花の人 白い壁はところどころ割れて瓦礫となっている。
がらんとした部屋には窓もない。壁の一面にものものしい鉄扉があるきりの、室内には豪勢な椅子がやっつ並んでいた。玉座とでもいうつもりか、いっそ舞台じみたその光景をぼんやりと眺めていると、ふと肩のうしろあたりにあたたかいものが触れた。
指をとられて、握りかえさずにいると意趣返しのつもりか軽く手の甲をつねられる。
生きているはずもないのに、おたがいまだひとのふりをしている。面倒な性分だと頭の片隅でちらりとおもった。
ぐるりとめぐらされた玉座はどれも空っぽだった。それぞれの主たちは、いつか九つめの座をになうだろう少年の退去とともにどこかへと姿を消していた。
「俺は出してやっただろうが」
言えば、握る指の力が強くなった。
「あの扉ぶっこわして警備の連中も全部ぶっ倒して手ぇ引っ張って連れ出してやっただろうがよ。なんで戻ってんだおまえは」
なんでだろうねえ、という声はどこかのんびりとしている。
骨張った手はつめたく、すこし乾いていた。
「それでもわざわざ一緒に来てくれるんだからきみもたいがい付き合いがいいよね」
「うるせえよ」
突き放すようなもの言いをしてみても、肩先にある熱が離れていくことはない。
「きみにぜんぶあげたかったんだよ」
かすれた声が耳のすぐそばでする。
「ラプンツェルじゃないけど、囚われの姫君が救ってくれた王子さまにさしだせるものなんて綺麗な髪だとか笑顔だとかキスだとか自分の身ひとつだって相場が決まってるだろ。だから、きみが強くなりたいっていうなら僕の持ってるものぜんぶあげられたらって、きっとほんとはそれだけだったんだよ。……多分だけど」
「多分かよ」
「厳しいよね、マイヒーロー」
その名で呼ぶのは皮肉かと、勘繰るだけきっと無駄なのだとそれもまた長い付き合いでわかっている。AFOだなんてばかげた脅威に身ひとつで抵抗し続けた、彼はただまっすぐで裏がない。
そもそも個性が譲渡などというのだから筋金入りだと、ちいさく息をつく。世界のはじまりと終わりを担う、この男はいつだって自分をかえりみない。
つかまれたままの手を払い、ふりかえる。そこにあるちいさな頭を抱えてみれば、ひとではないのにやはりずいぶんとあたたかい。
痩せぎすで猫背で、髪にも服にも頓着がない、その姿もまた生きている頃と何ひとつ変わらなかった。
がぶりとその白い首筋に歯を立ててみる。舌の先に血の味が滲んだようなのは錯覚だと、それもわかっている。
しばらくして、ええとね、と場にそぐわない呑気な声がした。それとともにぽんぽんと頭をたたかれる。
「僕はきみにぜんぶあげたいなあって思っただけなんだけどねえ。まさか体の一部を経口摂取したらOFAが受け継がれるなんて、まさに怪我の功名だよね」
「……それよそでペラペラ喋んなよおまえ」
「あ、出久くんには言ってないよ子どもだし」
「……それ以外は言ってるってことだよな」
「だめだった?」
あっけらかんとした声に、ついため息をついてしまう。
せめてもの仕返しに、のび放題の髪をわしゃわしゃとかき混ぜてやる。与一はこちらのなすがまま、抗うこともない。
みつめるさき、両手のなかで薄色の目がにこりとする。
世界の先を見通すその目に、いま自分の姿が映っている。
「そばにいてくれてありがとう、マイヒーロー」
「……いまさらだろ」
そう返してやれば、ふふ、と与一はちいさく笑う。
首筋にまわされた両腕はやはりあたたかく、どこか甘やかで、かつてひとの世であったことのすべてを思い起こさせた。