めくるめく僕らの出会い 夜の空気はすこし重い。
ひいやりとした風が水をふくんで湯あがりの髪にまとわりつく。
汗なのか、ぬぐい残しの水滴なのか、短く刈ったばかりの髪からしたたるものがある。肩にかけたタオルでそれを拭きつつ三井は合宿所の庭に出る。
盛りをすぎた紫陽花の茂み、そのまえに見知った姿があった。
薄闇のなかにぼんやりと白いTシャツが浮かぶ。木暮と呼べばふりかえる、その胸のあたりには妙なうさぎの柄があるからつい笑ってしまった。
「風邪引くぞ」
肩がけにしていたタオルを放り投げれば、木暮はひょいと左手でそれをつかむ。その手のひらは昔よりもずいぶんと器用になっていて、取り落とすかもしれないとしかけた心配を三井はそっとひっこめる。
「びしょびしょだよ」
「おう、干しとけ」
「どういうノリなんだ」
数年ぶりに隣に立って、いまいちつかみきれない距離感を適当な冗談にまぎらせる。そういう自分がなんとも妙で、正直なところあまり好きにはなれない。けれどもどうすればいいのか答えは出ないから、結局すべて木暮に押しつけてしまう。
ちかごろ習い性のようになったそれを、またくりかえしてしまったことに三井はこっそり顔をしかめる。
なにしてんだオレは、と口のなかでちいさく呟く。濡れそぼったタオルを丁寧に畳んで、木暮はそれを右手にもつ。
夜だった。
九時を過ぎてあたりはとっぷりと暗い。
合宿所の窓の明かりが地面をまだらに染める。石鹸の香りがふと鼻さきをかすめた。浴場に備えつけられた安物の、その匂いが自分と木暮とからする。すこし気恥ずかしくなって、いやこれ赤木も宮城も使ってただろと三井は我に返る。いったいなにを気にしているのか自分でもよくわからずに、どうしてか熱はひかないでいる。横に立つひとに気づかれなければいいと、三井はそっと手のひらで火照る首筋を隠した。
木暮は夜空を眺めている。薄曇りの空にぽつぽつと星が散って、そのあいだを飛行機らしい光の点が進んでいく。
「全国に行けるんだな」
木暮がぽつりと言う。その口元には笑みがあって、それにすこし目を奪われた。
「夢見させるようなこと言うななんて言っといて、結局かなえてもらってる。なんだかずっとおまえに甘えてるな」
笑んだままで木暮はそう言う。体育館での出来事を思いだし、三井はその横顔から目をそらす。
「オレじゃなくておまえだろ」
頑張ったの、とつけ足せば、ハハとちいさな笑い声が返ってくる。
「そうだな、頑張った。うん、頑張ったな。赤木もオレも、たぶんすごく」
こんなときでさえ先に挙げるのが自分の名前ではないのだと、そんな細かいことが妙に耳に残った。
背後に建つ合宿所、窓の明かりがひとつ消えて、あたりはすこし暗くなる。
おまえが、という声がふいとした。
「バスケ部、一緒に入った奴らがみんな辞めてって、赤木とふたりになって、でも名簿にはおまえの名前があったから」
途切れた言葉のさきを木暮は口にしようとはしない。かすかに胸が騒いで、けれどそれがどうしてなのかやはりわからずに三井はうつむいた。
「紙切れ一枚出す根性がなかっただけだ」
髪を伸ばして、街に出て、暴力に明け暮れて、それでもどこかでバスケットボールに繋がっていたかった。未練と、かつての自分への捨てきれない信頼と、それがこの二年とすこしというものずっと体のどこかにこびりついていた。
うつむいたままかたわらを見やる。白いTシャツの姿は夜のなかにあってもほのめいて綺麗だった。
引きずり続けた未練のなかにふくまれていたのはバスケットボールひとつではなかったのかもしれないと、気づいたのも最近のことだった。
こちらの気を知ってか知らずか、木暮は嬉しげににこりとする。
「三井が根性なしで助かったよ」
「おい」
凄んでみせても素知らぬ風に、木暮はにこにことして先を続ける。
「おかげで夢の全国制覇に届きそうだ」
それ、と言いかけて三井は言葉を呑みこむ。それもまた木暮本人よりも赤木のための夢なのかと、たずねて肯定されるのがなぜかふと怖くなった。
自分の気持ちをとりあぐねて、三井はううむと仁王立ちになる。なにしてるんだと木暮が不思議そうな顔をした。
「ごめん、オレなにか変なこと言ったか?」
「いや、言ってねェ、言ってねえわ多分。けどよ、なんだろうなこれ」
「オレに聞かれても困るけどな」
考え込むさき、髪からぽたりと滴が落ちる。タオルは木暮の手のなかにあるから、三井はTシャツの襟をひっぱって首筋をぬぐう。
と、合宿所の玄関あたりでいくつかひとの声がした。
ふりかえる、そのさきで彩子と宮城が手をふっている。
「先輩方、もう消灯時間ですよー」
ちゃっちゃと寝る寝る! と、敏腕マネージャーらしく追い立ててくるのに、木暮が笑ってハイハイと従った。
「明日も早いもんな」
「そうですよ、四時起きです」
「アヤちゃんそれ早すぎない?」
三人の背が合宿所のなかに消えていくのを、三井はその場に立ちどまり見送る。
「……根性なしだと?」
かつてとそうして今と、木暮に言われたことがあらためて耳によみがえった。
普段なら腹が立つはずの、けれどそれがいま何より自分にしっくりくる気がして三井はううむと口元に拳をやる。
「オレは根性なしなのか? いや、どこがだ?」
ぽつりと呟くのに、答えるものはその場にない。
石鹸の匂いとそのなかに混じるひとの気配ばかり、あたりには残っていた。