれやれという顔をした先輩がリードを外して庭のドアを開けると、そのまま庭の方に走って行ってしまった。
「先輩ここに一人ですか?」
「一人、のほうが最近は少ないな」
「友達とか?」
「ん~、間違ってはいない、と思う」
庭もきれいに整えられているし、玄関には靴のいらない先輩らしくない、履く靴がいくつか並べられていて、ヒールの高いものとか、ブーツとか、革靴とか?が綺麗に並べられている。
廊下にはノクティクスの集合写真と、にじぱぺと、見たことがあるネックレス(あまり売ってなさそうな)が吊るされていて、ちょっと笑ってしまった。
「ここに荷物をどうぞ」
リビングには大きなテレビと、ソファ。
一人掛けのソファの方に荷物と上着を置くように促され、あまり中身の入っていないボストンバッグを置いた。先輩はそのままキッチンに消えて行ってしまって、さっき車内でさんざん嗅いだはずの先輩の香水の匂いがするこの空間で一人になった俺のもとに、どこかへ行ったはずの緊張感が舞い戻ってきてしまった。
「どうした、また緊張してるのか?」
「……そのとーり、デス…」
スッと目の前に置かれた水のボトルと可愛らしい形のクッキーは、今は視界に入るだけで食欲とは結び付いてくれない。
「まぁ、俺は配信の準備をするから、ここでゆっくりしててくれ」
「おれも、手伝います。マイクとか、調整、あるし……」
「その時に頼むな、まァ、ゆっくりしててくれ」
そういって、またリビングを離れていった先輩の後姿を見送って、がちがちに固まった背中をソファに預ける。
「~~、」
こんなはずじゃなかったんだけどなぁ…、もっとちゃんとできるって思ってたのに。
視界に広がる部屋の中、花瓶に生けられた花や、壁に飾られた絵、テーブルの端に置かれた楽譜も、テーブルの上に置いてある本、銃の手入れ用のオイルが置かれたままの窓際の丸いテーブルからも誰かの痕跡を感じる。
このクッキーが置いてある黒い皿も、どこかで見た気がするし…
「ピオちゃん?大丈夫か?」
「ぅえ!?だ、だいじょぶ、おちついた!」
「ちょっとまってな」
そういって、次は庭に面したサンルームの方に行ってしまう。サンルームのドアを開けて、指笛でわんこを呼びつけているのがなんだか先輩っぽくて笑ってしまった。
「なんだ、なにか面白いことでもあったか?」
呼びつけられて、走って寄ってきたわんこの足を拭きながら、先輩は不思議そうな顔をして俺を見る。
「ひひっ、なんか羊飼いみたいだなぁーって」
「指笛か?確かに、俺は多くの羊を飼ってるようなものだけど」
「コンフィダンツのみんなね、確かに、羊飼いで間違ってない、ふふっ」
先輩に足を拭かれたわんこは、大きな体を揺らしながら、俺の元へ歩いてくる。なでろ!と言わんばかりに足の間に収まって、ふんふん!と鼻息荒く俺を見た。
湿った鼻で、俺の手をぐいぐいと押すものだから、さっき先輩がやっていたようにわしゃわしゃと撫でてやる。先輩は、俺からなかなか離れようとしないわんこを、ほら、と手で促して、俺の足を自由にしてくれた。
「緊張、ほぐれたか?」
と言って、俺の頭をまるで大型犬を撫でるように優しい顔で、ぐりぐり、わしゃわしゃと撫でまわした。
その時思ったんだ。
俺も、なにかこの人の家に痕跡を残せるオトコになりたいって。
「はい!よろしくおねがいしマス!」
「よし、じゃあ、配信部屋へ案内しよう」
そういって通された配信部屋で、無事に配信できたのはよかった。
ただ、配信終了後にリビングに戻ると浮奇先輩と、シュウ先輩が二人でテレビを見てて、ヴォックス先輩がキッチンで料理してた、のを視界に入れた瞬間、全然理解が追い付かなくて、思わず先輩の方を見る。
「んぇ?なん、、んん?」
「いや、だからいっただろ?一人の方が少ないって」
「ハ~イ!ピオちゃん!」
「ふーふーちゃん、うきにゃが拗ねてる。抱っこしてあげて」
「ファルガー、夕飯は何時ぐらいにするんだ?」
そんな豪華メンバーの中、配信しているときよりも一層緊張して、おいしそうなのに味のしないディナーをごちそうになったのは、いい思い出に入るんだろうか?
「きいてない……せんぱい…ヒドイ……、」
「すまん、大体こうして人がいるんだ」
申し訳なさそうに眉を下げて謝ってくる先輩には秘密の話。
配信部屋に、緊張しているからと外した指輪を一つ置いたままにしているのを先輩はいつ気付いてくれるのかな?