兎の心臓「ねぇ、ラミ。」
『なぁに?ムーア。』
「どうやったらみんなにもラミの声が聞こえるようになるかな?」
『みんなも病気にしちゃえばいいんだよ。感染させるのはラミに任せて!がぶっといくよ!』
そっか…私はペットのうさぎであるラミに噛まれて、この病気“獣化病”になったんだっけ。今でこそこんな白い毛が顔に生えてたり、うさぎの耳と尻尾が生えてたりするんだけど、私も元は普通の人間。こんな姿じゃなかった。獣化病と診断されたときも、見た目には何も異常がない普通の人間だった。初めの症状は尻尾が生えてきただけ。自分でも気づかないうちに生えてきていたから、特にその時違和感はなかった。その次くらいかな…?耳がうさぎの耳になって、私は突然今まで分かるはずなかったラミの話していることがわかるようになった。あのときは、そんな事信じてくれる人なんて1人もいなかった。
「それはダメ!私はみんなの病気を治すために薬の研究してるのに、病気にさせたら意味がないでしょ?」
そう言うとラミは考え込んで喋らなくなってしまった。しばらくしてから何か思い出したかのように、またラミは喋り始める。
『そういえばムーア、帰ってきてから機嫌がいいね。』
「あら、察しが良いじゃない。実はあの狼と…」
「ムーアちゃぁぁぁぁぁぁあん!」
さっきの出来事をラミに話そうとしたら、ノックもせずに慌てた様子でりこさんが部屋に飛び込んできた。慌てている理由は、りこさんをひと目見ただけでわかる。目の光がいつもより強い。りこさんは“虹彩発光症”という、目が不定期に発光する病を患っている。発光してしまう原因は人によって違う為、発症してから原因を発見するまでに時間がかかることが多い。だが彼女の目が発光する理由はとても分かりやすい。りこさんの目は、感情が昂ぶれば昂ぶるほど光が強くなる。普段の彼女は穏やかだから、もし発光していても分からないくらい僅かな光しか発さない為、これほど強い光を発するのは珍しい。何があってこうなってしまったんだ…。彼女の身になにが起きたのか知りたいところだが、今はそんな事考えている場合ではない!
「りこさん!?どうしたんですか!?その目!待っててください、今抑制剤を…!」
『ムーア!抑制剤はそっちじゃなくて左の棚だよ!』
「あああ、そうでしたっ!えぇと、こっち!」
『違う!それは昨日暇潰しに作ってた“死ぬほど不味い薬くせになんの効果もない薬”!抑制剤はその上!』
「あぁぁ!ごめんなさい!こっちでした!どうぞ、りこさん!」
緊急で部屋まで薬を求められるといつもこうだ。ラミがいないと未知の薬を渡してしまうかもしれない。…いつも本当に感謝してる。
今回りこさんに渡したのは、私が作ったどんな病の症状も和らげることが出来る薬だ。この薬は多くの人に認められて、販売もしている。もっと研究を進めればきっと、和らげるだけでなく、病を治すことが出来る薬を作れるはず。
「うぅぅぅ〜、ムーアちゃんありがとう〜〜…りこちゃん死んじゃうとこだったぁ〜〜…。」
「“虹彩発光症”の症状じゃ死ぬことありませんよ…。でもまあ、抑えれたようで良かったです。また強く光っちゃったときのために、いくつか渡しておきましょうか?」
「う〜ん、大丈夫だよ〜〜またこうなったらお部屋くるからね〜またね〜〜ラミちゃんも〜おやすみ〜」
『はい!おやす…あ、行っちゃった…。最後まで聞いてよねー!』
「あはは、仕方ないよ、ラミ。あなたの声は私とあの狼にしか聞こえないんだから。」
初めは獣化病の中でも、兔型のものに感染してうさぎの耳が生えていないとラミの声は聞こえないものだと思っていた。だけど、この施設に来て拓海と出会ってから獣化病の人はみんな、種類問わず動物の話していることがわかるということを知った。
『あ!そういえば、さっきの話の続き!“あの狼と”何だったの?』
「え?大したことじゃないよ?」
『良いから良いから♪』
改めて聞かれると恥ずかしい。
「ただ…初めて名前、呼び合ったってだけだよ…。」
『あらぁ〜♡好きな人に名前呼ばれて嬉しかったってこと〜?』
「ラミ?もう一回言ってごらんなさい?」
『すみませんでした。』
「ただ“うさぎ”って括って呼ばれるよりも気分が良かったっていうだけ!」
『なぁんだ、恋しろよ乙女〜。』
「しないわよ!特にあんな奴にはね!」
なぁ〜にが好きな人だ。いつも喧嘩してるところしか見たことないくせに、よくあれを好きだと思ったなこのうさぎめっ!…って私も少しうさぎか。(※だいぶうさぎだよ)
「馬鹿なこと言ってないで寝るよ〜、あ。」
『どうしたの?』
「新しい研究記録、まだまとめてないんだった…それまとめてから寝る!ラミは先に寝てて!」
『またぁ〜??わかったよ、おやすみ。』
「ごめんね、おやすみなさい。」
そう言ってラミは大人しくゲージの中に入ってくれた。さて…1日の中で一番大変な作業に取り掛かりますかぁ…。好物の野菜チップスを食べながら、失敗した実験から成功した実験、その実験を経て新たに発見したこと等を細かくまとめ始める。今回は特に時間がかかりそうだ…。何か眠気覚ましになるものがあればいいんだけど。
あ!折角だしこの薬、なんの効果もないけどこの苦さは使えるかも!眠気覚ましに使お〜!
………………………………
『誰?』
こちらを向いてそう言う少年の視線は、屋上から向けられたあの視線と似た何かを感じる。
君こそ誰?
そう問いかけようとしても、声が出ない。
『…やっぱり、どうでもいいや。』
そう言うと狐の少年は、境内の中へ姿を消した。
よく見るとこの神社には、夏だというのに雪が積もっていた。
‐♪♪
5時30分。スマホのアラーム音が春馬の部屋に鳴り響く。アラームの設定をした覚えが無いのに鳴るスマホを手だけで探す。
「ん……あった…。」
寝ぼけ眼を擦りながら立ち上がり、伸びをする。最近早起き出来ているおかげか、二度寝しようと思わない。今日も何か仕事を渡されるかもしれない、そう思いまた学校の制服に着替え、洗面所に向かう。
(変な夢見た気がする…。)
雪が降ってる神社に狐の男の子が居たことしか覚えていない。何か喋ってたっけ?久々に見る“普通の夢”だろうと考えながら冷たい水で顔を洗う。その冷たさで目が覚めてくる。
(今日は何するんだろ。)
一人で色々考えていると、この前のように相変わらず朝が早いムーアが洗面所に入ってきた。
「ムーアさんおはよ!相変わらず早起きですごいなぁ…って大丈夫…?」
ムーアは何故か髪の毛がぐちゃぐちゃで、いつもつけている眼鏡もしていないし目の下にクマもできていた。
「だいじょうぶれす…。」
呂律が回っていない。
「ムーアさん、今日寝た?」
「そんなのしなくても生きれたら良いのにねぇ!うふふふふ」
喋り方がおかしい。かなり疲れているようだ。見るからに睡眠不足なのに、目を覚まそうと、ムーアは自分の顔にバシャバシャと乱暴に水をかける。
「ム、ムーアさん!正気に戻って〜!?」
そんな春馬の言葉はムーアには一切届いていないかのように、一心不乱に顔を洗い続ける。
(どうしよ…放っといても続けるよね…。)
春馬が困っていると不意に後ろから声が聞こえた。
「なんやってんだ、そのうさぎは。」
医務室に居るはずの拓海だ。傷はまだ完治していないようで、まだ顔や手足に開きっぱなしの傷口が見える。
「拓海せんぱぁい…!助けてください!ムーアさん多分徹夜してて狂ったんですよ!」(※言い方)
「あ〜?徹夜だァ?昨日早く休みたいとか言って部屋帰ったくせにか。」
そう言われて拓海の存在にやっと気がついた様子のムーアがにんまりと笑う。
「あらぁ〜狼さんじゃないですかぁ〜!今日も顔が良いですねぇ〜へへへぇ!」
ふにゃふにゃとした口調で喋りながらムーアは拓海の両手を掴む。
「…一体一晩中何したらこうなんだよ…ほんとに狂ってんなこいつ。春馬、コイツの事は任せろ。」
「え、でも傷が…。」
「…チッ、良いから。もし怪我が悪化したらコイツのせいにすりゃあいいんだよ。」
ほら行くぞ、と言いながら拓海はムーアをどこかへ連れ出した。ムーアは連れて行かれながら「今日もかっこいいねぇ」「尻尾もかわいいよぉ」などと言っていてまるで別人だ。
(そういえば、あんなに見られるの嫌がってた首…普通に見えてたな。)
「おっはよー春馬くん!!!!ここにボクの手袋置いてなかったかい!?!?!?」
突然の大声に驚きつつ、リムが手袋を探している事も同時に把握できた。洗面所を見渡すと、タオルと一緒に黒い手袋が畳んで置いてあった。
「ありましたよ!」
「あぁ!ありがとう!!!」
手袋を受け取ろうと差し出す左手の薬指には指輪がはめられていた。
「え?」
「うん?どうしたんだい??」
リムが既婚者だという事実に驚きが隠せず、つい声が出てしまった。
「あ、いえ、院長さんって結婚してたんですね!」
「指輪のことね!結婚してるし子供も二人いるんだ!!またその二人が可愛い双子でね〜!!」
「へぇ〜何か意外っすね!」
「君までボクが結婚できなそうなやつだと思ってたのかい!?!?!?」
申し訳ないけど、実はそうだなんて言えない。てか“君まで”ってことは他の人に言われたことあるんだろうな。
「んなことないっすよ!」
「なら良かったよぉ〜!!!!それじゃっボクは手袋を取りに来ただけだからねぇ〜!またぁ!」
「あ!まって院長さん!」
呼び止めると、逆再生したかのような動きで素早く帰ってきた。
「なんだい?」
「ムーアさん、徹夜して疲れてるみたいだから今日は休ませてあげてください。」
「おや、またあの子は徹夜してたのかい!?大丈夫、今日は全員お休みの日だから働かせることはないさ!!あ、休みだって言い忘れてたよねごめんごめん!春馬くんも休めそうなら休むんだよぉ!!」
せっかくちゃんと着替えたのに休みか…と思ったが、先日の散歩…見回りで歩きっぱなしだったせいで脚が全体的に筋肉痛になっていたから正直助かった。休みであることをありがたく思いながら、部屋に帰ろうと廊下に出る。
自室に向かうときいつも前を通りかかるムーアの部屋を見て、なんとなくムーアの様子が気になった。扉をノックしてみたが誰からも返事が帰ってこない。別の部屋にいるのだろうか。
「…はるま。」
シュアンが袖を引っ張りなが話しかけてきた。シュアンが自分から拓海以外に話しかけるのは珍しい。
「どうかした?」
「…うさぎさんは…医務室…。」
「そっか!ありがとう!」
シュアンは静かに頷いて、クマのぬいぐるみで顔を隠す。
「……一緒に、行く…。」
初めて会った時の挨拶や昨日の態度で、春馬は勝手にシュアンから嫌われていると思い込んでいたので、この発言にはかなり驚いているようだった。そんな困惑の混ざったような感情を隠しながら、シュアンと共に医務室へ向かう。
医務室に着くと、拓海とムーアの他に、エリフィナとリムが様子を見に来ていた。
ムーアの首には、さっきまでなかったいつものマフラーが巻かれていた。そして何故か、座っている拓海の腰に腕を巻き付けるようにして抱きついている。その拓海の頭上には、真っ白の可愛らしいうさぎが乗っていた。
「おう春馬、シュアン、お前らも来たか。」
ムーアの対応に疲れたのであろう拓海が、頭にうさぎを乗せたまま虚無すら感じる顔でこちらを向いた。
「お、お疲れ様です…ムーアさん落ち着きました?」
春馬がそう聞くと、まるで人間の言葉を理解しているかのように、拓海の頭上にいるうさぎが首を横に振った。
「てか…その頭のうさぎは…?」
「あ?こいつはムーァ…コホン、うさぎのペットのラミ。今ラミから徹夜してる時にこのうさぎに何があったか聞いてたとこだ。」
今“ムーア”って呼びそうになった?リアルうさぎに話を聞く…?と困惑していると、エリフィナが補足をしてくれる。
「獣化病の人は、動物さんの言葉がわかるんだよ!」
そんなファンタジーみたいなことあるんだ…。
「な、なるほど、それでなんて言ってたんですか?」
そう聞くと拓海は更に呆れたような顔をして答えた。
「研究資料をまとめる為に徹夜してたらしいんだけどな、眠気を覚ます為に“死ぬほど不味いくせになんの効果もない薬”を眠くなる度に少量ずつ飲んでたらしく、効果は無いと思ってたのに摂取するごとに効果が出てきて段々狂ってきたんだとよ。」
「そうなんですよぉ〜ぬふふぇ〜…」
拓海の太ももに顔を突っ伏したままムーアも喋っている。本当にまだいつもの冷静さを取り戻していないようだ。
「なるほど…それで、ムーアさんどうするんですか?」
「あ?どうするって力ずくでも寝かせるんだよ。」
「え?殴るってこと?」
「流石に殴らねぇよ!」
「ングッハァッ⤴︎︎︎⤴︎︎︎wwwwwwwwwww」
笑いを堪えていたリムが我慢しきれず遂に笑った。それにイラついた様子の拓海が一瞬怒ろうと顔をムッとさせたが、もうそんな気力が無いのかすぐにまた呆れた顔に戻った。
「とりあえず、今日1日はオレが面倒見る。春馬、お前どうせ暇だろ?手伝え。」
拒否権ねーからな、と春馬を睨んだ。春馬が頷いたのを確認し、今まで背後に隠れていたシュアンが拓海の横に移動した。
「…怪我。」
「あ?もう大丈夫だから心配すんな。」
ムーアの背中をさすりながら、拓海はシュアンに作ったような笑顔を向けた。
「大丈夫じゃない知ってる…。」
シュアンは真剣な眼差しで拓海を見つめている。何か言おうと口を開く拓海が言葉を発する前に、シュアンは更に続ける。
「僕知ってる…!昨日夜、うさぎさん帰った後、1人で、たくみ痛そうしてた…!」
本気で拓海の事が心配なんだろう、今までこんな声量のシュアンは見た事がない。流石に何も言い返す言葉がなかったのか、拓海は諦めたようにシュアンの頭にポンと手を置いた。
「はぁ…心配させて悪かったな。無理しないようにするから、やらせてくれないか?シュアンも手伝ってくれるとオレは嬉しいぞ。」
「!……うん…。」
シュアンは拓海に頭を撫でられながら、嬉しそうにクマのぬいぐるみを抱き締めた。すると、シュアンを撫でながらムーアには抱きつかれ、頭にはうさぎを乗せている拓海が面白くなってしまったのか、1度堪えたのに笑うのを我慢できなくなったリムが突然大声で笑い始めた。
「ぶっははははははははははは!!!!!!!wwww駄目だァwwwもうダメだwww絵w面www絵面が面白すぎるwwwww拓海wwおまwwママじゃんwwwww」
「クソカラス、今は動けないから手ぇ出さねぇけど、このうさぎが離れたら覚悟しとけよ?」
「やだァ〜wこわぁいww」
「チッ…馬鹿にしやがって。 」
そう言いながら、ムーアの背中をさするのを辞めて、頭上のラミを机の上に置いて、なにか話を聞き始めた。こっちから見ると、ラミはただ鼻をピクピクと動かしているだけなのに、拓海は話を理解しているようで、うんうんと時々頷いている。
「そうか、わざわざあいつの事までありがとなラミ。フィナ、ちょっとりこの目の様子を見てきてくれ。もしいつもより強く光ってたら、うさぎの部屋に行って机の左側にある棚の真ん中の段から抑制剤をもって行って渡してやってくれってよ。」
「わかったー!」
エリフィナが元気に返事をし、医務室から素早く出て行った。それと入れ違いで、扉をノックした後に叶汰が入ってきた。
「やあやあ叶汰くん!!!何かあったのかい?今ムーアはちょっと動けないんだっ、用があるならボクが代わりに対応してあげよう☆」
「あ…はい、えぇっと、妹達と遊んでくれていた子が転んで怪我しちゃって。絆創膏あれば貰いたいなって。」
「おや、妹さん達だけでなく子供たちとも遊んでくれていたのかい?大変だろう、ありがとうね!!」
そう言いながらリムは絆創膏を探し始める。それを見ながら、拓海はまたラミから何か聞いたのか1度頷いた。
「おいクソカラス、絆創膏はお前の後ろにある引き出しの1番上だそうだ。」
「あぁそうかい、ラミが教えてくれたんだろう?ありがとうね!はい、叶汰くん。子供たちの事、今日は頼んでもいいかい?」
「はい、任せてください。では失礼します。」
叶汰は一瞬だけ春馬の方を見て医務室から出ていった。そしてやはりラミには人の言葉が通じるようで、お礼を言われて誇らしげな表情をしていてとても可愛らしい。それから耳と鼻をピクピクさせながらムーアの方を向いた。今度はムーアに向かって何か喋っているようだ。だがムーアは何の反応もせず、拓海の太ももに顔を突っ伏したままだ。
「ラミ…今のは聞かなかった事にするが、本当か?」
ラミは頭を縦に振っている。…何を言っていたのか気になるが、何となく聞いてはいけない気がする。拓海は今日で何回目かのため息をつき、春馬の方を向いた。
「じゃ、早速だが手伝え。」
「はい!」
春馬のいい返事に気分が良くなったのか、拓海は尻尾を振りながらムーアを無理矢理引き剥がして持ち上げた。
「使ってないベッドだして寝れるようにしてやれ。」
医務室の使われてないベッドは折り畳まれていて、使いたい時にすぐ出せるようになっている為準備がとても楽だ。春馬がベッドを出し、シュアンはそこに枕と毛布を置いてくれた。ベッドの準備を終えると、拓海はそっとムーアをベッドに寝かせようとする。だがムーアは拓海を離そうとしない。離させるところから始めないと駄目みたいだ。薬のせいでおかしくなってしまったムーアは、予想以上に対応が大変なようだ。
「、やっぱりこのうさぎは面倒臭ぇ女だなァ!」
あれから30分ほど経ち、春馬とシュアンとリムの3人がかりでようやくムーアを拓海から離す事が出来た。ベッドに横たわらせると、すぐ眠りについた。
「あ、そーだ。」
何かを思いついた拓海がベッドから立ち上がろうとすると、足がフラつき転んでしまった。やはり傷がまだ塞がっていないのが影響しているのだろう。シュアンがすぐ側に行って手を差し出した。その手を掴みながらゆっくりと立ち上がる。
「畜生…虫ごときに刺されただけの傷のくせに、まだ痛みやがる。春馬かクソカラス、どっちでもいいからりこ呼んでこい。それと、ついでにうさぎが飲んでたやばい薬も持ってきてくれ。」
「俺が行きます!えっと薬の見た目の特徴とかあれば教えて貰えませんかね?」
春馬がそう聞くと、ラミが拓海の方を向いて鼻をピクピクさせた。
「特に特徴は無いけど机の上に一つだけ置きっぱなしにされてるからすぐわかる、だそうだ。」
「なるほど!ありがとうございます!」
医務室を出て、まずはりこを呼びに行くことにした。
りこの部屋の前に着くと、部屋の中からエリフィナとりこの話し声が聞こえた。何を言っているかまでは分からないが確かに2人の声だ。話し中で申し訳ないと思いながら扉をノックすると、りこが直接出てきてくれた。
「あら春馬くん〜〜ど〜したのぉ〜〜?」
「拓海先輩に呼んでこいって言われて!でも…フィナとお話中っすよね?」
部屋の中に目をやると、確かにエリフィナがいる。りこが戻ってくるのを待っているようだ。
「うん〜でも大丈夫だよ〜〜フィナちゃんも一緒に行こ〜か〜♪」
「あ、そうだ、医務室の前にムーアさんの部屋に薬のも取りに行きたいんすけど…女の子の部屋に勝手に男1人で入るのは気が引けて…2人にも着いてきてもらっていいすか?」
「いいよ〜♪そういうのちゃんと考えれる春馬くんはえらいね〜〜ぼくが褒めてあげよう〜よしよし〜♪」
撫でられながら、りことエリフィナを連れてムーアの部屋に向かった。
ムーアの部屋につき扉を開けると、手書きの文字や図形や表で埋め尽くされた紙やノートが、床全体に散らばっていた。踏まないように退けながら部屋に入り机の上を見ると、書きかけの資料と野菜チップスの袋、そして目当ての薬の小瓶が置いてあった。見た目からしてだいぶ怪しい。これ以外の薬は、タブレット型の物が多く置いてあるが、この薬は液体のようだった。色は緑に近い黒色に、所々赤や青が混ざっている。小瓶を傾けると、その液体は思ったよりドロドロしており、粘性が強い蜂蜜のような流れ方をした。
「うわ…あったけどムーアさんこんな変なの飲んでたのか…。」
「すご〜い、スライムみたいで可愛い〜〜♡」
(え…可愛いか?)
「ほんとだ!生きてるみたいな動きだね!!」
エリフィナまでこの気持ち悪い液体のことを褒めている。この2人のおかげで春馬は女の子の気持ちが分からなくなった。とりあえず目的の物を確保したので、拓海たちが待っている医務室へ戻ることにした。
医務室の扉を開けると、ラミが足元まで来て出迎えてくれた。ベッドの方を見ると、ムーアはすやすやと寝ている。
「やっと帰ってきたか。りこ、春馬が持ってるその薬の成分調べろ。」
「え?りこさんそんな事出来るんすか!?」
春馬が驚き顔でりこを見る。りこはドヤ顔で腰に両手を当てていた。
「ああ、コイツは一見馬鹿にしか見えないが正式な研究員をアシストすることがよくある。意外と凄いやつだぞ。」
「そうだったんだ…。」
そう話していると、ムーアが目を覚ました。
「…ん……?あれ…どうして私ここに…。」
ゆっくりと体を起こすムーアの横に、いつの間に移動したのかラミの姿があった。ラミはムーアに向かって鼻をピクピクさせている。
「んええぇ!?そんなことが!?うわぁぁぁぁ死にたい……。」
寝て正気に戻ったようだ。多分ラミから今までなにがあったのか聞いたのだろう。真っ赤になった顔をマフラーで隠してボソボソと小さい声で拓海に謝っている。
「フン…自分が作ったからって意味わかんねぇ薬飲むんじゃねぇよ!こっちがどんだけ大変だったと思ってんだ!」
「だ、だから謝ってるんじゃないですか!」
「謝って済むと思うな!オレはなぁ?全身の傷がまだ痛むんだよ、それなのにお前はなぁ!」
「あー!あー!聞こえなーい!!!私は何も聞こえませーん!!!」
「そうかそうか!耳も遠くなっちまったんだな!!!!ババアがよ!!!!」
「はぁ!?なんですかそれ!!どっちかと言うとあなたの方が年上だからジジイですね!!! 」
「んだとぉ!?てめえ!!」
「ほぉら!聞き返してきた!聞こえなかったんですよね可哀想〜!!」
いつものムーアに戻ってくれて一同は安心したようで、拓海とムーアの口喧嘩を見ながらニコニコしていた。
しばらくして2人の喧嘩が終わり、ムーアが飲んでいた“死ぬほど不味い癖になんの効果もない薬”は何なのか、という話題に切り替わった。
「んで、この薬は何のために作ったんだよ。」
まだイライラしている様子の拓海が問う。
「えっと、ただの暇つぶしだったんですけどね、昔テレビで“心臓でも脳のように思考する機能がある”というのを見たのを思い出して、いつも考えている事の中のどれが心臓で考えているものなのか、突然気になったんです。それで今回出来上がったこの薬は失敗作なんですけど、本来は“飲んだら心臓で考えている事を15分間程口に出して言うようになる”薬が出来るはずだったんです。ですが出来上がってすぐ口にしてみたのですが、特に何も言葉として現れなかったので…って、皆さんどうしたんですか?」
拓海とシュアン以外の全員が、微かにニヤついている事に気がついてキョトンとするムーアに、いつにも増してにんまりしているりこが詰め寄った。
「もしその薬が失敗じゃなかったら〜ムーアちゃんは普段〜たくくんのこと“かっこいい”って思ってたことになるねぇ〜♪ね〜!たくくん〜!」
「…知らん。」
ベッドの上に座ってる拓海は頬杖をつきながら目を逸らした。
「な、なんで私がアイツにそんな事思ってると??」
「え〜?それは“見た”本人に聞いて〜、ほ〜ら!春馬くん〜教えてあげなよ〜!」
突然話を振られて困惑しながら、自分が何を見たのか必死に思い出す。
(そうだ、そう言えば…。)
「朝、拓海先輩に“今日もかっこいいね”って言ってたような〜…あははぁ。」
「まってください!全然記憶に無いです!!それに、もし失敗作じゃなければ飲んでから15分だけしか続かないはずです!私は昨日の夜中に飲んだので…!」
言い訳をするムーアに、ラミは何かを伝えている。
「ラミ!?余計なこと言わないで!」
うさぎ同士で何か騒いでいる。…ラミの言葉が聞こえない側から見たら、ムーアが騒いでいるようにしか見えない。
「ねえねえ!あたし気になることがある!」
ぴょんぴょん跳ねながらエリフィナが右手をあげた。
「どうしてムーアお姉ちゃんは酔っ払った人みたいになってたの?それもお薬のせい?眠たかったから?」
「ああ、それなら…。」
拓海が何か知っているの口を開いた。
「“試さないと”わかんねぇと思わないか?」
何となく嫌な予感がする。
「今日、ここに来てほとんど手伝わなかった奴が1人いるよな?」
あ、自分じゃないな。と春馬は一安心する。その手伝わなかった1人とは…。
「クソカラス、飲むよな?」
「ん〜、あっははは…☆ボクはちょっとお仕事があるから先に失礼しようかなぁ〜!!!」
「は?おい待て!!」
「やなこった〜!!!!」
まるで子供のようにリムは医務室から飛び出して逃げて行った。
「ったく…、まぁとにかく、結果は得れてよかったな。“今日こそは”ちゃんと寝ろ。」
「…はい。」
こう見ると、リムが言っていたように拓海は確かに母親のようだなと、春馬は心のどこかで思った。
………………………………
夜になり、仕事一切無しの日だと言うのに、シュアンは夜の学校の見回りをしに行っていた。その帰り道、1人で人混みの中を歩く。
「おや?なんか君…。」
突然目の前に目を瞑った長い金髪の男性、松雪雅楽が立ち止まった。
「………何?」
シュアンの声を聞き、ニヤりと笑う。
「なんか君……“レオン”に似ているねぇ。」